*** 試験に出ない地学 series *** last update 2020.08/20(目次を作成,アンカーを挿入)

教員になってから,ことある事に定期試験の最後の余白を埋めるために,地学に関するエッセイを書き始めました.最初は何の気なしに始めたのですが,そのう ち試験問題本文よりも,このエッセイのネタ探しに時間をかけることもしばしばとなりました.しかしその小ネタを調べていく経験は,授業にも実際に役立つよ うになってきました.タイトル「試験に出ない地学」は教員になった若い頃に,「試験に出るXX」というの受験技術だけを売り物にする参考書が大きらいだっ たからです.その皮肉を込めて名づけました.下記の文献もご参照ください.

岡本義雄:定期テストの余白エッセイ試験に出ない地学Series(2016年度完結編)本編+資料Part1,附属天王寺中・高研究収録No.59,91-115,2017
岡本義雄:定期テストの余白エッセイ試験に出ない地学Series(2016年度完結編)資料Part2,附属天王寺中・高研究収録No.59,117-138,2017

岡本義雄:定期テストの余白エッセイ「試験に出ない地学Series」中間総括2005(本編),附属天王寺中・高研究収録No.48, 243-248,2006
岡本義雄:定期テストの余白エッセイ「試験に出ない地学Series」中間総括2005(資料編 その1),附属天王寺中・高研究収録No.48, 249-267,2006
岡本義雄:定期テストの余白エッセイ「試験に出ない地学Series」中間総括2005(資料編 その2),附属天王寺中・高研究収録No.48, 269-2,2006

お知らせ:「試験に出ない地学Series」の昔の原 稿を探していま す.特に80年代後半〜90年代前半で私の授業を受けられた方で下記のもの以外の原稿(当時の地学のテスト)を持っておられる方がありましたら,ぜひ私あ てメールを下さい.


地学授業の小ネタなどにお使いください.今回目次を設定しました.できるだけ初出の形に配慮しながら,少し表示を揃えてみました.

目次 (アンカーを設定,クリックすると当該の場所に跳びます)


試験に出ない地学Series.2017 年初春号 「予測可能性とAI,あるいは未来について」

試験に出ない地学Series.2016年ラニーニャ寒冬編 ---「人類の困難と分子生物学」---
試験に出ない地学Series.Flip Flop気候の秋編  −−コマチアイトに寄せて--
試験に出ない地学Series.2016年ラニーニャ梅雨明け編 ---あえかな筆石によせて---
試験に出ない地学Series.ラニーニャ猛暑(初)夏編 −ヘリウムは太陽の素−
試験に出ない地学Series.2016年冬 −史上最大のティラノサウルス「スー」の発見とその後の不可思議な災難−
試験に出ない地学Series.2015年エルニーニョ暖冬編 「水月湖の7万年の縞と気候変動」
試験に出ない地学Series.2015年中秋編 「リチウム存在比の謎 −アマチュア天文家とすばる望遠鏡のコラボ−」
試験に出ない地学Series.エルニーニョ冷夏長梅雨編 「西ノ島新島と安山岩の起源」
試験に出ない地学Series.2015年初夏天気異変編  「デカン高原の洪水玄武岩」
試験に出ない地学Series.2014年木枯らし暖冬編 −アフリカと「蟻塚」の地球科学− 
試験に出ない地学Series.2014年暖秋 番外編 私の「ミラクルインディア」紀行(これは試験には出していなかった?)
試験に出ない地学Series.2014年暖秋終了編-----「銀杏(Ginkgo biloba)」に寄せて
試験にでない地学Series.2014年エルニーニョ梅雨明け編 ---悪魔の星「アルゴル」パラドックス---
試験に出ない地学Series.2014年爽快初夏編 -----「リチャードソンの夢」-----
試験に出ない地学Series.2013年木枯らし編 「大きな数について −地学と経済のふかーい関係,あるいは人間原理−」
試験に出ない地学Series.2013年ON-OFF気候の秋編 −「竜巻研究に命を捧げた無法松の一生」−
試験に出ない地学Series.2013年梅雨明け編 「屋久杉の年輪と太陽面の爆発」
試験に出ない地学Series.2013年5月爽快編「ワインクーラーと冷水コップの水滴の秘密」
試験に出ない地学Series.2013年寒冬バイバイ編 「硫化水素とだまし絵,あるいはリスクとクスリ」
試験に出ない地学Series.2012年寒秋号 −大航海時代に一世風靡した日本の銀鉱山−
試験に出ない地学Series.2012年 南米の最貧国ボリビアのリチウム資源騒ぎ
試験に出ない地学Series.2012年冷涼梅雨編「なぜジャイアントコーンはあつかましいのか?」
試験に出ない地学Series.2012年金環食の号 「オイルシェールと人工地震」
試験に出ない地学Series.ラニーニャ寒冬明け編 −夭折した若き無名の天文家エレミヤ・ホロックス−
試験に出ない地学Series.2011ラニーニャ冬の陣編 『地層の縞から読み取れること』
試験に出ない地学Series.10月暖秋編 −「べき乗則」と「ブラックスワン」あるいは「想定外」−
試験に出ない地学Series.梅雨明け節電編 −大阪層群の火山灰と破局的噴火−
試験に出ない地学Series.2011年初夏編「結晶のシスティナ礼拝堂」(画像つき)
試験に出ない地学Series.2011年厳冬春待ち編――「百キロ徒歩中の質問に答えて」
試験に出ない地学Series.ラニーニャ初冬号 ――巨星マンデルブロ寂かに墜つ――
試験に出ない地学Series.2010年暖秋号 ―スイスの空気入りの地震計―
試験に出ない地学Series.2010年 梅雨明け号 ―「予測の難しい2つの雲について」―
試験に出ない地学Series.2010年初夏号 −P/E(暁新世/始新世)境界について−
試験に出ない地学Series.2010年暖冬号 --春霞と黄砂について--
試験に出ない地学シリーズ.2009年小春 日和編 −地球外惑星を探す−Hot Jupiterの発見−
試験に出ない地学Series.暖秋号「パリ革命記念日の夜空を彩った夜光雲」
試験に出ない地学シリーズ.2009年空 梅雨編 「ピークオイル論を巡って」
試験に出ない地学Series.無黒点初夏号 「大圏航路を飛ぶ航空機,今昔」
試験に出ない地学Series.暖冬春待ち編 「セイシュについて」
試験に出ない地学Series.「古くて新しい天体,月の謎」
試験に出ない地学Series.2008 年も暖秋号 「雨に煙るオスロ湾で宮沢賢治のイギリス海岸の風景を思い出す−−」
試験に出ない地学Series.2008年梅雨編---「太陽活動と気候変動」-------
試験に出ない地学Series.2008年快適初夏編 「ビーバーの毛皮貿易と気 候変動」----------
試験に出ない地学Series.2008年厳冬号--「でたらめさが役立つ?」--
試験に出ない地学Series.2007 年ラニーニャの冬編 −「マラリアと気候変動」−
試験に出ない地学Series.2007年秋深し編 --英国航空第9便の災いとその後--
試験に出ない地学Series.2007 夏休み待ち遠しい編<地磁気と生物−鳩の受難−>

これ以前のシリーズにはタイトルがなかったので,今回タイトルをつけました(附属高校分のみ2020年8月)

試験に出ない地学Series.2007年初夏編 ひすいの秘密
試験に出ない地学Series.暖冬はて無し編2007 天然原子炉の話
試験に出ない地学Series.2006年暖冬編---- ドイツ紀行 深部掘削サイトとドイツのルール
試験に出ない地学Series.2006年秋深し編 ほやという不思議な生き物
試験に出ない地学Series.2006年梅雨明け号 「未知の星を求めて」コメットハンター秘話
試験に出ない地学Series.2006年初夏号 ジェット気流の発見
試験に出ない地学Series.2006年暖春号 重水をめぐる戦争の記憶
試験に出ない地学Series.2005年暖秋号 地質学者ホフマンとSnowball Earth説
試験に出ない地学Series.2005年中秋号 バージェス動物群の発見--ウオルコットとワンダフルライフ--
試験に出ない地学Series.2005年空梅雨編 乱泥流と「日本沈没」
試験に出ない地学Series.2005年初夏号 椰子の実とNikeのシューズ,黄色いあひる
試験に出ない地学Series.2005年早春号 木村栄とZ項の発見
試験に出ない地学Series.2004年木枯らし号 始祖鳥発見物語
試験に出ない地学Series.2004年紅葉号 虹の人 --ある地震予知家の顛末--
試験に出ない地学Series.2004年梅雨明け号 岩塩抗とナチスの絵画
試験に出ない地学Series.2004年初夏号 望遠鏡の発明
試験に出ない地学Series.2004年春待ち号 常温核融合の顛末
試験に出ない地学Series.2003年初冬号 ツングースカの隕石
試験に出ない地学Series.2003年秋深し号 クリスラングトン,遅咲きの人工生命研究者
試験に出ない地学Series.2003年夏待ち号 昭和新山の誕生と三松ダイヤグラム
試験に出ない地学Series.2003年初夏号 地震観測網がとらえた奇妙な震動
試験に出ない地学Series.2003年初春号 変わり者の天文学者列伝
試験に出ない地学Series.2002年初冬号 「史上最大の作戦」と潮の満干
試験に出ない地学Series.2002年秋号 光電管とノーベル賞
試験に出ない地学Series.2002年夏号 世界最大のダイヤ カリナン
試験にでない地学Series.2002年春待ち号 ヒロシマの災厄と恐竜の絶滅
試験にでない地学Series.2001年初冬の号 北京原人秘話
試験にでない地学Series.2001年秋の号 I have a dream
試験にでない地学Series.2001梅雨の巻 奥の細道と地学
試験にでない地学Series.2001初夏の巻 三宅島の噴火とその後
試験に出ない地学Series.2001早春号 天動説から地動説へ
試験に出ない地学Series.Millennium冬号 科学における捏造と願望について
試験に出ない地学Series.Millennium秋号 赤道の緯度の側に立って考える
試験に出ない地学Series.ミレニアム夏の号 黒潮古陸とその後
試験に出ない地学Series.ミレニアム番外編 <富士の頂角

以下さらに過去の分はタイトルなしで添付します.

試験に出ない地学Series.95年冬の巻

試験に出ない地学Series.92年秋号
試験に出ない地学Series.93年夏号
試験に出ない地学Series.93年秋号
試験に出ない地学Series'90神無月
試験に出ない地学Series'90―5月
試験に出ない地学Series.89年神無月
試験に出ない地学Series'89春? 番外編
試験に出ない地学Series'88春 番外編
試験に出ない地学Series'87 2月
試験に出ない地学Series.83' 春号New!
試験に出ない地学Series.81' 冬号New!

試験に出ない地学Series.81' 番外編New!
試験に出ない地学Series.80年冬号
試験に出ない地学Series.80' 初夏New!
試験に出ない地学Series.79'秋
試験に出ない地学Series.No.2 79年夏号
試験に出ない地学Series.No.1 79年初夏号
試験に出ない地学Series.78'準備編New!(今年加筆)


試験に出ない地学Series.2017 年初春号 「予測可能性とAI,あるいは未来について」
 
 このシリーズもいよいよ最終回を迎えた.この10 年ずっと地震の予知の難しさを関連論文を読みながら検討してきて,一つの結論にたどりついた.つまり自然現象には決定論的に予測が可能なものとそうでない ものがあるという歴然とした事実である.一方最近のAI の興隆でこのような未来予測が可能になるのではないかという安易な楽観論もある.他方でこのAI は人類に惨禍をもたらすという悲観論に陥る人々がいる.その是非はさておき,AI の発明は歴史的には,カンブリア爆発時の「眼の誕生」(A.パーカー,2006)に比すべき大発明だという指摘もなされている(例えば松尾,2015).
 もしそれが正しいなら我々はこのカンブリア爆発の真相を調べることも未来予測の重要なカギとなることが考えられる.この生物進化上最大の謎である,「カ ンブリア紀の生物爆発」については,バージェス頁岩の再評価(例えばグールド,1991)のあと,続いて発見された中国雲南省の「澄江動物群」の解析など で,それまで突然地史に降って現れたかに見える眼を持つ生物の誕生以前にさまざまな中間段階があるらしいことが指摘されてきている.このあたりの経緯は, 上記の「眼の誕生」に詳しい.しかし分子時計の解析は化石には適用できないため,現在の形態の変化のみを追いかける手法での進化の詳細解明は誤った結論を 導く可能性も指摘されている(宇佐美,2008).
 筆者は従来このようなデータが集積しつつある進化の過程の推論にもAI 自身がつかえるのではないかと漠然と期待していたが,そのAI であっても「眼の誕生」の真相に至ることができないとすると,我々は未来予測どころか,過去の予測すら原理的に不可能という結論が浮かんでくる.科学の進 歩は常に未来予測と隣り合わせで発展してきた.予測科学という近代科学の側面がいかんなく発揮されたのは物理学と天文学の分野だと思う.日蝕の予測は古代 文明のころより素晴らしい精度でなされてきた.衛星「はやぶさ」は永遠に見える彼方から,小惑星の塵をふところに奇跡の帰還を果たした.そうした分野から 見ると,地球科学や生物学の分野はとても遅れた科学の分野に見られた時期があるし,今でもそう思われているきらいはある.予測が成り立たない分野は科学で はないという物理や化学分野の人に特有の「決定論的世界観」に引きずられたのが大きいと考える.
 AI が用いる方法論には「遺伝的アルゴリズム」や「ディープラーニング」など,生物進化や脳のネットワークをまねる手法が流行りである.しかしその手法がノイ マン型逐次計算のプログラムを採用する限り,人間の能力を越える日はまだまだ遠いようにも思える.前者では最適化を求める数学関数やパラメータは人間の選 択に依存するし,後者では質のよいビッグデータを必要とする.ビッグデータは流行りであるが,どうやってノイズとシグナルを見分けるのかを考えるときに, 最近のFake ニュースの盛り上がりをみるとまだまだ人間にすらその見分けは難しいのだと思われてくる.
 自由競争が行き着いた究極の形態であるグローバリズムの展開の果てに,世界はもう一度ナショナルな方向に舵を切ろうとする試みがさかんである.グローバリズムはすでに時代遅れなのか,あるいはその向こうに再びナショナルな血なまぐさい時代がとぐろを巻いているのか.
 かつてソクラテスは「我々は知らないということを知っている」という名言を投げかけた.まさに我々の次に行うことはこの謙虚な立場にふたたび立ち返っ て,過去を眺め未来を考えることしかないような気がする.それまでこのあわただしい世界が待ってくれているという条件つきではあるが---
-.
 長らく続けてきた「試験に出ない地学Series」はこのようなとりとめもない2017 年初春の感想で幕を降ろしたいと今は考えている.

