10-1.マーガレット<後編>



 十一月初旬、モーガン邸では、盛大な夜会が催されようとしていた。
モーガン邸の秋の夜会と言えば、上流階級の人々の間で、数多く催される舞踏会、晩餐会の中でも、一際、豪勢で、華やかで、招待客たちは、その権勢をまざまざと見せつけられるかのようだった。
夕方以降、各地から立派な馬車が、次々とモーガン邸の前に乗りつけられて、身だしなみの整った紳士、華やかに着飾った貴婦人たちが、順次、モーガン邸へと吸い込まれていった。



 夕刻、モーガン邸へ到着した馬車の中から、マーガレットは、しばらくの間、出て来なかった。
モーガン邸に到着し、御者が、車室のドアを開けようとしても、
「ああ・・・、ごめんなさい、もう少し、待って」
と、中々出てこようとはしなかった。
父、ティモシーは来なかった。
母と姉を亡くして、寂しい思いをしているクリストファーを、一人残すのは不憫だからというのが、欠席の理由だったが、欠席の理由が、それだけではないことを、マーガレットは、よく理解していた。
妻と上の娘を亡くし、しかもその原因が、恥知らずな下の娘のせいなのだから、出席すれば、ティモシーは、随分、肩身の狭い思いをするに違いなかった。
気弱な父としては、これ以上、傷つきたくないというのが、本音だったのだろう。
ひとりマーガレットだけを行かせることに、心配はあったに違いないが、ヘンリーという庇護者があれば、娘は大丈夫だと、判断したようだった。
それに、マーガレットとしても、ひとりの方が、気楽だった。
今夜の夜会で、どのような恥をかくことになったとしても、ひとりで耐えればよかった。
自分のせいで、心に癒えない傷を負った父を、これ以上、傷つけるようなことは、したくなかった。
マーガレットは、大きく深呼吸すると、覚悟を決めて、車室のドアを内側から少し開け、御者に声をかけた。
御者の手を借りて、地面に降り立つと、十一月の冷たい風が、頬を刺した。
夜の闇が迫る時刻、モーガン邸の前に灯された灯りが、煌々と輝く中、楽しそうに語らいながら、屋敷へと入っていく紳士や、貴婦人の後ろ姿を見ていると、自分は何と場違いな場所へ来てしまったのだろうと、心がぎゅっと縮むような思いだった。
それでも、マーガレットは、一歩一歩踏みしめるように、歩き出し、屋敷の玄関ホールへと足を踏み入れた。



 広大な玄関ホールと、オープン階段を二階へと上がった場所は、大勢の人で埋め尽くされていた。
その場に入りきらない人々は、バルコニーや、招待客のために開放された別室で、ウエルカムドリンクを手に語らいながら、晩餐の始まる時刻を待っていた。
羽織っていたイブニングケープを、モーガン家のホール・ポーターに預けると、マーガレットは、さっと見渡して、ヘンリーの姿を探したものの、その姿は見つからなかった。
マーガレットは、ヘンリーの姿を探しながら、歩き始めた。
人々が笑い、さざめき合う声がこだまする中、話し相手もなく、たったひとりでその場にいる自分が、どうしようもなく心細かった。
ターコイズブルーのドレスの裾が、マーガレットの歩みに合わせて、軽やかに揺れる。
胸元の真珠のネックレスが、その美しさに品を加え、その姿を眼にした誰もが、思わずはっと振り返った。
「マーガレット・ジョーンズ・・・」
どこからか漏れたその囁き声に、はっと、マーガレットは振り返ったが、人々は素知らぬ振りをするばかりで、誰の発した言葉なのかは、分からなかった。
そうする内、ちらちらと、マーガレットを盗み見するような視線が、あちらこちらから向けられる。
そうして、ひそひそと、言葉を交わすのだった。
聞こえなくとも、何を言われているのかは、わかった。


マーガレット・ジョーンズ・・・。
マーガレット・ジョーンズだわ。
よくまあ、ここへ顔を出せたものね、あんな事件を起こしていながら。
図々しい、太々しい娘。
姉の交際相手を盗み取り、姉と母を死に追いやって、ああも、平然としていられるだなんて。
人間じゃないのよ。
魔性の娘よ。
汚らわしい!
いかがわしい!


その声が聞こえるような気がして、マーガレットは、眼がくらんだ。
とてももう、その場にはいられなかった。
やっぱり私には、無理よ・・・。
マーガレットが、踵を返した時、
「マーガレット!」
自分の名を呼ぶ、ヘンリーの声が聞こえた。
失礼、と客の間を縫うようにして、正装のヘンリーが、マーガレットの前へ立った。
黒のテールコートが、身体に馴染んで見えて、改めて、ヘンリーは、由緒ある大農園の後継者なのだと、実感したマーガレットだった。
「すぐに気づけなくて、ごめん。ずっと、扉の方を気にしていたんだけど、所用ですこし離れていたんだ。よく来たね」
よく来たね。
その言葉で、ぎゅっと縮んでいた心が、一気に緩んで、マーガレットの瞳が潤んだ。
「どうしたの?今、泣いたら、駄目だよ」
ヘンリーは、潤んだ瞳のマーガレットに、驚いて、目を丸くした。
「だって、私、ひとりでどうしようかと・・・」
「もう大丈夫。今夜は僕が一緒だから、何も心配しなくていいよ」
「ヘンリー・・・」
「いつかの君の様に、自信を持って。いいね?」
ヘンリーが、穏やかに笑ったその時、晩餐の開始が告げられ、他の招待客と共に、マーガレットもヘンリーに誘われて、晩餐の催される広間へと、向かった。



