トロイ


トロイア戦争を描いたハリウッド映画。特撮が見物かと思ったが、あまりにもギリシャ神話とのちがいのおおさにがっかり。

「ユリーズ」を読破するためには「オデュッセイア」を読むべきだと思って、その前にまずギリシャ神話から始めるべきと思った。子供のために買ってあった里中満智子「ギリシャ神話」を読んで、さらに亮佑がサンタからもらった石井桃子「ギリシャ神話」を読んだ。すでに子供たちはギリシャ神話通。そんなおりに、テレビで映画「トロイ」(吹替版)をやっていたので、子供たちと一緒に観た。

神話物語としてのトロイア戦争(ホメロス「イリアス」)は、ギリシャ勢、トロイア勢、それぞれに神々が加担し、それが物語を面白くしている。映画「トロイ」は、物語から神話性を削り取り、人間のドラマとして描いた。しかしアキレウスの母テティスがアキレウスに関する預言を神話のままに伝えるあたりは中途半端。さらに神話と異なる筋書きで映画的な盛り上がりを作り出そうとしているが、それはどうも失敗したようだ。戦闘シーンは特撮もあって面白いが、人間ドラマとして感動する場面はほとんどない。

いずれにしてもギリシャ神話が欧米人にとって当たり前で、誰でも知っている話であるという前提でこの映画は作られてる。だからいかにして盛り上がりを作り出すかというところに力を注いでいるのがわかる(例えば、ヘクトルとアキレウスの戦い前)。そのために多少の筋書きの変更は仕方ないとしても、それがドラマとしての説得力を持たないなら、変更しないほうがずっと感動をよぶに違いない。実際、ヘクトルとアキレウスの戦いは戦闘シーンとしては迫力不足だし、ヘクトルが負けるのが分かっているのに感動的。

それにこの映画はどちらかというとトロイア側に立って仕立てている。だから英雄アキレウスは単なる残忍な戦士という印象が強い。アガメムトンも単なる粗暴で粗野な将軍。唯一オデュッセウスのみがマトモに描かれている(もっとも知将たるエピソードは何もない)。一方、トロイア勢ではヘクトルが凛々しく英雄然としているし、国王プリアモスも威厳と品格のある人格者の王として描かれている。ならば、もっとトロイアの悲劇を全面に出してもいいのではないか。ところが、スパルタからヘレネを奪略したパリスは、兄の脚にすがって助けを乞う始末。そんな逃げ腰の王子が王妃を略奪してくるのもおかしいし、あんなに勇敢にアキレウスを射殺すのは不自然だ(神話では略奪はアプロディテが援助し、アキレウスに矢が命中したのはアポロンの導き)。中途半端な人物描写がかえって誰にも感情移入できない物語になってしまった。

ギリシャ神話と映画のちがいを列挙しておこう。神話の内容は上記の里中満智子版、石井桃子版による。

まずヘレネの夫メネラオスだが、神話ではギリシャのすべての国から求婚されていたヘレネに対して、その父であるスパルタ国王はオディセウスの助言を得て、求婚者に対してヘレネが誰と結婚しようとも将来ヘレネに何かあったときは救済する、という誓いを立てさせている。ヘレネはメネラオスを選び、子を授かり、父王の死後、夫メネラオスが国を継ぎ、幸せに暮らしていた。そこにパリスがきてアプロディテの手助けでヘレネを略奪した。前国王との誓いは有効とされギリシャ中から戦士が集められた。オデュッセウスは家族と共に残るために気が振れたフリをしたが見破られたので参戦した。アキレウスは母に女装させられ女官にまぎれていたが、オデュッセウスがそれを見破り参戦した。そうやってすべての兵が集まりトロイアにたどり着くまで2年かかっている。

