11-1.コットンブーケ



 その日、アンヌは、自らの半生を、全て、ランドルフに打ち明けた。
ミラージュ、父であるラングラン公爵の野望と陰謀、グラディウスの王妃となった姉クリスティーヌ、公爵令嬢として、ミラージュの後継者としての、自身の生い立ち・・・。
それらの事実に自らの想いを交え、全て、包み隠さず、ランドルフに告白した。
朝早くから、マーガレットの話に耳を傾け、その後に、自分自身の長く深刻な話なので、アンヌの体調を気遣うランドルフは、一度、医者を呼んで身体を見てもらおうと、君の話はまた日を改めようと、提案したのだったが、アンヌは、決して首を縦には振らなかった。
どうしても、今日の内に、全てを話しきってしまいたいという、アンヌの強い希望で、休息を挟みつつ、夕刻近くまで、アンヌは、自らの半生を語り続けた。
ランドルフは、アンヌが話し続ける間、手を握り、じっと、その言葉に耳を傾け、その想いに寄り添い続けた。
そうして、全てを話し終わったアンヌに、
「君はもう一人じゃない。これからは、僕が一緒だ」
そう言って、その肩を抱いた。
アンヌの過去については、全てを知っていたわけではなかった。
けれども、以前に聞いていた部分もあり、ランドルフはそれなりの覚悟を持っていたが、ミラージュ、ラングラン公爵の想像を超える卑劣さには、強い憤りを覚えた。
そして、ランドルフにとっては、今朝のマーガレットの告白も、驚きで、衝撃だった。
これまで、母マーガレットの過ちを、ランドルフの耳に入れる者はなかった。
ランドルフの、祖母と伯母にあたるイザベラとエレノアは、病気で亡くなったとしか、聞かされていなかった。
精力的で、正義感の強い母に、罪深い過去があったのだと、初めて知った。
けれども、自分の犯した罪を心から悔いるマーガレットを、ずっと守り、支え続けた父の存在は、これから、ランドルフが父と同じ立場となって、アンヌを守り続けて行こうとするとき、大きな励ましとなり、勇気となった。
一方、アンヌの胸には、愛しさと、申し訳なさと、全てを話し終えた安堵とが、綯交ぜになって去来し、しばらくは気持ちの落ち着き場所が、見つかりそうにはなかった。



 アンヌは、茜色に染まりだした空に気づいて、日が暮れる前に、自分の屋敷に戻りますから、着替えます、と告げ、ベッドから抜け出そうとした。
ランドルフは、アンヌのその主張に、反対した。
子どもを宿して、決して体調が優れているとは言えないアンヌを、ランドルフは、帰すつもりはなかった。
帰る必要はないと、今日からずっとこの屋敷にいればいいし、君はそうする立場にあると言って、説得を試みるランドルフだったが、アンヌは、微笑んで、首を横に振った。
アンヌは、今はまだ、人の噂になるようなことは、できるだけ避けたいのだと、ランドルフに言った。
昨晩一晩だけならば、どうしても体調が優れなくて、仕方なく、モーガン家にお世話になったと、苦しい説明ができるかもしれないが、二晩、三晩と続けて、モーガン家に留まり続けるようなことになれば、どこからか人の耳に入って、好ましくない噂を、されるようになると。
そして、結婚前に子どもを宿したことが知られれば、非難を受けることは間違いないことで、いずれは知られることになったのだとしても、今はまだ心の整理がつかないことも多く、もう少しお腹に子供がいることは、人に知られたくないので、やはり、自分の屋敷に戻りますと、アンヌは譲らなかった。
アンヌに、そう言われると、確かに、未だ結婚式を挙げていない今の状況で、このままアンヌがモーガン家に居続けることは、何かと世間を騒がせることになり、アンヌへの激しい非難を、生むことになるかもしれないと、考えたランドルフは、結局、アンヌの主張を受け入れた。
とはいえ、アンヌが、これから自分の屋敷に帰って、身体を労わり、大人しく過ごすという点について、ランドルフはアンヌを、完全に信頼することはできなかった。
