4-5.恋風



 「一体、何をするのです!放しなさい、無礼は許しません!」
突然のことに、アンヌは、大声で怒鳴った。
「農園主としては、君より僕の方がずっと経験者だ。その僕の言うことが聞けないのなら、実力行使だ」
ランドルフは、軽々とアンヌを肩に担いだまま、果てがないかのように続く、綿花畑の中の小道を、アンヌの屋敷に向かって歩き続けた。
「今すぐ、わたくしを下ろしなさい!無礼者!」
と、アンヌはもがき、ランドルフの背中を勢いよく拳で叩くものの、ランドルフはまったく意に介さなかった。
そうして、ランドルフはそのまま十五分以上も歩き続け、アンヌは、抵抗し続け、ようやく屋敷へと戻って来た。
「一体、どうされたのですか、アンヌ様」
ポリーは畑に出ていて、アンソニーは、ペンナの街へ出ていて留守だったため、屋敷には、エマがひとり残っているだけだったが、ランドルフの肩に担がれて、アンヌが戻ってくると言う通常なら考えられない事態に、エマは、アンヌがどこか怪我でもしたのかと、心配したのだった。
「エマ、君のご主人に、何か冷たい飲み物を。リビングを使うよ、アンヌに少し話がある。それから、アンヌは、体調が良くない。今日は、屋敷から・・・、いや、寝室から出て来ないように、見張りを頼む。少し休んだら、何か消化のいい食べ物の用意を。アンヌは、昼食を食べていないんだ」
突然のことに、戸惑うエマだったが、わかりました、と、答え、リビングのソファに座るアンヌに、すぐレモン水を持って来て、その場を離れた。
応接間以外の部屋に、初めて足を踏み入れたランドルフだったが、白を基調にした壁や柱で、明るい色合いの応接間に比べて、アンヌの屋敷のリビングは、ウォールナット材を部屋の主要部分に取り入れた、シックで落ち着きのある空間だった。
そして、家具や、リビングの片隅にそっと置かれたピアノにも、同じ木材を使用してあり、部屋全体に統一感があった。
そのリビングのソファに座った・・・、正確に言うと、座らされたアンヌは、酷い仏頂面で、エマの持ってきたレモン水の入ったグラスに、手を出すこともなかった。
「あれだけ、文句が言えるのなら、大丈夫そうだね。少しは、落ち着いた?」
ランドルフは、ソファに座ったアンヌの前に、立っていた。
「落ち着きません」
「冷静になって、少し話を」
「わたくしは、冷静です。どうかしているのは、あなたの方です。あのような無礼なことをして、許すわけにはいきません。わたくしは、絶対に許しません」
アンヌが苛立っているのは、明らかだった。
「アンヌ、怒りを鎮めるんだ」
「あなたの言うことは、聞きません」
「今から話すことは、農園主としての助言だ」
「わたくしは、話など、一切聞きません」
「アンヌ・・・」
ランドルフは、アンヌの横に腰を下ろした。
そして、その鳶色の瞳で、ただ黙って、アンヌを見つめ続けた。
しばらく、そのランドルフの誠実な瞳を、睨み続けたアンヌだったが、次第に、その眼差しは落ち着き、小さな声で、どうぞ、と告げた。
ランドルフは、スカートの上に、何気なく置かれた、荒れたアンヌの手を見つけると、その手を取り、そっと握った。
その親密さに狼狽し、手を引きかけたアンヌだった。
けれども、自分の手を労わる様に擦る、男の指の優しさに、呑まれた。
「アンヌ・・・、ひとりで頑張り続けなくていい。僕がいる。僕は、頼りにならないか?」
アンヌは、俯き加減で、黙っていた。
「農園をやっていくのは、男でも、助けになる家族がいても、大変なことだ。君は、ひとりで、本当によくやっていると思う。でも、頑張りすぎるのは良くない。時には、肩の力を抜いて、リラックスすることも大切だ。でないと、続かない。張り詰めたままでは、いつか、破裂してしまう。僕が、少しでも、君の力になれるのなら、僕を頼りにしてほしい。僕は、君の力になりたいんだ」
ランドルフは、繋いだ二人の手に目を向けた。
アンヌの指を、指で擦ると、僅かに握り返されたような気がした。
ランドルフは、アンヌの頬に手を寄せ、ふたりの瞳を、重ねた。
「綺麗な眼を、している。僕を・・・、虜にする」
ランドルフは、アンヌの唇を求めて、顔を寄せた。
けれども、ランドルフの唇がアンヌを捕らえようとした時、思わず、アンヌは顔を背けた。
その甘く、心揺さぶられる感情に、これ以上、足を踏み入れてはいけないと、必死で抗った。
ランドルフは、そのまま、そっとアンヌの頬に、唇を当てた。
アンヌは、思わず目を閉じた。
頬に触れる愛しい温もりに、長く凍り付いたままの心は、震えた。
「おやすみ、アンヌ」
ランドルフは、アンヌの耳に穏やかにそう囁くと、リビングを後にし、再び畑へと戻って行った。



  それから、エマに強く促されて、アンヌはベッドに入ったものの、とても寝つけるはずはなかった。
どう振り払おうとしても、先ほどの、ランドルフとのやりとりが、何度も甦っては、胸を締め付けた。
わたくしは、罪人。
決して許されることのない、罪人・・・。
そう何度も自らを戒め、一瞬でも、心を奪われた愚かな自分を責めた。
自らの犯した数々の罪を思い起こし、今日のようなことは、もう決してあってはならないのだと、胸の内に刻んだ。
感情が高ぶっているせいもあって、アンヌが慣れない昼寝にようやく少し微睡むことが出来たのは、夕方になってからのことだった。
それでも、二時間近く微睡み、目覚めた時、ずいぶんと、身体は楽になっていた。
目覚めて、アンヌが寝室から階下へと降りて行くと、日の入りが八時を過ぎる七月の初旬で、まだ外は日の明かりが残るものの、時刻は八時が近かった。
「少しは、お休みになれました?」
寝間着に薄手の化粧着を羽織って、リビングに降りて来たアンヌを見つけて、エマがそう問いかけた。
「ランドルフ様は・・・?」
「つい、さっき、お帰りになりました。お手紙と、お預かりしているものがございます」
エマは、リビングのテーブルの上に置いてあった手紙と、ダールベルグデージーの可愛らしい花束を、差し出した。



 少しは、休めたかい?
奴隷たちは、完璧に目標を達成したよ。
みんな、明日はチキンだと、盛り上がって、活気づいている。
モーリス、ベン、テリーにコリンも、わだかまりのない、いい表情をしていた。
だから、農園のことは、何も心配しないでいい。
全て、順調に行っている。


  ここへ戻る時に、ダールベルグデージーが、たくさん咲いていたので、また花束にしてみた。
代わり映えのしないもので、ごめん。
いつも何か、君に特別なものをと思うのだけど、なかなか、いい考えが、思いつかないんだ。
君は、何でも、持っていそうだから。
明日は、奴隷たちに鶏を持って来るよ。
食べ物の力は、偉大だね。

                               ランディ

追伸 ダールベルグデージーを摘みながら、ずっと君を想っていた。
君が目覚めた時、この小さな花束で、ほんのひと時でも、和んでくれたらと思っている。



 「せっかくですから、花瓶に、挿して来ましょうか?」
花束を手に、手紙に眼を通すアンヌに、エマがそう申し出た。
アンヌは、つと、その可憐な黄色い花びらに、眼を落とした。
「・・・いいえ、この花は、わたくしが水に挿しましょう。わたくしが・・・、挿します」
花びらをそっと指で撫で、アンヌはそう答えた。