4-3.恋風



 七月に入ると、アンヌの農園では、芯止めの作業が始まっていた。
綿花は、そのままにしておくと、草丈がぐんぐんと伸びすぎてしまい、その分、十分な栄養が綿に行かなくなり、質の良い綿が収穫できなかったり、取れる数が少なくなってしまった。
だから、綿に十分な栄養を行き渡らせるためには、草丈があまり伸びすぎないように、一番先の芽を摘み取る、芯止めの作業をする必要があった。
そうすることで、綿花の草丈の成長を抑え、綿に十分な栄養が行き届くのだった。
この芯止めの作業は、一度、先端の芽を摘み取るだけでは、不十分なので、二度、三度と繰り返し、脇からも枝が伸びて来ないように、こまめに芯止めをしてやらなければならなかった。



 七月上旬、アンヌの農園の奴隷、十五名は、朝から晩まで、この芯止めの作業に従事していた。
奴隷十五名の中には、リーダー的存在のディエゴと、その妻ジュリアの、八歳の息子も、もちろん含まれていて、八歳とは思えぬ、頼もしい働きを見せていた。
さらには、ハウスメイドのポリーやエマも、手が空けばその手伝いをしたし、今年は、農園監督者のオーウェンがいないという緊急事態なので、どうかすれば、アンソニーも、シャツの袖をたくし挙げて、作業に加わることもあった。
そして、農園主アンヌと、臨時の農園監督者ランドルフも、手が空いていれば、もちろんいつでも、この作業を手伝った。



  「何です?」
「いや、別に」
アンヌは、芯止めをする自分と向かい合って、一列向こうの綿花の芽を摘み取る、ランドルフの視線を感じて、そちらをじろりと睨んだが、ランドルフは、慌てて視線を逸らした。
けれども、しばらくして、またランドルフの視線を感じたアンヌは、
「一体、何ですか?」
今度は、少々語気を強めた。
「いや・・・、なんでもない。悪かった、集中するよ」
と、ランドルフは、綿花の芽に向き直った。
アンヌは、腹立たし気にひとつ息を吐くと、ぷいっと反対側を向いてランドルフに背を向け、次の綿花の列の、芯止めを始めた。
ランドルフは、小さな落胆を覚えた。
芯止めの作業中、時折、熱心に芽を摘み取るアンヌの顔を盗み見るのが、ランドルフの密かな楽しみだった。
アンヌは、日よけに大きなつばのついた帽子を被り、何の飾り気もない野良着に身を包んでいるものの、芽を摘み取るその瞳は、純粋で、熱心で、美しかった。
そのアンヌの表情は、どれほど見ていても、飽きるものではなかった。
だから、わざと、その表情が伺いやすい場所で、作業を進めていたと言うのに、反対側を向かれてしまっては、仕様がなかった。
ちょうどその時、ランドルフの眼に、荷馬車でこちらへと向かって来る、エマの姿が目に入った。
昼の時刻になると、エマが、アンヌとランドルフに昼食を届けに来るので、そろそろ昼休憩かと、懐中時計に眼を落すと、時刻はちょうど正午だった。
ランドルフが、脇に置いてあった鐘を取って、勢いよく鳴らすと、鐘を聞いた奴隷のひとりが、鐘を鳴らし、その鐘を聞いた別の奴隷が、また鐘を鳴らし、ずっと遠方にいる者にまで、昼の休憩を知らせた。
奴隷たちは、荷馬車に乗り合わせて、奴隷小屋に戻り、ディエゴの妻、ジュリアが用意した昼食を急いで腹に収めた後、再び持ち場に戻って、作業を始めるのだった。
ランドルフは、アンヌとふたり、エマの荷馬車のところへ行き、昼食を受け取った。
エマは、今日はもう少し屋敷の片づけがあるので、それが終われば、自分も農園へ出ますと告げ、屋敷へと帰って行った。



 エマが持ってきた昼食のバスケットを手にしたランドルフは、アンヌとふたりで、綿花畑の脇にある大木へ向かい、その木陰に腰を下ろした。
「それにしても、蒸し暑いね。毎年の事だけれど」
そう言いつつ、ランドルフは、手ぬぐいで汗を拭い、水筒の水を飲んだ。
「今年は、いつもより、少し湿度が高いように思います」
「僕も、そんな気がしている。そのせいかな、今年は、うちの農園で害虫が多いようだ。おととい、ここも十分注意しておくよう言っておいたら、今朝、北西のキャンベル邸に近い畑で、葉や茎が食い荒らされていると報告があった。朝、ディエゴと一緒に、確認してきたけど、まだ、そんなに被害は広がっていない。早期発見でよかったよ。午前中に、徹底的に取り除いておくように言っておいた。ただ、少し、気になったのは、噛み口の違うものがあったんだ。多分、あれだと、別の害虫がいる。夜行性のね。昼間は、株の根本に潜んでいるから、疑わしい株は、少し掘ってみて、見つけたら、それも徹底的に駆除しておくように伝えておいた」
と、ランドルフは、そう話す間にも、エマの持ってきた昼食のバスケットを開いて、カントリーハム、スライスオニオン、チーズの挟んである、ボリュームたっぷりのサンドイッチと、ポテトフライを、あっさり、平らげた。
「去年も、あのあたりは、害虫の被害が出ました」
「毎年、被害の出る場所が同じというのは、よくあることだよ」
「来年からも、注意しておきましょう」
「その方がいい。・・・アンヌ、大丈夫か?」
ランドルフは、もう既に昼食を平らげて、バスケットを閉じていたが、アンヌは、木にもたれて涼んでいる様子で、まだ昼食に手を付ける気配はなかった。
「少し涼めば、大丈夫です」
ランドルフは、アンヌの傍へ寄り、その表情を伺った。
気丈に振る舞ってはいたが、色濃い疲労が、見て取れた。
「今日はもう、屋敷に戻った方がいい。オーウェンが怪我をしてから、一日も休んでいないだろう。ちゃんと休まないと、身体によくない。昼からは、屋敷で休息を」
「いいえ、わたくしは、休みません。休んでいないのは、あなたも同じでしょう。自分の農園を、他人に任せきりにはできません」
確かに、ランドルフは、オーウェンが落馬した翌日、オーウェンが動けない間、アンヌの農園の農園監督者になると宣言して以来、ほとんど毎日、アンヌの農園に顔を出していたし、来ない日は自宅で休んでいるかと言えば、そうではなく、自分でなければできない、農園の事務や経理の仕事を、慌ただしく片付けていたのだった。
「男と女では、体力が違う。こんなことをしていては、駄目だ。いつか、君が倒れてしまう。屋敷へ戻ろう」
「わたくしは、大丈夫です」
「昼食も食べることが出来ないのに、昼からの作業はできないよ、アンヌ」
アンヌは、手元のバスケットを見つめた。
先ほど、ランドルフが、美味しそうに口に運んでいたのと同じサンドイッチが、入っているに違いなかったが、今のアンヌは、それを想像するだけで、胃もたれがした。
「わたくしは、誰からの指図もうけません。畑へ戻ります」
アンヌは、水筒の水を少し飲んだ後、立ち上がった。
「アンヌ・・・」
その時、遠方から、ふたりを呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、奴隷のひとりが、慌てた様子で、こちらへと荷馬車を走らせて来た。
「何があった?」
「喧嘩です。モーリスとベンの鶏を、テリーが盗んだって、殴り合いの喧嘩になって・・・」
ランドルフの問いに、若い奴隷のショーンは、硬い表情でそう答えた。