6-3.悪女



 翌朝も、朝から眩しい日差しが照り付けていた。
その照り付ける日差しの中、ランドルフは、アンヌの屋敷へと馬を駆った。
ひと時でも早くアンヌに会いたいという、逸る気持ちを抑えられず、その速さは、いつも以上のように見受けられた。
両脇にダールベルグデージーの咲く道に、砂埃を巻き上げつつ、アンヌの農園に到着し、ランドルフの訪れを知って、表に出て来たハウスメイドのポリーに馬を任せると、アンヌの名前を呼びながら、玄関を入った。
「アンヌ、僕だ。入るよ」
ランドルフが、そう言いながら、家の中へと歩を進めかけた時、
「ランドルフ様」
階段の上から、アンヌの硬い声が降り注いだ。
アンヌの姿を見つけて、笑顔になったランドルフは、そのまま階上のアンヌの元へと駆けあがり、その腰に腕を回して、
「おはよう、アンヌ、昨日は、来られなくてごめん」
と、頬に口づけようとした。
が、アンヌは、ランドルフの唇を避けるように、ふいっと、顔を背けて、ランドルフの腕の中から抜け出し、無言で階段を降りると、
「お話があります。応接間へ」
静かに、そう告げた。
アンヌは、お茶の支度を尋ねに来たエマに、お茶は結構、ランドルフ様は、すぐお帰りになりますと、告げ、しばらく応接間には近づかないようにと、言った。
当然、アンヌのその声は、すぐ傍にいるランドルフの耳にも入った。
「何か、あった?」
アンヌの不機嫌の原因を探ろうと、エマが立ち去ると、すぐにランドルフは、そう声をかけた。
「昨日、マーガレット様が来られました」
「やっぱり、君の不機嫌の理由はそれか。昨夜、母から話は聞いた。僕に仕事を言いつけて、昨日、君の屋敷から遠ざけたのも、母がここへ来るためだったらしい。どうも母は、この件に関して、神経質になりすぎている。昨夜は、珍しく父も母を諫めたんだが・・・、聞く耳を持たない。君も、昨日、母から聞いたと思うが、母は、僕に見合いをさせたがっている。それが、僕のためだと信じていてね。母を説得するのには、少々時間がかかりそうだけど、心配しないでいい。僕を信じてくれるね、アンヌ?」
「マーガレット様は、昨日のわたくしとのやり取りを、あなたには話さなかったのですか?」
「聞いたよ。母の作り話をね」
「作り話?」
「君の耳に入れるような話じゃないよ」
ランドルフは、全く取り合っていなかった。
「マーガレット様があなたに話したことは、作り話ではなく、全て事実です。・・・ランドルフ様、わたくしに見返りを要求するのは、もうおしまいにしてください」
「・・・何だって?」
「昨日、わたくしは、正直に、マーガレット様にお話しました。農園を手伝ってもらった見返りとして、ランドルフ様に、わたくしの好意を強要されて、困っています、と」
「アンヌ・・・、一体、どうしたんだ?」
ランドルフは、ただ当惑するばかりだった。
「最初に言ったはずです。わたくしは、どなたとも決して交際しないと」
「そう・・・、確かに、君はそう言っていた。でも、それから僕たちは、一緒の時間を過ごして、惹かれ合うようになった」
「それは、あなたの一方的な解釈でしょう」
アンヌは、冷笑を浮かべた。
ランドルフは、アンヌ、と名を呼びながら、その真意を確かめようと、再び、アンヌの身体に腕を伸ばしたが、アンヌは、容赦なく突き放した。
「母に、何を言われたんだ?何故、突然、僕を拒む?」
「マーガレット様のせいではありません。マーガレット様は、わたくしとあなたの間を誤解していました。だから、わたくしは、困っているのはわたくしの方ですと、きちんと説明して、その誤解を解いたのです。ランドルフ様、今後、このような誤解が生じないためにも、もう二度と、この農園へ立ち入らないでください。お父様にも、二度とこちらへはお越しにならないよう、お伝えください。今後、わたくしたちは、良き隣人でも何でもありません。他人です。赤の他人です」
