1-7.ミス・クレマン



 「君に、協調性っていう言葉を、教えてあげたいよ」
夫人たちの集うゲストルームを出てすぐ、アンヌは、ランドルフに呼び止められた。
さきほどの会話を、部屋の外から聞いていたらしかった。
ランドルフは、メイドに案内されて、玄関ホールに向かうアンヌと並んで、歩き出した。
「立ち聞きは、無作法です」
「立ち聞きしなくても、あんな大きな声で怒鳴りあっていたんじゃ、いやでも耳に入って来る」
「わたくしは、大きな声など出していません。取り乱していたのは、あの方々です」
「ねえ、君」
ランドルフは、不躾と知りながらも、アンヌの行く手を遮った。
「君は、本当にこのままでいいのか?このままだと、周りはみんな、君の敵になる。やりにくくなるのは、テイラー夫人や、ドハティ夫人ではなく、君の方だ。ミセス・アンダーソンだって、いつまで君を庇いきれるかわからない。そうなる前に、君の方から、歩み寄る必要があるんじゃないのか?」
アンヌは、しばし黙った。
ランドルフの言葉の意味を、受け止めているようだった。
けれども、その緑色の瞳で、じっとランドルフを見上げると、
「わたくしは、わたくしが間違っていると思うことに対して、正しいと言うことは出来ません。自分の信念を、曲げるわけにはいかないのです」
「君は・・・、不器用な人だ」
アンヌは、返事をしなかった。
そうして、ランドルフの脇をすりぬけると、そのまま立ち去った。
ランドルフは振り返って、その後ろ姿をみつめた。
アンヌの凛とした、佇まいだった。
独善的な中に、孤高の美しさがあった。



  突然の帰宅となったため、アンヌが、玄関ホールから表に出た時、まだ、馬車は来ていなかった。
それでも、数分も待てば来るだろうと思い、下がってよろしい、と、アンヌは、メイドを下がらせた。
四月末、空は穏やかに晴れ渡り、柔らかな青い空とそよ風が、先ほどの諍いで澱んだアンヌの心を、清らかに洗い流してくれるような気がした。
この辺りの、プランテーション農園主の邸宅は、どこも同じようなスタイルで、アンダーソン邸も、モーガン邸も、外壁は白く、巨大な列柱に取り囲まれ、邸宅の外縁に沿って日よけのあるバルコニーが走り、バルコニーには、数か所、テーブルと椅子が用意されていた。
壁には、等間隔で大きな窓があり、邸宅の真正面には、大きな玄関が配置されていた。
プランテーションハウスの内部は、贅沢にしつらえてあって、床には大理石が使われ、巨大な玄関ホールへと続く、素晴らしいオープン階段や、ボールルームに、ダイニングルームは、しばしば開かれる夜会や、パーティー、お茶会の招待客の眼に触れるため、特に、繊細かつ複雑なデザインが用いられていた。



