その2
リハビリ指導の1日

8月1日。健診グループは昨日とは別のハウドゥック村というカンボジア国境の村に出かけていった。今日はリハビリテーション指導グループの様子を伝えることにする。会場は平和村。平和村というのはベトナム全土に11箇所あってドイツの財団の寄付をもとに設立された。目的はベトナム戦争で散布された枯葉剤による被害児の救済のために生活の場とリハビリテーションの場を提供することにある。しかし場所によって性格は様々だ。ここタイニン省の平和村は1993年に設立され、入所・通所のリハビリテーションを行ってきた。対象は枯葉剤被害児に限らず障害を持った子どもたち全般に対して門戸を開いている。省内には、ここ以外にリハビリテーションをおこなえる施設がまったく存在しないからそれも当然だ。最近は成人障害者へと対象を広げてきており、名称も今年からタイニン省リハビリテーション病院にかわった。この病院に医師とリハビリテーションスタッフはあわせて9名、かかえる人口は100万人以上。平和村だけではいくら頑張ったところですべてに対応することは不可能だ。日々求められる要求に対応する為には地域に住む、熱意があって少しだけ医療に詳しい人々を多数募集して、リハビリテーション技術と生活指導の方法を教育し、その人たちに直接の障害児者への対応を任せるということになる。この実際の担い手のことをCBRワーカーと呼び、こうした制度のことをCBRと呼ぶ(本来CBRは地域の人々の力に依拠した生活改善全体を含めたシステムであるが、ここでは医療に限定して使わせていただいている)。平和村スタッフの役割はワーカーたちを指導すること、そしてワーカーたちの手に負えない障害に直接対応する、この二点にある。


私たちのリハビリテーション支援活動は5年の歴史を持っている。健診の付き添い家族の人に家庭で出来るリハビリテーションを指導し、平和村のスタッフに実技指導を行い、また平和村スタッフを日本に招いて研修を受けてもらう、などの活動を継続的に取り組んできた。今回グループ責任者の中央病院リハ科大城さんが重視したことは、私たちの援助と指導が上滑りにならない為に、タイニン省のスタッフが実際にどのようにリハ訓練を行い、家族に指導しているのか、それをまずしっかりつかむことから始めたいということであった。前日は一日じゅう平和村スタッフの活動を見学することにあてられた。8月1日、今日は大城さんの講義から始まる。内容は脳性まひの分類と訓練について。あとから受講者の受け止めはどうだったか尋ねてみた。彼女いわく、皆さん静かに熱心に聴いていたが質問は出ないので理解度は不明だと。ベトナム人にとって講義とはそのようなものらしい。引き続いて実技指導。平和村入所者に対して日本人スタッフが訓練を行う、それを通じて障害の評価法と訓練方法などを伝えていく。今回も京都を中心に大阪、香川、岡山などの民医連院所から7名の訓練士が加わってくれた。平和村スタッフも実践となると目つきがかわってどんどん食らいついてくる、特に若手のスタッフが熱心だとのこと。今後に展望を持たせてくれる。午後からは運動プログラムに遊びの要素を取り入れた企画を行った。ベトナムでは訓練とは厳しいもの、させられるものと受け止められている。その殻を破って遊びを通じて体を動かそうという意図からだ。シーツバレー、風船バレー、ボーリング、どれも大うけ!子どもはもちろん、スタッフにも、そして一番盛り上がっていたのが何とお母さん方だったとのこと!
その2 付録編

この日の夜は平和村スタッフを招いて歓迎の夕べが催された。なぜ訪問している私たちが歓迎会を主催するのか?これこそベトナム流、前夜はベトナム側が私たちを招いてくれた。要するに順番に招きあうのが習慣なのだ。ハーブと香辛料のほどよく利いたベトナム料理とバーバーバー(ベトナムを代表するビールの銘柄)。酔いが回るのも早い。宴もたけなわのころ、わがNPOホーチミン駐在員西村さんが苦労してベトナム語訳された「山賊の歌」を西村さんのリードで高齢者チームが合唱。それを受けて若者チームはテンポよく「世界でたったひとつの花」を。ベトナム側もスタッフ、通訳合同でベトナムの歌を披露してくれる。言葉の壁を忘れさせてくれるひとときだ。

なんてったって交流会
初参加の若田PT、大活躍
実践になるとスタッフも真剣に
実習が終わったら早速まとめの話し合いに