  乾いた冬のアドレスがしだいにかすかになる――――――
  見知らぬ蒼い星雲が大きく息をつく夜
  僕は失くした青春の分だけ わずかに
  無口になった日記を綴る
  少し他人になったような表情で
  教科書をしまう君に心のなかで挨拶を送るために----
  それは
  1つのトーテムを通過する季節であった―――――
  PS. 一年間,みんなどうも有難う     

(「試験に出ない地学Series」最初の頃の詩より


試験に出ない地学Series 2016ラニーニャ寒冬編 ---「人類の困難と分子生物学」---
 
 人類の進化の科学をまた分子生物学が塗り替えようとしている.古生物学や古人類学はそもそも化石という現物の資料を手がかりにその形態や地層の年代を手がかりに構築されてきた.例えば1967年までは古人類学では人類のもっとも古い直接の祖先は約1000万年前に生存したラマピテクスだとされていた.歯の化石だけでそう認定していたというから驚く.ところが1967年にサリッチとウィルソンが分子生物学からの結論として,ヒトにもっとも近い類人猿はチンパンジーでヒトとの分岐時期はわずかに500万年前だと発表したために,以後15年にわたる論争が続くことになる.その後ラマピテクスの完全な頭骨の化石が出土.これがオランウータンの仲間に分類しなおされるなどして,論争は最終的にサリッチたちの勝利に決したという.

  以後,分子生物学は次々に類人猿の進化の謎を決着していった.我々とネアンデルタール人とは60万年前に分岐し,それ以後我々の内部での分岐が続く.最初の分岐は約15万年前にアフリカで分かれたと考える(図).これらは初めてネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを手にしたスバンテ・ベーボのグループの研究に始まるとする(ここまで,「宮田隆の進化の話:ネアンデルタール人のDNAが語るヒトの進化」2004による).

 分子生物学により打ち立てられた人類起源の立証手法はさらに,「トバ・クライシス」あるいは「トバ・カタストロフ」と呼ばれる約7万年前の人類史上最大の危機をも描画する.約7.5〜7万年前にインドネシアのトバ火山が最大規模のカルデラ噴火を起こした.これは火山爆発指数でカテゴリー8というこの100万年の間では最大の噴火だった.火山灰は日射を覆い,地球の気温は平均で5も低下したと推定されている.これが断続的な寒冷化を引き起こし次のウルム氷期へと接続する.この時期に他の傍系の人類(ホモ・エレクトス)などを絶滅させたとする.現世人類はこの気候変動の結果,総人口が約1万人(家族数にして1000組〜1万組ほどの夫婦)に減少したことが遺伝子解析から推定されている.そして,これは現世人類の遺伝子の多様性を減らし均一化を高めたという.生物学ではこれを「瓶首(へいしゅ)効果(bottleneck effect)」と呼ぶ.加えて,ネイティブアメリカンではO型の血液型が多いのも,彼らが最初極めて少数の集団でこの氷河期にベーリング海峡を横断してアメリカ大陸に渡った末裔(たまたまO型が多かった)からなることを示すのだという.これを「創始者効果(founder effect)と呼ぶ.いずれも遺伝子の多様性がある時期に極めて狭まったことを示す点が注目される.




 こう考えてくると,一見人類の歴史は遺伝子の多様性を失ってきた歴史のように錯覚してしまう.しかし真実は逆で多様な遺伝子を揃えていたからこそ,気候変動のカタストロフを生き残れる連中を残せたと言えると私は考える.



 ネイティブインディアンが目指した米国が,今世界の中心であり続けれるのは,なによりも,建国以来の他民族国家の伝統で,さまざまな移民や難民を世界か ら受け入れてきたところにある.その米国が今根底から進路を変えるようにも見える.ヘイトと排外主義を売り物にして誕生した次の大統領が君臨する時代はま たどのように変わっていくのか.その困難なボトルネックに耐えて,彼の国はまた新しいものを作りだしていくような気がしてならない.それはある意味楽しみ のようなまた不安のような.


 (この稿 http://www.brh.co.jp/research/formerlab/miyata/2004/post_000003.html およびWikipediaに拠った.

図も上記URLより;本文の一部と図の引用,提供は「JT生命誌研究館」の許諾提供によります)



I’m empty and aching and I don’t know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike

They’ve all gone to look for America
    ----Simon & Garfunkel “America” より



試験に出ない地学Series Flip Flop気候の秋編  −−コマチアイトに寄せて--


 2010年9月初め,2回めの南アフリカ渡航の折り,8名の世界からの巡検参加者を乗せたHyundaiのバンは,ヨハネスブルグから高速道を一路東へ向かった.沿道には数ヶ月前に開催されたW杯サッカーの看板が至るところに残っている.この日の行き先は東部のKruger国立公園に近い田舎町バーバートン.ここはグリーンランドのイスア,カナダの北極圏,オーストラリアのピルバラなどと並んで,世界最古の岩石が露出するGeological Wonderlandの1つ.地質学徒には,垂涎の場所である.

 途中のレストランで昼食を取ったあと,まずはこのあたりで最も古いバーバートン緑色岩類の露出する丘を見た後,有名なKomati川を渡ってKomatiite(コマチアイト)の露頭を目指した.名前はいかにも日本風であるが,純粋のアフリカの土着の地名を冠したこの岩石は,35億年前のまだできて間もない地球の初期の状態を知る貴重な手がかりとなる溶岩なのだ.Mgを多く含みSiO2の少ないこの岩石はかんらん岩と同じ超塩基性岩の分類に入り,世界でも分布は極めて限られている.

車を降りた我々を村の人々が奇異な表情で見つける.農家の軒先をかすめるように,裏の土手を降りると小さな小川の河原に達した.これが有名なKomati川 なのかと少し拍子抜けした.川を少し遡る途中で家畜なのか,知らない草食動物が3頭,川岸の草をゆっくりと食んでいる.河原の露頭を丹念にさがすうち,巡 検リーダーがこれだと声を上げる.資料で配られた論文の図と同じスフェニックス模様(細い針の密集したようなオーストラリア原産の草の葉模様)の刻まれた 岩が露出している.観察するとちゃんと論文と同じ構造でしだいに下部のかんらん石の密集した部分へと移行している.サンプルが欲しかったがこの露頭はやや 風化が激しかった.河原の礫を探すとちょうどよい大きさで上記模様がかすかに浮いている転石を2個見つけてサンプル袋に入れる.もうこれだけで有頂天のよ うな気分.スフェニックス模様は,まだ地球ができてから日の浅い35億年前,マントルが現在よりもはるかに高温だったころに,これらのコマチアイトマグマが生成され,1600度 という高温で陸地や海底に噴火した.このときマグマの温度が下がってきて,過冷却状態にあったマグマが,噴火の際に一気に結晶化したのが,この模様の成因 だと言われる.たしかに卒業生の大阪教育大の小西先生にいつも実験授業でみせてもらっている,過冷却水の中に氷を一かけら入れたときにできる針状の結晶と 非常によく似ている.岩石と氷の違いがあってもそれがよく似るのは大変興味深い.

川を少し溯上すると見事な枕状溶岩の露頭が現れてくる.当時の海底に噴出したコマチアイト溶岩が地球で最初の海底地殻を形成したあとだという.他の参加者も写真を撮ったりルーペで子細に観察したりと興奮しているのがわかる.このあと,リーダーのD氏 が車で少し離れた空き地に連れていってくれた.ここにはコマチアイトの見事な固まりが転がっていた.おそらく工事か何かの捨て石で地質学者の間で話題とな りちょっとした採集のゴールドラッシュが起きているという.この場所で少しタイプの違う輝石の細い結晶が浮き出たコマチアイト質玄武岩らしいサンプルを叩 く.貴重なコマチアイトを次々とザックに入れる.

 この日は意気揚々と町から少し離れた民宿に泊まった.何重にも鍵とフェンスで囲まれたこの民宿はさらに放し飼いの犬を数頭飼っている.おそらく治安の良 くないこの国の田舎の標準的な暮らしを実感した.このあと巡検はさらに東に向かい,1週間の日程を終えてヨハネスブルグに無事戻ることになる.採集したサ ンプルは15kg近く, 自分のスーツケースが簡単に持てないほどの重さとなった(岩石は帰るときに空港の郵便局から日本に送った.3ヶ月かかってインド洋を越えて無事日本に着い た).自分とフランスの女性研究者以外はすべて英語ネイティブばかりという環境でよく英語のシャワーにも耐えた.宿で同室になった退職したカナダの大学の 先生の夜の咳にも悩まされた.それでもこの巡検は自分の人生では何ものにも替えがたい価値ある経験となった.コマチアイトはその旅行の記憶とともに今も私 の机上に置かれている.(この巡検の話やサンプルは11月の英語授業でたっぷり紹介するので楽しみにしていてほしい)



----Where hunger is ugly, where souls are forgotten
Where black is the color, where none is the number-----
Bob Dylan – A Hard Rain's A-Gonna Fallより


試験に出ない地学Series.2016年ラニーニャ梅雨明け編 ---あえかな筆石によせて---


筆石(Graptolites) はあえかな化石である.アンモナイトや三葉虫のような強い自己主張もなく,ただ黒い頁岩の表面に糸鋸の刃の破片のような銀色の模様が散らばっているだけ の,面白みのない外観をしている.私はしかしこの化石に少年のころからなぜか惹かれていた.日本ではほとんど採れないこともさることながら(わずかに高知 県横倉山のシルル紀の石灰岩のなかに見つけられたことがあると漏れ聞くが),そのしぶい外観とオルドビス紀から石炭紀にかけて広い繁栄と進化を見せたあと の,あっけない絶滅の不思議さは古生物の進化史の中でも異彩を放っていた.化石展でもめったに出品されないこの化石の現物を10数年前にやっと数千円で手に入れてから,この化石の正体をいつか調べてみたいと考えていた.

2 008年夏,オスロで開かれたIGC33(万 国地質会議)に参加した私は,その付帯する野外巡検にこの筆石の産地をめぐる1日巡検があるのを見つけて,真っ先に参加を申し込んだ.オスロ郊外の宅地開 発現場に露出した前期オルドビス紀の黒い頁岩に,このあこがれの化石が多量に産すると聞いてその日は朝から興奮気味にバスに乗った.しかし低気圧の墓場と 揶揄される北緯60度 の洗礼をうけて,やがて景色は霧雨に煙りだした.現場の頁岩の中にはあの銀色の糸鋸の刃と,それとはやや形の異なる巨大な珪藻のような細長い楕円形模様の 筆石が散らばっていて,私は動悸が激しくなる興奮の中で,できるだけ散らばった筆石破片の密度の高いサンプルを得ようとハンマーでたたき,石を裏返してい く.そのうち一層雨脚が強くなり,巡検リーダーが参加者をバスに乗るようせかした.私とほかの数人が最後まで現場で粘ったが,雨に濡れた頁岩の表面はもう 至る所,光りだして,化石を探すどころではなくなった.この日採集した筆石は,丁寧に新聞紙で包んだあと旅行最後の日に荷造りして郵便局から日本に送っ た.窓口の人が制限の10kgぎりぎりに収まるように荷台の表示を見ながら荷物の詰めおろしをアドバイスしてくれた.物価の高いノルウエイらしく送料には大枚1万円が飛んでいった.

先日の日曜日,テニス部練習試合付添で訪れた高校のテニスコート脇で手持無沙汰な午後,思い立ってネットにつないだタブレットで筆石を調べてみた.ウニやヒトデに遠縁の群棲する浮遊性の半索動物で,進化が早く分布が広い優れた示準化石,英国のオルドビス紀はこの化石だけで100万 年ごとの地層の区分けが可能だという.しかし出てくる化石は断片ばかりで生態や構造などの詳細は依然としてよくわかっていない.有名な浮き袋を持った「く らげ」のような復元画像の出所の元論文を探してみたものの,ついに見つけることができなかった.残念ながらここで紹介するような興味深いエピソードも皆無 だった.やはり筆石は地味なままで地球史の闇のなかにひっそり立たずまうのがふさわしいと思った.

オスロ近郊の化石産地のおかげで,いつのまにか私は多量の筆石コレクターになった.-----しかし何かうれしいようなさびしいような.筆石はやはり幼い日のあこがれのままでそっと置いておいた方が良かったのかもしれないと思いだしている.

---本当のことは言葉にならないのかも知れない.言葉にした途端,すり抜けていってしまうのだ---
  早川義夫「たましいの場所」より


試験に出ない地学Series ラニーニャ猛暑(初)夏編 −ヘリウムは太陽の素−


稀ガスのヘリウムは,簡単な構成の元素であるにもかかわらずその発見は遅れた.地球上には稀なことと,太陽ガスには普通には含まれているにもかかわらず,高温でないと吸収線を出さないため,通常の太陽光(光球面上の光)の中からは発見できなかった.1868年のインドの皆既日食の際に彩層の部分のスペクトルから未知の輝線が見つかりのちに新元素と特定され,太陽のギリシャ語λιος(ヘリオス)からヘリウムと名付けられた.温度が高くないとその輝線や吸収線が出ないことがわかり,その後,この吸収線を特徴的に持つO型とB型の恒星の表面温度が高いことがわかった.現在恒星のスペクトル型の奇妙な順の理由の一つはここにある.やがて皆既日食で見られるコロナのスペクトル中にも未知の輝線が見つかり,これが鉄の13番目の電離(極めて高温で鉄原子が13個の電子を失う)と同定されると,コロナの極端な高温(百万度を越える)状態が発見された.低温(6000度)の光球からどのように高温のコロナが生み出されるのか.これは太陽のパラドックスと呼ばれ,現在でもその解釈をめぐって議論がなされている.

