2-1.エマの縁談



 五月の初旬、アウラの綿花プランテーションは、種まきでどこも忙しい時期を迎えていた。
アンヌの農園でも、朝早くから日没まで、使用人、奴隷たちが、一丸となって、百エーカーに及ぶ土地の種まきに、励んでいた。



 キャンベル邸での火事から、六日が過ぎようとしていたその日の夕刻、アンヌは、エマと共に、ペンナの街からの帰路についていた。
アンヌは農園主として、時には、銀行家や商人と、資金や取引の話をする必要があったため、ずっと自分の農園に籠っていると言う訳にもいかず、一カ月に何度かは、農園のあるアウラから、馬車で二時間ほど離れた場所にある大きな街、ペンナへ赴いた。
この日も、ペンナの街の銀行家や、取引のある商人を交えて、綿花の価格の、今期の見通しや動向について、詳しく話し合って来たアンヌだったが、農園の管理に加え、経理、事務などを全て一人で執り行うのは、ひどく多忙で、本当ならば、そういったことを任せられる者が欲しかった。
けれども、資金を取り扱うということになれば、誰でもいいと言う訳にもいかず、また、ケネスの時のような問題が起こることも考えられて、アンヌは、人を雇うということに、躊躇を覚えていた。



 夕刻、エマが手綱を取る軽馬車で、ペンナから屋敷に帰宅するアンヌを見つけたオーウェンが、その馬車を追って、走って来たが、そそっかしいオーウェンは、馬車に追いつくまでに、二度、派手に転んだ。
「何かありましたか?」
駆けて来るオーウェンの姿を眼にして、アンヌは、自分が留守の間に、農園で何か問題でもあったのかと、緊張を覚えた。
オーウェンは、転倒して衣服についた砂ぼこりを払うでもなく、
「いえ・・・、そうではなくて、ランドルフ様が・・・」
ゼイゼイと、息を切らせながら、話し始めた。
「ランドルフ様?」
「今朝、アンヌ様が発った後、すぐ屋敷に来られて、ちょっと話したいことがあるって」
「わたくしが、ペンナへ行って留守だといったのでしょう?」
「もちろん、そう言いました。お戻りなるのは夕方だって。そしたら、しばらく考えて、じゃあ、帰った頃にまた来るって」
アンヌに、ランドルフの用向きの心当たりはなかった。
六日前、火事のあったキャンベル邸から屋敷まで、一緒に戻って以来だった。



 火事の後、ひとりで帰るので、大丈夫だというアンヌを、ランドルフは強引に説き伏せて、屋敷まで送った。
屋敷までの間、ランドルフは一言も話さず、思いつめた表情をしていた。
その理由について、アンヌは、火事の衝撃があるのだろうと思った。
ミリーを助け出すのが、あと少し遅かったなら、三人とも死んでいてもおかしくなかったわけで、そう思えば、ランドルフの受けた衝撃も、軽いものではないのだろうと、想像がついた。
よもや、ランドルフが自分に、言葉を失ってしまうほど、強烈に魅了されているなどとは、思いもしなかった。
別れ際、馬から降りたランドルフは、小さな灯りだけが頼りの暗闇の中、アンヌの瞳を、じっと見つめた後、
「おやすみ、アンヌ」
そう言って、小さく微笑んだ。



 アンヌがペンナから戻って、十分もしないうちに、ランドルフはやって来た。
ランドルフは、親しみやすい、いつものランドルフだった。
「帰ったばかり?」
応接間に案内されたランドルフは、まだ外出着のままの、アンヌを見て、そう察したらしかった。
「十分ほど前に」
「疲れているところ、悪いね」
「それほどでもありません。それより、用向きは何でしょう?何か、問題が?」
一日に二度もアンヌを訪れるからには、それなりの用があるのだと思った。
「いや、問題というわけじゃないんだが・・・」
ランドルフは、アンヌの肩越しに、奥を見やって、気にする素振りを見せた。
「何です?」
アンヌは、ランドルフの視線の先を追った。
と、そこへエマが奥からお茶を運んで来て、ランドルフは、慌てて視線を逸らせた。
ランドルフのそんな様子に、エマは、全く気が付いていないようで、いつものようにお茶の用意をすると、静かに一礼をして立ち去った。
「お茶を飲んだら、少し散歩に出ないか?暗くなるには、少し時間がありそうだ」
まだ、六時になっていないことを確認して、ランドルフは、そう言った。
夏に向かって季節が進むこの時期、七時半頃まで、外はまだ十分に明るかった。
「ここでは、何か不都合が?」
「まあ・・・、そうなんだ」
ランドルフは、歯切れが悪かった。
アンヌに異存は、なかった。
お茶を飲みながら、今日アンヌが訪れた、ペンナの街の様子などの他愛無い話をした後、ランドルフは、アンヌと連れ立って表に出た。



