14-1.All I need is you



 「間に合って、本当に良かった」
五十歳近いとは思えない程、若々しく、生気が感じられるリヴィングストン伯爵は、気難しさとは無縁で、初めて会う若いフィリップやアンヌに対して、優しく親切だった。
また、まだ会ってわずかな時間だったが、リヴィングストン伯爵に従ってきた使用人や、従僕たちの言葉の端々から、伯爵に寄せる信頼が厚いことが伝わって来た。
リヴィングストン伯爵、フィリップ、それにアンヌは、ウッドフィールドに向かう馬車の中にいた。
フィリップたちが、フォレストバーグから乗って来た馬車は、とても貴族が乗るような代物ではなく、ましてや、リヴィングストン伯爵という、由緒ある名門貴族が乗るなどということは、考えられなかったが、フィリップやアンヌと話がしたいという、伯爵たっての希望で、そうなった。
馬車の手綱を握るのは、リックだった。
リックは、御満悦だった。
何故なら、御者台のリックの隣には、レティシアが座っていたからだった。
レティシアは、先ほど、リックが銃を突きつけられたショックが、まだ残っているらしく、潤んだ瞳をしていた。
「泣き止めよ。楽しく行こうぜ」
「でも・・・」
「殺られずにすんだんだ。よかったじゃないか」
先ほど、殺されかけたところなのに、難なくそう言える強さが、レティシアには不思議だった。
リックは、上機嫌だった。
確かに、先ほど思い切り蹴られた腹は、まだ強い痛みが残っていた。
きっと、シャツを脱げば、ひどいアザになっているだろうと思った。
だからといって、このレティシアを傍らに過ごす、満ち足りた時間を譲る気はなかった。
いつもは馬車を飛ばすのが仕事のリックだったが、今夜は殊更ゆっくりと、馬車を走らせていた。
その馬車のやや後ろを、馬でついていくハリーは、
「やれやれ・・・」
ふたりのその様子を見て、そう呟いた。



 「よく、僕たちが、あそこにいることがわかりましたね」
「血のついたナイフが、道に落ちていた。あれを見つけていなかったら、知らずに通り過ぎていたかもしれない。本当に、運が良かった。残された遺体には、何の手がかりも残されていない。グラディウスが差し向けたという、証拠がない。おそらく、警察は、盗賊ということで、処理する。私からも、あえて、何も言わない方がいいだろう」
表沙汰にすれば、フォルティスとグラディウスの間の、緊張が高まる。
情勢が微妙なこの時期に、事を穏便に済ませようとする、リヴィングストン伯爵の配慮だった。
フィリップは、向かいに座るアンヌの顔を、ちらりと見た。
アンヌは、リヴィングストン伯爵に、品格のある態度で挨拶をした以外は、微笑むでもなく、安堵の表情を見せるでもなく、いつものように、無表情だった。
というよりも、いつもより、心なし表情が固いようにも見えた。
あまり感情を表さない、アンヌの気持ちを読み取るのは難しかった。
だから、それはフィリップの気のせいなのかもしれなかったが、どこか、苛立っているようにすら思えた。
ウッドフィールドへ無事に到着して、みんな、心からの安堵でいっぱいのはずなのに、なぜそのような表情をするのか、フィリップには解せなかった。
「あなたも・・・、いろいろ気苦労がおありのようだ」
そのアンヌを気遣ってか、リヴィングストン伯爵が、話しかける。
「御心配をおかけいたします」
「ご家族のことは、聞いています。心配は尽きないと思うが、自分の家だと思って、屋敷では、ゆっくり過ごされるといい」
「ありがとう存じます」
「ああ、そうだ。屋敷には、五歳になる双子の男の子がおりましてね。少し、騒々しいかもしれません。そう言えば、確か、あなたの、父上も双子だったのでは?」
「・・・そうですわね」
窓の外に眼を遣っていたリヴィングストン伯爵は、そのアンヌの表情に気づかなかった。
けれども、フィリップは、気づいた。
凍りついたような、アンヌの表情に。
フィリップは、アンヌの父親、ラングラン公爵が双子だということを、今、初めて知った。
アンヌの父である、ラングラン公爵が、兄なのか、弟なのか、そして、もうひとりは、どうしているのか聞いてみたいような気もしたが、凍りついたような表情のアンヌに、それを問うことはできなかった。
ラングラン公爵が双子であるという話で、何故、アンヌの表情が変わったのか、フィリップには、全く想像がつかなかった。



 ウッドフィールドのリヴィングストン家は、フィリップの想像をはるかに超えていた。
屋敷に到着した時には、もうすっかりあたりは暗かったが、それでも、暗闇の中、屋敷の幾十の窓に灯りが浮かび上がり、その豪奢な外観は、容易に想像できた。
翌朝、朝の眩い陽ざしの中、広大な草原に、圧倒的存在感を示す、その贅沢で趣のある石造りの屋敷を目の当たりにして、フィリップはその建造物のあまりの素晴らしさと、美しさに、ため息をつくことになるのだったが。
リヴィングストン伯爵に案内されて、フィリップらが、その邸宅の前の石畳に降り立った時、亡き姉の忘れ形見、フィリップの到着を、心待ちにしていたリヴィングストン伯爵夫人、カトリーヌは待ち切れずに、屋敷の外へ、迎えに出ていた。
そして、溢れる涙をぬぐおうともせず、フィリップを抱きしめた。
そのカトリーヌの傍らには、フィリップが初めて会う、小さな双子の従兄弟がいた。
フィリップの方も、初めてカトリーヌに会って、驚いた。
母より、二つ年下のカトリーヌは、面差しが、亡き母にそっくりだった。
髪の色、瞳の色、全てが母に生き移しだった。
カトリーヌに抱きしめられて、ツンと鼻の奥が痛くなって、込み上げてくるものがあったが、みんなの手前、何とかこらえた。
フィリップとアンヌは玄関ホールへと、案内されて、また、その細部に行き渡る装飾に、圧倒された。
天井、シャンデリア、壁紙、絨毯、マントルピースにソファ・・・、そういった全てのもの装飾、調度品がこだわりを持ってしつらえてあって、アルカンスィエルの、古びた屋敷に生まれ育ったフィリップには、ただ感嘆の声しか出なかった。
けれども、何よりも、フィリップが驚いたのは、屋敷の中で働く、使用人の数だった。
伯爵に、使用人の数を問うと、全て合わせると百人程度、と言う返事が返ってきて、フィリップはまた眼を丸くせずにはいられなかった。
アンヌは・・・、由緒ある公爵家の令嬢アンヌは、ようやく自分のあるべき環境に戻ってきた、というような顔をしていたけれども。
居間に通され、リヴィングストン伯爵に勧められて、椅子に座り、天井のシャンデリアの光を見上げた時、ああ、ようやく、ウッドフィールドについたのだと、心から実感した。
そして、何としても、アンジェラをここへ連れて来てやりたかった、と。
この屋敷で、アンジェラに落ち着いた生活をさせてやりたかった、と。
そう思わずにはいられなかった。