11-4.コットンブーケ



 ジャクリーンとシーラが、モーガン邸に招かれた翌日、ランドルフとアンヌは、モーガン邸にて、グレゴリー牧師により、結婚の祝福を与えられ、晴れて、夫婦となった。
クリスマス、新年を、モーガン家で、家族、新妻と共に過ごしたランドルフは、幸福に包まれていた。
今年の夏に生まれ来る小さな命を、両親、親戚、そして、妻と心待ちにしつつ、愛に溢れ、充実したクリスマスと新年の休暇を送った。
新年が明けて、アンヌの引っ越しが本格的に始まり、アンヌの屋敷から荷が運び込まれ、新調する家具や、ドレスの採寸のために、業者が次々に出入りするせいで、慌ただしさの続くモーガン家だった。



  年が明けてしばらくたった一月の下旬の、風の冷たいある午後、ランドルフは、ペンナの街の郊外にある、大きな屋敷の前で馬車を降り立った。
ランドルフには、どうしても、区切りをつけなくてはならないことがあった。
ランドルフが立ったのは、ブラウン家の屋敷の前だった。



 「わざわざ来ていただく必要は、ありませんでしたのに。マーガレット様から、謝罪の手紙は頂きましたし、もう終わった話ですから、今更、来ていただいても、困ります」
困ります、と、迷惑顔で、ブラウン夫人はきっぱり告げた。
モーガン家の若き当主が直々、やって来たのに、門前払いを食わせることは流石にできず、渋々、応接間に招き入れたブラウン夫人だった。
「お嬢さんに対して、大変失礼なことをしたのは僕ですから、一度、僕から、きちんとお嬢さんにお詫びをしたいのです」
「娘は、会いません」
一層、固い表情になるブラウン夫人だった。
「どうかお願いします、ブラウン夫人」
「あなた、ご自分が、いったに何をなさったのか、おわかり?」
ブラウン夫人の口調は、厳しかった。
「あなた、ご自分が娘に、どれほど酷い仕打ちをなさったのか、おわかり?正直に申しますけれど、十一月のそちらの夜会に、娘は・・・、シャーロットは、期待をして行ったのですよ。いいえ、娘だけではなく、私たちも、期待していました。あなたとの縁談話があった時、シャーロットは、親元を離れ、街を離れ、アウラのモーガン家に嫁ぐことに、不安を抱いていました。でも、随分、あなたのお母様が熱心でしたし、温和で誠実だと言うあなたの人柄を、多方から耳にして、シャーロットも心を決めて、そちらの夜会へ赴いたのです。夜会では、あなたに、随分親切にしていただいて、あの子は、あなたに好意を持ったのです。私は母親ですから、シャーロットの様子を見ていれば、それぐらいわかります。ところが、どう?あなたは、舞踏会の途中で、シャーロットを置き去りにして、そのまま、帰って来なかったのよ。どれほど・・・、どれほど、あの子が傷ついたか、分かる?」
捲し立てるブラウン夫人だった。
シャーロットの失意が、どれほどのものだったのか、ランドルフの身に沁みた。
「それだけでも、あの子は、深く傷ついたのに・・・、最近、私が耳にした話では、あなた、十一月の夜会の頃に、聖マティス教会で、結婚式を挙げていたそうじゃないの。なんて、卑劣な人なの・・・。シャーロットとのお見合いを勧める一方で、あろうことか、別の女性と、結婚していただなんて。誠実な人柄だなんて、とんでもない。偽善者、卑怯者、悪党!」
ブラウン夫人が、瞳を潤ませ、吐き出すように言う間、ランドルフは黙って、その言葉に耳を傾け続けた。
どんな非難にも、言い訳はしなかった。
「僕の軽率さを、心からお詫びします。謝罪します。どんな非難も、受け入れます。ですから、ミス・ブラウンに、直接謝罪を・・・」
「会いません」
「ブラウン夫人・・・」
「あの子には、絶対に会わせません。ですから、お帰りください。あなたみたいな、卑怯な・・・」
「お母様、もう結構よ」
「シャーロット・・・」
応接間のドアが開いて、姿を見せたのは、シャーロットだった。
「お母様、ランドルフ様とふたりにしてくださる?」
夜会の時にシャーロットが見せた、にこやかな笑顔はなかった。
その表情は、硬く、険しかった。
「シャーロット、あなたが、こんな人と話す必要はないのよ。直ぐに、お引き取り頂くわ。こんな・・・、こんな卑劣な・・・」
「お母様、もうそれ以上、おっしゃらないで。そんな風に、ランドルフ様に怒りをぶつけるのは、どれほど私が惨めだったかということを、示すようなものよ。私のプライドを、尊重してほしいの」
娘に、強い意志の籠った声で、そう言われたブラウン夫人は、憤りを抑え、納得がいかぬ表情のまま、応接間を離れた。



