<クリムゾン信者について>


*サポーター

「サポーターの定義」は、非常に難しい。
現在、日本各地でサポーター論について話し合われているが、
これという明確な答えはまだ出ていない。
もちろん、サッカーファン=サポーターであるとか、
ゴール裏で立って声を出している者=サポーターであるといった
単純なものではないだろう。
とりあえず、「その対象チームを心の底から愛している者」といった
蓋然的なものになることは間違いない。

ただ、これだけははっきりと言えるが、
残念ながら、現在のVヴィッセルのゴール裏には、
サポーターと呼ぶことのできる人間はほとんどいない。
正確に言うと、ゴール裏へ足を運んだ時点で、
サポーターと名乗る資格を失ってしまう。
逆に、かつてコアサポと呼ばれていた人ほど、
神戸の惨状を憂き、ゴール裏から離れているのが現実である。
そして、残ったのは、企業カラーの赤いユニフォームを着て、
神戸の街が軽視された外国産のフラッグを振る人々。

そんな彼等を呼称する非常に適切な言葉がある。

クリムゾン信者。

なぜ、サポーターではなく信者か、それをここで順を追って検証していこう。

#しんじゃ【信者】その宗教を信仰する人。信徒。また、
#ある人物・主義などの信奉者の意味にも使う。
#(広辞苑より)

*FIST

「FIST」は、2005年度のVヴィッセルのチームスローガンである。
その意味は、サポーターや選手をそれぞれの指に見立てて、
握り締めた拳のように共に戦おうということであろう。
それ自体は、非常に正しい。
チームスローガンとしては、これ以上ないという物である。
だが、その中には、極めて不適切な表現が内包されている。
そのため、クリムゾンがサポーターをどのように位置付けているか、
それを最も象徴する物となってしまっている。

クリムゾンが定義するそれぞれの五本の指を、
ウィンドウズのディレクトリ構造で表現すると、以下のようになろう。

コーチ、サポーター、スタッフ、フロント、選手
(注:五十音順)

一番の問題は、コーチや選手、スタッフ、フロントと共に、
サポーターが同列に並んでいる点だ。
フロントはともかく、コーチやスタッフは、
「ヴィッセル神戸」というルートカテゴリの中のサブカテゴリにしか過ぎない。
それと、お金を払って「ヴィッセル神戸」というチームを応援する立場のサポーターが、
同等の関係に位置しているのだ。
この状態を普通の企業で言い換えるなら、
社員とお客様が同じ地位にあるという意味であろう。
それは、客商売ではなく同人である。

それゆえ、本来はこうすべきである。

一番上位の物が見当たらなかったので、仮に「神戸」としておきました。決して、全体主義的な意味合いではないので誤解なきよう。

さらに、現場とフロントは独立していると考えるならば、
正しくはこうでなければならない。

「サボ」とは、応援をサボるサポーターの意です。

強いチーム、組織のしっかりしているチームは、
必ずこの三権分立が確立している。
この三者が同等の力を持ち、互いを監視し合うことで、
より高次の作業を可能にする。
馴れ合いが最も組織を疲弊させることは、
例を挙げるまでもない運営の基本である。
それを、ITベンチャー企業であるクリムゾンは、自ら定義してしまったのだ。

*サポーターズミーティング「応援について」

その最たる物が、去る2005年1月後半に、チーム主導で行われた
「サポーターズミーティング『応援について』」である。
内容は文字通り、クリムゾンが場を提供し、彼等の指揮の下、
チームを如何に応援するかをサポーター有志が話し合う会議だった。
前代未聞である。
チームを応援する方法を、応援される側の人間が主催するのだ。
この瞬間、彼等はサポーターである以前に、客であることを放棄している。
「お金を払うから試合を見せろ」ではなく、
「お金を払って試合を見せて頂く」という立場だ。
それは、すでに宗教における信者の関係としか言いようがない。

実際、このミーティング以降、これまでの伝統的な応援は全て廃止され、
クリムゾンが望む「熱狂的で一体感のある」新応援歌やチャントに切り替わっている。
また、後にチームがJ2降格危機に陥った際も、
チーム側から残留祈願のための様々な企画やイベントを提供された。
そこには、サポーターの主体性も独立性も何一つ存在しない。
まるで、 幼稚園の先生と園児の関係であろう。
これら一連の行動は、低迷するチームを盛り上げるために、
自ら応援方法を一新した千葉ロッテマリーンズのファンとは雲泥の差がある。