閑話休題.このヘリウムの備蓄が近年乏しくなり,産業用はおろか,ディズニーランドの風船配布の取りやめにもつながった.元々地球上には,小さな重力のために大気にほとんど存在しない(存在比はわずかに0.0005 %)ため,地下の鉱山が主な産地となっている.20世紀になって,特にアメリカのグレートプレーンの地下で,ウランやトリウムが放射性崩壊をして生成するヘリウムが地下資源として採取可能であることがわかり,これを天然ガスの副成分として採掘している.放射性崩壊,α崩壊,β崩壊,γ崩壊の3種類あるが,このうちα崩壊では,ヘリウムの原子核であるα線が放出される.これが地中に残されて採掘可能となる.米国は地下資源としてのヘリウムの一大産地であり,特にヘリウムの軽さから浅い天然ガス井戸がその供給源となっている.米国は元々大量のヘリウムを軍事用(特に核兵器開発用)として備蓄していたが,これを1990年 代にすべて民間に売却することを決めた.しかし,近年発展途上国での使用量が高まり,米国での備蓄分の取り崩しを議会は一旦延長することに決めたが,時す でに遅く,シェールガス開発(シェールガスは深い井戸なのでヘリウム含有量が極めて少ない)に伴う既存の浅い天然ガス田の荒廃などもあり,2012年以降供給の危機が生じて,ヘリウム価格は一挙に3倍に跳ね上がっているという.各国は中東などでの天然ガスからのヘリウム供給に懸命に取り組んでいる最中である.

ところで,ヘリウムを含む稀ガスがどのように地球上で蓄えられ,また進化してきたのかの問いは「稀ガス同位体地球 科学」という分野につながる.進化の初期にマントル下部に取り残されたはずのヘリウム同位体比がどうも予想と異なるなど,これまでの地球進化過程への疑念 が最近出てきて,これはヘリウムパラドックスと呼ばれている.この詳細は紙面の都合でいずれまた.太陽や木星などには豊富にある宇宙で2番目に存在量が多 い元素ながら,地球が小さな惑星で重力が少なかったばかりに,地上では稀ガスという名を頂戴したヘリウムの動向にはこれからも目が離せない展開となってい る.(冒頭のヘリウム発見物語は大阪教育大学の定金先生のご教示によります.また後半の稀ガス地球科学モデルは

http://www.museum.hokudai.ac.jp/jyama/member/jyama/web/research/res/noble1.htmlの記述を,さらにWikipediaも参考にしました)

---太陽のなかに蒔きゆく種子のごとくしずかにわれら頬燃ゆるとき---寺山修司「初期歌編」より,--その後寺山が書いた劇作「青い種子は太陽の中にある」は昨年蜷川幸雄演出/亀梨和也主演で好評を博した.


試験に出ない地学Series2016年冬 −史上最大のティラノサウルス「スー」の発見とその後の不可思議な災難− (この原稿,記載を忘れていました.2017.07.11)

 サウスダコタ州は恐竜の化石産地として有名である.地元の化石発掘会社「ブラックヒルズ地質学研究所」に雇われて化石発掘のアマチュアとしてのキャリアを積んでいた女性スーザン・ヘンドリクソンは1990年8月の暑い日のさなか,研究所の他のスタッフ達がパンクしたタイヤを町まで交換に出た間に,今までのルートと異なる露頭に踏み込んだ.彼女がそこで発見した骨の破片を見せられた研究所の所長ピーター・ラーソンは即座にそれが最大級のT・レックス(ティラノサウルスレックス)の化石の一部であることに気づき,世紀の大発掘が始まった.出てきた恐竜化石はそれまで知られていたT・レックスの化石よりも大きく,しかも不完全なものが多いこれまでの化石とは異なり,その巨大な身体の9割までが良好な保存状態で発掘されることになる.第1発見者の名前を記念してSueと名づけられた世界で13体目の,それもこれまでになかった完全な保存状態のTレックスの化石発見のニュースは一躍世界を駆け巡ることになる.

 しかし事態はここから急展開する.元々私有地であった露頭の持ち主が,化石の所有権を主張しはじめる.これはラーソン所長にとっては寝耳に水の出来事であった.彼は発掘前にすでに地主と話をつけて5000ドルの小切手を切り,恐竜化石の発掘の条件として支払いずみであったはずであった.

 さらに話がややこしくなるのは,この地域が元々ネイティブ・インディアンの居留区にあたり,彼らがまた所有権を主張しはじめた.事態はやがて政府の介入となりFBIが州兵まで動員して,苦労して発掘し研究所が保管していた化石の差し押さえについで,化石の所有権が決まるまでの移動を命令した.地元住民が反対運動を展開するなか,化石は50km離れた鉱山大学の倉庫に持ち出され保管されることになる. さらにラーソン所長にとって気の毒だったのは,彼らの研究所の化石売買にFBIが 難癖をつけてラーソンを逮捕するに至る事態に発展.世紀の恐竜化石の発見はやがて恐竜の所有権を巡る民事訴訟とラーソン自身の研究所運営に関わる刑事捜査 という2本建てとなり,化石発掘と海外渡航や金銭売買にまつわる罪状で訴追された彼はこともあろうに2年の実刑判決をうけ,その後1年半にわたる刑務所暮 らしを余儀なくされることになる.博士号を持たない化石収集マニア上がりだった彼の発掘に対する古生物学界のやっかみやら,FBIの捜査官の個人的な感情が背景にあると噂されるが真相は定かではない.

 その間,地主とネイティブアメリカンのコミュニティ,さらには米国政府まで巻き込んで3巴の争いとなったくだんのSueの 所有権はついに地主のモーリス・ウィリアムズが獲得する.金に目がくらんだ彼はさっそく有名な競売サイトサザビーズで売却手続きに入る.この貴重な化石が 個人の所有になることを心配した古生物学者たちを背景に動いたシカゴの自然史博物館がマクドナルドやディズニーなどの後援を得て,760万ドルという高値で競り落とした.現在もスーの骨格はシカゴ自然史博物館に保管され,2体作られたというレプリカが世界を広しと貸し出されて博物館で世界の子供たちにTレックスの巨大な姿を印象つけている.この物語はCNNが「Dinosaur 13」という名前のドキュメンタリー映画にまとめた.スーザンやラーソンも実名で登場しこの不可思議な発見物語とその後の顛末の語り部を務めている.

 3年ほど前,南アフリカの1週間の地質巡検で知 り合いになったサウスダゴタの大学の先生に,いつかサウスダゴタに来てくれたら,恐竜とアンモナイトがざくざく出る場所をキャンプしながら案内するよと, 半分お世辞で言われた.しかし今このスーの発掘物語の顛末を知って,死ぬまでにかの地を本気で訪れたいと願うようになった.


 この稿,「Dinosaur 13」および,http://www.dino-pantheon.com/shoppingbasket/shoppingbasket_10.html
などを参考にした.

----「恐竜はアメリカである,か.でも,竜神さんは手取の里にいるのよね」-----「竜とわれらの時代」川端裕人/徳間文庫より



試験に出ない地学Series2015年エルニーニョ暖冬編 「水月湖の7万年の縞と気候変動」


 福井県の三 方五湖(みかたごこ)は海につながる5つの湖から構成される.この三方五湖の中心にある水月湖はこの三方五湖の中心にある最大の面積の湖ではあるが観光地 としてはそれほど人気があるわけでもない.ところが近年この知られざる湖の名前が第四紀の研究をする研究者の間でにわかに注目を浴び始めた.wikipediaに拠れば「水月湖は水深が深く湖内に直接流れ込む大きな河川がないため、その流入などで湖底の堆積物がかき乱されることがないため、年縞が1枚 ずつきれいに積み重なっている状態が保たれている。また、湖底に酸素がないため生物が生息しないことで、年縞がありのまま残っていたこと。さらに好条件と なった背景には湖周辺の断層の影響で、湖の底面が堀下がる沈降現象が続いており、湖底に毎年堆積物が積もって侵食して湖が埋まらないという特異な条件が 揃っており、水月湖の年縞は現在では「奇跡の堆積物」と呼ばれる。」と書かれている.年縞(varve)と呼ばれるのは季節による堆積物の種類や量の違いで,湖底の堆積物に見事な1mmに満たない縞模様が1年ごとに作られる,いわば木の年輪のような縞をことをさす.
 この湖底の堆積物に着目したニューカッスル大学教授の中川毅さんの研究グループが,恩師の始めた1991年の手法を引き継いで2006年 より,新たな湖底ボーリングを始めた.中川さんの研究室の英国とドイツのとても辛抱強い学生が,ボーリングで得られた年縞を顕微鏡下で1年毎に丹念に数え るという,信じられないような地味で繊細で大変な仕事を完成させたという.その結果実に7万年に渡る年縞の読み取りデータが得られ,その読み取りの誤差は 5万年でわずか170年にしかすぎないという.これは従来得られていた14C法による放射年代決定の精度をはるかに凌駕する画期的な年代決定法となった.
 さらにこの 話は時間スケールの正確な目盛を作っただけでは終わらなかった.もともと中川さんの専門は花粉分析であり,このような地層に残された植物の花粉を丹念に分 析することでその地層の堆積した時代の気候変動を推定できる.その精度がいわば一挙に年スケールにまで高まったことを意味する.これらの研究から中川さん たちは,日本における氷河期から現在の間氷期にいたる気温変化をそれこそ,1年のスケールで明らかにしつつある.その結果これまで考えられていた時間ス ケールよりもっと急激に過去の気温が変動してきたことがわかってきた.これは特に現在進行中の人類が排出したCO2の影響での地球温暖化の行くつく果てがどうなるのかという予測とも密接に関係する.「未来を知るにはまず過去を知る」という地球科学の根本原理がここでも生きている.
 ともあれ,この中川さんの偉大な研究のブレークスルーを支えたのは驚くことに日本の科学予算ではなく,英国の科学予算だったという.まだ無名の研究者に過ぎなかった中川さんの研究に最初にポンと1000万円を与え,さらに最初のボーリングで予算を使い果たした,彼に今度はさらに1億円の予算を上乗せしてくれたという.基礎科学に強い関心を示す英国の度量の広さ,懐の深さをあらためて考えさせられるエピソードと言える.
 中川さんたちのグループの研究成果をwikipediaは続けて「この水月湖の調査は1991年(平成3年)から開始された。2006年(平成18年)に始まったボーリング調査では湖底の堆積物は70m以上の深度まで及ぶため技術的に1本の連続した試料として掘り出すことが不可能なため、最終的に別々な4カ所の穴からそれぞれ長さ1m程度のコア(芯)を掘り出し縞模様のパターンマッチング(採取場所の異なる複数の短いコアを連続にする為の作業)を行い1本の土の層に復元する事で総延長70mにも及ぶコアが掘削された。これは過去約16万年分の連続した土を採取できたこととなり、その1mmの抜けもない完全連続したこのコアサンプルのことを「SG06」(水月湖06年の略号)と命名した。以降、日本、イギリス、ドイツなどの共同研究チームが分析を進めて放射性炭素14、炭素12の比率を調べることで、11,200- 52,800年前にわたる過去約5万年間の放射性炭素年代測定を行ないその研究成果を学術雑誌サイエンス誌に発表した。過去に例をみない誤差が約5万年で170年程度という精度の高さからこの水月湖の年縞からのデータは2012年(平成24年)713日にフランスのユネスコ本部で開催された世界放射性炭素会議総会(International Radiocarbon Conference)で地質学的年代決定での事実上の世界標準となった。」と紹介している.福井県のあまり知られていない湖の名前が地学の教科書に載る日もそう遠くない.

この稿,wikipediaおよび,中川さんの日立環境財団主催の講演記録http://www.hitachi-zaidan.org/kankyo/docdata/work04_18.pdfに拠った.

-----これをもって我々の旅は終わる.しかし物語は終わらない,なぜなら数学に終わりはないからだ.---「ケプラー予想」ジョージ・G・スピ―ロ/青木訳/新潮文庫より

試験に出ない地学Series2015年中秋編 「リチウム存在比の謎 −アマチュア天文家とすばる望遠鏡のコラボ−」


 近年スマホやドローンが飛躍的進歩を遂げた裏には,デジタル革命だけでなく,電池の革新がある.このような最近の電池に多用されるリチウムは実は軽元素 であるにもかかわらず地球上はおろか,宇宙でも存在比が少ない元素として知られる.OSiAlFeCaNaKMg(「おしあてかそうかま」と覚える)で知 られるクラーク数は地球表層を作る元素ランキングであるが,そこではタングステンに次ぐ27位.さらに宇宙を構成する元素では30番目の少なさとなる.図 がそのランキングで,これを見るとほぼ元素番号の順に存在比が減少していることがよくわかる(図は.産業総合技術研究所サイト https://staff.aist.go.jp/a.ohta/japanese/study/REE_ex_es1.htm)
ところがさらに細かく見るとLi,Be,Bが極端に少なく,これらの軽元素の部分で深い谷間ができている.あとは若干の例外を除いて偶数番号で多く,奇数 番号で少ないということが見て取れる.これは一体どういうことなのか?この存在比を巡る議論は宇宙の創世の際のビッグバンによる水素とヘリウムの合成と, その後の恒星の進化におけるエネルギー源を巡る議論とクロスする.ビッグバン(宇宙創世時の大爆発)では水素とヘリウムが多量に形成されるが,それより重 い元素はリチウム止まりとなることが理論から知られている.そうするとそれより重い元素はその後の恒星の内部とくに,進化した赤色巨星の内部の複雑な核融 合反応による元素の合成で説明されている.原子番号の多い方の元素の存在量が少なくなるのは,質量が重く,巨星の果てまで進化する星が少なくなること呼応 する.さらに鉄以降の元素の存在比が一段と低下するのも,核融合における最終生成物としての安定した鉄と,それゆえにそれを芯に持った赤色巨星はもう中心 に熱発生がなくなり,最後に重力崩壊してしまう.鉄以降の元素はその数少ない巨大赤色巨星の超新星爆発の超高温の元でしか合成されないという機構で説明さ れる.
 それでは軽元素として特異なさっきのLi,Be,B3兄弟の存在比の少なさはどこから来るのか?1つはヘリウムが2個合わさってできるはずの質量数が8 個前後で構成される原子が極めて不安定で,特に高温の恒星の内部では出来たはしから壊れるためと説明される.それではそれより重い炭素などはどうしてでき るのか?ヘリウムが3個偶然衝突してできる炭素(質量数約12)は極めて安定でこの元素は作られるとすぐに安定して壊れない.つまり元素の壁はいとも簡単 に炭素によって乗り越えられるとするとこの谷間のできる理由も説明できる.
 ところが宇宙の進化の過程を巡る研究でおもしろい発見があった.炭素以降の元素の存在比は宇宙の年齢とともに直線的に増えてきたことがわかっている.新 しい星ほど金属イオンの吸収線が濃くなるというあの星の種族の話につながる.ところがLiの存在比は宇宙の年齢の途中まではビッグバンからあまり変わら ず,最近の50億年ほどで突然徐々に増加を始めたことがわかったのだ.なぜLiの存在量だけは宇宙の年齢と比例しないのか?これを説明するため,これまで 様々なLi創成説が現れては消えた.最後に有力になったのがある程度年をとったあるタイプの新星が爆発(超新星よりは小さな爆発)をするときに,このLi が合成されるのではないかとの推論であった.このタイプの新星は年老いた星々である.つまり宇宙がある年齢になったころからようやく新星として爆発を始め る.時限爆弾のように,宇宙のあるときから着々と時を刻み初め,ある瞬間から次々と爆発すればこの途中からのLiの量の増加を説明できる.しかしその理論 を証明する観測はなかなか難しかった.
 この謎を偶然解く僥倖に恵まれたのが大阪教育大学の定金先生が率いる研究グループだった.奇しくも同じ日本人のアマチュア天文家多胡明さんが2013年 いるか座に発見した新星にすぐにすばる望遠鏡を向けた.そして新星のスペクトルの中に質量数7のBeのスペクトル線を発見する.この原子はその後53日の 半減期を経てLiに変わることがわかっている.つまり彼らはLiのいわば卵を新星の爆発のガスの中に世界で初めて見つけたということになる.しかも定量的 な推定からその生成量は従来からの理論予想の実に6倍以上におよび,新星が宇宙のLi製造工場であることがわかった.この成果は今年2月にNatureに 発表され内外の注目を浴びた.元素の創成という地味な分野でありながら,宇宙の誕生と進化の秘密のベールに迫る発見が日本のアマチュア天文家と研究グルー プによりなされたということを今回は紹介した.
 