  「シャーロット、僕は、あなたに心から謝罪したい」
ブラウン夫人が立ち去ると、ランドルフは直ぐに、謝罪の言葉を述べたが、シャーロットの表情は、硬いままだった。
「僕は、あなたを酷く傷つけてしまいました。僕の優柔不断な態度が、あなたやブラウン夫妻を翻弄させて、辛い思いをさせてしまいました。許してもらえるとは思っていません。けれど、あなたには、一度きちんと謝っておきたかったのです。あなたには、本当に申し訳ないことをしました」
そう言って、じっと頭を下げるランドルフの姿を、硬い表情のまま、しばらく見つめ続けていたシャーロットだったが、やがて、ぷっ、と噴き出して、くすくすと笑いだした。
「ランドルフ様ったら・・・、可笑しいわ。だって・・・、私は、もう何とも思っていないのに、とっても真剣な面持ちで、真顔で、何度も、何度も・・・、私に、謝られるんですもの。ああ、可笑しい」
「シャーロット・・・」
「お母様は、少し、大袈裟なのですわ。先ほどの、お母様とあなたのお話は、みんな聞こえていましたけれど、お母様は、私のことを可哀想に思って、あんな風に、あなたを責めますのよ。わたしはもう大人ですのに、随分、過保護だとお思いでしょう?」
「ブラウン夫人のお怒りは、最もです。僕に、弁明の余地はない」
「潔いお言葉ですのね。でも、本当に、もう謝罪は、結構ですわ。ランドルフ様には、今きちんと、謝っていただきました。今回の件は、それで、もうお終いです。過ぎたことに、いつまでも囚われ続けていては、せっかくの自分の将来を、見失ってしまいそう。そう思いませんこと?」
「あなたは、強い。そして、逞しい」
「それは、誉め言葉ですの?」
「もちろんです。あなたの強さと、明るさ、そして寛容さを、僕は尊敬します」
ランドルフの、その称賛を、シャーロットは微笑みで受け、
「ご結婚・・・、されたのですってね?」
ランドルフに、そう尋ねた。
「ええ、そうです」
「夜会で、時折、あなたのご様子がおかしかったのは、その方のせいですのね」
「あなたの眼は、ごまかせませんね。あなたの言う通りです。忘れようとしても、どうしても・・・、彼女の事が、頭から離れなかった」
「それほど愛しい方がおありだったのに、どうして私とお見合いを?」
「申し訳ないのですが、僕と妻には、とても複雑な問題があって、詳しい経緯をあなたにお話することは、出来ないのです。ただ、妻は、自分の抱える問題から、僕を遠ざけようとした。僕を守るために、身を引こうとしたのです。僕は、その妻の深い思いやりに気づかず、彼女の手を放しかけた。彼女を、忘れようとしました。でも、できなかった。彼女の存在は、もう既に、僕の心の奥深くに根差していて、忘れられるものではなかったのです。僕は、もっと早くに、そのことに気づくべきでした。そうすれば、あなたも、あなたのご家族も、傷つけることはなかったのに・・・」
「奥様は、お幸せな方ですわね。あなたに、こんなにも、深く想われて・・・」
「彼女は、思いやりが深く、勇気のある素晴らしい女性です。僕は、決して彼女には敵わない」
ランドルフの言葉に、シャーロットは、そっと微笑んだ。
そうして、
「ランドルフ様、どうぞ奥様と末永く幸せにお過ごしください。私、心から、そう願っておりますわ」
そう、締めくくり、右手を差し出した。
ランドルフは、差し出された手を握り返すと、ありがとう、シャーロットと、と答え、応接間を離れ、ブラウン家を辞した。
 


