2-2.エマの縁談



 エマは、アンヌが十二歳の時から仕える、五つ年上の侍女だった。
エマは、王妃となったクリスティーヌについて王宮へ入ったため、離れて過ごした時期はあったが、傍にいなくとも、エマにとって、アンヌは、ただ一人の主人であり続けた。
アンヌに仕えだしてすぐ、ささいな落ち度から、アンヌの父ラングラン公爵の激しい怒りを買って、命を奪われかけたエマを、アンヌが庇い、守ってやったことがあった。
その事件以来、アンヌの傍を離れて、ミラージュの一味として働いていた時も、エマの心はぶれることなく、アンヌを主人とし、その心に叶うような働きをしていた。
ラングラン公爵が亡くなり、アンヌがミラージュを解散し、新大陸ラエトゥスへ向かうと決めた時も、私はどこまでもアンヌ様とご一緒します、と言って、譲らなかった。
もう二度と、故国ユースティティアに戻らない覚悟のアンヌだったので、あなたは、この地にとどまって、新しい人生を始めなさいと、十分な資金を与えようとしたが、エマは頑として聞き入れなかった。
「アンヌ様の行かれる場所が、私の生きる場所です。どうしても、私を連れていけないと言われるのなら、アンヌ様の手で、私の首をはねてください」
と、本当に剣を差し出すのだった。
そうまで言われて、連れて行かないわけにはいかなかった。
それに、アンヌは思った。
エマも、ユースティティアに残れば、ミラージュの残党に、接触される可能性があった。
それならば、自分と共に新天地に赴き、自分と同じように、まったく新しい人生を始めた方が、エマのためなのかもしれない、と。
そうして、約五年前、エマはアンヌと一緒に、新大陸へと赴く帆船に、乗り込んだのだった。



 以来、綿花プランテーション経営に乗り出したアンヌを、エマはいつも陰ながら支え、力になった。
その存在は、アンヌにとってどれほど心強く、頼りになったことだろうか。
ミラージュの実力者として、ラングラン公爵のいびつな愛情を受けたアンヌと、父ラングラン公爵に、尋常ではない抑圧を受け続けた母フランセット、姉クリスティーヌとは、母子、姉妹とはいえ、家族らしい温かな心の交流は、無縁だった。
軽蔑、敵意、恐怖、そういった禍々しい感情しか持ちえなかった。
そう言った中、アンヌが十二歳の時からの十二年間、いかなる時もアンヌに忠誠を誓い、アンヌに尽くすエマとは、言葉では言い表せない絆があった。
今、もし、エマに、結婚という幸せが訪れようとしているのなら、それを阻む気は全くなかった。
むしろ、エマが結婚し、温かな家庭を築くことが出来るなら、それこそ、困難を乗り超え、一緒に海を渡った甲斐があったというものではないか、そう思った。
そう考えたアンヌは、ランドルフに、故国ユースティティアで、アンヌが十二歳の時から仕える、エマの人柄は間違いないということ、自分に異存はないと言うこと、むしろ、エマが幸せになるのならば、ぜひ話を進めてほしいと話した。
ただ、エマは、もう二十九歳で、アンソニーより、三つも年上だと言うこと、エマ本人は今、恋愛や結婚ということを全く考えてはいないだろうから、どう話を進めていくのかが、問題ではないかと伝えた。
ランドルフは、年齢については、そんなことを気にする男ではないので、まず問題ないだろうと、言った。
ただ、ランドルフも、この件をエマにどう伝えるかは、少し配慮が要りそうだと、言った。
ランドルフの見るところ、エマは真面目で、融通の利かない堅物のような気がした。
方法を間違えれば、アンソニーに会う前に、断られてしまうのではないかと思った。
だから、エマにどううまく説明をして、アンソニーと会う機会を作るのかが、まず一番の課題だと思った。
ランドルフも、アンヌもすぐには、答えが出なかった。
ランドルフはエマというメイドを、詳しく知っているわけではなかったし、そもそも男というものは、こういう場合の対応に適している、とは言えなかった。
一方、アンヌの方も、他の事ならばともかく、男女の恋愛だとか結婚だとか、そういったことに対して、どうすればいいのかなどと言うことは、見当がつかなかった。
本当なら、こういったことは、ある程度、年齢を重ねた既婚の女性が間を取り持つことが、相応しいように思われた。
それだったら、自分の経験を踏まえて、的確な対応もできようものだが、アンヌには、そういった経験が全くなかった。
もう五年以上も昔、片想いに終わった苦い恋が一度あるきりで、それだけで、他人の恋愛を取り持とうとするのは、全く経験不足だった。