  ふと、アンヌは、邸宅の前から、まっすぐに延びる道の両脇に立ちならぶ木の下に、人影を見つけた。
人影の方も、アンヌに気づいたようで、アンヌに向かって軽く手を上げたので、アンヌの方も、会釈を返した。
そうすると、人影の方から、アンヌの方へと近づいて来た。
その服装から、すぐにアンヌはそれが、この広大な邸宅の主、ヘンリー・モーガンだと気づいた。
ヘンリーは、少々、日差しを暑く感じたせいか、スーツの上着を脱いでいた。
「中々、大変だったみたいだね」
ヘンリーは、気さくに話しかけて来た。
先ほどの諍いの声は、開放してあった窓から、邸宅の外にいたヘンリーにも、届いていたらしかった。
小柄な体格は違っていたが、その鳶色の瞳に、親しみやすい笑顔は、ランドルフにそっくりだった。
「お騒がせいたしました」
アンヌはそう言って、邸宅の主に詫びた。
謝罪の言葉は、不思議と自然にアンヌの口から出て来た。
「一筋縄ではいかない夫人ばかりだろう?私だったら、五分で退散している」
声を潜めてそう言うヘンリーの眼差しは、優しかった。
先ほどまで、多少なりとも気が張っていたので、その優しさは、アンヌの胸にしみるものがあった。
頬が、自然と和らいだ。
その時、エマが手綱を取る、アンヌの軽馬車が、玄関へと回って来た。
「わたくしは、これで」
「まあ、せっかく来たのだから、もう少し、ゆっくりしていきなさい」
「奥様に・・・、モーガン夫人に、お屋敷への出入りを差し止められました。すぐに、失礼します」
「あの人は、ちょっと、一方的なところがあるからね。ああ・・・、だったら、屋敷に入らなければいい。私は、今、その木陰で絵を描いていたのだが、できたら君に批評を頼みたい。毎日、マギーに厳しい批評を受けているから、お手柔らかに頼むよ」
と、ヘンリーは笑顔を浮かべた。
「いえ、わたくしは・・・」
「さあ、こちらへどうぞ、お嬢さん。足元に気を付けて」
と、ヘンリーは促し、ポーチからの段差で、手を差し出した。
少々、アンヌは迷ったものの、エマに、しばらく待っていなさい、と命じて、ヘンリーの手を借り、段差を降りた。
ふたりで、イーゼルの立ててあった場所へ赴くと、ヘンリーは、アンヌに、自分が色をのせていた絵を披露した。
「水彩画ですね」
アンヌは、一目見るなりそう言った。
ヘンリーが描くのは、モーガン邸を左端に据えた風景画で、緑が茂る木々の奥に、まだ緑のない土ばかりの綿花畑と、四月の穏やかな空が、描かれていた。
「乗馬や狩りは、どうも苦手でね。私の、唯一の趣味だ」
「よく、お出来になっていると思います。わたくし、あまり水彩画に詳しくはないのですが、空や雲に水彩画らしい透明感が、よく出ていると思います。木の葉のグラデーションは、とても繊細で美しいと思います」
「私が、耳にしたことのない賛辞だ」
ヘンリーは眼を閉じて、その耳に心地よい賛辞を味わった。
「本当に、よくお出来になっていると思います。久方ぶりに、芸術が、心を癒すということを、思い出しました」
ユースティティアを離れてからというもの、慣れないプランテーション経営に携わるアンヌは、芸術に親しむ機会に恵まれなかった。
付き合いで参加する、夜会やパーティーで、音楽の演奏を耳にする機会はあったものの、アンヌが打ち解けない社交界で、心から音楽を楽しむ気にはならなかった。
もともと、音楽や絵画といった芸術は、嫌いな方ではなかった。
何を習っても、呑み込みは早く、ピアノに関しては、演奏家を凌ぐ腕前で、ヘンリーには、あまり詳しくないとは言ったものの、水彩画も好んで描いた頃があった。
「素敵な言葉を、ありがとう。お世辞でも、とても嬉しかった」
「わたくしは、そういったことを申しません。優しいお人柄のうかがえる、素敵な絵だと思います。では、本当に、わたくしは、これで失礼します」
と、アンヌは一礼をした。
ヘンリーは、アウラの貴婦人たちとは違う、毅然とした気品を持つアンヌに、惹かれるものがあった。
それは、やましい下心ではなく、本当に高貴なものへの感嘆だった。
「馬車まで、送ろう」
と、ヘンリーはアンヌと一緒に、戻った。



  「また、ぜひ、君に批評を頼めるかな」
ヘンリーの手を借りて、エマが手綱を取る軽馬車に、アンヌが乗り込むと、そう声をかけた。
「機会が、ございましたら」
アンヌは、そう言って、静かに微笑んだ。
そうして、モーガン邸を後にした。



 その一部始終を、モーガン邸の二階の窓から、そっと見下ろす者があった。
ランドルフだった。
そして、
「やっぱり、不思議な人だ」
小さく、そう呟いた。