 応接間の二階の窓から、ランドルフが馬車に乗り込み、帰路に就く姿を、シャーロットはじっと眺めていた。
そうして一瞬、俯き、指でそっと瞳を、拭った。
次に、シャーロットが顔を上げた時、その瞳に、もう哀しみはなかった。
その眼は、既に、前へと、未来へと向かって輝き始めていた。



 四月の初旬、アウラのモーガン邸では、ささやかな宴が開かれようとしていた。
それは、ランドルフとアンヌの結婚披露宴に代わる宴で、アンヌが安定期に入り、体調が落ち着いた頃を見計らって、開かれることになったのだった。
目立ち始めたお腹を抱えて、盛大な宴を開くのは、気後れがするからという、アンヌの要望で、近親者だけを招いた、控えめな宴となったが、それでも、招待客は、五十人を数えた。
午餐を終えて、演奏会という催しが始まるまでの間、みながそれぞれに、歓談する中を、ランドルフと共に、当主の妻として、招待客ひとりひとりに、礼を述べ、挨拶を交わすアンヌだった。
「大丈夫?少し休もうか」
そう言って、長い時間、招待客に応じるアンヌを気遣うランドルフだった。
「わたくしなら、大丈夫です」
お腹のゆったりとした白のドレスに身を包んだアンヌは、紅を差した唇をそっと緩ませて、穏やかに微笑んだ。
ランドルフは、その気品あふれる美しさに、しばらく見惚れた。
「少しいいかしら」
と、その二人の間に、割って入って来たのは、ランドルフの叔母のレイチェルだった。
「何かあった、叔母さん?」
「これを、お美しい花嫁に・・・」
そういって、レイチェルがアンヌに差し出したのは、花束だった。
可憐なローズマリーに引き立てられ、スターチスの鮮やかな青が目立つ中でも、雪の様に真っ白い綿花は、その存在をはっきりと示した。
「これは、コットンブーケ・・・」
「せめて、このくらいはね」
そう言って、レイチェルは、アンヌの手にコットンブーケを握らせた。
レイチェルは、少なからず、アンヌのことが不憫だった。
仕方がなかったこととはいえ、クリスマス前に、モーガン邸で、グレゴリー牧師によって、慌ただしく結婚の祝福を与えられ、けれども、式の日付は、寄付という名の賄賂で書き換えられ、ウエディングドドレスもなく、厳かさもなく、何もかもが、足りなかった。
真実は、親族の胸の内に収められて、他人は誰も、本当のことを知る者はなかったが、婚約や、家柄に相応しい結婚式もなく、通常では考えられないその段取りに、不審を覚え、陰ではあれこれと噂する人たちもいた。
どうしようもなかったこととは言え、心優しいレイチェルには、それが不憫に思えてならなかった。
だから、せめてこのくらいはと、花嫁には内緒で、ブーケを手作りしたのだった。
花嫁の愛してやまないコットンを、組み込んだブーケを。
アンヌは手渡されたブーケを、しばらく、黙って見つめ続けた。
気に入らなかったのかしら、とレイチェルが、心配し始めた頃、
「これは・・・、このブーケは、わたくしが何よりも望んだものです」
アンヌは、込み上げてくる感情で、胸がいっぱいになりつつ、そう呟いた。
アンヌの傍らには、どんな時も支え、労わってくれる優しい夫が、そして、手には、想いの籠った綿花が、白く温かな輝きを放っていた。
「わたくしにとって、このブーケは・・・、最高の贈り物に間違いありません」
そういって、アンヌはブーケの中の白い綿花を慈しむように、そっと指で愛でた。



それから再び、レイチェルから贈られたコットンブーケを手に、アンヌはランドルフと共に、招待客たちに挨拶を交わしていった。
ふと、何気なく、アンヌの手元に視線を遣ったランドルフは、気づいた。
コットンブーケの下で、アンヌがそっとお腹を擦る仕草に。
良い子にしているのですよ、そう囁く、アンヌの声が聞こえたような気がした。