*マルチ商法的経営手段

以上のことから、クリムゾンは、サポーターに対して独立権を与えず、
あたかも自分達の信者のように扱っていることが分かろう。
「サポーターは、チームを応援して当たり前」という考え方だ。
その証拠に、彼等は2004年初期の意見交換会
「ヴィッセル神戸の夢を語ろう」でとんでもない発言をしている。

>サポーターも、もっと仲間を増やす努力を!

サポーターは、応援団である以前にただの客である。
その客に対して、
「お前等も、もっと客を増やす努力をしろ」という趣旨の発言は、
客を自分達の部下か何かと勘違いしているとしか言いようがない。
真のサポーターなら、言われなくても仲間を増やす努力はしている。
だが、それは絶対に経営者側から要請してはならない。
なぜなら、責任の所在があやふやになるからだ。

これと似たような経営手段がある。
いわゆるマルチ商法ネットワークビジネス(ねずみ講)だ。
マルチ商法の会員(ディストリビューター)は、客であると同時に販売員である。
彼等は、最初の説明会(セミナー)で催眠商法的な洗脳を受け、
自社の製品は最高の物であると信じ込み、
製品を広めるために自分の子会員(ダウン)を作ろうと躍起になる。
それが連鎖的に広がっていくため、どんなに下部で致命的な損害が発生しようとも、
大本まで被害が及ぶことはなく、責任の追及ができない。
個人事業主であるがゆえの自己責任である。
現在までのクリムゾン流経営手段は、この商法に酷似している。
FISTにおいて、「フロントとサポーターが同等である」と定義した以上、
「成績が低下した責任はサポーターにある」
チーム側が言い逃れることが可能になってしまうという一点においてだ。

*ブーイング

では、サポーターと信者の違いは何だろうか。
それは、応援する対象を批判できるか否かである。
応援するだけなら誰でもできる。
しかし、対象が誤った道へ進んだ時、
「それはダメだ」と諭すことができるのは、サポーターだけだ。
「サポーターは、チームを応援して当たり前」ではない。
そのためにサポーターに託された唯一の武器が、「ブーイング」である。
観客席にいながら、自分の意思表示ができる武器。
(海外サッカーでは、応援している時間よりブーイングしている時間の方が遥かに長い)
だが、Vヴィッセルのゴール裏では、未だかつてその武器が、
敵チーム、審判、監督、選手、Jリーグ、アンチクリムゾン以外の者に向けられたことはない。
つまり、何が問題の本質であるかを見抜く目すら持っていないということだ。

かつて、チームがJ2に降格しかけた時、
「中野、河井、西真田、責任をとれ!!」という横断幕がスタジアムに掲げられた。
それぞれ、当時の社長、専務、チーム統括部長の名である。
だが、今、ゴール裏にいる人々は、そのような横断幕を掲げることができるだろうか?
答えは否である。
なぜなら、「ヴィッセル神戸」は、三木谷オーナーが個人で所有している私チームであり、
彼が去ること=チーム消滅であるからだ。
それゆえ、三木谷オーナーに対して成績悪化の責任を追求することができない。
また、チームを存続させるためには、チームカラー変更であろうと何だろうと、
彼の言うことは全て聞かなければならない。
そんな物は組織でも何もない。

*結論

以上のことは、クリムゾン側の問題点である。
だが、事の本質はそんなことではないことは、これでよく分かるだろう。
サポーター側が確固たる主体性を持っていたら、
これほどまでクリムゾンが増長することはなかったのだ。

批判もできず、ただ応援するしかできないサポーターは、ただの信者である。
それ以前に、クリムゾン商法の象徴である深紅のユニフォームを許容した時点で、
彼等にフロント陣を批判する権利はない。
そんな信者がゴール裏を占めているチームは、J2に落ちて当然であろう。

信者を続けて書くと、「儲」になる。
これが何を意味するか、サポーターなら分かっているはずだ。


この記事は書きかけです。
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