 この話はこの新星の研究を自ら担われた大阪教育大学特任教授の定金先生に教えていただいたことが元になっている.また資料は右サイトに拠った.http://www.naoj.org/Pressrelease/2015/02/18/j_index.html

---シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍(さそり)の我もすみけむ--- 沼津市千本公園の明石海人の歌碑 ハンセン病により昭和14年に夭折した天才歌人明石海人による一首(この短歌の存在は天文学の研究者 磯部洋明さんのTwitterにより知りました.感謝します)

試験に出ない地学Series エルニーニョ冷夏長梅雨編 「西ノ島新島と安山岩の起源」


 前触れも少なく,突然噴火し60余名の死者を出した昨年夏の御岳の噴火以来,先日突然噴火した口永良部島,800年ぶりの水蒸気爆発を見せた箱根大湧谷 など,久々に本州の火山がニュースに登場することが増えた.しかし2013年11月以来,人知れず大規模な火山活動で新島を形成しつつある西ノ島新島が ニュースに載ることは少ない.火山活動の規模としてはニュースに報道された一連の本州の火山活動の比ではなく,着実に溶岩を噴出して現在も成長を続けてい る.この西ノ島新島に火山や岩石学の研究者は注目している.それはこの火山島を構成する溶岩がすべてSiO2(ケイ酸)量が60%前後の非常に均質な「安 山岩」であるということだそうである.
 安山岩は本来,大陸や本州のような巨大な島弧を形成する火山岩であり,海洋の真ん中の火山島に噴出することは極めて珍しいとされる.通常海洋の島弧の溶 岩は上部マントルで生じた初生マグマである玄武岩の溶岩が普通である.ハワイにしても,伊豆の島弧のうち,三宅島,八丈島,青ヶ島,鳥島などはすべて玄武 岩マグマが噴出して形成された火山島である.それでは西ノ島の地殻には大陸のように厚い特徴があるかというと事実は全く逆で,小笠原弧の地殻の厚みは,伊 豆の島弧の上記の三宅島などにくらべ,15-20kmとむしろ薄い.そうすると何が一体安山岩質マグマを生じさせているのかということが,岩石学上の最大 の問題となる.
 もともと世界に存在する火山はSiO2(シリカ)量が約48-70%と幅広く多様性に富んでいる.この火山岩の多様性の根拠を問う研究は,1920年代 に当時のカーネギー科学研究所地球物理研究室の実験岩石学者 N.L. Bowenに始まる.彼の玄武岩マグマを本源マグマとし,マグマ溜りの中での結晶分化作用で様々な組成のマグマが生じるという解明はその美しさから多くの 研究者を魅了し,その後の岩石学の基礎となる.さらにその後,岩石学は進歩し,現在では玄武岩質の本源マグマが上昇の過程で,様々な物質と反応したり,混 ざったりして多様な組成のマグマも生じるという形に修正されてきている.また後述するように,海洋地殻がマントルの中で溶けたマグマとマントルが反応し, 高いMg濃度の安山岩が作られることもわかってきた.しかしこの西ノ島新島の安山岩の起源はそれらの岩石学の研究から来る理念に真っ向から挑戦している課 題だという.
 安山岩といえば,大阪の地元二上山の山麓のサヌカイトは有名である.正式名称は「古銅輝石安山岩」.この岩石と類似の岩石を小豆島で学生時代から研究 し,上記の新しい安山岩マグマの生成の研究をしている,本校卒業生の岩石学者巽好幸さん(京都大学,JAMSTECを経て現在神戸大学大学院理学研究科教 授)は,安山岩は太陽系の8つの惑星のうち,地球にのみ多量に存在する特有の岩石で,「地球は安山岩の星」と名づけられている.そしてその成因には広大な 海洋の存在が深く関わると語っておられる.
 巽さんの研究によれば小豆島のサヌキトイド(サヌカイトの一種)は高いMgを含み,直接マントル起源のマグマが固まったものだという.それに対して海の 中に誕生した西ノ島新島の安山岩はMgの割合は低く典型的な大陸地殻起源の安山岩らしい.陸に囲まれた小豆島の過去の溶岩がマントル起源で,海の真ん中の 西ノ島新島の溶岩が大陸起源というのは地球科学における新しい謎の一つであると筆者には思える.火山活動がおさまり研究者が上陸すれば,今回の活動の溶岩 も採集が始まる.その溶岩からBowenの地道な人工マグマ晶出実験からはや100年近く,安山岩をめぐるあらたな岩石学のブレークスルーが今後発展することを期待したい.

この稿,JAMATECニュースhttp://www.jamstec.go.jp/j/jamstec_news/20140612/
http://www.town.shodoshima.lg.jp/oshirase/tyoutyou-semi/PDF/isinosinpo-tatumikyoujyusiryou.pdfに拠った.

---錬金術のあらゆる幻想的な話(<黒の術>は地下への下降,<白の術>は放電)は,単なるシンボルにすぎない------「フーコーの振り子」ウンベルト・エーコ著 


試験に出ない地学Series2015年初夏天気異変編  「デカン高原の洪水玄武岩」


 昨年秋に,地学教育の国際学会でインドに出かけた.その学会に付帯する野外巡検でデカン高原の中心部を旅した.デカン高原は世界で最大規模の洪水玄武岩の模式地の一つである.洪水玄武岩はデカン高原のほかにシベリア,南アフリカ,米国コロンビア川沿岸などで知られている.洪水玄武岩と呼ばれるのは,何よりその噴出の規模の大きさ(デカン高原噴出した玄武岩の面積は日本の1.5倍もある)と,その噴出した溶岩が数百kmにわたって,水平に洪水のようにゆるやかに流れたという流動性の良さから命名されている.さらに,このデカンの玄武岩は噴出した時代ちょうど,中生代白亜紀の終わりと次の新生代第三紀の初めの時期にまたがっている.そこからこの地球規模の大噴火が,気候や大気に影響を与えて恐竜やアンモナイトを含む中生代の数多くの生物の絶滅につながったとい生物大量絶滅(mass extinction)の原因としての「火山噴火起源説」が出てくる.1980年にAlvarez親子らの隕石衝突説が登場し一世風靡してからは,この「火山説」はやや旗色が悪くなりつつあるのもの,未だに強硬にこの説を主張する研究者も複数いる.

  現在の火山活動からは想像もつかないこのような大規模な火山活動が地球の歴史で何度か生じている理由はなぜか.世界の火山や岩石の専門家がこの謎に挑んで いる.デカン高原の玄武岩を詳しく調べたある研究によれば,その玄武岩を作ったマグマはマントルが直接溶けて上昇するというメカニズムでは説明できない 様々な問題をふくんでいるという.むしろ何らかの地殻物質とりわけ海洋地殻の一部が,マントル内で何らかの原因で大量に溶けて生じたという特徴を含むそう である.そうすると膨大な洪水玄武岩をもたらしたのは,海溝部で大陸プレートの地下に沈み込んだ海洋プレートの一部ということになる.熱いマグマを生じさ せるためには,海洋の底でたっぷり水を含んだ海洋地殻が必要であったというのは何か皮肉なようにも思える.しかし海嶺から噴き出してはるかに時を越え,や がて海溝下に沈み込んだ岩石がやがてマントル内で再び溶かされて,また地上に戻るという壮大な話は地球科学における興味深い輪廻物語のようにも思えてく る.

 何層にも積み重なった玄武岩の大地を古代の人々が刻んだ石窟寺院の跡がその山中に残されていた.狭い谷間の寺院は競うように洪水玄武岩の溶岩を水平に掘って造られている.この谷だけで実に34の石窟寺院が残されている.暗い玄武岩をひたすら手で掘りすすんだという寺院の内部の構造,さらに内部の壁には精緻に刻まれた仏像などの像が次から次へと作られた時代ごとに出てくる.まるで古代の宗教空間に迷い込んだようなそのほの暗い空間は,我々の近代文明という垢にま みれた感性を一旦リセットするのにふさわしい空間でもあった.興味深いのはその様式が古代仏教からはじまり,現在全盛となるヒンズー教,さらに極端な苦行 禁欲主義をとるジャイナ教へとわずかな場所の違いで変化していくことにある.一体誰が何のためにこのような荘厳な遺跡を残したのか.そしてその遺跡が破壊 を免れ現在も静かに残されているのか.インドという国の計りがたい奥深さを感じた瞬間であった.中央のヒンズー教の寺院の中心には,世界をつかさどる破壊 の神「シバ神」の彫像があった.思ったほどの荘厳さはなく,像の前でおどけて写真のポーズを撮る地元の少年が印象的であった.今でも恐竜が「火山噴火」で 滅んだという説を唱える専門書には,このシバ神像が載せられている.果たして恐竜を絶滅させたのは本当に「シバの神」であったのかどうか?寺院の建立の謎 とともに,今日の地球科学の最大の謎の一つがまた深くなっていくのを,その時感じていた.

-----監視カメラから抜け出した 革命家達は今どこに 国境の河を渡る時 ためらったロバは天国に-----詩:菅原卓郎 曲:滝善充 「9mm Parabellum Bullet Battle Marchより

試験に出ない地学Series 2014年木枯らし暖冬編 −アフリカと「蟻塚」の地球科学− 

 

 私はこれまでに2度アフリカを訪れた.1度めは2002年, 南アフリカの豊富な地下資源の各種鉱山を巡る地質巡検と,そのあとの知人を頼って立ち寄ったザンビア.そして2度めは4年前の夏,まだサッカーワールド カップの余韻も冷めやらぬ南アフリカ再訪.そのいずれでも得がたい体験をしたが,やはりもっとも印象的だったのは動物の住処に人間が車で入って行って,生 きた動物の生態を見学するサファリと呼ばれるツアーだった.動物のことはあまりここには書かないが,動物園ではない自然の猛獣たちの息吹をすぐ側で見れた のは,とても貴重でかつ感動的な体験だった.夜真っ暗な空に南天の銀河や南十字の星々が架かる下,暗い森の中に現地ガイドのかすかな懐中電灯の光の向こう のインパラの群れのあえかに緑に光る目の色は今も忘れられない.
 またアフリカの人々の素朴さにも感動した.ザンビアでは普通に泊まれば1泊300ド ルは下らない欧米観光客向けコッテージホテルで,我々の世話や夜のツアーの案内をしてくれた親切なホテルの従業員を乗せた,我々の空港に向けた送迎ジープ は途中の地元の村で彼を下ろした.村には電灯線もなく,彼が帰って行ったわらぶきの粗末な住居が立ち並ぶだけだった.彼を降ろしたあと村はずれの空港を目 指す道すがら,それらの粗末な住居から夕食の支度であろう煙が一斉に立ち昇っていた.その煙を見てあまりの素朴さに私は思わず涙をこぼした.こんな質素で 素朴な生活が営まれているところが世界にはまだたくさんあるのだと.それが私のアフリカの原体験として今も忘れられない.
 さて,アフリカでのサファリツアーの折,私の興味はやはり地層や岩石にも向けられた.大陸移動でバラバラになったゴンドワナ大陸の中軸部を構成する花崗岩とその亜流の岩石.そのピンク色の酸化鉄が物語る数10億年の風雨にさらされた年月.そしてその丘から遠望する双眼鏡の視野にひときわ背の高いキリンの首.そして観光客が満載の車を釘付けにしている,道のすぐ側の木陰で休息中のあくびをしているライオンの夫婦----
 そんな中でサバンナの各所に,にょきにょきとまるで人工物のように盛り上がる褐色の土の塔に気がついた.大きいものは人の背丈ほどもある.ガイドに聞くと「蟻塚」だという.土中に生息する数百万匹のシロアリがせっせと地表に土を運び作り上げた彼らの巣なのだという.
  ところがこの蟻塚がしばしば地学の話題に出てくる.アリは地下からせっせとこの塔の材料である岩石の粒(鉱物)を運び上げる.ボツワナのダイヤモンド探査 のときは,めったに見つからないダイヤモンドではなくガーネット(パイロープ)を含む蟻塚が探されたのだという.パイロープは高圧鉱物で,しばしばダイヤ モンドの生成する環境下の高圧条件で作られる.ダイヤモンドを探すにはまずありふれたパイロープを探せということになる.また蟻塚はしばしば,ジルコンと 呼ばれるこれまた風化に強い硬い鉱物を含んでいる.ジルコンは化学的性質からウランには富むがあまり鉛を含まない.ところがジルコンに含まれたウランは 放っておくと,放射性崩壊を経て鉛に変わる.いわば天然の「錬金術師」なのだ.そこでそのジルコンに含まれるウランと鉛の量比を調べることで,まるで砂時 計のように,そのジルコンが生成された年代がわかる.また極めて強靭な結晶構造から,とてつもない長い年代を経ても壊れずに砂の中に残される.先カンブリ ア時代の遠い地球の黎明期の様子が,この蟻塚などのジルコンの研究から分かってきたのだと2002年の鉱山を巡る地質巡検に同行した熱水鉱床の若い研究者から聞いた.
  ともあれ,2度めの南アフリカ,クルーガー・ナショナルパークでの地質兼サファリツアーの折,地元ガイドの白人運転手兼地質学の博士号を持つ巡検ガイドの Dさんは,我々に動物をより身近に見せようと,ヒュンダイの箱バンの両サイドのドアを開けっ放しで公園内を走行していた.我々は開け放した扉から動物の写 真を撮るのに夢中になっていた.ところがそのとき,運悪く通りかかったパトカーに捕まってしまった.我々を停車させたパトカーからゆっくり歩いてきた2人 の若い黒人警官が丁重な英語で,「ここでは動物が飛び込んできて極めてデンジャラスだから,ドアは閉めて走行することが法律で決められている.あなたはそ の法律に違反した」と言う.我々は運転手の罰金を何とか,まけてもらおうと必死で弁解し交渉したがダメだった.私はそのとき,この白人ガイド氏には悪かっ たが何とも言えない静かな感動に満たされた.あの悪名高かったアパルトヘイトの撤廃からはや20年.やっと当然のように教育を受けた若い世代の黒人警官が,かつてこの国の支配者であった中年の白人のドライバーに,何のてらいもなく交通違反反則切符を切れる時代がとうとうやってきたのだ!--そんな歴史の移り変わりをそのときも蟻塚は背後で無言で静かに眺めていた---

The greatest glory in living lies not in never falling, but in rising every time we fall.----- Nelson Mandela "Long Walk to Freedom (1995)" より.