 マーガレットの晩餐の席は、ヘンリーの隣だった。
主催者側の、独身の男性の隣に座る。
これが、どういう意味を持つのか分からないほど、マーガレットは無知ではなかった。
それは、マーガレットが、ヘンリーにとって、特別な女性だと、無言のうちに示しているようなものだった。
だから、マーガレットは、自分の席がヘンリーの隣だと知って、驚き、慌てた。
しかも、主催者の席の周りには、政治家や街の豪商など、社交界の有力者が集うのが、通例だった。
それらの人々を前にして、食事と会話を楽しむなどと言うことは、今のマーガレットには、とてもできそうにはなかった。
「何かの間違いでしょう?」
席に着く直前、マーガレットは、ヘンリーに小声で囁いた。
「何が?」
「お食事の席よ。私、どこか隅の方だと思っていたのに・・・、ここはいけないわ。すぐに誰かと席を変わりましょう」
「今更、そんなことはできないよ。さあ、座って。食事が始まる」
ヘンリーは、マーガレットの抗議をさらりと聞き流して、着席を促した。
案の定、マーガレットは、痛いほど、周囲の視線を感じた。
その視線には、敵意と好奇と嫉妬が入り混じっていて、決して、マーガレットにとって、好意的ではなかった。
食事など、とても喉を通りそうにはなかった。
自信にあふれ、機知に富んだ会話でみなを楽しませ、ボーイフレンドたちから、耳に心地よい賛辞を受けて、どのような集いに参加しても、会話が弾み、楽しい時間を過ごしたことが、遠い昔の様に思えた。
けれども、マーガレットのその心配は、無用だった。
晩餐が始まると、ヘンリーは周囲へと話題を持ち掛け、応じ、場を盛り上げ、マーガレットを、さりげなく会話へと引き込んでくれた。
ヘンリーは、それぞれの招待客たちが関心を示す話題を、周知していて、それらを自然な形で取り上げ、巧みに招待客たちの自尊心をくすぐり、みな一様に上機嫌になって行くのが、マーガレットにはよくわかった。
招待客たちは、十皿以上もある、洗練された料理に舌鼓を打ち、会話を楽しみ、その優雅な時間を楽しんでいた。
それでも、明るい表情で、食事と、ヘンリーとの会話を楽しむマーガレットが、厚顔無恥だと言わんばかりに、苦々しい視線を送る婦人もあった。
マーガレットに、一言厭味を言ってやらねばすまぬと思ったのか、最後の肉料理の前に、シャンパンのシャーベットが運ばれてきた頃、マーガレットの斜め向かいに座る、ペンナの街の政治家の妻女である、ハワード夫人が、
「ミス・ジョーンズ、お父様は、今夜、いかがなさっているの?」
マーガレットに、そう尋ねて来た。
周囲の眼が、一斉にマーガレットに向く。
マーガレットのスプーンを持つ手が、ぴたりと止まった。
「父は、今夜は、自宅で・・・」
「あら、そうなの。近頃、お見掛けしないけれど、お元気になさっているのかしら?」
「ええ、お陰様で・・・」
「そう、それならよかったわ。長くお見掛けしないし、大変なご苦労がおありだったから、主人とも、心配していたのよ。・・・でも、あなたのような、お若い方って、随分、立ち直りが早いようで、羨ましいわ」
と、ハワード夫人は、頬が強張ったままのマーガレットを、楽しむかのように眺め、
「本当に、私など古い人間には、とてもついていけそうにないわ、ねえ、みなさん」
皮肉たっぷりにそう言ってから、周囲を見渡した。
マーガレットは、目の前の金縁皿に、美しく整えられたシャーベットが溶けていくのを、ただ黙って、見つめていた。
「ハワード夫人、それは誤解です」
すかさず、口を差しはさんだのは、ヘンリーだった。
「僕が、彼女を・・・、マーガレットを、強引に誘ったのです」
「まあ、それは、随分と、親密な間柄だこと。でも、あまり慌てるものではありませんよ、ヘンリー。あなたには立場というものがありますからね。間違った相手を選ぶと、酷い後悔をすることになりますよ」
「ハワード夫人は、鋭い。そう、そもそも、僕に伴侶がいないことが、問題なのです。それで、以前から、ぜひ、ハワード氏にお聞きしたいことが。今、ここでお尋ねしても、よろしいですか?」
「もちろん」
すぐ近くに座っていた、ハワード氏は、気さくに応じた。
「どうすれば、ミセス・ハワードのような素晴らしい女性を、伴侶に出来るのでしょう?」
「まあ」
ハワード夫人は、思わず声を上げた。
その場に、和やかな笑いが広がる。
けれども、ハワード夫人は満更でもない様子で、照れたような眼差しで、夫の言葉を待った。
「私は、本当に幸運な男だ」
そう言うと、ハワード氏は、ナプキンで口を拭い、妻を優しい眼差しで、見つめた。
「どんな時も、明るく、献身的に、私や子供たちのために尽くしてくれる、素晴らしい妻を持って、本当に、私は幸せな男だ。私の心からの、感謝と愛を、彼女に・・・」
ハワード夫人の瞳が潤み、指で涙を拭った。
何処からともなく、拍手が起こった。
その場は、一気に和み、温かな空気が、包んだ。
そして、人々は、また別の話題へと、移って行った。
マーガレットは、ヘンリーの横顔をそっと見つめた。
マーガレットの視線に気づいたヘンリーが、微笑んで、大丈夫だよ、と小声で囁いた。
本当に、頼もしい人とは、こういう人なのだろう。
マーガレットの心に、今、込み上げる想いがあった。