現代の岩出(巌出)御殿跡

岩出御殿山は、 昭和の始め、その 紀ノ川に突き出た岩のため度々の大雨洪水のたび、その岩場に堰き止められ、大水 で民家は浸水にあったそうです、その後洪水対策で岩盤は取り払われました。

今はのどかに、近辺の人々の良き釣り場
になっています。
写真は岩盤を取り払い穏やかな流れをしている、紀ノ川岩出御殿山跡。


★紀州藩別邸巌出御殿
横浜市中区本牧三之谷、三渓園

 
★移築された現代の岩出(巌出)御殿

三渓園内苑の臨春閣は、紀州徳川家が夏の別荘として慶安2年(1649)に和歌山県岩出町の紀ノ川のほとりに建てた巌出御殿を、変遷を経て大正6年に当地に移築したものです。

臨春閣 は数奇屋風書院造りで、京都の桂離宮と共に別荘建築を代表する貴重な建物として、国の重要文化財にも指定されています。


徳川家別館御殿山跡に町民憩いの御殿風呂?
岩出御殿 出来上がった、現代の岩出御殿

岩出町清水地区の岩出小学校の南に、御殿山と称する風光明媚な景勝地がありました、 紀ノ川を望み風致よく大昔は妙見山といって、妙見堂があったのですが それを和歌浦に移して その跡に紀州徳川藩主が別館を築いてここに清遊され た、五代吉宗幼少の頃はほとんど この地に住まわれたと伝えられています。
東南の遠望また賞すべきこの地の別館も1764年に撤去して水軒浜に移したので、 その後荒廃のままでありましたが、
岩出御殿











明治末期より大正時代にかけて名勝地の 遊園地化が唱えられ、町民の御殿山公園が誕生しましたが,水軒浜より上記の場所に大正六年に
移築されました。


その後現在建設中の御殿風呂は少し北に位置しますが、出来上がれば利用方法によっては 町おこしの大きな目玉となるのは必定です、春は堤防一面に桜が咲き 夏は家族で、 地元の方より大阪近辺よりたくさんの方がみえております。なによりも地元 のお年寄りの待望のお風呂です、悔やまれるのは、当初建設予定より予算を使って縮小し、老人ホームの専属入浴場となりつつある、元町長が当初立案計画した有意義な運営と利用が異なったものになっているのが残念な現状です。



当面運営は苦しいことでしょうが、しかし前向きの運営姿勢であれば必ず成功する し 10年20年たって、歴史が評価することでしょう。

(一部岩出町誌より転載しています)

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