試験に出ない地学Series 2014年暖秋 番外編 私の「ミラクルインディア」紀行(これは試験には出していなかった?)

 インドは どうしても行かなければならなかった.大陸移動前のゴンドワナ大陸の破片と,恐竜を絶滅させた主原因と「火山論者」が唱えるデカン高原の洪水玄武岩を見る までは死ねないと思っていた.もとより様々な都市伝説は流布していた.3日滞在すると腹を壊す.電車は屋根まで満員.人を見ると嘘つきと思え.などなど. そのほとんどは当然伝説に過ぎなかった.しかし,この目で見なければ解らなかったものも多い.旅行前の会議ビザ取得のための格闘をやっと終えて,静かに始まった2週間の旅行はまさに「ミラクルインディア」そのものであった.インドから帰ってきて,誰もに「インドどうだった?」と聞かれた.私は「日本にないものがすべてある」「日本が見失ったものがまだ残っている」と答えることにした.

 学会3日目,ゴンドワナ大陸の破片の上に広がるハイデラバード市外の花崗岩の地質基盤を訪ねる1日巡検に出た.25億年の時を刻むピンク色の巨晶花崗岩やそれに貫入されたより塩基性の黒いゼノリス(捕獲岩)の構造に感激しながら,デラックスバスで帰途についた.休憩に立ち寄ったレストランとかで地元の人たちに囲まれて一緒に写真を撮られることが多くなる.外国人観光客がまだ珍しい国なのだ.帰りのバスで隣り合った学会ボランティアの男子大学院生に,1時間滔々と人生に関する哲学的自説をインド英語で説かれる.思想と宗教はこの国の血であり肉である.とその時感じた.ホテルに近い新市街には,マイクロソフトのインド法人巨大な四角いビルと広大な敷地.ゲートの数は優に4つを数えた.別名ITバードの整備された道路を車とリキシャと単車と人が行き交う.しかしこの日までは大学と5つ星ホテルの往復がほとんどで,それほどカルチャーショックを感じていなかった.

 学会最終日,半日観光ということで,小さなバスで市のはずれの古い由緒ある城のような砦(Fort)を訪ねたあと,狭い旧市街を巡った.交差点にあらゆる方向から車がリキシャが単車が人が,そして犬や時には牛が迫ってくる.バスの警笛は鳴りっぱなし.見ればバスの扉も開きっぱなし.信号のない交差点に殺到する交通がしかしなぜか,混沌としたままうまく流れていく.

 Too many people. Too much traffic-----.しばらく声をのんで交通の行く末をみていて,ふと気づいたことがあった.混沌のなかに流れる不可思議なルール.これと同じものをどこかで読んだことがあった.複雑系の本に書かれていた『自己組織化臨界現象』.私がハイデラバード旧市街でみた交通はまさにこの典型例だった.個々のエージェントは近隣との簡単なルールのみで動きを決定する.しかし全体として,中央制御なしでもシステムの秩序は自発的かつ低エネルギーで保たれる.私の頭のなかにすでにこの交通システムを計算機で再現するシナリオができ始めていた.

 市内に戻るバスはさらに平日午後の旧市街の隘路を警笛とともに巡る.次第にヒジャブや黒いグルカの女性が増えてくる.男は白服白帽が目立ち始める.紛れもなくムスリム地区のまっただ中.これがインドであることを忘れそうな界隈.BEEF SHOPの看板を見つけ瞠目.目的の市中心部の4本の塔を巡るときには,コーランを朗詠するサイレンのような音楽があたりの夕暮れに溶け込み始めた.帰りのバスは再び喧騒とした市街を駅に向う.バスの窓にバイク,電化製品,服飾,工具,食器,金属材料,日用雑貨---無限軌道のように,次から次へ物を売る店が続いている.こんな規模の大きな商店街を私は見たことがない.Too many shops. この街にはショッピングモールがほとんどない.対面販売の店ばかりで値札がないので,観光客は買い物に困るようにできている.

 最後の5日間,待望のデカン高原の地質巡検に出かけた.英国,米国,イタリア,ドイツ,ブラジル,そして日本の計10名.まず夜行寝台列車で西北へ10時間.駅のプラットホームにはおきまりの犬まで歩いている.マイクロバスで出かけたのは,3世紀以来数百年にわたり山中に築かれ,そして放置された『エローラ石窟寺院.洪水玄武岩の溶岩流を切り出して見事な洞窟寺院が刻まれている世界遺産.卑弥呼の時代の古代インドの芸術的な建築に目を瞠る.仏教,ヒンズー教,ジャイナ教と狭い空間に多様な宗教遺産が共存している.まさに多様なインドの見本市のような所.玄武岩に刻まれた在りし日のラーマーヤナの碑文と神々しいシバ神の像に,ここはひょっとするとあの世なのかとほほを思わずつねるような感覚に陥った.

 デカン高原の中心部,溶岩流の丘にずらりと風力発電の風車が並び,近くでは田舎の街のたたずまいがずっと続く. Too many people 祭りの格好をした老若男女が楽しそうに集う.道路際の随所に水道工事用の大きな土管が放り出されている.あの「どらえもんとのび太」の仲間たちが1970年代を遊んだ公園に必ず置いてあった土管だ.日本で最近みないと思ってたらちゃんとインドに置いてあった.

 デカン高原の一番重要な溶岩流の露頭で撮った私の写真は,わざわざ高い1眼レフと超広角レンズを持っていったのにほとんど使い物にならなかった.精緻な日本の技術者がISO=12800というおよそ日常生活では使わない高性能な機能を盛り込んだために,勝手に設定を替えた高級カメラはザラザラの1000円で買えるカメラ以下の画像しかさないただの箱になり果てた.iPhoneが売れて日本のデジカメがなぜ売れないか今度こそよくわかった.

 巡検最終日,案内者の女性地質学者がここをぜひ見せたいと1000mの 標高差でアラビア湾に屹立するデカン高原の西の端の崖に案内してくれた.残念ながら雨季の最後に計ったようにこの場所でだけ強い雨に見舞われた.雲がなけ れば素晴らしい崖の展望がここから見えるのにと,彼女はまるで自分が悪いかのように落ち込んで申し訳ないと謝った.いえいえ,これでもう一度インドに戻って来なければいけない理由ができましたよ,と私はふとほほ笑んだ.その後バスは渋滞で遅れた時間を取り戻すために,無事に帰れたのが不思議なくらいのクレージーな運転で我々を駅まで届けた.夜行寝台列車はまた歩くような速度でハイデラバードに向け出発した.

 帰国便に乗る空港でもひと悶着あった.30kgぎりぎりまで岩石サンプルとハンマー,さらには手作りの電子回路までを詰めた私のバゲッジが空港のセキュリティで疑われた.係員に呼ばれて空港の待合フロアからエレベータで立ち入り制限エリアに直行.バゲッジを開けて説明し疑念を解いた.責任者が疑ってすまなかったと右手を差し出して握手を求めた.パキスタンと戦争状態の国だったことをその時思い出した.

 シーユー・ミラクルインディア!

 次 に来たときにもまた単車の4人乗りに出くわすのだろうか?わずか千円ほどのチップで感動してわざわざみんなをバスで自分の粗末な家まで運んで家族と合わせ てくれた,子供2人を育てるガイドの若者は元気にしているだろうか?そして食べても食べてもまた新しいメニューが出てくるカリー天国の食事はまだ永遠に続 くのだろうか-----.(この稿続く)

 われは一切万物を遍歴せり,張られたる天則の糸を見んがために.そこにおいて神々は不死に到達し,共通の母胎に向かいて立ち上がりたり.-------岩波文庫「アタルヴァ・ヴェーダ賛歌」ヴェーナ(見者)の歌より



試験に出ない地学Series2014年暖秋終了編-----「銀杏(Ginkgo biloba)」に寄せて

  今年の秋は暖秋気味の日々から,突然気温が降下したので,特にここ数年になく紅黄葉が美しかったように思う.なかでも都市の街路を飾る銀杏の煙るような黄 色の色彩パターンは,晩秋の街路の季節感をいやがおうにも高めてくれていた.東京大学もまた東京都も奇しくもロゴマークに銀杏の葉を採用している.その ルーツは徳川家の家紋にまで遡るとも言われる.
 銀杏は「生きた化石」としても名高い.その基本構造ははるかにジュラ紀から変わっていないという.植物分類学的には,イチョウは,一種だけでイチョウ網,イチョウ目,イチョウ科を構成し,学名は,Ginkgo biloba(ギンクゴ ビロバ)となる.元々,ジュラ紀から白亜紀にかけて恐竜の興隆,裸子植物の繁栄とともに一世を風靡し,17種を数えていたのが,被子植物の進化にも押され,第四紀の氷河期に入る170万年前には,現生のただ1種を残して絶滅したとされている.しかし実際の銀杏は1691年 に日本で見つかるまで欧米諸国では絶滅したと信じられていた.ところがオランダ商館付の医師として長崎の出島に2年間滞在し,将軍綱吉にも謁見したドイツ 人のエンゲルベアト・ケンプファーが,日本滞在ののち,種子を母国に持ち帰り,ヨーロッパで植林.世界に再び広まるきっかけを作ったことは余り知られてい ない.さらに彼の遺品のうち,日本について書いた『日本誌』はその後の欧州知識人に影響を与え,19世紀ジャポニスムにまで繋がったともいう.
 その日本で再発見されたイチョウであるが,他の多くの植物の記載がある「古事記」「古今和歌集」には意外にもその記載がなく,そのことから,日本に中国の一部地域で生き延びていた銀杏が持ち込まれたのは,そのはるかあとの14世紀後半だとも考えられている.現在では都市の風景にかかせない銀杏の並木ではあるが,その由来には興味深い話が多い.
  銀杏(ぎんなん)の独特の悪臭と裏腹のその実のほのかな甘さは,たった1種ではるかな地質時代を生き延びてきた植物のどんな凶悪な環境にも耐えぬいた生物 としてのロバストネス(強靭さ)とフラジャイル(脆弱さ)の諸刃の剣を示しているのかも知れない.その環境に対するタフネスさは,放射線に対しても示さ れ,広島で被曝した6本のイチョウは,すべてが破壊された風景の中で屹立し,花を咲かせ種子を保ち続け今に至っているという.
  植物としては異例の生殖行動も殊更ユニークである.雌雄異株で,初夏に雄花から風で飛ばされた花粉が雌花の胚珠に到達すると,花粉内から2個の精子が泳ぎ だし,その1個が卵細胞と受精し,成長して種子となる.精子によって生殖を行うのは裸子植物でもイチョウとソテツ類のみだという.さらにそのユニークな生 殖行動の発見者が共に日本人というのも何かの因縁か.それにしても地質時代の進化の妙の真骨頂を保存したまさに「生きた化石」を地でいく不思議な植物でも ある.
 銀杏の効能としては落ち葉として,地上にたまったときも生きているときも,葉の水分の含有量がほかの落ち葉より格段に多く,火が付きにくいという性質がある.このため昔から寺院や神社を守る杜の木として銀杏が珍重されたとも言われる.1923年の関東地震では,多くのイチョウの木に囲まれた寺院が,地震後の大火の猛威から守られた.またGinkgo abilityで 検索すると,幾つかの血小板凝集を防止する機能とか,それによる血流促進とかの薬の宣伝も出てくる.さらに葉のエキスはアルツハイマー認知症の対症薬剤と して認可されているものも欧州にはあるという.ただ昔から食べ過ぎは子供が中心であるが中毒になるともされ,薬と中毒の両面からの研究がさかんに行われて いるという.
  ともあれ,フライパンで炒っただけの銀杏(ぎんなん)の殻を歯で噛んで開け,中のあつあつの身をほうばるあの幸福感は,まるで恐竜時代の最後の晩餐の再現 か,あるいは大絶滅を生きのびてきたしぶとい植物の不思議な遺伝子の味を確かめるようで,地質時代の進化の歴史を内包した和食の素材の素晴らしい一品とし て推薦したいけどどうかな.
 
 (この稿のモティベーションと内容は毎日新聞余録,広島工業大学WebsiteWikipedia,またhttp://www.oregon.gov/odf/urbanforests/docs/featuredtreeginko.pdf などのネット上の文献に拠った)


 ---17歳は、星か獣になる季節なんだって。今日、やった英文読解にね、書いてあった.」---最果タヒ『星か獣になる季節』より.

試験にでない地学Series2014年エルニーニョ梅雨明け編 ---悪魔の星「アルゴル」パラドックス---

  秋の北天高く,天の川の中にあるペルセウス座のβ星は「アルゴル」と呼ばれている.中世アラビア語の悪魔という意味から来ているという.これはこの星が周期的に1等以上減光するため名付けられたという.この星を最初に仔細に観察したのはイギリスの18歳の少年グッドリク.生まれつき耳や口が不自由だったにもかかわらず彼の星への情熱は周期的なアルゴルの変光の謎を解き明かす.彼はのちに書いた論文で,アルゴルが食変光星であることを予言.やがて1889年スペクトルの周期的な視線速度変化から彼の推測の正しさは証明され.そのやや中央部の浅いM型の光度曲線はアルゴルの伴星主星の前に立ちふさがり起こす食や,裏側に隠れる運動を見事に表現している.変光のなぞはこうして解けたけれども,新たな謎がすぐに浮かび上がった.20世紀になり,セレニウム・セルなどの新たな測光観測の機器が開発され,これによる詳細な観測の結果,主星,伴星の公転周期,質量や半径といった諸量の決定と同時に,スペクトル型も決定された.これによると主星は,質量が太陽の3.7倍でスペクトルがB8型.伴星が質量0.8倍でスペクトルがK型の準巨星であることがわかった.これがさわぎをもたらす.当時ようやく詳細がつかめ始めた恒星の進化論にこの事実はまったく相反する結果であったからである.

