4-1.恋風



 オーウェンが落馬したという知らせを受けて、アンヌとランドルフ、そしてディエゴは、すぐオーウェンの元へと走った。
広大な綿花農園を、三人で急ぎ、走るものの、オーウェンが落馬したという現場に到着するまでに、ゆうに十分はかかった。
三人が、駆け付けた時、地面に倒れたオーウェンの周りには数名の奴隷たちも、集まって来ていた。
「しっかりなさい」
オーウェンを取り囲む奴隷たちの間から入って、アンヌはオーウェンの傍に屈んだ。
「アンヌ様・・・、すいません、俺。世話ばっかりかけて・・・」
痛みのせいで、オーウェンは顔をしかめつつ、そう声を絞り出した。
多量の脂汗が、額を伝っていた。
その額の汗を、ポケットから取り出したハンカチで、アンヌは拭ってやった。
「ともかく、部屋に連れて行こう。誰か、早く、荷馬車を持って来るんだ」
ランドルフが、そう声をかけると、今、取りに向かっていますと、奴隷のひとりが答え、ものの数分で、オーウェンを乗せるための荷馬車が到着した。
ランドルフとディエゴが、肩を貸し、オーウェンを立ち上がらせようとしたが、オーウェンは痛みに、大きな声を上げた。
「少しの辛抱だ、オーウェン」
ランドルフがそう声をかけ、オーウェンは歯を食いしばって痛みに耐えた。
ランドルフとディエゴの手を借りて、荷台にオーウェンが横たわると、その傍らにランドルフとアンヌも乗り込み、ディエゴが手綱を取って、荷馬車はすぐに走り出した。
オーウェンの部屋がある、使用人の住む建物の前までは、荷馬車で行くことが出来たものの、その先は、オーウェンにとって試練だった。
ランドルフ、ディエゴ、そして、事情を聞きつけてやって来たアンソニーの手を借りて、やっとのことで、二階にある自分の部屋までたどり着き、ベッドに横になることが出来たのだった。
「アンヌ様・・・、本当に、すいません」
「今は、そんなことを言っても仕方ないでしょう。ディエゴ、すぐにペンナへ使いをやりなさい。お医者様を連れて来るのです。暗くなってくるので、道中、十分、気を付けるように」
ディエゴが、わかりましたと、答えて、部屋を出て行きかけた時、
「アンヌ様、医者はいりません。俺・・・、ここを出て行きます。というか、こんな身体じゃ出ていくこともできないから、どこかにでも、置き去りにしてください」
と、オーウェンは、自嘲気味に笑った。
その場に居合わせた、アンヌも、ランドルフも、アンソニーも、ディエゴも、思いがけないオーウェンの言葉に、顔を見合わせた。
「少し、疲れているのでしょう・・・」
「別に、頭がおかしくなったわけじゃないです、アンヌ様。俺、本気でそう思っています。動けない俺なんかに、何の値打ちもない」
「オーウェン・・・」
「俺、アンヌ様とランドルフ様に、聞いていただきたいことがあります」
オーウェンのその言葉で、ディエゴは、じゃあ、俺は、医者を連れてくるように言ってきますと、その場を下がり、アンソニーも、ディエゴと一緒に、部屋を出て行った。



 二人が出て行くと、オーウェンは、すぐに話し始めた。
「アンヌ様は、最初から知っていたんでしょう。俺が、綿花の農園の監督者なんて・・・、農園の監督者どころか、畑仕事なんて、一度もやったことがないってことを」
オーウェンは、その態勢が一番楽な様で、ひょろりと長い身体を横向きにして横になったまま、アンヌを見上げて、そう話し出した。
それでも、痛みは込み上げて来るらしく、時折、苦しそうに顔を歪めた。
アンヌは、黙っていた。
驚いたのは、ランドルフの方で、オーウェンとアンヌの顔を、交互に見つめた。
「知っていました」
アンヌは、静かに、そう答えた。
そうして、話が長くなりそうだと察して、オーウェンの横たわるベッドの傍らにあった椅子に、座った。
