7-3.I MISS YOU



 十一月初旬の夕刻、アウラの大農園、モーガン家の邸宅では、華やかな宴が催されようとしていた。
その広大な邸宅には、眩いばかりのシャンデリアが煌々と灯り、邸宅の前には、ペンナの街の有力者や、アウラの農園主たちの立派な馬車が、何十台もとまり、正装の紳士や、華やかに着飾った貴婦人たちが、邸宅内に吸い込まれていった。
ヘンリーや、マーガレットを筆頭に、モーガン家の人々は、次々と訪れる招待客を、玄関ホールで、にこやかに、そして、礼儀正しく迎えた。
ランドルフも、その役割をそつなくこなし、ウエルカムドリンクを手に、数名の紳士たちと輪を作って、政治や経済について、意見を交わし合っていた。
そこへ、笑顔のマーガレットがやってきて、みなさま、少し失礼しますと、ランドルフを連れ出した。
マーガレットに導かれた先には、年配の夫婦と、ひとりの娘が待っていた。
「ブラウンご夫妻、そしてお嬢様に、ご紹介しますわ。息子のランドルフです。ランドルフ、こちらが、ブラウンご夫妻と、お嬢様のシャーロット様」
マーガレットは、少々大袈裟とも思える笑顔と、いつもより一オクターブは高い声で、互いを紹介した。
ランドルフは、ブラウン夫妻と挨拶を交わした後、
「初めまして、ミス・ブラウン。アウラのモーガン邸へようこそ」
シャーロットの手を取って、手の甲に、そっと口づけた。
「シャーロットで結構ですわ。こちらこそ、お招きいただいて、光栄です」
シャーロットも、にこやかに応じた。
シャーロットは、二十三歳だったが、やや丸顔のせいか、愛らしい顔立ちで、ふっくらとしたピンク色の頬が、魅力的な娘だった。
水色のドレスの肩から胸元にかけて、たっぷりとしたフリルを幾重にも重ね、胸元のサファイアの大きなブローチが、白い肌には良く映えて魅惑的でもあった。
燕尾服に身を包むランドルフも、上背があって、堂々とした体格のせいで、誰の眼にも凛々しく映り、似合いのふたりに見えた。
シャーロットは、花婿候補のランドルフとは、これが初対面ではあったが、気後れするようなこともなく、快活で、ふたりの話は弾んだ。
その笑顔のふたりを、誰よりも幸福な気持ちで見守るのは、言うまでもなくマーガレットで、ここに至るまでの、自らの努力がようやく・・・、ようやく、実を結んだのだと、少し気を緩めれば、泣きたいような気分にすらなった。
時が過ぎ、晩餐の準備が整ったと知らせがあり、招待客たちは、一斉に広間へと、移動を始めた。
ランドルフも、広間へと、シャーロットを誘う。
その時、ある匂いが、ランドルフの鼻をくすぐった。
その香りに、心臓が、とくんと脈打ち、思わず、はっ、と、ランドルフは振り返った。
それは、アンヌの香りだった。
ガーデニアの・・・、アンヌの香りだった。
ランドルフの鼻をくすぐった甘い香りは、招待客の婦人のものに違いなかったが、その香りは、一瞬にして、ランドルフの心に、アンヌを甦らせた。
けれども、ランドルフは、その想いをすぐに打ち消した。
もう、終わったことだ。
もう・・・。



 ランドルフが、アンヌとの関係に終止符を打ってから、ふた月以上が過ぎていた。
この二カ月、以前と同じように、従兄弟たちと農園の仕事に携わり、上流階級の人々との付き合いを、無難にこなす日々だった。
表面上、以前と、何も変わることはない、落ち着いた、穏やかな生活だった。
けれども、何をしていても、味気なかった。
何に対しても、意欲も興味もわかなかった。
これではいけないと、思い直して、友人たちと集い、遠乗りに出かけたり、カードに興じたりもした。
けれども、楽しもうとすればするほど、空しさが込み上げて、後には、寂寥感だけが残った。
忘れようとすればするほど、アンヌの面影が甦り、ランドルフの心をかきむしった。


 セスの村を訪れるときの、ひどい仏頂面・・・。
アンヌは、強引に誘った僕に、ひどく腹を立てていた。
ダールベルグデージーの花束を差し出した僕の眼を、じっと見つめた後、受け取って、ようやく機嫌を直してくれた。
とても、気難しくて、僕は困っていたはずなのに、彼女が機嫌を直すと、ほっとして・・・、嬉しかった。


 夏の日差しの中、額の汗を拭いながら、一生懸命、綿花の芽を摘む彼女の横顔は、何よりも、誰よりも、美しかった。
時折、手を止めて、愛おし気に綿花の葉に触れ、優しく見つめるその表情は、いつまで見ていても飽きることがなかった。
でも、僕と視線が合うと、いつものように表情を引き締めて、つんと澄ますのが、照れを隠すようで・・・、僕は、可愛くて、愛らしくて堪らなかった。


 そして、何より、ピアノを弾く時の、子供のように純粋な目の輝き。
あんなアンヌの表情を見るのは、初めてだった。
時に快活に、時にしっとりと、アンヌの指が、鍵盤を走り、その音色に酔った。
そして、音楽の調べを楽しんだ後、初めて、口づけを交わした。
拒んで、拒んで・・・、互いに愛し合っているのは、もうわかりきっているのに、拒み続けて・・・、彼女は、ようやく、僕を、受け入れてくれた。
ぎこちなく始まった口づけは、やがて、情熱的に変わり・・・、彼女は、僕の背に腕を回した。


 誰かを愛するという感情を、もうすっかり忘れ去っていた僕に、彼女は、再び、愛する喜びを教えてくれた。
愛を、甦らせてくれた。
だけど・・・、
「わたくしが、人を殺めたからです」
濃緑の瞳の持ち主は、残忍に、そう告げた。
「ひとり、ふたりではありません。もう数えきることができないほど・・・、手にかけてきました。わたくしが指示したことも、直接手を下したことも、あります」
彼女は、僕に、残酷な宣言を下した。
僕たちの関係は、あっけなく、終わった。
終わってしまった。
僕たちの心は、離れた・・・はずだ。
それなのに、アンヌ・・・、アンヌ、なぜ君は、僕の心を、こうやってまだ束縛するんだ・・・!



  「ランドルフ様」
名前を呼ばれて、ランドルフは、はっと我に返った。
「どうかしまして?随分、怖い顔をなさっていますけれど・・・、ご気分が、優れないのでは?」
晩餐の開かれる、広間へ入ったものの、強張った表情のままのランドルフに気づいたシャーロットが、怪訝そうに、心配そうに、見上げていた。
もう、終わったことだ・・・。
全て・・・、終わったことだ。
シャーロットの、屈託のない顔を見つめて、ランドルフは自分にそう言い聞かせた。
「いえ・・・、別に、何でもありません。さあ、席につきましょう」
ランドルフは、微笑みを作って誘い、シャーロットは、にっこりと笑顔で応えた。