10-4.マーガレット<後編>



 ジョーンズ家に、その訪問客があったのは、夜会から二日後の事だった。
来訪の約束は、なかった。
車輪の音を聞きつけたマーガレットが、二階にある自分の部屋の窓から、外を覗くと、屋敷の前にとまった馬車の車室から、大柄なひとりの紳士が降り立つのが見えた。
マーガレットは、その人物が、先夜、舞踏会で見かけたヘンリーの父、パトリック・モーガンだということに、すぐ気づいた。
マーガレットは舞踏会で、パトリックが、モーガン家の跡取りであるヘンリーに、ふさわしい伴侶を見つけようと、躍起になっているという話を耳にした。
だから、その来訪の目的は、会わずとも、想像がついた。
ヘンリーとのことを、咎められるのだということが。
どれほど厳しい言葉を、投げつけられるのだろう。
覚悟はしていても、緊張で、手の平にはじっとりと、汗が滲んだ。



  ティモシーとマーガレットは、その突然の来訪者を、応接間に迎えた。
「忙しいところ、失礼する。いや・・・、お茶の支度は無用だ。話が済めば、私はすぐに帰る」
グレーのスーツを身につけた、堂々とした体格のパトリック・モーガンは、その場に立っているだけで、威圧的だった。
髭はすっきりとそり落とし、間近で見ると、多少白髪交じりではあったが、豊かな黒髪を、整髪料できちんと整え、慣れたようにステッキと帽子を手にして立つその姿は、隙がなく、まるで最初から、自分の意に沿わぬことは、一切認めないと、言われているような気にさえなった。
パトリックを応接間へ迎えたティモシーと、マーガレットだったが、誰一人座ろうともせず、お茶が出てくることもなく、対面は最初から異様で、不穏だった。
「お話は・・・、伺わなくても、分かっています」
マーガレットは、囁くような声で言った。
「ほう、それで?」
「夜会に、出席したことを、お詫びします。ご子息に、ご迷惑をおかけして・・・、申し訳ありませんでした」
マーガレットは、そう言って、頭を下げた。
パトリックは、しばらくそのマーガレットを黙って眺めていたが、
「何が目的だ?」
冷淡に告げた。
「目的?」
「やけにしおらしい。何を企んでいる?」
マーガレットは、すっと、指先が冷たくなっていくのを感じた。
助け船を出したのは、ティモシーだった。
長く、この土地で、互いに綿花農園を営むパトリックとティモシーは、古くからの知り合いでもあった。
「パトリック、君は何か、誤解をしている。夜会に誘ってきたのは、ヘンリーの方だ」
「何だって?」
訝しがるパトリックに、ティモシーは、少し待っていてくれと、応接間を離れた。
そして、書斎から、マーガレットに夜会ヘの出席を促す、ヘンリーの手紙を携えて来ると、パトリックに差し出した。
眼を通したパトリックは、
「馬鹿者が」
苦々し気に、呟いた。
そして、その後、正直に言って、と、続け、
「正直に言って、私は、君が私の夜会に来ることなど、全く知らされてはいなかった。ヘンリーが、勝手に仕組んだことだ。晩餐会での席順は、私が十分に吟味し、招待客の誰もが、納得し満足いくよう、完璧に仕上げたつもりだった。ところが、どうだ。私の息子の隣に、あろうことか、君のような不届きな娘が着席している。由緒あるモーガン家の、後継者の隣に。私は、眼を疑った。その時の私の憤りを、君に想像してもらえるだろうか!」
次第に、その時の事を思い出して、怒りが込み上げてくるせいか、パトリックは声高になった。
マーガレットも、ティモシーも、押し黙った。
「夜会の間中、腸が煮えくり返る思いを抑えるのに、私がどれだけ苦労したことか!夜会の招待客に、無様な姿を見せるわけにはいかないからね。だが、客たちは、陰で私をあざ笑っただろう。パトリック・モーガンは、息子すら、満足に教育できていないと!」