先に進化したはずの星の方が質量が小さいという矛盾.このパラドクスを最初に解き明かしたのは,1955年コパールやクロフォードといった人たち,昔は伴星の方が大きかったという突拍子もない仮説を唱える.しかしこれがその後のコンピュータによる数値計算で立証された.今ではこれら近接連星における,ロッシュの限界という双方の重 力圏を越えた物質の移動の様子が見事に再現されてきているという.まるで手品のような物質のやり取りにより,その姿や大小すら変えていく連星の不思議さに 驚く.全天一の明るい恒星シリウスの伴星(白色矮星)の起源もそのように考えられ,エジプトかどこかの記録にかつてはシリウスは赤かったという記述があ り,それはこの伴星が赤色巨星の頃を示しているのだという説もあったらしいが,これはやや眉唾だとされている.それにしても,結果として小さな星の方が,先に成長した大きな星を食べてしまいいつ しか立場が逆転する.これは弱肉強食が世のならい(グローバリズムともまた「べき乗則」ともいう)の今日にあって,なお,小さな国や組織の生き残る戦略を 我々にさし示しているように思えて興味深い.

 このように連星にはまだまだ尽きない謎がありそうだが,これらの連星は我々からみて,たまたまその公転方向が我々の視線方向と平行に近かったという偶然がその発見につながっていることを忘れてはならない.それらの偶然発見されている連星以外にもまだまだ我々の知らない様々な形態の連星がその謎を紐解かれる日を待ち望みながら,今日も人知れず空に輝いているのかも知れない.

この稿,http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1993/pdf/19930611c.pdfを参考にした.またアルゴルやシリウスに関する興味深い今回の話のきっかけは大阪教育大学の定金晃三先生より紹介いただいた

-----結局のところ,人は腹を決めるための時間が必要なのだ.「情報が必要だ」というのは実は「時間が必要だ」と言っているだけなのだ------  山形浩生「新教養主義宣言」より


試験に出ない地学Series 2014年爽快初夏編 -----「リチャードソンの夢」-----

 クエーカーとしてまた平和主義者として育ち,英国気象庁に就 職したリチャードソンは第一次世界大戦に良心的兵役拒否者として兵士ではなく,戦場から負傷者を運び出す看護兵という形で軍務につきながら,今日の数値予 報の元になる考えを練っていた.彼はかつての泥炭中の水の流れをモデル化した経験から,大気をルービックキューブのような直交座標の格子に分割し,その格 子点で,気温,風,気圧などの大気を表す変数を記述し,t=0の時点の初期値を与えて,あとは有限差分法でΔt秒後の変数を次々に数値的に解いていくという手法を考えた.この方程式は当時ノルウエイの気象学者ビヤクネスが流体力学を大気に応用する目的で提唱したものであった.

彼は手始めにドイツを中心とした一辺1000kmの正方形の領域を縦横,さらに高さ方向にも5個ずつに分割し1個の格子が200km四方で高さが2〜5kmという合計125個の格子を考えた.高さに差があるのは,低い部分で細かく分け,上空に行くほど粗く分けたためで,これは上空の気圧の変化に呼応して各格子が同じ重さの空気を含むように配慮したためである.この時期,ビヤク ネスからヨーロッパ各地の観測気球のデータをもらった彼は,これを初期値として6時間後の大気変数(とくに気圧)の値を計算しようとした,変数の数は数百 もあり,方程式の数も多かったのでその計算は筆算としては桁外れの苦労であった.しかし彼はそれを軍務の合間の兵士用の宿舎で行なっていたというから驚 く.しかも苦労した計算用紙は戦争の途中で後方に送られたものが一旦紛失し,数カ月後に石炭の山の下から見つかるという奇跡まであった.それほど苦労して 計算したにもかかわらずこの計算による気圧の変化は実際の100倍 も異なる数値であった.また大気のたった6時間後の計算に6週間を優に要するという有様であった.彼は架空の計算工場を夢見た.それは体育館のような大き なスペースにコンピュータと呼ばれる人々が計算尺を手に,格子の配置で陣取り,中央の指揮者の号令にしたがって一斉に計算を実行するという途方もないシス テムであった.もちろん人力でこれがなされることはなかった.

その後,リチャードソンの学問の目的は気象学から離れ,紛争 の心理学をモデル化するという分野に変わった.元々の彼の平和主義が戦争翼賛へと向う当時の科学界の流れを嫌ったのかも知れない.しかしこの「リチャード ソンの夢」はやがて真空管を用いた電気式の計算機によって実現される.しかも彼が嫌った戦争遂行の最たる科学であった最先端の熱核爆発の非線形力学を担っ た天才ジョン・フォン・ノイマンがそれを推し進める.彼が開発した計算機と原子爆弾の流体力学がその主力であったのは歴史の皮肉である.ビヤクネスが当初計算に使おうとした7つの方程式は,ノイマンが雇った新進気鋭の数学者チャーニーによってたった一つの方程式に置き換えられた.1950年に北米の数値天気予報として実用化され,まだ当時は24時間予報の計算にちょうど24時間かかるという有様であったが,やがてその数年後ついにワシントンDCの暴風を正確に予報し経験に頼る予報官を打ち負かせた.この結果に触発されて当時米国気象庁にいた眞鍋淑郎は同僚のスマゴリンスキーと地球規模の大規模な3次元全球大気モデルの構築に立ち上がる.このモデルはやがて全球結合モデル(Global Coupled Model,GCM) と呼ばれ,現在の気候変動の揺るぎない予測モデルとして「地球温暖化」の予想などに煩雑に使われるようになる.リチャーソソンは晩年,マンデルブロの「フ ラクタル」の発想の基礎となる,海岸線の長さの推定も行った.しかしそれは当時の学会からは無視されたという.学問的には不遇であった早すぎた天才リ チャードソンの名は現在ヨーロッパ地球物理学会の栄誉である「リチャードソン・メダル」として残されている.

リチャードソンの夢はこのように今日実現したかに見えるが,実はその初期値の設定において,わずかな初期値の違いが計算結果の著しい発散を招くという「カオス」の発見により,また新しい展開を迎えている.この話もまたいずれ稿を改めて書くことにしたいこの稿,DAVID ORRELL著「The Future of Everything」を参考にした).

-----博士は笑った.「歴史学だけは学ぶな.支配欲に取り憑かれた愚か者による殺戮を,英雄譚にすり替えて美化するからな」-----『ジェノサイド』高野和明著より


試験に出ない地学Series 2013年木枯らし編 「大きな数について −地学と経済のふかーい関係,あるいは人間原理−」

  地学には大きな数字が登場することが多い.例えば地球が誕生したのは46億年前だから,4.6かける10の9乗年.天文学的数字などと言わ れる宇宙の果てまでの距離は137億光年,kmに直すと1光年はアバウト10の12乗kmだから,宇宙の果ては1.37かける10の24乗kmとなる.一 方ミクロな場に目をやると,アボガドロ数は,6.02かける10の23乗となる.

 こんな莫大な数は確かに自然科学にはよくでてくるが,さすがに歴史や経済の世界には顔を出さないだろうと思っていたら,驚いた.高安秀樹さんという「経 済物理学」という新たな分野を研究する人によると,ハンガリーという国のペンゴと呼ばれた通貨の価値が第2次大戦後の1946年,たった1年の間に驚くべ き低下をみせ,物価が10の30乗倍,つまり100億の100億のさらに100億倍になったという.ドイツの第1次大戦後のハイパーインフレーションも有 名であるが,このハンガリーのインフレは底が抜けている.結局このインフレは金本位制に裏付けれた新たな兌換通貨であるフォリントの導入によってやっと終 息する.このハイパーインフレーションの特徴は最初のインフレはマイルドで,物価がきれいな指数関数に沿ってゆっくり上がって行くのだけど,あるところか ら急に物価の上がり方が極端になる.その上がり方もまた数学できれいに近似できて,指数関数の指数がさらに指数関数で増大するという関数になるという.つ まり物価が2倍になるのに最初1ヶ月だったのが,1週間となり,やがて2日で2倍になると加速していくという凄まじいインフレだという.

 閑話休題.大きな数の数え方はさすがに中国,インドがすごい.億の上は兆,兆の上は京,さらにその上はーーー恒河沙,阿僧祇,那由他,不可思議,無量大 数と続く.華厳経ではもっと大きな数まで定義されているという.さすがに次のお釈迦様が衆生を救うために56億7千万年のちに現れると豪語する世界だけあ る.宇宙論の仮説にも大数仮説large numbers hypothesisというのがある.物理定数から求められる無次元数に10の40乗(またはその2乗)という数が多く現れることにポール・ディラックが 1937年に気づいた.

    陽子-電子間の電磁気力と重力の強さの比

    宇宙の年齢と光が陽子の半径を進む時間の比

    宇宙に存在する陽子と中性子の数

などがその数になる.これは偶然の一致とは考えられないというのが,ディラックの主張である.さらにこの考えはやがて,この宇宙が創生以来そのような微妙 なチューニングを経て「人間を誕生させるために存在する」と考える「人間原理」(Anthropic principle)につながる.これとそのような原理を許さない「宇宙原理」(Cosmological principle)との熾烈な争いについてはまたいずれ---.

 こんな膨大な数や,反対に「刹那」のような極小の数と付きあうには指数や対数を考えるしかない.しかしその表現をもってしてもなかなか太刀打ちできない ハイパーインフレが人間社会が作り出した市場経済という魔物の関係のなかから出てきたのは,それはそれでとても興味深いと思われるがどうかな?ときあたか も,アベノミクスという新たな打出の小槌が,新しいこの国の経済の潮流を形づくるかに見える.しかしこの流れが本当に実体経済として波及するのか,あるい はかつての「永久機関」のように,単なる幻想に過ぎないのか?自然科学の立場から見ると私にはとても興味深いものに思えてくる.この決着には56億年も要 らない.地球温暖化論争と同じでせいぜい10年か20年待てばいいということで,私もまだその時までは生きさせてね.(この稿のインフレの話は「経済物理 学の発見」/高安秀樹著,光文社新書などに拠った)

------複雑系は分権が進んだ民主主義に似ている.その決定は,局所的に行われた数多くの選択の最終結果なのだ.一方,常微分方程式は独裁政治である.物理システムは中央からの法則に抵抗することなく従う.-----明日をどこまで計算できるか?「予測する科学」の歴史と可能性/デイビッド・オレル,太田他訳,早川書房より


試験に出ない地学Series 2013年ON-OFF気候の秋編 −「竜巻研究に命を捧げた無法松の一生」−

 近年,日本ではそれまで稀であった竜巻による被害が,関東地方を中心によく報告されるようになった.地球温暖化による異常気象と言うのは簡単であるが, 竜巻の発生原因は未だよくわからないことも多い.その竜巻の本場,米国で早くから竜巻研究に従事し,竜巻の大きさを示すFスケールに名前が冠された藤田哲 也博士は意外と日本では知られていない.今日は彼の物語をお贈りする.

小倉生まれで玄海育ちと言えば,古い映画「無法松の一生」でお馴染みのフレーズだったが,大正9年(1920年)小倉生まれの科学少年が本当に「無法松」のように当時の研究者としては珍しかった在外研究のために,米国に船出していくのを知って驚いた.

藤田少年は生まれながらの科学少年だった.中学のときは自宅の裏山の原生林に年下の弟と分け入り,未知の鍾乳洞を発見する.その研究で中学の理科賞を取っ た彼はやがて印で押したような理系研究者の道を進みはじめる.しかし若くして小学校の教員だった父親と愛情あふれた母親は他界.アルバイトで弟妹を食べさ せる傍ら,苦学してやっと大学の教員としての職を得る.明治専門学校(現九州工科大学)工学科の学生時代は地質学にいそしんだ彼も,大学教員となって初め ての調査依頼で,長崎の原爆被害の現地調査に赴く.声も出ない惨状の爆心地を巡りながら,爆発によりなぎ倒された木の分布から,原子爆弾の爆発高度を推定 する論文を書く.そうして少しずつ気象現象に興味を持つようになった彼が,たまたま英文で書いた雷雲の研究の記事に目が止まり,海外から研究のオファーが 舞い込んでくる.

やがて仕事の条件であった博士号を得た彼は,昭和28年,彼が33才の年に当時誰も考えなかった,在外研究の要員として,航空機の片道切符だけを手に渡 米.サンフランシスコに着いた時には持ち金も底をつき,気の毒に思った日系ホテルの支配人から20ドルを貸してもらう羽目に.それでも苦労の甲斐あってシ カゴ大学に席を置き研究に没頭,次第に気象学の若手研究者として頭角を現していく.

彼が研究テーマに選んだのは竜巻(トルネード).米国中南部のそれは規模も大きく,大きな自然災害として常に問題となっていた.机上に留まらず積極的に当 時ようやく実用化されはじめた航空機観測にのめり込む.命知らずの彼の飛行機観測で,次々と竜巻の詳細構造が明らかになり,竜巻災害の予測の基礎データと して活用されるようになった.その頃,着陸態勢に入った民間航空機が空港手前で墜落,多数の死者が出る事故が起こる.当初パイロットの操作ミスが疑われた が,調査に加わった藤田氏は事故当時上空を覆っていた積乱雲の関与を疑う.その過程で当時まだ知られていなかった「ダウンバースト仮説」を提唱.これを実 際に検証するため,またまた観測機上の人となる.ついにはパイロットが嫌がるところを説き伏せて,雷雲の直下のダウンバーストに突入する飛行を敢行.実際 にダウンバーストに相当する下降気流を発見する.まさに命知らずの「無法松」の面目躍如である.米国で成功し,故郷の日本に錦を飾る話もちらほら出始めた 1998年,残念ながら病魔に勝てず他界.享年78才.

