歳時記を兼題に詠んで見る

 以前はプレバトの兼題から俳句を詠んだりしていたが、事情があってプレバトは一切見なくなり、俳句を詠む機会もなくなったので、致し方なく小歳時記の中から兼題を抜粋して詠むことにした。

 今は亡き水原秋櫻子は帝国大医学部(東大)を出て医師でありながら近代俳句の世界でも群を抜く活躍をされたことは有名ですが、秋櫻子は桑原武夫が第二芸術論の中で、俳壇でもっとも誠実と評価したぐらいの人物で、歳時記の季題に応じて掲載している俳句の中でも、自身の句を二番目や三番目に持ってきている句も結構あり、その点では桑原武夫が評した如く誠実の面が窺われます。
 
 しかし、俳句とは作為を捨て物事のありのままを描写して尚且つ、端正にして共感性、含蓄、余韻を含む作品でなければならないはずです。そういう観点からすると秋櫻子、その他の俳人の句は、国文学者の和洋女子大学教授の佐藤勝明氏が提唱する「ただごと句」が大半です。「ただごと句」とは五・七・五に詠んでみたけど「えっ だから何なの」という何の共感性も余韻もない句を言います。
 
 小歳時記で秋櫻子が自身の句をトップに持ってきている季題ばかりを集めて見ました。自身の句をトップに持ってきている最初の季題は西行忌です。緑色で詠んだ句が私の句です。
 
 西行忌
 
  草の門ひらかれあるは西行忌       

  西行の花に埋もれし黄泉路かな

 
 次にトップに持ってきている季題は引鴨です。引鴨というのは秋に北国から渡ってきた鴨が春に北国に帰る鴨の事を言います。
 
 引鴨(ひきがも)
 
  
のこれるは荒波にをり鴨かへる

  引鴨の帰りそびれてただ一羽

 
 沈丁花(じんちょうげ)
 
  
沈丁の葉ごもる花も濡れし雨

  得も知れぬ香り辿れば沈丁花

 
 春暁(しゅんぎょう)
 
  
春暁を降りいですぐに大雨なり

  春暁に誘われ足の向くままに

 
 春嵐、春疾風(はるあらし、はるはやて)
 
  
春疾風すっぽん石となりにけり

  吹かば吹け死にたい日もあり春疾風

 
 黄塵(こうじん)
 
  
野の池に黄塵の天立てるのみ

  黄塵に否(いや)が応でも洗車かな

 
 入学
 
  
わが孫の村嬢と群れて入学す

  幾たびの病乗り超え入学す

 
 牧開き
 
  
牧開き泉声馬をみちびけり
  
  高らかな馬の足音牧開き

 
 石鹸玉(しゃぼんだま)
 
  
石鹸玉木の間をすぐるうすうすと

  シャボン玉生まれすぐ消ゆ痕もなく

 
 三色菫(さんしょくすみれ)
 
  
遊蝶花春は素朴に始まれり

  パンジーの可憐なりしに惹かれけり

 
 遅日
 
  
畏れ見る遅日金色の御仏を

  夕食のだんだん遅く遅日かな

 
 朝寝
 
  
朝寝せり孟浩然を始祖として

  つい朝寝妻の笑って蹴飛ばせり

 
 蛤
 
  
蛤のひらけば椀にあまりけり

  蛤の焼いて桑名の気分かな

 
 リラの花
 
  
空もまた暮れつつリラの花となる

  リラの花思ひ出せしはディックミネ

 
 アネモネ
 
  
アネモネの紫濃くして揺らぐなし

  アネモネのネガティブなりし花言葉

 
 紫雲英(げんげ)
 
  
とぶ鮒を紫雲英の中に押さへけり

  げんげ田に大の字になる空青し

 
 蒲公英(たんぽぽ)
 
  
蒲公英や激浪寄せて防波堤

  たんぽぽの風に子孫を託せしや

 
 蕨(わらび)
 
  
金色の仏ぞおはす蕨かな

  思ひ出は家計の足しの蕨摘み

 
 水草生う(みくさおう)
 
  
生ひいでてきのふけふなる水草かな

  
水草生うの光景が浮かばず不作
 
 梅雨(つゆ)
 
  
梅雨の瀬の簗駆けのぼる最上川

  古妻の忙しく(せはしく)駆ける梅雨晴れや

 麦笛
 
  馭者若し麦笛噛んで来たりけり
 
  
父の亡き麦笛鳴らす術知らず

 憲法記念日
 
  手毬咲き山村憲法記念の日
 
 
 何であれ憲法記念日休み也
 
 巣立鳥(すだちどり)

  諸鳥の目覚めに巣立つ声もあり

  
巣立鳥二三度試し飛び去りぬ

 羽抜鳥

  羽抜鶏童(わらべ)に追はれ葦の中

  
情けない姿めげずに羽抜鶏

 青葉木菟(あおばづく)
 
  早慶戦降らせじとおもふ青葉木菟
 
  
フクロウとばかり思ひし青葉木菟
 
 黒鯛


  黒鯛(ちぬ)の潮寄せては礁根(いわね)ゑぐり去る
 
  
黒鯛(ちぬ)刺しの歯応えの良きコリコリと
 
 繭(まゆ)
 
  繭掻や青き山河にあけはなち
 
  
蚕飼ひ繭掻きなどはつゆ知らず

  永平道元の生悟り プレバトネットで参戦