4-4.恋風



 奴隷たちの住まいである奴隷小屋に到着するまでに、ショーンは、その経緯を、荷台に座ったアンヌと、ランドルフに話し始めた。



 親友のふたり、モーリスとベンは、昨日、鶏を売る行商人から、鶏を一羽買った。
鶏の肉というものは、高価だったことから、奴隷では、そう容易く手に入れられるものではなく、年に数回、お祭りやお祝いのときにだけ、口にすることができる貴重な食べ物だった。
今年の夏は、随分と蒸し暑く、その暑さは、働き盛りの男、モーリスとベンでも、身体にこたえた。
だから、景気づけに、鶏でも買って食おう、ということになり、ふたりの男は、なけなしの金を出し合い、時折やってくる、顔なじみの行商の男から、鶏を手に入れたのだった。
そして、今朝方、即席の鶏小屋に入った鶏を眺めながら、明日にでも、鶏を締めて、仕事が終わったら、とっておきの酒と一緒に食おうと、モーリスとベンは話していたところだった。
ところが、昼食時、奴隷小屋に戻ったふたりが、鶏小屋を覗くと、鶏が消えていた。
朝起きて、鶏小屋を見に来た時には、確かに、しっかり鍵がかかっていたと、ふたりともが、記憶していた。
ということになれば、誰かが盗んだということになる。
モーリスとベンは、すぐに思い当たった。
今朝、仕事に出かける前、同じ奴隷仲間のテリーが、鶏小屋の前に立って、じっと、中の鶏を眺めていたのだった。
鍵を開けたところは、見ていなかったが、こういう事態が起きた以上、怪しいとしか思えなかった。
何よりも、テリーには、前科があった。
以前、ディエゴ一家が飼う、採卵用の鶏の卵を盗んだことがあったのだ。
その時は、事情を知ったアンヌに、厳しく叱責された後、夕飯抜きの罰を与えられた。
そういった前科があることと、状況を踏まえると、犯人はテリーに違いない、犯人はテリーだと、モーリスとベンは決めつけた。
モーリスとベンは、鶏を返せと、テリーに詰め寄った。
テリーは、俺は盗んでいないと、言い張り、どちらもが、譲らず、とうとう、つかみ合いの喧嘩になってしまったということだった。