そう言い放ったアンヌを、ランドルフは、強引に抱き寄せて、唇を重ねた。
一瞬、アンヌの胸に、先夜の陶酔が甦った。
けれども、呑まれてはならないと、ランドルフの胸を拳で叩き、突き放した。
怒りとも哀しみともつかない想いが、アンヌの胸にこみ上げた。
「いい加減に・・・、目を覚ましなさい!」
「アンヌ・・・」
「少しは、お母様のお気持ちを考えたらいかがですか!」
「母の気持ち?」
「あなたは、いつも・・・、自分の事ばかり。マーガレット様が、どれだけあなたを心配し、辛い気持ちでいるか、少しでも考えたことがあるのですか?」
思いがけないアンヌの言葉に、ランドルフは、戸惑った。
「我が子に、幸せになってほしい、伴侶を亡くして、深い哀しみを味わった息子に、今度こそ、幸せになってほしい、そのマーガレット様の気持ちを、あなたは、一度でも思いやったことがあるのですか?」
ランドルフは、答えることが出来なかった。
アンヌの言葉は、ランドルフが気づくことのできなかった真実だった。
「モーガン家の農園には、あなたの親戚も一緒に住み、子や孫がいると聞きます。少し考えを巡らせれば、それを見て、マーガレット様が、どれほど、もどかしい想いをしているのかわかることでしょう」
ランドルフは、間違いなく急所を突かれた。
「あなたは、そろそろ、モーガン家の当主としての役割を果たすべきです。自分の哀しみだけを見つめて過ごすのは、もうおしまいです。モーガン家の跡継ぎとして、お母様やお父様を心安らかにして差し上げるのが、あなたの役割です。マーガレット様が選ばれた、相応しいご令嬢がいるのですから、その方とのお話を、進めて行かなくてはなりません」
ランドルフに、アンヌの言うモーガン家の当主としての自覚が、ないわけではなかった。
けれども、これまでのような漠然とした自覚ではいけないのだと、アンヌに諫められたような気がした。
「だから・・・、君は、僕を拒むのか?だったら、僕は、君の言う通り、当主としての務めを果たす。跡継ぎとして、父と母を、安心させる。でも、僕の伴侶は、君だ。君以外には、考えられない」
「わたくしには、そうできない理由があります」
「では、その理由を聞かせてほしい。君の、その頑な態度の理由が知りたい」
「理由を?」
「そう、理由だ」
ランドルフの眼は、諦めないと、何があっても、アンヌを諦めないと、語っていた。
諦めさせることができるのは・・・、きっと、わたくし自身。
アンヌは、覚悟を決めて、息を吸い込んだ。
「理由は・・・、わたくしが罪人だからです」
ランドルフは、アンヌの言葉の意味が理解できなかったように、首を傾げた。
「わたくしが、人を殺めたからです」
「嘘だ・・・」
擦れたような、ランドルフの声だった。
「ひとり、ふたりではありません。もう数えきることができないほど・・・、手にかけてきました。わたくしが指示したことも、直接手を下したことも、あります」
「何故・・・、そんなことを?」
「わたくしは、幼いころから、ある闇の組織の一員でした。組織の命令を拒否することは、わたくしに死ねと言うことです。組織の命令には、拒否も理由もありません。ただ、従うのみです」
ランドルフは、よろめくように、ソファに座りこみ、両手で顔を覆った。
そうして、そのまま、しばらく動かなかった。
「もうこれで、よろしいでしょう?どうぞ、もうお帰りください。そして、二度とここへ来てはいけません。・・・お見送りはしません」
そう言い残して、アンヌは、ランドルフに背を向けた。
けれども、ランドルフは、アンヌを呼び止めた。
「・・・少し、考える時間を。そして、もう少し、話を。・・・このままでは、終われない」
ランドルフに背を向けたまま、アンヌは、眼を閉じた。
何故、このまま、諦めてはくださらないのですか?