何故なら、今朝、ランドルフが訪れる前に、モーガン家を出て行こうと、マーガレットに馬車を依頼するアンヌを、目の当たりにしていたからだった。
それは、ランドルフにとって、衝撃的な出来事だった。
だから、ランドルフは、何度も、何度も繰り返し、アンヌに約束させた。
決して、僕に黙って、姿を消すようなことをしてはならないと。
これから、僕が、君を、君の屋敷に送り届けてから、明日の朝、僕が訪れるまで、決して屋敷を離れるようなことを、してはならないと。
流石に、今となってはもう、ランドルフに黙っていなくなるようなことを、するつもりはなく、お約束しますと、殊勝に答えるアンヌだったが、それでもランドルフはアンヌのその言葉を、絶対的には信用できない様子で、アンヌを心配して、朝からモーガン邸へやって来て、ランドルフとアンヌの話が終わるまでの長い時刻、別室で待ち続けていたエマに、今朝の一件を伝え、注意を払ってもらうつもりだった。
けれども、アンヌが、エマには、内緒にしていてほしい、と。
自分がひとりで立ち去ろうとしたことを、エマが知ったなら、酷く動揺するに違いないし、自分は絶対に、もう黙って出て行くようなことはしないと約束すると、懇願の籠った瞳で、アンヌに訴えられれば、妻に迎えようとする愛しい女性の、その眼差しに、ランドルフが勝てるはずもなく、結局、今朝のアンヌの企みを、エマには内緒にしておくことになった。



 その夜、ランドルフに送られて、自分の屋敷に戻って来たアンヌは、たった一日、自分の農園を離れていただけなのに、自分の屋敷を離れてから、随分長い時間が経ったような気がしてならなかった。
たった一日で、アンヌの人生は、大きく変わったような気がした。
同じ苦しみを持つマーガレットに諭され、ずっと胸に抱え続けて来た、苦しみへの向き合い方が、変わっていくような気がした。
お腹に宿る小さな命と、ランドルフとの今後について、まだ具体的に何も決まったわけではなかったが、マーガレットに諭されて、犯した罪故に、全ての喜びを封印しなくても良いのだと、家族という支えを得て、祈り続ける、贖罪の道を歩んでも良いのかもしれないという想いが、アンヌの中に芽生えた。
自らの罪が、消えるわけではなかった。
それでも、これまでの、張り詰めたような心持ちではなく、日々の暮らしの中で、落ち着いて、罪に向き合い続けて行くべきではないか、という想いが、生まれた。



 前日の疲れがあったのか、気持ちが落ち着いたせいだったのか、その夜、アンヌは、久しぶりに深い眠りに落ちた。
いつもは朝の早いアンヌだったが、その朝は、十二月の遅い夜明けと共に目覚め、身支度を済ませた頃、早々に、ランドルフはやって来た。
「おはよう、アンヌ、気分は?」
その訪れを知って、寝室から出て、階上に姿を現したアンヌに、ランドルフは明るく笑いかけた。
そうして、半ば駆ける様に、階段を上がると、
「今朝、ここへ来るのが待ちきれなくて、昨夜は眠れなかった」
ランドルフはそう言って、直ぐにアンヌを抱き寄せ、頬に唇を寄せた。
「わたくしは、ぐっすり」
「ぐっすり?」
アンヌにも、慕情を囁かれると、期待していたランドルフは、少々拍子抜けし、そして落胆した。
「あなたが、今朝一番でここへ来ることは、わかっておりましたから、それはもうぐっすり」
余裕たっぷりにアンヌは、微笑んだ。
「僕は、間違っていた。せめて、昼頃まで、君を焦らすべきだった」
「あなたには、出来ません」
「・・・降参だ」
ランドルフは、早々に観念すると、アンヌに唇を重ねた。
こうして、軽妙な言葉を交わせる時間の訪れたことが、新鮮で、不思議で、何よりも幸福に思える、ふたりだった。
そうして、寄り添い、手を取り、ただ、微笑んで見つめ合う時間が、十分以上過ぎた頃、エマがやって来たかと思うと、
