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ムシ
その3 町連協へ

 冷静に考えればあたりまえのことだが、町連協のメンバになった私は、
 毎月の学童の父母会と毎月の町連協という二つの会議に出なければ
 ならなかった。

 父母会では町連協の報告をしなければならないし、町連協では自分の
 学童のことを報告しなければならないので、嫁さんに代わりに参加して
 もらうわけにはゆかなかった。

 年によって特徴があるようだが、その年の保護者会は、男性は私一人と
 いうことが多かった。
 物心付いてから高校までは男女の比率は半々だと思っていたが、
 大学(工学部)・会社(製造業)に入って、ほとんど男しかいない世界に
 慣れてしまっていた。
 まわりがみな女性というのはすごく妙な?世界だった。

 町連協へは、もう一人の親と指導員と私の3名で参加した。
 町連協の会長さんは男性で助かったが、自分の子どもは学童を卒業
 しているにも関わらず、6年も継続で会長をされていた。

 町連協も色んな問題を抱えており、平日夜の7:30から始まる会議は、
 たいてい11時とか12時までかかった。
 地域のこともわからず、また役員では無いので、自分の学童のことも
 ほとんど知らず、話の論点や背景が見えないというジレンマがあった。

 ただ、常日頃、学童に顔を出すことも無かったので、指導員と話したり
 考えていることを聞いたりするのは非常に参考になった。

 何ヶ月目かの会議のとき、親のほうから「指導員も、こういうことを考え
 て働いてくれなきゃ困る」みたいな話が出た。
 ふと過去の記憶がづるづるっと出てきた。「わぁ、ここに居る指導員って、
 自分が学生のときにバイトしてたやつやん!」と。
 自分が指導員のときは、とにかく子どもと遊ぶのが楽しいだけだったの
 で、こうやって会議に出てきて『子どもの指導』について話をしている
 指導員ってエライんだなぁ。と感心した。

 指導員同士の議論や雑談なんかを聞いてると、
 それはそれでちゃんと確立された世界があるということがわかったが、
 低賃金・解雇などが現実の問題として存在していることもわかり
 ショックだった。

 そこで、学童の本を買ったり研修会に参加しだし、
 学童のことを研究し始めることになった。

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