3-3.花酔



 真っすぐに伸びる田舎道を、のんびり三十分ほど進み、馬車はある集落に入った。
けれども、目的地はその集落ではなく、そこから、山道をさらに三十分ほど走ったところに拓けた、緑豊かな、山間の小さな村だった。
ランドルフは、二年以上前に一度来たきりだったが、迷うことなく、セスの小さな農家までたどり着いた。
突然のランドルフの来訪に、セスは、驚き、喜び、一緒にやってきたアンヌを、笑顔で歓迎した。
そして、
「こんなお美しい方を奥様に迎えられるとは、ランドルフ様は、幸せ者です。しかも、こんな辺鄙な村まで、わざわざ一緒にお越しになってくださるとは、何とお優しい・・・」
と、手ぬぐいで瞳に浮かぶ涙を、拭った。
当然と言えば、当然だったが、ランドルフとふたりでやって来たアンヌのことを、セスは、親しい間柄なのだと勘違いしたのだった。
違います、と口を開きかけて、アンヌは、止めた。
ランドルフが再び、幸せな家庭を築こうとしていると思わせたままでいる方が、目の前にいる、顔にいくつも深い皺の刻まれた、少し背中の丸くなった老人にとっては、幸せなのだろうと思ったからだった。



 セスの住まいである農家は、ずいぶんと古びた家屋で、キッチン、リビング、ダイニング、そして寝室となる中二階があった。
妻亡き後も、セスは、きちんと掃除をしているらしく、すっきりと片付いてはあったが、風の通りが悪いせいなのか、少々、湿っぽく、黴臭かった。
ちょうど昼時だったので、早速、ランドルフとアンヌは、持参した昼食の包みを開くことにしたが、せっかくのいい天気だし、どうせなら外でということになり、セスの農家のすぐ裏手にある、水の清らかな小川の傍で、昼食を楽しむことになった。
かつての主人と昼食を一緒にすることに恐縮しつつも、包みを開いたセスは、その料理の豪華さに目を丸くした。
「こんなご馳走は、生まれて初めてです」
草地に敷いたクロスに並ぶ、色とりどりの品々に、セスは驚きの声を上げた。
セスの驚きも当然で、手の込んだエマの手料理は、色鮮やかで、見た目にも美しく、食欲を誘った。
今朝、焼きあがったばかりのコーンブレッド、新鮮な鶏肉を使ったフライドチキン、塩辛さが魅力のカントリーハム、ジャガイモとベーコンのサラダ、白豆と葉物を混ぜたビーンズ・アンド・グリーンズ、ナッツが香ばしい、デザートのピーカンパイ、口当たりのいいワイン、そして、太陽の紅茶、サンティー。
品数もさることながら、三人で食するには、十二分の量だった。
自分の邸宅で、料理人の作る洗練された食事に慣れているランドルフだったが、それでも、エマの料理は、とても家庭的な味で、美味しいと思った。
「君は、いつもこんな料理を?」
「エマは料理上手ですが、今日は、とくに張り切ったのでしょう。エマの心を感じます」
アンヌは、皿に分けたエマの料理を、ひとつひとつ丁寧に味わいつつ、口にしていた。
「君たちは、いい主人と召使だね。・・・君たちを、引き離さなくて、良かったよ」
それは、ランドルフの本心だった。
あのまま、エマをモーガン家で引き取っていれば、当然、アンヌとエマは、離れて暮らすことになった。
エマは、アンソニーという伴侶を得て、もしかしたら、この先、子供が生まれて、賑やかな家庭に恵まれるのかもしれなかったが、アンヌは、ひとり、取り残されることになる。
エマをモーガン家で引き取ることになった時、アンヌの性格上、寂しいなどということは、まず口にするはずがなかったが、ランドルフは、ずっとそのことが気にかかっていた。
だから、エマとアンソニーが、アンヌの元で暮らすことになり、農園主としては、優秀な経理を失うことになって、大変な痛手には違いなかったが、ランドルフ個人としては、どこか、ほっとする部分があった。



  三人ともエマの手料理を堪能し、お腹いっぱいになって、昼食を終え、サンティーを手に、ランドルフは、セスに、今の暮らしはどうか、と尋ねた。
そして、もしここでの一人暮らしが大変なようだったら、また、モーガン家で働かないかと、持ちかけた。
もちろん年齢は配慮するし、仕事の内容も、考えるとの申し出だった。
セスは、ランドルフの温情に、深く頭を下げつつ、生まれ故郷でもあるし、移り住んでもう三年が経つので、ここでの暮らしには慣れていて、何の不自由もないと、答えた。
自分が食べていくだけ、畑で作物を育てればいいし、山菜は山にたくさんあるし、川で魚も取れるし、贅沢さえ望まなければ、十分に暮らしていけると言った。
そして、まあ、こんな田舎では、贅沢しようにも、贅沢のしようがありません、と、セスは、笑った。
ペイジが亡くなって、確かに、縫物や、料理で不便なこともあるが、ここは隣近所の付き合いがあるから、どうしても困った時は、頼みに行けば、何とかなるのだと話し、わざわざ、儂の事なんか気にかけてもらって、本当に申し訳ない、ありがとうございます、と、もう一度、セスはランドルフに深々と頭を下げた。
「セスが、ここでちゃんと暮らせているのなら、いいんだ。こんな山間の静かな場所でひとりだと、寂しくないかと思って、心配したんだ。モーガン家に戻って来れば、少しは寂しさが紛れるかと思って」
「寂しさは、もちろんあります。ペイジとは、四十年以上連れ添いました。傍にいるのが当たり前で、こんな風にいなくなるなんて、思いもしませんでした」
「セス・・・」
「ここにいれば、どこにでもペイジの思い出があります。亡くなって半年たっても、ふと家の中に、ペイジの匂いがすることがある。その度に・・・、胸をかきむしられるような、孤独と、哀しみが押し寄せます。ああ、もうペイジはいないんだって・・・」
セスは、下を向いて、鼻をすすりながら、言葉を続けた。
「ペイジは、ここでの暮らしを、愛していました。豊かな自然に囲まれた、ふたりの穏やかな時間を、愛していました。儂は、ペイジが愛したここでの時間を、捨てることはできません・・・」
最後は絞り出すような小さな声で、セスは、そう言った。
ランドルフは、黙って、セスの言葉を聞いていた。
「すいません、こんな年寄りの愚痴を、ランドルフ様の耳に入れてしまって・・・」
セスは、手ぬぐいで、涙を拭った。
「そんなことない。セスの気持ちは、痛いほど、良く分かるよ」
「儂は、年を取ってますから、ペイジの事は、まだ諦めもつきます。ランドルフ様は、フローレンス様を失って・・・、お若い分、中々そうもいきますまい・・・」
ランドルフは、答えなかった。
答えられなかった。
アンヌは、その傍らで、癒えない哀しみの中にある、ふたりの男の会話に耳を傾けながら、ただじっと、時を過ごしていた。