マーガレットは、その怒りに、本当に、申し訳ありませんでした、と、頭を下げ続けた。
ただ、詫び続けるマーガレットに、多少、溜飲が下がったのか、パトリックは、ふうっと、大きく息をつくと、
「ヘンリーは、モーガン家の跡取りだ。良家の令嬢を娶り、跡継ぎを作る義務がある。家のために」
押さえた声音で、そう言った。
「わかっています」
「二度と、私の息子に、いや・・・、モーガン家に近づくな。いいな」
「お約束します」
「今後、ヘンリーに余計な手出しをするのなら、容赦しない。君たち一家をこのアウラから締め出して、徹底的に叩きつぶす。私は、ヘンリーを、ニコラス・グリーンの二の舞にさせる気は、毛頭ない」
「承知しました」
マーガレットは、青ざめた表情のまま、そう答えた。
パトリックは、用件だけを話すと、見送りは不要と、十五分ほどの滞在で、ジョーンズ家を後にした。
見送りは不要と言われたものの、それでも、ティモシーとマーガレットは、表へ出て、パトリックの馬車が去り行くのを、見送った。
「お父様・・・、ごめんなさい」
マーガレットと並んで見送りに立つ、ティモシーの方は向かず、去り行く馬車を見つめつつ、マーガレットは、言った。
「ごめんなさい・・・、本当にごめんなさい、お父様」
マーガレットの瞳からは、次々に涙が溢れた。
これまでも、マーガレットはティモシーに、繰り返し、自分の罪を詫びてきた。
そのマーガレットの肩を、これまでと同じように、ティモシーは引き寄せ、抱きしめた。
けれども、今日はティモシーの瞳にも、涙が滲んでいた。
父娘の嗚咽は、長く、長く、続いた。



 ヘンリーがジョーンズ邸を訪れたのは、その翌日のお昼過ぎの事だった。
ジョーンズ邸を訪れたヘンリーは、これまでにないほど、固い表情をしていた。
昨日の同時刻、父親のパトリックを招き入れ、厳しく叱責をうけた応接間に、今日はヘンリーが来訪しているのだと思うと、不思議な気分になったマーガレットだった。
昨日と違うことと言えば、ふたりはソファに座り、テーブルには、きちんとお茶の支度があったことだった。
「ヘンリー、先日は、夜会へのお招きありがとう。本当に、楽しい時間だったわ」
礼を述べるマーガレットは、にこやかで、晴れやかだった。
「昨日、父がここへ来ただろう」
「ええ、いらっしゃったわ」
「父は、君と君の父上に、随分、失礼な態度を取ったはずだ。父は、君に何を話した?」
「失礼なことなんて、何もないわ。お父様は、当たり前のことをおっしゃっただけよ」
「父は、君に何を言った?」
重ねて、ヘンリーは尋ねた。
ヘンリーから眼を逸らせ、しばらく、黙った後、
「私とあなたは、もう二度と会ってはいけない、ということよ」
マーガレットは、そう静かに口を開いた。
「恐らく、君や君の父上に対して、脅すようなことを言っただろう?あの人の言いそうなことだ」
そう言うヘンリーの瞳には、憤りがあった。
マーガレットは、気にしてないわ、と小さく呟いた。
「昨夜、父と話し合った。話し合いと言うよりは、言い争いかな。いや、君が心配することじゃない。いつものことだよ、父とは、意見があったためしがない。僕と父は、水と油だ。交わることは絶対にない。父は、僕が父に黙って君を夜会に招いたことを、酷く憤っていたけれど、僕は、夜会に誰を招こうが、僕の自由だと思っている。僕は、僕が招きたいと思った人を招く。だから、君は、父に言われたことを、何一つ気にする必要はない」
「ヘンリー・・・」
「今日は、正式に、交際を申し込みに来た。当然、結婚を前提だ。受けてもらえるね?」