「あの・・・、大変お邪魔だと、自覚はしておりますけれども、アンヌ様のお身体を考えますと、まだ、朝食も召し上がってはおられませんし、そのような場所で立ったまま、これ以上長い時間を、お過ごしになられますよりは、リビングがございまして、アンヌ様の朝食と、ランドルフ様のお茶の支度が済みましたら、決して近づくようなことはしませんので、そちらの方でお過ごしになられる方が、差し障りがないかと思います」
赤い顔をして、俯き加減で、しどろもどろにそう述べると、逃げるように立ち去った。
照れたエマのその様子が、なんとも可笑しく思えて、ランドルフとアンヌは、声を立てて笑った。



  精神的にリラックスしたせいか、胃の不快感は続くものの、昨日までに比べると、幾分、食べ物が喉を通りやすくなったアンヌだった。
悪阻が酷い時は、少しずつ小分けにして食べるのがいいという、マーガレットの助言を、エマが、忠実に守って、一度の食事の量を軽くし、何度も運んで来てくれるのも、アンヌにとっては有難かった。
アンヌが、ごく軽めの朝食を済ませる間、その傍で、ティーカップを手にしたランドルフは、幸せな気持ちで、過ごしていた。
「本当なら、ずっとこうして過ごしていたいんだけど、今日は、これからペンナの銀行へ、行かないといけないんだ」
アンヌが朝食を済ませ、しばらくリビングのソファで寛いでいたふたりだったが、アンヌの指を擦りつつ、少々名残惜しそうに、ランドルフはそう告げた。
「銀行で用を済ませたら、午後から教会へ行こうと思っている。出来るだけ早く、僕たちの結婚式を挙げられるように、牧師と話をして来るよ」
「そのことですが・・・、わたくし、昨夜、休む前に考えていたことがあります」
ソファで、ランドルフに寄りかかるように身を委ね、寛いでいたアンヌは、身体を起こすと、真顔になって、そう切り出した。
「考えていたこと?」
「わたくしは、やはり、ここを立ち去ろうと思います」
「アンヌ、それは・・・」
「どうか、わたくしの話を、最後まで聞いてください」
表情が険しくなるランドルフに、アンヌは、微笑みを返しつつ、先を続けた。
「今すぐに結婚というのは、やはり、少々急な話の様に思います。ですが、子が宿った今、わたくしがここで農園を続けて行くことは、難しいでしょう。未婚で母親になろうとするわたくしが、このままここで暮らすことを、認めてくれる人がいるとは思えません。ですから、できればこの農園は、モーガン家に・・・、あなたに買っていただきたいのです」
「それで、君は?」
「わたくしは、この農園を売って、ペンナの街へ出ようと思います。ペンナに住み、そこで、子を産みたいと思います。少し、社交界からも遠ざかって、気儘に暮らしたいと思います。そうすれば、どのような非難も、わたくしの耳には届きにくいはずですし、話題には、事欠くことのない社交界ですから、わたくしの存在など、早いうちに忘れ去られるでしょう。このアウラからペンナまで、少し距離があるといえばありますが、あなたは、いつでも子供に会いに来ることができますし、ヘンリー様やマーガレット様にも、自由に子供に会いに来ていただけます。子どもが女の子でしたら、そのままわたくしが手元で育ててもよいですし、男の子が生まれて、アウラで、モーガン邸で、育つ方が良いと判断されたら・・・、その時は、子どもをモーガン家に引き取っていただくことも、考えたいと思います」
「つまり、男の子だったら、跡取りとして、モーガン家に引き渡すということだね。女の子だったら、跡取りにはならないから、君が引き取ると」
「子の産まれる前から、あまり先の事を考えるのも、難しいことではありますが、そのようにすれば、みな負担なく、暮らせるような気がします」
「僕たちの結婚は?」
「それは・・・、わたくしのペンナでの暮らしが落ち着いた後で、ゆっくりと考えればよいと思います。急ぐ必要も、ないでしょう」