「俺は・・・、ペンナの街のはみ出し者です。三年半程前、この農園で雇ってもらうまで、ずっと、ひとの金をくすねて生きてきました。あのまま、ワルならワルらしく突っ走ったらよかったんでしょうけど、このそそっかしい性分のせいか・・・、何やっても、中途半端で、うまく行かなかった。ある日、ある金持ちの懐から掏ったのが運悪く見つかって、この農園で雇ってもらうまで、半年ほど、牢屋にぶちこまれてました」
オーウェンの告白を受けて、ランドルフは、そっとアンヌの横顔を伺ったが、アンヌは落ち着いた表情をしていた。
「俺、半年間、牢屋にいて、ずっと考えてました。俺、このままで、いいのかなって。こんなことやってて、歳だけ食って、この先、一体どうなるんだろうって・・・。そう思ったら、急に怖くなって、このままじゃいけないって、思ったんです。でも、はみ出し者の俺を雇ってくれるところなんか、ひとつもなくて・・・。あると言えば、怪しげな店の用心棒が、いいとこだった。そんな時に、偶然、ここの農園の話を、聞きつけたんです。俺が、農園で働くって、って、最初は考えたけど、段々、それも悪くないかもって思って。街にいたんじゃ、どうしたって、昔仲間からの、悪い誘いがかかる。でも、アウラのような綿花畑しかない田舎じゃあ、くだらない誘いがあるわけない。そう思って、ここへやってきました。経験者の振りをして・・・」
もう一度、アンヌは手を伸ばして、オーウェンの額の汗をハンカチで拭ってやった。
「でも、農園の仕事は、生半可じゃなかった。それまで、一度もまともに働いたことなんてないのに、朝から晩まで、畑に出て、奴隷たちを働かせて、自分も働いて・・・、綿花の発育をずっと気にかけないといけなくて、始終、気の休まる暇がない。俺は、こんなことは、もうごめんだと思った。綿花の収穫が終わって、金さえもらったら、辞めてやるって思った。・・・俺の考えが変わったのは、八月の終わりに、蒴が弾けて、コットンボールが現れた時です」
八月末から、綿花の実は、弾けだし、あっという間に、農園全体が、まるで雪のように真っ白いコットンボールで、埋め尽くされる。
それは、壮観とも圧巻とも言える風景で、半年に渡って手塩にかけて育てた綿花が、収穫の時を迎え、農園の誰もが心浮き立つ季節だった。
「俺・・・、嬉しかった。本当に嬉しかったんです。毎日毎日、畑仕事ばかりで、こんなことをしてて、何になるんだって思ってた。それが、畑一面のコットンボールを見て、俺、やっててよかったって、無駄じゃなかったって・・・、産まれて初めて、自分が認めてもらえたみたいで、嬉しかったんです。それで、俺、辞められなくなって、ずっと、ここにいるんです。俺は、アンヌ様に、ずっと嘘をついていたんです。だから、こんなふうに動けなくなって・・・、雇ってもらう資格、俺には、もうありません」
「それはもう過ぎたことです。確かに、最初は、先が思いやられたものですが、今では、すっかり慣れたでしょう。それで、良いのではありませんか?」
「俺、ずっと聞きたかったんです。アンヌ様は、俺が、綿花なんて・・・、畑仕事なんて一度もやったことがないって、わかっていたのに、何故、俺を雇ったんですか?」
「あの時は、あなた以外、農園に来てくれる人がなかったのです。前の農園監督者は、奴隷に対して、酷い扱いをするので、辞めさせました。わたくしにとって、初めての種まきが始まろうとしているのに、農園の主軸となる農園監督者がいないという、非常事態でした。もちろん、わたくしは、それまでにベアトリス様から、綿花農園を経営するにために、必要な知識も技術も教えていただいてはいましたが、実際に農園経営の経験はなく、大変不安なものでした。頼みは、ベアトリス様が、わたくしを思いやって、農園に譲ってくれた、経験豊富なディエゴでしたが、奴隷ひとりに、自分の農園を委ねると言うのは、相当の心配があったものです。だから、例え、経験がなかったとしても、気持ちがあるのならば、何とかなるのではないか、雇ってみよう、そういう気持ちでした」
「俺が、綿花に素人だって知ったのは、何故・・・?」