彼の気象学の功績は特に米国で広く知られ,竜巻の大きさを示すFスケールのFは彼の苗字の頭文字から取られた.彼の功績にはアメリカ気象学会応用気象学賞 をはじめ多くの賞が贈られた.彼の発見したダウンバーストを未然に予測するため,気象用ドップラー・レーダーが開発され,各地の空港に配備された.彼の研 究は現在の航空機の安全運航にも大きな貢献をしている.(この稿,藤田博士の自著「ある気象学者の一生」に拠った)

―――弓坂の言葉は風に千切れて,味村の陽に焼けた耳たぶをかすめて海へ散った―――「飢餓海峡」水上勉より


試験に出ない地学Series 2013年梅雨明け編 「屋久杉の年輪と太陽面の爆発」

  名古屋大学の若い大学院生三宅芙沙さんが筆頭筆者の論文「A signature of cosmic-ray increase in ad 774–775 from tree rings in Japan」がNatureに載ったのは,昨年の6月.以来このわずか3ページの短い論文を巡ってちょっとした騒ぎが世界中を駆け巡っている.

 彼女が解析したのは,研究室近くの廊下にどかんと立てかけられた樹齢2000年を数える直径2m近い屋久杉の切り株.すでに研究用に多数の刻みが入った時代物の切り株から彼女は新たに角棒を削り出し,0.5mmと薄い年輪の間の材をひたすら薄く削り,かつおぶしのような測定サンプルを作成.複雑な処理を行って炭素だけを取り出したものを指導教官と質量分析器にかけて,数百年分の材の年輪間に含まれる14Cの量を丹念に測定した.その結果,切り株の774年から775年という奈良時代のなかば頃の年輪の部分から通常の20倍の14Cの量の増加率を発見した.この時点で過去の宇宙線の異常照射が疑われた.

 論文が出るとすぐ,チューリヒ工科大学の研究者はドイツの木材を用いてこの結果を追試し,この事件が局地的な現象ではなく汎世界的な事件であることを確認.南極のドームフジのボーリングコアからは,同じ年代で10Beのピークが確かめられた.全地球規模のこの事件が空からの異常な宇宙線照射に関わることがますます確実となった.

 問題は宇宙線の増加が一体何に原因するかということだった.最初に超新星爆発説が出たが,現在の天空にたとえば「かに星雲(1054年の藤原定家が書いた有名な超新星の残骸)」のようなものが残っていないことからこの線は消える.

 そのあと,ドイツ中世の修道院にあった戦史のなかに,「776年に赤い2枚の盾が大空を動いて行った」という記述が見つかる.これを低緯度に出現したオーロラの記述だと考えた太陽X線の研究者が,太陽フレアから放射される宇宙線量を計算するとこれまで知られている最大の1859年のキャリントンフレアの10倍ほどの太陽面爆発が生じれば,14Cの 異常を説明できることがわかった.太陽フレアはサイズと回数の関係がきれいな「べき乗則」に乗ることが知られていて,長い年月の間には巨大なフレアが生じ ても何ら問題はない.しかし現実にこのような巨大フレアが生じていた可能性を知ると,多くの太陽研究者は大変なショックを受け,その爆発の際の地球環境へ の影響を推定する研究がにわかに始まっている.

 一方,こうした年輪は気候変動の解析でも多用されている.IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が第4次報告書で人為的CO2放出を警告することになった,最近50年の温暖化はMannらが,北米杉の年輪の解析から得た,2000年に及ぶ過去の気温変動のグラフに基づく.これはのちに「ホッケースティック論争」として,IPCCレポートの真偽性が議論されることとなる.

 ともあれ,年輪という身近でアナログなデータが質量分析器という最新のハイテク技術とコラボして不思議な太陽の秘密がまた一つ明らかになろうとするのはとても興味深い.古くて新しい「年輪年代学」がその輪の由来のように.ゆっくりと着実に科学を進めていくのが頼もしい.

(この稿,大阪教育大学の定金晃三先生に教わったNHKBS番組コズミックフロント「西暦775年のミステリー 宇宙 謎の大事件」に拠った).

---『軍隊は南下し,文化は北上する』という世界史の経験則は,中国でもあてはまった.---「西太后」加藤徹著/中公新書より.



試験に出ない地学Series 2013年5月爽快編「ワインクーラーと冷水コップの水滴の秘密」

 本校卒業生で気象学が専門の小西先生に,毎年見せていただく気象の実験に素焼 きの鉢に入れた水の温度がガラスのコップに入れた水よりも下がるというものがある.素焼きの鉢の表面からにじみ出して蒸発する水が気化熱を奪い,水を冷や すのだという.同じ原理で欧州にはワインクーラーというものがあり,しばらく水に浸しておいた素焼きの鉢の中に入れたワインがしばらくすると飲み頃に冷え るのだという.水の気化熱は恐るべし.と思うとともにワインをそのように優雅に冷やして飲む習慣を持つヨーロッパの人々の生活の余裕がうらやましい.
 ところが興味深いのは,最近その気化熱の反対に,水蒸気が水に 変わるときに放出される潜熱(latent heat)が逆にコップに入れた冷水の温度を上げるという報告が最新のPhysics Todayに載った.著者のワシントン大学のDurran & Friersonによると,ふつうの350mlのアルミ缶のキンキンに冷やした飲み物(要するにビール!)を空気中に置いて,その表面に0.1mm厚で水 が凝縮すると缶全体で水の量は2.9gであり,そのときの潜熱(要するに発熱量)は,水の0℃近傍での凝結熱(約600cal/g)から簡単に計算でき て,そのアルミ缶飲料の温度を最大で4.9℃上昇させる能力があるという.その報告では普通の室温の25℃から30℃で湿度が高い条件だと,昇温の割合は 上がり,さらに極端な条件,例えば2003年7月8日にサウジアラビアのダーランで観測された気温43℃,露点35℃(露点の世界記録らしい!)だと,最 初0℃だったビールは潜熱だけで5分間で9℃にまで温められるという.これらのこの報告は何もビールの昇温だけを取り上げたのではなく,地球の気候におけ る潜熱の重要性,とりわけ熱帯における昇温への寄与を論じているようだ.これらは専門家の間でヒートアップする地球温暖化論争の科学的な根幹にも関わる部 分で今後の展開が興味深い.
 ともあれ,水というのは大変不思議な物質で,4℃という中途半 端な温度で密度が最大になるという謎がある.これは一見たいしたことはないみたいだが,実は物理学に取って大変重要なテーマでその理由はまだ解かれていな い.さらに地球上の感覚ではあまり想像しないが,火星の表面のような気圧の低い状態(約1/200気圧)まで考えると.水のふるまいはさらに複雑になり, 俗に三重点という温度と圧力のグラフにおける水の状態変化図が書かれる.このような低圧力で低温における水のふるまいの研究はまだ発展途上である.最近で はアモルファス氷という結晶質ではないガラス状の氷が発見されたり,それに関連して低温の水に2種類の状態があるのではないかという研究も発表されてきて いる(鈴木,2011).今後水という極めて身近にありふれた物質のさらに面白い性質が明らかになることが期待されている.

本稿の参考URL:http://www.physicstoday.org/resource/1/phtoad/v66/i4/p74_s1?bypassSSO=1より

「私は良さ(goodness)の哲学というものをもっています.それは数学はその内に良さをそなえていなければならないということです.」−−−サイモン・シン著青木訳「フェルマーの最終定理」の中の数学者志村五郎の言葉(彼とその夭折した同僚谷山豊により提出された<志村−谷山予想>こそがアンドリュー・ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明の基となった).


試験に出ない地学Series.2013年寒冬バイバイ編 「硫化水素とだまし絵,あるいはリスクとクスリ」

 硫化水素という物質のイメージはとても悪い.ゆで卵が腐った臭いとよく称されるこの有毒ガスは,火山や温泉のガスの主成分として時々起こる遭難事故の原 因の筆頭に上げられる.純粋な硫黄には匂いがなく,硫黄の匂いと称されるのはこの硫化水素であることが多い.この匂い,私はかつて一度だけ火山観測のお手 伝いに阿蘇山中央火口に行ったことがあったが,二酸化硫黄や硫化水素が主体のきつい火山ガスの臭いにビビる私に,火山観測の大家は「臭いがしてるうちは大 丈夫.臭いがしなくなったら脳がやられ初めているから気をつけろ」とこともなげに告げた.その後,自殺のニュースでも取り上げられるなど,数ある化学物質 のなかでも悪名を轟かせているこの硫化水素.しかし地球が創生されたころはどうだったかと考えると,むしろこの硫化水素が生命の起源に深く寄与しているこ とがわかってきた.今でも温泉地帯は言うに及ばず,はるか深海の数千メートルの海嶺の熱水噴出孔と言われる湧き出しの場所に硫化水素を栄養源として生きて いる硫黄酸化細菌類が知られている.さらにその細菌から始まる食物連鎖が,チューブワーム,シロウリガイなどのコロニーを形成する.この海の様子は実は地 球創生のころの海と似ていると考えられ,地球史における生命創生のシナリオとして専門家が数多くの論文を書いている.地球史においては,遊離酸素がほとん ど存在しない還元的な海底で,これらの嫌気性のバクテリアや生物からまず進化が始まり,どこかの段階で,酸素を取り込みエネルギーを作るという好気性の生 物への急速に転換していった.嫌気性の生物は深海底や地底に忘れ去られたまま,現在を迎えたというシナリオである.
 さらに興味深いのは,この硫化水素が微量である場合には,実は生命維持の上で重要な役割を占めていることを実証する研究が生物学の方からたくさん出てき ている.いわく腎臓の機能の一部に硫化水素がとても重要な役割を果たすとか,記憶の中枢である脳の部位である海馬の中で硫化水素が重要な役割をしていると かというニュースである.
 これらのニュースを聞いて思うのは,毒は極めて少量ではむしろ薬として作用する場合があるという有名な薬理学的経験論や,放射線は微量ではむしろ有用で あると主張する(ホルミシス)仮説などである.確かに私の日常の経験でも,猛毒な部位を身体に持つふぐは何であんなに美味なのか?とか梅の芯には青酸があ るけど梅自体はとてもおいしいとか,結構日常的に毒と食品の関係を目にすることは多い.福島の原発事故以来,ごく微量の放射線はむしろ健康のためになると いう主張とそれに真っ向から反対する側の論争もヒートアップしてきた.
 これらの議論に特徴的なのは,授業でも言ったようにその種の論争で使用されるデータはノイズレベルぎりぎりで取られた極めて数少ないサンプル数の元に議 論されることが多いことである.そのような場合には同じデータを見るときにその見る人の思い込みがすべてを決定する.有名なダマシ絵で,老婆に見えるか, 若い娘に見えるかはそのときの気分や見る人の経験や感情が大きく支配するのと同じである.この場合,私たちに重要なのは科学がもたらすデータには,時とし てこのようなどちらに見えるか専門家でも判断が難しい場合があることを充分に認識することだと思っている.データに騙されず,意図的な論争に騙されない感 性を育てることもまた,科学教育の重要な目的だと考えるけどどうかな?
 日本人はともすれば,毒や危険などの「リスク」に対する感受性に乏しい.1か0かという「リスク」を一滴も許容しないpureでnaiveなリスク回避 論がよく展開される.しかし硫化水素はその毒としての「リスク」がある場合には,生物の起源や生体維持のための「クスリ」へと転換される好例を示している ように思える.毒や危険を問答無用に「リスク」として遠ざけるか,むしろ積極的に「クスリ」として活用をはかるのか.今日はそんなことを考えてみた.
 
-----The interest to scientists has been in the nonlinearity of the dose-response.
(中略)Again,limited,low-dose poisoning triggers healthy benefits. –----
                           from "Antifragile" by Nasim N. Taleb


試験に出ない地学Series2012寒秋号 大航海時代に一世風靡した日本の銀鉱山

 日本は地下資源に乏しい国だとよく言われるが,かつてはそうではなかった時代がある.種子島に鉄砲を持ち込んだポルトガルが日本に目をつけたつ の理由が,石見銀山を中心とする当時の日本の銀資源であったとされる.島根県の石見地方に銀が発見されたのははるかに鎌倉時代に遡ると言われるが,組織的 な開発がなされたのは戦国時代,このあたりを支配した大内氏によるところが大きい.彼が博多の商人と結び中国貿易を独占的に行うなかで,中国で爆発的に増 えてきた銀の需要に目をつけたとされる.灰吹き法という独自の銀精練技術の発達は日本の銀産出量を一気に当時の世界の産出量の1/3にまで増加させた.これにより石見銀山の銀資源ははるかにヨーロッパにまで名を轟かせる.当時の古地図にすでに石見の名が刻まれ,銀の鉱山であることが示されているという.アジア進出をもくろむポルトガルにとって,銀は最高の資源と なった.中国の生糸を日本に持ち込み,対価で得られた日本の銀を元手に中国で絹織物や陶磁器,東南アジアで香辛料を買付けヨーロッパに戻るという三角貿易 がポルトガルの富を支えた.同時期日本を訪れたフランシスコ・ザビエルは日本に初めてキリスト教を伝えるが,知人への手紙の中で,日本のことを銀の島(プ ラタレアス群島)と記している.

 銀が貴重であるのは今も変わらないが,この頃はまだメキシコの銀鉱山が発見されておらず,日本の銀資源は世界の重要な供給源の1つであったのは意外である.さらに大判,小判などに用いられた佐渡などを中心とする金の産出もこの頃にピークを迎える.日本の金の歴史上の産出量はトータルで実に世界の2%を占めるとも言われる.これは世界に占める日本列島の面積から言って,十分「黄金の国ジパング」を偲ばせる量だとえないだろうか.しかし世界的に115であった金銀の取引相 場は,なぜか日本では銀の価値が高く1:5であったとされる.いぶし銀という言葉どおり,日本人は金よりもやや控えめな銀の輝きにこそ価値を見出したと考 えると興味深い.しかしそのため多くの金がこの頃外国に流出したのだという.江戸時代の小判製作用の金もこのようにして流出し,段々と質の粗悪な小判が製 造されていった
 さてこの石見の銀はもともと,このあたりで150万年前ころに活動した地下のマグマからの熱水が作用してできた熱水鉱床だと言われる.大山や三瓶山は活火山であり,この頃からの中国地方の日本海側の火山活動を今に伝えている.
 私はかつて大学の3年生のとき,島根半島の中央部で地質調査のため,暑い夏休み3週間地元の名士の家に泊まらせてもらったことがある.地質調査は石見銀山の岩石よりもさらに古い新生代中新世のグリーンタフと呼ばれる堆積岩と火山岩類を割り当てられた区画の隅々まで歩いて調べ,地図に記載していくという単純ではあるが過酷なものだった.昼すぎの太陽はとてもき つく仕事にならないので,午前の涼しいうちと,午後遅く太陽が傾いてからが勝負の時間となった.休みの日には山を越えて日本海に泳ぎに行き,誰もいない海 岸で歩くほどの深さの海底から湯のみ茶碗ほどの大きさのサザエを採って帰り,民宿で壷焼きにしてもらったこともあった.夏の太陽に焼かれてへとへとになっ て帰り着くと,泊めてもらっていた家の小学の娘2人が夏休みの宿題を持って待っていた.夕食が終わると休憩もそこそこに子供たちの宿題の臨時の家庭教師までさせられた.家庭教師が終わると夜はひまなので,遅くまで岩波文庫の「平家物語」を原文で読み通した.そのころのお世話になったこの家の家族や調査の途中で出会った村のひとびとの素朴でおおらかな人柄が忘れられない.そんな山の連なりの奥深く,今も当時の面影を残す石見銀山は先頃,見事世界遺産に選出された.日本の銀資源が世界の歴史と意外なところで結びつくのを知ってとても興味深く,また若き日の過酷な地質調査を少し思い出してしまった.