わたくしの心は・・・、血を流し続けているというのに。
追い詰められているのは、あなたではなく、わたくしの方だというのに。
あなたはまだ、わたくしを追い詰めるのですか?
どこまで・・・、わたくしを追い詰めるのですか?
アンヌは、きゅっと、奥歯をかみしめた。
そうして、振り返り、
「・・・あなたが、そうまで言うのでしたら、全てお話ししましょう。では、わたくしが初めて人を殺めた時のことから、お話ししましょうか」
と、ランドルフをきつい眼で睨んだ。
「あれは、わたくしが十五歳になったばかりの冬でした。組織に、裏切者がいました。もう十年以上も組織に関わる男でしたが、長い間、わたくしたちの眼を盗んで資金を着服し、女性に貢いでいたのです。だから、殺害しました」
「アンヌ・・・」
「毒を盛っても良かったのですが、それでは、彼は、自分の犯した罪を知らぬまま、逝くことになります。それは、組織のやり方ではありません。彼には、深い反省を、促さねばなりませんでしたから。そう・・・、命乞いを」
じろりと、ランドルフを睨むアンヌの緑色の瞳は、これまでランドルフが見たことのない、残忍な光をはらんでいた。
ランドルフは思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
「わたくしは、組織の者たちに、彼を山中に連れて行くよう指示し、彼は、凍えるように寒い雪の中、肌着一枚で縛られました。その時には、彼は、もう自分の運命を知っていました。跪いて、泣いて詫びましたが、わたくしは、黙って、彼を見下ろしていました。どのくらいそうしていたのかは、もう覚えていませんが、やがて、わたくしは、崖の上へと彼を連れて行くように、命じました。彼は、崖の上から落ちる、最期の瞬間まで、必死で命乞いを続けましたが、わたくしは聞き入れませんでした。組織には、命乞いなど、何の役にも立たないと知っていたでしょうに」
「・・・なんということだ」
ランドルフは、顔を抑えたまま、打ちひしがれたように首を振った。
「けれども、彼の命乞いは、大きな効果を、もたらしてくれました。それ以降、組織に歯向かう者は、ひとりもいなかったのですから。見せしめとしては、この上ない効果を発揮したのです。そういえば、彼が、貢いでいたという女性も、それから、程なくして、亡くなったようです。そちらの方に、わたくしは直接関わっていないのですが、火事の犠牲になったようで、生前は、随分と美しい女性だったそうですが、遺体は、ずいぶんと酷い有様だったとか」
まるで、物語でも話すかのようなアンヌだった。
「君は、君たちは・・・、人間じゃない」
「ええ、そうです。わたくしは、人の心を持っていません。そう、わたくしは・・・、もしかしたら、人の仮面を被った、悪魔なのかもしれません。では、次は、わたくしが、直接この手で殺めた娘のことを、お話しましょう」
「・・・もういい。もうこれ以上は、聞きたくない」
「わたくしの話を望んだのは、あなたの方です。・・・娘は、伯爵令嬢だったのですが、ある有力貴族との縁談が進んでいました。けれども、組織は、その貴族の青年には、私たちの組織に属する、貴族の娘との縁談を望んでいました。だから、伯爵令嬢を排除する必要があったのです」
「アンヌ・・・、もう止めてくれ、頼む、アンヌ」
「殺害方法は、ごく単純に、毒殺でした」
「アンヌ、アンヌ・・・・、お願いだ、もう・・・」
ランドルフは、気でもおかしくなったかのように、右手で髪をかきむしり始めた。
「わたくしは伯爵令嬢と親しく交流を重ね、信頼を得ました。そうして、伯爵令嬢は、疑うこともなく・・・」
「アンヌ!」
ランドルフは、大声で叫び、アンヌを遮った。
「・・・もう、たくさんだ」
ランドルフは、よろめくように、ソファから立ち上がると、憔悴しきって、アンヌの傍をすり抜けていった。
すぐ、玄関のドアが開き、閉じる音が、アンヌの耳に届き、やがて、蹄の音が遠くなっていった。

あなた・・・。
愛しい、あなた。
どうか、どうか・・・、お幸せに。