マーガレットは、小さな微笑みを作って、首を横に振った。
「あなたの気持ちだけ、有り難く・・・」
「父に言われたことを、気にしているのか?」
「あなたのお父様は、関係ないわ。実はね・・・、昨夜、お父様と話し合って、私、近々、ここを離れることになったの」
「どういうこと?」
「誤解しないで。何度も言うけれど、私がここを離れることと、あなたのお父様から言われたこととは、無関係よ。ずっと以前から、話はあったの。ここにいても、落ち着いた暮らしを取り戻すことは難しいし、お父様も、私が傍にいると、心労が絶えないでしょう。だから、私だけ、親戚の住む田舎へ移ろうと思って。親戚も、私と父のことを心配してくれていて、私に、いつこちらへ来ても構わないって、言ってくれているの」
と、マーガレットが挙げた地名は、このアウラの地から、日中、馬車を走らせ続けて、三日はかかる地方の田舎町だった。
「ダンスの練習を、諦めないで。あなたなら、練習をすれば、きっと、上手になるから。さあ、ヘンリー、ここに長居をしてはいけないわ。お見送りはしないから、私、これで失礼するわね」
さようなら、とマーガレットは、ソファから立ち上がった。
けれども、マーガレットが部屋を出るより先に、ヘンリーがその腕を掴んだ。
「そんな他人行儀な態度は、いらない」
「放して・・・、人を呼ぶわ」
マーガレットは、狼狽した。
「あの夏の様に、本音を言えばいい。僕の父に、酷い叱責を受けて、辛かったって。酷く傷ついたって、言えばいいんだ」
「ヘンリー、痛いわ、手を放して」
「君が、ここを立ち去ると言うのを、取りやめるならね」
「それは、出来ないわ」
「何故?」
「私が、ここにいれば、みんなに迷惑がかかるからよ。私がここにいたら、誰一人、幸せにはならないわ。あなただって・・・、幸せにはなれないのよ」
マーガレットの唇は、震え出した。
「やってもみないで、何故、そんなことが言い切れる?僕たちが幸せになれないと、何故、決めつける?」
「私には、解決しきれない大きな問題があるわ、知っているでしょう?私は、もうこれ以上、誰にも迷惑をかけたくないの。あなたのお父様は、こういったわ。あなたを、ニコラス・グリーンの二の舞にさせる気は、毛頭ないって。お父様の心配は、当然よ」
「僕は、彼の二の舞になるつもりはない。君は、かつての君とは違う。全く違う。だから、僕は、君に惹かれた」
「同情を、愛情と取り違えてはいけないわ」
マーガレットは、譲らなかった。
「同情?」
「あなたは、優しい人よ、ヘンリー。夏、ひどく取り乱した私を見て、あなたは私の事を可哀想に思った。自分が、何とかしてあげなくては、と考えた。だから、夜会に誘って、元気づけようとしてくれた。そして、これからも、可哀想なマーガレットを、自分が支えてあげなくちゃいけない。そう思ったのよ。あなたの気持ちは、有り難いけれど、同情と愛情は別よ。あなたの本当の愛情を受け取るのに、相応しい女性は私じゃない」
「同情じゃない。・・・同情なんかじゃない」
その否定の言葉には、いささかの惑いもなかった。
「ヘンリー・・・」
「夜会の日、父への当てつけで、君を誘ったんじゃないかと疑う君に、僕はこう話した。僕が、最初、君に出会った時、モーガン家の後継者の僕を、自分の取り巻きのひとりに加えるつもりだった君のことを、自己中心的で、我儘な人だと思った、と。そう思う一方で、堂々として、自信にあふれた君が、眩しかった、と。だから、この夏、あれほど美しく自信に溢れた人が、すっかり自信を失って、取り乱した姿を見て、見ていられなくなった、って。もう一度、かつてのような自信に溢れた君を、取り戻してほしいと思って、夜会に誘った、って。覚えているね?」