「覚えていますか?あなたは、種のまき方や、収穫時期さえ知らなかったのですよ」
アンヌは、可笑しくなって、思わず微笑んだ。
「ディエゴも、すぐに気づいたようで、わたくしにそう告げました。でも、わたくしは、ディエゴに、それでもいいから、あなたと一緒にやって行くようにと伝えました。あなたは、機転が利くとは言えませんし、そそっかしいところがありますが、真面目でした。奴隷に任せきりにすることなく、朝から、夜遅くまで、真面目に働いていました。だから、今は、頼りに出来なくても、この先、この農園になくてはならない存在になるのでは、と考えたのです。わたくしの眼に間違いはなかったようです」
「アンヌ様・・・」
「当初、ディエゴの見よう見まねをしているのに、知ったかぶりをして話すあなたは、中々の見ものでした」
「アンヌ様は・・・、人が悪い」
痛みと蒸し暑さに、額に汗を滲ませるオーウェンも、アンヌと一緒に笑った。
「この農園で育つ綿花と同じように、あなたも育ったのです。あなたはもう立派な、わたくしの農園の農園監督者です。必要な者です。どこかに置き去りなど、できるはずないでしょう」
そう言って、アンヌは立ち上がると、ここへエマひとりで寄越すわけにはいかないから、アンソニーとふたりで来させます、世話が必要なことは、言いなさい、医者が来るまでは、動かずにじっとしているようにと告げ、立ち上がった。
オーウェンは、ランドルフと共に、部屋を出て行くアンヌを呼び止めると、
「アンヌ様・・・、ずっと、知らないふりをしてくれて、ありがとうございます。感謝してます。俺、怪我が治ったら、これまで以上に、一勝懸命働きます」
そのオーウェンの言葉に、アンヌは微笑みで応えて、立ち去った。
アンヌとランドルフが出て行き、パタンとドアが音を立てて閉まった後、オーウェンの眼から、涙が零れた。



  「全く、呆れたよ。未経験の農園監督者を、雇うなんて」
表に出て、ランドルフは、暗くなり始めた空を見上げた後、アンヌにそう言った。
「わたくしのような小さな農園では、いつでも人材が不足しているのです。どちらかのような、大農園とは違いますから」
「酷い厭味だ」
「事実です」
と、アンヌは、ランドルフを待たずに、屋敷に向けて、さっさと歩きだしたせいで、ランドルフは、慌ててそれを追いかけることになった。
「少し、一緒に散歩を」
「しません。そろそろお引き取りください。もう日が暮れます」
「アンヌ」
「気安く、わたくしの名前を呼ばないでください」
「アンヌ」
「ですから・・・」
アンヌは歩みを止めて、きっ、とランドルフに向き直った。
厭味の一言でも、言ってやろうとしたアンヌだったが、言葉を飲み込んだ。
見上げたその鳶色の眼差しが、不思議なくらいに穏やかで、優しかったからだった。
自分に向けられるその優しい眼差しが、心に響いた。
「オーウェンの話だけれど、僕は君を尊敬するよ。君の深い思いやりには、いつもはっとさせられるばかりだ。僕は、君のような婦人を知らない。僕は、君を心から尊敬する」
そんな言葉を投げかけられるとは、思いもせず、アンヌは一瞬、言葉に詰まった。
「今日は、一日、本当に楽しかった。ありがとう、アンヌ。君に嫌われないうちに、そろそろ帰るよ。それじゃあ」
と、ランドルフは爽やかな笑顔を残して、そのまま立ち去った。
その後ろ姿を見つめながら、アンヌは、その背中を呼び止めたいような気分になった。
なぜ、そうやって、呼び止めたいような気分になるのか、その理由も、アンヌは良く分かっていた。
けれども、そうはしなかったし、出来るわけもなかった。
闇色の半生を背負う自分の人生に、誰かを巻き込むつもりはなかった。
先ほどのように、素っ気なくあしらっておけば、そのうち、ここには足を向けなくなるだろうと、次第に小さくなるランドルフの背中を見つめながら、アンヌは思った。
そうして、胸の内にともりつつあった灯を、自ら吹き消した。