 しばらく、ふたりで色々考えてはみるものの、これといった良い方法は見つからず、時間ばかりが過ぎていくので、ともかく、エマにどう話をもっていくかは、アンヌに一任されることになった。
「そろそろ戻ろうか」
そう言って、ランドルフがアンヌを促した時、その視線が何気なくアンヌの左手の甲に向いた。
そして、その痕を見つけて、ランドルフは思わず、アンヌの左手を取った。
その行為が、不躾だとか、非常識だとか考える余裕を失っていた。
「この痕は、もしかして、先日の火事の時の・・・?」
一度はランドルフに取られた手を、アンヌはすっと収めた。
「大した傷では、ありません。しばらくすれば、消えるでしょう」
けれども、ランドルフには、アンヌの左手の甲に残る、硬貨の大きさ程の火傷の痕が、跡形を残さないようには、思えなかった。
そうして、無性に自分が腹立たしくなった。
肌にこんな痕を負わせるくらいなら、自分がひとりでミリーを助けに行くべきだった、と。
「屋敷に戻りましょう。わたくしも、夕食前に、片づけてしまいたい仕事がありますので」
ランドルフの後悔を察したアンヌは、その後悔をそれ以上続けさせぬように、そう言って、話を区切った。



  「君に会えて、よかったよ」
アンヌの屋敷の前にある、大きな樫の木につないであった自分の馬まで戻ると、ランドルフはそう言って笑った。
「なぜです?」
「火事の後、どうしているかと、気になっていた」
「わたくしなら、大丈夫です。心配はいりません」
ランドルフは、破顔して、
「君なら、きっと、そういうだろうと思ったけど」
鳶色の瞳で、アンヌを見つめた。
その時、ランドルフは、そのアンヌの濃い緑色の瞳が、ある一点を、じっと見つめ続けていることに気づいた。
アンヌの視線は、ランドルフの首筋に注がれていた。
「男にとったら、勲章みたいなものだよ。君が気にすることじゃない」
ランドルフは、そう言いながら、首筋に残る、拳ほどの大きさの火傷の痕を、擦ってから、馬上に上がり、それじゃあ、また、と、笑顔のまま、帰路についた。



 本当のことを言えば、このランドルフの首筋に残る火傷の痕のせいで、モーガン家はちょっとした騒ぎになっていた。
ランドルフは、首筋の火傷の痕が、母マーガレットの眼についたなら、また何かと騒ぎになりそうな気がして、できるだけ、その眼につかないように、気を付けていたのだが、昨日、とうとう、マーガレットに気づかれてしまった。
ランドルフの予想通り、大騒ぎになった。
一体、その火傷はどうしたのか、何故、今まで黙っていたのか、手当は十分にしたのか、と、質問攻めにあった。
キャンベル邸の火事で、大きな火の粉が飛んできたのだと、説明し、痛みもないから、大丈夫だと、ランドルフは答えたものの、そのランドルフの答えが、腑に落ちなかったらしいマーガレットは、キャンベル邸での火事で、火の移った奴隷小屋に残る、奴隷の娘を助けに向かったアンヌを、ランドルフが救出に行ったという事実を、どこからか、聞きだしてきた。
大切な一人息子を、命の危険にさらしたアンヌに対して、マーガレットの怒りは、収まるところを知らなかった。
先日のモーガン邸でのお茶会の一件といい、今回の火事の件といい、マーガレット・モーガンの、アンヌに対する評価は、下がる一方だった。