マーガレットは、小さく頷いた。
「あの言葉は、嘘じゃない。でも、ひとつだけ・・・、言わなかったことがあるんだ」
ヘンリーは、じっとマーガレットの焦げ茶色の瞳を、覗き込んだ。
「君には、もう一度かつてのような自信を、取り戻してほしい。眩しいような明るさを取り戻してほしい。そうして、もし君が、再び、前向きに生きることができたなら、今度は・・・、僕だけを、見つめてはくれないだろうか、って」
「どうして・・・、そんなこと・・・」
「君は、変わった。それは、あの夏の日、ほんのわずかな時間だけれど、君と過ごして、よくわかった。君は、溺れかけた僕を助けてくれたし、初めて会った時のことを、謝罪して、送って行くといった僕に、自分といれば、良くない噂が立つからと、断って、僕を心配してくれた。好きになるのは、おかしいかな?僕は、十分だと思うけど」
「あなたは、大農園の後継者よ。一時の感情に、溺れるべきじゃないわ」
「君は、僕が、何度見合いをしたか知っている?」
「知らないわ」
「十一回」
「十一回?そんなに?」
マーガレットは、驚きの声を上げた。
「十一回見合いをしても、運命の人には出会えなかった。だけど、僕は、あの夏の日、この人とならと、思った」
「駄目よ。私には、無理よ。第一、あなたのお父様が、許すはずないもの」
マーガレットは、激しくかぶりを振った。
「父は、関係ない。好きに言わせておけばいい。僕が知りたいのは、君の本当の気持ちだ。 君はまだ、一度も、僕に本音を話してくれていない」
「あなたには・・・、迷惑をかけたくないの。あなたには、幸せになってほしいの。あなたのことが、好きだから・・・」
決して引かない、ヘンリーの強い眼差しに、マーガレットの唇から、本心が零れた。
「逃げずに、一緒に、乗り越えるんだ。君は一人じゃない。僕が一緒だ。ふたりで、乗り越えるんだ」
ヘンリーは、マーガレットの手を握り、力強く、説いた。
「あなたって・・・、不思議な人ね。そんなこと絶対無理だと思うのに、あなたとふたりなら・・・、あなたとなら、できるんじゃないかって、そう思ってしまうの」
次の瞬間、ヘンリーは、マーガレットをその腕に抱いた。
「マギー、僕の愛する人」
ヘンリーは、マーガレットの髪に唇を落とし、次に、唇を求めた。
けれども、マーガレットは、すっと、顔を逸らすと、
「私・・・、こういうこと、初めてじゃないのよ。遊び半分でしたこともあるし、ニコラスとはもっと・・・、肌を見せるようなことは、なかったけれど・・・、でも、あなたの耳にはいれたくないようなことも・・・」
そう、告げた。
言わないままでいることは、卑怯な気がした。
壊れるのなら、ふたりの関係が始まる前に、壊してしまった方が、ヘンリーのためだと思った。
けれども、ヘンリーは、
「申し訳ないけど、僕も初めてじゃない」
と、笑った。
「ヘンリー・・・」
「一度目は、興味本位で。二度目は、酔った勢いで。正直、二度目は、よく覚えていないんだけど。三度目は、ようやく、本当に好きになった人とできそうだ」
と、ヘンリーはマーガレットを優しく見つめつつ、頬に手をやった。
マーガレットの、鼓動が、早くなる。
「マギー、君が、好きだ。・・・愛している」
そう告げて、ヘンリーは、マーガレットにそっと唇を重ねた。
そうして、次第に、互いを求めあうような口づけへと、変わって行った。
マーガレットは、私も、愛していると、早く伝えたかった。
けれども、ヘンリーが、マーガレットの唇を開放するまでには、相当の時間を要して、しばらく、そう伝えることは出来なかった。