「君のその提案は、一見、僕にとって、とても都合がいいように思える。僕たちは別れる必要がないし、僕と両親は、君や子供に自由に会えて、生まれた子供が、男の子だったら、モーガン家は跡取りとして、引き取ることができる。だけど、僕は、君のその手には乗らない。僕は、君が何を考えているか、近頃よくわかるようになって来た」
アンヌは、心を見透かされたようで、瞳を伏せた。
「君は、まだ僕と結婚することを、躊躇っている。僕に、自分の罪を背負わせたくないと、もがいている。違う?」
本心を見抜かれて、アンヌは何も答えることが、できなかった。
「君は、何事に対しても勇気がある。何に対しても、誰に対しても、恐れずに立ち向かうその勇気と情熱を、僕は心から尊敬している。だけど、君は、僕との結婚に関しては、臆病すぎるほど臆病だ。本心を言ってごらん。先日も言ったけれど、僕には、君の本当の想いを、聞く権利がある」
アンヌは、そのランドルフの眼差しから、逃れることはできなかった。
「わたくしは、たった一度の契りで・・・、子どもが出来たからと、あなたに、わたくしの罪を背負わせることは、やはり、あまりに酷なことだと・・・」
「僕は、子どもが出来たから、君と結婚する訳じゃない。君のお腹に子供がいてもいなくても、僕は、君以外の伴侶を持つつもりはないよ。僕は、君とこれからの人生を歩むと、決めている。だから、そろそろ君も、逃げずに決心をするんだ。君に必要なことは、モーガン家に嫁ぐ心づもりだ。いいね?」
そう言って、ランドルフに穏やかに諭されながら、この方で良かったと、生涯を共に生きる夫が、この方で本当に良かったと、アンヌは改めて、心から思った。
「・・・わたくし、良い妻になれるよう、努めたいと思います」
ようやくそう告げたアンヌを、ランドルフは、優しく抱きしめ、
「今週中に、式を挙げよう」
そう囁いた。



 教会は、結婚前の契りを、認めてはいなかった。
しかも、アンヌとランドルフは、異教だった。
そう考えれば、ふたりの結婚へのハードルは、高いようにも思われたが、絶大な権力を持つ、モーガン家の当主直々の依頼で、破格の寄付が用意されるとあれば、教会は、間違いなく申し入れを受け入れるだろうと、ランドルフは思っていた。
「牧師には、僕たちの事を正直に話すつもりだけど、僕は、親戚だけ集めて、すぐに教会で、式を挙げるつもりでいる。ペンナの街まで行くことが、君の体に障りがあるようだったら、二、三日中に、屋敷へ牧師を呼ぶようにするよ。早急に結婚式を挙げれば、お腹の中の子供は、結婚してすぐ宿ったことにして、予定より少し早めに生まれたということにできる。それに、赤ちゃんのお披露目を先延ばしにして、実際の出生日より、少し後に誕生したことにすれば、何も気付かれることはない。そう出来れば、未婚で子供を宿したという、世間の非難を、君が浴びることはないし、生まれて来る子どもにとっても、その方が望ましいと思う。牧師と僕の親戚たちは、真実を知ったところで、僕たちを不幸にするような真実を、わざわざ吹聴したりはしないから、心配することはないよ。ただ・・・、君をアウラ一の花嫁にすると言ったのに、その約束は守れそうにない。君には・・・、申し訳ない」
ウエディングドレスの支度は、到底間に合うはずがなかった。
結婚式への出席も、牧師と親族のみに限られ、モーガン家の地位と権力を考えると、本来なら、上流階級のあらゆる人々を招き、教会を参列者で一杯にするのが当然であるのに、アンヌと挙げる式は、ささやかすぎるほどささやかで、モーガン家にはそぐわなかった。
ランドルフ自身は、二度目でもあったし、男でもあったから、式への思い入れがあるわけでもなかったが、アンヌには、教会で立派な結婚式を挙げ、披露の宴を開いてやりたかったと、悔いが残った。
「わたくしは、アウラ一番の花嫁です」
そう言って、アンヌはランドルフの胸に、そっと頬を寄せた。
「わたくしは、アウラ一番の、いいえ・・・、世界一幸せな花嫁です」
身に余る幸福に包まれて、アンヌは、ランドルフの胸の中で、眼を閉じた。