しかし映画では、ヘレナは父の言いつけでメネラオスと結婚したことになっているので、誓いの件は描かれていない。だからギリシャ全土がトロイアと戦うのかという大義名分に乏しい。ヘレネのトロイア入りもパリスによる略奪ではなく不倫と駆け落ち。徴兵時には、オデュッセウスはすぐに参戦していて、アキレウスも女装していなかった。さらに映画では、メネラオスの兄アガメムノンが、ずっとトロイアを狙っていたのでこれは好機という魂胆を見せるが、ギリシャからトロイアの航路は難関を極めていたはずで、それはあり得ない設定。神話ではトロイアまでの海路途中でかなりの兵力を失っている。

神話では、10年間続く戦争が、数ヶ月で終わっている(ように思える)。
神話では、パリスに同行したのはヘクトルではなくアイネイアス(映画では最後にパリスから剣を受け取る)。
神話では、パトロクロスはアキレウスと同年代の親友なのに、映画では思慮の足りない年下。
神話では、パリスとメネラオスの一騎打ちの補助をしたのはヘクトルとオデュッセウスだが、映画ではヘクトルとアガメムノン。
神話では、パリスがメネラオスに負けたあと、アプロディテが援護してメネラオスの剣を砕きパリスを逃がし、メネラオスも死なないが、映画ではパリスは兄ヘクトルにすがって怖じ気づき、兄がメネラオスを殺す。
神話では、パトロクロスはアキレウスが承知の上で武具を借りたが、映画では黙って借りた。
神話では、パトロクロスがヘクトルに絶命されたあと鎧をはぎ取られ遺体を切り刻まれる辱めをうける。
神話では、アキレウスがヘクトルの遺体を引き回すのはパトロクロスが受けた辱めの仕返しだったが、映画では単にパトロクロスの復讐の鬼と化したアキレウスの狂気でしかない(その狂気のアキレウスがすぐあとには素直に遺体を返してしまう)。
神話では、ヘクトルの遺体を引き取りに来たプリアモスに対して、アキレウスは自分の父もやがて同じ思いをすると感じたので遺体を返すが、映画ではすでに父は死んだことになっており遺体を引き渡す説得力にかける(一番の泣き所のなずなのに)。
神話では、アキレウスは木馬以前の戦いでパリスに射られて死ぬが、映画では木馬に同乗している。
神話では、パリスはヘラクレスの遺品の弓をもつピロクテテスに射られて死ぬが、映画では最後まで死なずにトロイアを捨てて逃げる。
神話では、パリスを失ったヘレネは、後継者から財産扱いされるのに嫌気がさして、かついてメネラオスからも愛されていたことを思い出しギリシャに加担し、メネラオスとともにスパルタに帰るが、映画では最後までトロイア側にあってパリスたちと一緒に逃げる。
神話では、木馬をギリシャの計略と見破ったラオコーンに対してポセイドンが大蛇をつかわしその息子たちを殺すが、映画ではそういう逸話はない。
神話では、木馬を作るのは城門の梁を壊すために大きく作られているが、映画では門を壊さなくても通れる。
神話では、アガメヌノンは勝利してカッサンドラ王女(映画には登場しない)を連れてギリシャへ戻り、妻と従兄弟の裏切りによってカッサンドラとともに殺されるが、映画ではトロイアの城内でプリセウスに殺される。

神話にもいろいろあるので、上記の内容がすべて正しい神話というわけではないだろう。里中満智子版と石井桃子版でさえいろいろと異なっている箇所がある。それに映画は神話的要素を抜こうとしているので、ヘラクレスの弓やラオコーンのエピソードなどは割愛せざるえないだろう。それでも木馬にアキレウスを同乗させ、一度捕虜としたプリセイスを探して城内をうろうろさせるのは考えもの。ヘクトルを引きずり回す残忍さとのバランスがとれていない。

神話的史実という点で日本の場合を考えると、源平合戦を想定すると分かりやすいかもしれない。神話性はないが、いろいろな作品があり、焦点をあてて描く人物が異なる場合、その立場における心理描写を楽しむことはあるが、誰と誰がいつどこで戦ったという筋書きは変わらない。


日 - 8 月 21, 2005   08:54 午後