 ランドルフ、アンヌ、そしてショーンが、奴隷小屋に着くと、奴隷たちがひとところに集まっていた。
ディエゴが喧嘩の仲裁に入ったようで、殴り合いは収まっているものの、モーリスとベン、テリーの険悪な空気は、収まらなかった。
「盗んだところを見たって言うのならともかく、テリーがやったっていう証拠がない」
「俺は、やってねえって!」
モーリスとベンを諭すディエゴの言葉に、テリーは、怒鳴った。
「こいつがやったに違いない。あんただって、こいつに、卵を盗まれたんだ。こいつは、手癖が悪いんだよ。それに、嘘つきだ!」
「何だと、この野郎!」
再び、モーリスとテリーのつかみ合いが始まろうとするところだったが、ディエゴが、止めるんだ、ふたりとも、と、間に入った。
「話は聞いた。鶏が行方不明だって?」
と、諍いの中へ、ランドルフが口を挟んだ。
農園主のアンヌと、農園監督者のランドルフが、やってきたとあって、さすがに、その場に居合わせた奴隷たち全員が、かしこまった。
「モーリスとベンの鶏が、行方不明です。ふたりは、テリーの仕業と言いますが、証拠はありません。諦めるしかないって言ってはいるんですが・・・」
「収まらないってわけか」
ランドルフに事情を説明するディエゴの後を継いで、ランドルフがそう言った。
「証拠がないのに、罰することはできません。疑わしいというだけで、犯人だと決めつけるわけにはいかないのです。わかりますね?」
ディエゴと同じ言葉で、モーリスとベンを諭すアンヌだったが、農園主にそう諭されれば、心の内では納得していなくても、わかりましたと言うよりほかない、モーリスとベンだった。
その傍で、ランドルフは、集まった奴隷たちの顔を、何気なく見回していたが、ディエゴとジュリアの八歳になる息子、コリンの表情が、蒼白で、強張っていることに気づいた。
大人たちの諍いに怯えていると思えなくもなかったが、ランドルフは、その怯え方に、どこか違和感を覚えた。
ランドルフは、しばらくコリンの様子を伺っていたが、ピンと、思い当たった。
「コリン」
ランドルフは、その名前を呼んだ。
大人たちが集まる中、突然、自分の名前を呼ばれた、八歳の純粋そうな少年は、びくっ、と身体を震わせた。
大人たちの眼が、一斉に、コリンに向いた。
ランドルフは、コリンに近寄ると、その視線の高さに合わせて、屈んだ。
「何か、知っているんだろう?」
ランドルフの鳶色の眼で、間近にじっと見つめられて、コリンは、帽子を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
「黙っていることは、卑怯だ。知っていることがあれば、話さなくちゃいけない。もし、今、話さなければ、後悔することになる。勇気を出すんだ」
ランドルフは、その小さな肩をそっと揺すった。
思わず、コリンの顔が、歪んで、瞳には涙が盛り上がった。
「悪戯しようと思ったわけじゃないんだ・・・。ちょっと、あの、ふさふさした毛に触ってみたいって思って・・・、鶏小屋を開けたんだ。本当に、ちょっと触りたかっただけなんだ。だけど、僕が、鶏小屋の鍵を開けて、手を伸ばした途端に、急に暴れ出して、逃げ出しちゃったんだ・・・。すぐ、捕まえようとして追いかけたんだけど、捕まえられなくて・・・。ごめんなさい、僕、本当に、ごめんなさい」
コリンは、頬に伝う涙を、何度も袖で拭った。
コリンの告白に、その場の大人たちは、みな、居心地の悪さを、味わった。
疑った者も、疑われた者も、見物者も、仲裁に入った者も、皆、心の内に気まずさを覚えた。
「コリン、お仕置きだ。覚悟するんだぞ」
父親のディエゴが、厳しい顔で、コリンを捕らえに来る。
コリンは母親ジュリアのスカートの陰に、逃れようとしたが、ディエゴは、その細い腕をぎゅっと、掴み上げた。
コリンが、これからの厳しい折檻に怯えて、悲鳴にも似た声を上げた時だった。
「ディエゴ、コリンの仕置きより先に、僕は、お前たち全員に、言うべきことがある」
と、ランドルフは、きつい声で、その場にいる全員に伝わる様に告げた。
農園監督者の厳しい声で、奴隷たちの表情に、緊張が走った。
奴隷たちの誰もが、この騒ぎの責任を問われるのだと、覚悟した。
「この鶏の騒ぎのせいで、いったい畑の作業がいくら遅れていると思うんだ?これは、見過ごせない事態だ」
奴隷たちは押し黙った。
「この騒ぎのせいで、一時間以上、無駄にしてしまった。その時間があれば、どのくらいの作業が進んだと思う?」
「ランドルフ様、その件なら・・・」
と、口を差しはさむアンヌを、ランドルフは手で制して、
「自分たちの責任は、自分たちで取るんだ。そして、騒ぎを起こした分のペナルティも追加する。当然のことだろう。ディエゴ、日没までの今日の作業範囲を、一割程、増やせ」
そう指示した。
分かりました、と硬い表情でディエゴが答えた後、ランドルフは、ただし、と、言い、
「ただし、予定を滞りなく終えることができたら、明日の夜は、チキン・パーティーだ」
と、付け加えた。
奴隷たちは、一瞬、何を言われたのか分からずに、戸惑いの表情を浮かべた。
「聞こえなかったのか?今日の仕事を、ちゃんと片付けることが出来たら、明日、ここへ来るときに、みんなが腹いっぱいになるだけの、鶏を持ってきてやる。うちの鶏は、肉付きが良くて、本当に美味い。ご馳走を味わいたかったら、ちゃんと働くことだ。モーリスとベン、それにテリーも、今回の事はそれで、水に流せ。コリンも、悪さをした分、一生懸命働くんだ。ディエゴ、コリンの仕置きは、それで終わりだ。さあ、みんなこんなところで、ぐずぐずしていていいのか?美味いチキンを食いのがすぞ!」
最後は、ランドルフは、まるで歌でも歌うかのように、高らかに宣言し、一同を景気づけた。
奴隷たちは、顔を輝かせて、めいめい、歓声を上げて、畑へと向かう荷馬車の荷台に飛び乗り、荷馬車は勢いよく走りだした。
早く、片付けちまおうぜ、明日は、チキンパーティーだ、と、みな、口々に声を上げた。
「全く、世話が焼ける」
と、ランドルフは、笑いながら、アンヌの元へと戻って来た。
「ランドルフ様・・・」
「君も、明日は、チキンを食べるかい?」
ランドルフの冗談に、思わず、アンヌも微笑みを漏らした。
「わたくしたちも、そろそろ畑に戻りましょう」
ランドルフをそう促したアンヌだったが、
「畑に?いや、さっきの話は、まだ終わってない。君は、今から屋敷に戻って休むんだ。昼食を食べられない人に、畑仕事をさせるわけにはいかない」
ランドルフは、譲らなかった。
「何度も言いますが、わたくしなら大丈夫です。それに、ここはわたくしの農園です。誰からの指図もうけません」
と、アンヌは踵を返し、歩いて畑に戻りかけた。
ランドルフは、そのアンヌを呼び止めると、
「散歩をしよう、アンヌ」
と、笑顔のまま、アンヌに歩み寄った。
そして、アンヌの身体に腕を回すと、そのまま肩に担ぎあげた。