 風は穏やかに心地よく、午後六時を過ぎ、ゆっくりと西の空が茜色に染まりつつある夕暮れは、ただ、それだけで美しかった。
特にどこへ向かうつもりもなかったが、ふたりの足は、自然と、屋敷から歩いて五分ほどの、樫の木の木立へと向かっていた。
「話というのは、さっきのハウスメイドのことなんだ」
「エマの?」
アンヌにとって、それはあまりに意外な話だった。



  ランドルフの屋敷に、アンソニー・ヒューズという二十六歳になる、経理担当の者がいた。
アンソニーは、五年前、叔父を頼って、モーガン家へやって来た。
アンソニーの叔父というのは、三十年以上もモーガン家に努める、優秀で信頼の厚い経理担当だった。
アンソニーは、モーガン家にやって来てから、叔父の補佐的な仕事を勤めた。
が、アンソニーの叔父は、去年、病気で、他界した。
以来、叔父の後を引き継ぐような形で、アンソニーがモーガン家の経理を勤めることになったのだった。
もちろん叔父に比べて、まだ、経験の浅いところはあるものの、叔父と同等か、それ以上に、熱心で優秀であるため、呑み込みは早く、既にランドルフの右腕となって、モーガン家の資金を管轄していた。
そのアンソニーが、三日ほど前、これまでに見たことないほど、頬を紅潮させて、緊張した面持ちで、ランドルフ様に、聞いていただきたい話がありますと、切り出してきた。
アンソニーの話というのは、エマの事だった。
一言でいうなら、アンソニーは、ペンナの街で見かけたエマに、一目惚れしたのだった。



  四月中旬、アンソニーは、仕事でペンナの役所に赴いていた際、街で偶然見かけた女に、一目惚れをした。
女に一目で恋をしたアンソニーは、女から眼を離せずに、その姿を追ってみると、女は、ある食料品店に入った。
少々迷ったが、アンソニーも女の後に続いて、食料品店に入った。
女は慣れた様子で、店の中を見回り、次々と品物を選んだ。
砂糖や塩などの調味料も、まとめ買いをして、支払いを済ませた。
そして、十五分ほどすると、店の前の荷馬車に待たせてあった奴隷を呼び、買い物を済ませたたくさんの荷を、奴隷と一緒に、次々と荷馬車に運び込んだ。
アンソニーは、それを見て、街から離れた大きなお屋敷のメイドが、奴隷と共に、ペンナの街へ買い出しに来たのだろうと、察しはついたが、どこの屋敷のメイドかまでは、わからなかった。
真面目で、実直なアンソニーは、女に淡い恋心をいだいたものの、その場で声をかけるなどという、大胆なことは出来なかった。
女は、手際よく荷物を運びこむと、そのまま荷馬車に乗り込み、あっという間に、通りを行ってしまった。
アンソニーは、女のことが、どうしても気にかかった。
だから、店の女主人に、今、この店でたくさん買い物をしていった女が、どこの屋敷の使用人か知っているなら教えてほしいと、思い切って尋ねてみた。
店の女主人は、あっさり、その女が、アウラで綿花プランテーションを経営するクレマン家の使用人で、名前はエマだと教えてくれた。



 アンソニーは、ペンナでエマを見かけた日から、すっかりエマの虜になってしまった。
それは、自分でも、不思議なほどだった。
歳は、いくつなのだろう。
恋人はいるのだろうか。
よもや、結婚しているなどということは・・・
思い切って訪ねてみようか。
いや、そういった勝手な行動で、モーガン家に迷惑をかけるようなことは・・・
そう考えだすと、毎夜、寝つきは悪くなった。
それで、しばらく思い悩んだ挙句、思い切って、その胸の内を、ランドルフに打ち明けたのだった。



 「アンソニーは、若いが実直な男だ。人柄は保証する。その彼が、ああまで言うのだから、何とかしてあげたいと思ってね」
「エマに、そんな人が・・・」
「君は、どう思う?」
突然、そのように尋ねられても、アンヌは、答えようがなかった。
エマに、恋心を抱く男がいる。
それは、アンヌにとって、思いもよらない事態だった。
が、決して悪いことだとは思わなかった。
いや、むしろ、これはとてもいい機会なのかもしれない、アンヌは、少し考えて、そう思い直した。