(この稿
http://www.goldxau.com/people/world.html
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol06/
などに拠った.)

----暗い海の上に燃える炎が次第に小さくなるのを見つめながら,マルコはつぶやいた.「この次我々を救ってくれる神は,どのような姿をしているのだろう」----『ユダの覚醒』ジェームズ・コリンズ著/桑田健訳/竹書房文庫の序章より(この小説はマルコポーロの逸話に始まり,シアノバクテリア,ジャンクDNAなど生物・地学の最近の話題が続出する国際陰謀活劇です)



試験に出ない地学Series 2012年 南米の最貧国ボリビアのリチウム資源騒ぎ

 ウユニ塩原は標高約3,700mのボリビア中西部に広がる南北約 100km,東西約250km,面積約12,000km²の広大な塩の固まりだという.交通の便は良くないが,観光地としては結構有名であたりには塩でで きた壁やテーブルやベッドを擁するホテルまで建っているという.「アンデス山脈が 隆起した際に大量の海水がそのまま山の上に残されることとなった。さらにアルティプラーノは乾燥した気候であったこととウユニ塩原が流出する川を持たな かったことより、近隣の土壌に残された海水由来の塩分もウユニ塩原に集まって干上がることになった。こうして世界でも類を見ない広大な塩原が形成され た。」とWikipediaにはあるがにわかには信じがたい.
 ボリビアと言えばフォルクローレの故郷.昔和歌山のさる遊園地の広場でフォルクローレの楽団が演奏するのを何気なく聴いていて,ふと涙がこぼれそうに なったのを覚えている.浅黒い肌のインディオの奏者が奏でるケーナのメロディを追ううち,はるか昔のインカの悲しい歴史やら,貧しい故郷の村から,覚えた 楽器一つで見ず知らずの外国の地まで出向き,余興の歌を奏でなければなかった彼らの心情やらにふいに心を動かされたのかも知れない.そのとき彼らの売って いたCDを衝動的に買って今でもときどき聴いている.ところがその後2008年にノルウエイのオスロに出かけた折り,オスロの雑踏でまたしてもなつかしい フォルクローレが耳に飛び込んできた.同じ楽団だったかは定かではない.それでもその歌声は昔と変わらず,立つ人もまばらな中,またしばし聞き入ってし まった.ぐずる子供をあやしていた彼らの妻とおぼしき女性の前に置かれた皿の中に思わず10クローネ銀貨を入れて立ち去ったのを今でも覚えている.
 かつてキューバ革命を成し遂げた伝説的英雄チェ・ゲバラが次の革命の場所として乗り込み,そして志なかばで戦いの中で絶命した,そんな南米の最貧国の一 つボリビアに,今にわかに騒動が巻き起こってきた.ウユニ塩原が新しい電池の材料としてのリチウム資源の宝庫であり,世界の埋蔵量のおよそ半分を占めると 分かったからだ.リチウムはなじみの薄い金属であるが,同じアルカリ金属のナトリウム,カリウムなどとは異なり反応性は低く,むしろアルカリ土類金属のマ グネシウムに性質が似るという.酸化還元電位が-3.040Vと全元素中もっとも低く,電池資源のほか,リチウム塩はうつ病など精神疾患の治療でも用いら れるという.先進国は鎬を削り,このウユニ塩原のリチウム資源を虎視眈々と狙っているという.あの物悲しいフォルクローレのメロディを生んだ最貧国が,い つか中東の産油国のようなその稀有な資源を元に豊かな国になれるのかどうか.海水中には無限にあるというリチウム資源の抽出方法との,この最貧国の運命を かけた争いになるのかも知れない.そんな夢のような話とは無縁に今日もまたどこかの国のどこかの街なかで,あのフォルクローレのもの悲しいメロディが都会 の喧騒に倦いた人々を魅了し続けていることだけは確かだ−−.

−−−「世界のどこかで誰かが不正な目にあっていたら,いつもそれを感じることができるようになりなさい」エルネスト・チェ・ゲバラ 子供たちにあてた手紙より


試験に出ない地学Series 2012年冷涼梅雨編「なぜジャイアントコーンはあつかましいのか?」

 「ブラジルナッツ効果」が専門家に取り上げられたのは2001年の Physical Review Letterという雑誌だった.ナッツ缶を開けるといつもブラジルナッツやジャイアントコーンという大きな粒がわがもの顔で表面に居座っているという身近 な現象を物理の立場から解析した論文であった.以来,これにまつわる幾つもの研究が出てきた.本来学問というのは身近な現象に隠された謎を解明するという のが目的であったはずが次第に,マクロやミクロというまるで日常生活とはかけ離れた特殊な空間や時間を扱うことが多くなったことへの反省のようなものが出 てきたのか,最近はこんな身近な現象を扱った論文がときどき科学雑誌に載るのが興味深い.一昨年もPhysical Reviewという雑誌に「コーヒーリング効果」の論文が載った.コーヒーをこぼすとなぜ,跡に茶色い丸いリングが残るのかというテーマを扱ったものだっ た.
 さて,くだんの「ブラジルナッツ効果」は意外なところで地学と関連する.例えば液状化や土石流の堆積時の逆級化などである.液状化現象が最初に確認され たのは意外と日が浅く,1964年の新潟地震のときであった.以来地震の度に埋立地などを中心に被害が報告されてきている.水を含んだ砂層が液体のように 振る舞うとされるが,礫層などでも生じることがわかってきており,また土中に埋めた構造物が浮き出てくる現象は「ブラジルナッツ効果」などとの関連が指摘 されているがまだ細部はよくわかっていない.
 土石流の堆積物というのは,扇状地などで一般的に見られる礫岩の地層を形成する.私は2006年,ノルウエイのオスロ近くの地層巡検で,見事な逆級化を示す土石流堆積物の地層を見たことがあり,案内者が確か「ブラジルナッツ効果」と言っていた記憶がある.


 
 ところがこのように身近に見ることが多い「ブラジルナッツ効果」の物理的解釈はまだ諸説林立して定説とはなっていない.扱う粒子数が多すぎて通常の数学 解は期待できず,どうしても数値シミュレーションやアナログモデル(実際の粒を用いた実験)中心となり,様々な条件設定が難しいからだと予想される.
 専門家でも手を焼くこの種の実験は,むしろ高校生が身近な現象をテーマに進める自由研究で扱うネタにあふれていると思える.そしてそんな中から,専門家も一目置くすばらしい発想の実験や新たなブレークスルーにつながる発見などがでてきたら面白いなと最近思っている.


--偉大な同時代人のなかで,ライプニッツひとりが,この奇妙に振動する不満の糸の上に丸々とした人差し指をおいた.-----「史上最大の発明アルゴリズム,現代社会を造りあげた根本原理」デイヴィッド・バーリンスキ/林訳 早川書房より


試験に出ない地学Series 2012年金環食の号 「オイルシェールと人工地震」

2002年夏にカナダのアルバータ州でバージェス頁岩や氷河地形,恐竜発掘サイトを巡る旅に出かけたおり,郊外に林立する油田のくみ上げ器械を目にするこ とが多かった.昔から油田で有名なこのあたりでは現在,油がしみ込んだオイルサンドやオイルシェールが一躍注目を浴びることになった.原油を噴きだすタイ プの従来の油田ではなく,砂や頁岩にしみ込んだ重い脂分を何らかの方法で抽出することが可能になると,この地域の地下に世界第2位の埋蔵量をほこる“油 田”が隠れていることがわかったからである.熱湯をかけたり,高温の蒸気を吹き付けたりして脂分を分離採取する手法が考案され,さらに最近ではそうして採 取した“原油”に水素ガスを注入して軽質化(つまり石油として高級化)する技術も実用の段階に入っている.
それに輪をかけて最近開発が急ピッチなのは,アルバータ州から地続きの北米ノースダコタを中心にした,オイルシェール開発の新しい波である.もともと地下 の天然ガス採掘の新技術として登場した水平抗井の掘削と「フラッキング」と言われる水圧破砕法の進展による.地下深部の圧力のかかったオイルシェールを一 気に水で粉砕して油分を分離し採取する方法は急速な発展を遂げ,現在では現地はオイルラッシュに湧いているという.低迷する米国経済の救世主として,多く の投資ファンドがハゲタカのようにこの北米の油田騒ぎに便乗しようと躍起となっている.しかし世の中,そうそう甘い話ばかりとはいかない.大量の水を用い るこのフラッキング法はその水の捨て場に困り,環境問題を引き起こそうとしている.さらに通常別の井戸を掘ってこの大量の廃水を地下に注入廃棄している が,この水が原因であたりに小さな地震が頻発するようになってきたと心配されている.これは油田だけでなく,シェールガスという天然ガスを採取する抗井の 周囲でも近年頻繁に地震が起こるようになってきた.もともと北米のこのあたりは自然地震の少ない場所であり,南東には悪名高いニューマドリッド地震帯を控 え住民の不安が高まるなど大きな社会問題になろうとしている.
天から有り難くいただいた限りある資源を次の世代のことも考え,ゆっくりと消費し残していこうとする我々の考え方と,何でもビジネスチャンスと飛びつき, 今儲かればいいと結局オーバーシュートしてしまうアメリカの考えにとてつもない隔たりを感じてしまうのだ が―――――.

---「インディアンは橋を渡らなかった」由木しげる詩集より
(騎兵隊に追われたインディアンは川に追い詰められた.そこには真新しい近代的な橋.しかし彼らは決して橋を渡らなかった.近代的な文明が作った橋を渡るより,むしろ死を選ぶ.そんなインディアンの高貴な魂にささげた大学寮の先輩の詩集をなぜか思い出した)


試験に出ない地学Seriesラニーニャ寒冬明け編 −夭折した若き無名の天文家エレミヤ・ホロックス−


 今年は珍しい天文現象が続く.5月21日の朝一番の金環食が筆頭に挙がるが,その直後の6月8日に金星の太陽面(日面)通過があることはあまり知られていない.日面通過とは惑星が太陽面を通過する現象で,金星では同じ地域の観測では約130年ごとにしか生じない,かなり珍しい天文現象である.

 この金星の日面通過を最初に科学的に観測したのが,英国の片田舎の無名の青年エレミヤ・ホロックスである.彼の生まれや詳しい生活などあまり定かではない.一説には貧しい農夫の生まれで,14才の若さでケンブリッジ大学に特待生として進むが,経済的困窮から卒業することなく1635年に大学をやめ,牧師の手伝いになったという.

その彼が天文学に名を残したのは,16391124日 に起こった金星の日面通過の詳細な観測であった.元々ケプラーがこの日両者が極めて接近することを予言していたが,彼はケプラーの計算をやり直し,金星が 太陽面を通過をすることを見つけた.予想の日,牧師としての多忙な時間を割いて,望遠鏡に投影板をつけ用紙に太陽を映すようにセット.待ち続けることしば し,日暮れまで30分に迫った午後3時すぎ彼の予想どおり,金星は黒い点として太陽面を静かに通過して行った.彼はこの通過時刻や金星の大きさから,金星軌道がケプラーの法則に従うことを確認.同時に地球と太陽の間の距離を初めて科学的に推測した.推定値は今の値の60%くらいで誤差が大きかったが,本格的な観測天文学の扉が開かれた瞬間であった.彼の金星観測の30分間は英国天文学の幕開けを告げる偉大な30分であると後世呼ばれたという.当時,孤高であったケプラーの法則は誰にも理解されず,唯一彼の偉大さを理解していたこの無名の若者,いわばケプラーからニュートンへの橋渡しを演じた,この天才はしかし神に有り余る才能を嫉妬されたのか,わずか22歳で世を去ってしまう.資料にはWe know nothing about Horrocks' death beyond the fact that it took place suddenly, on January 3rd 1641. とあるだけである.

彼の金星の日面通過の観測手法はやがて「トランジット法」として洗練され,その400年後,奇しくもNASAによりKeplerと名付けられた口径1mの望遠鏡を搭載した観測衛星で太陽系外惑星探査に応用された.視野10度角の広角シュミットカメラで30分おきに15万個の恒星の写真を精密なCCDカメラで撮り監視する.遠い恒星の表面を通過する惑星のために生じる,恒星の周期的なわずかな光量の減少を捉えるというこの手法で,打ち上げから3年ちかく,すでに2000個 を越える惑星候補が確認されている.その中にはスーパーアースと呼ばれる地球と同じような大きさで,かつ同じような距離で母天体をまわる惑星まで見つかっ ている.これらの天体に果たして生命は宿っているのか?若きエレミヤの試行錯誤のように,次の天文学の新たな挑戦が今,スタートラインにつこうとしてい る.―――そう考えると私には世間の騒ぐ金環食より,この地味な金星の日面通過の方を人知れず,視てみたいと思っている.

(この稿Web上の文献,Allan ChapmanJeremiah Horrocks: His Origins and EducationMarch 1994などを参考にした)

------それはよくある間違いであった.しかしこの日この運転手が犯した間違いは,何億という人々の命を奪い,そして世界の歴史を大きく変えることになる----「歴史は『べき乗則』で動く」マーク・ブキャナン著/水谷淳訳 より


試験に出ない地学Series2011ラニーニャ冬の陣編 『地層の縞から読み取れること』

 地層の縞模様は,葉理や層理と呼ばれる.堆積物の粒径や粒の組成の変化などが縞を形成する.したがってその縞には地層が作られたときの後背地や流速や水深など堆積環境を含む様々な情報が縫い込まれている.また時にはその縞模様は過去の時代の年輪の役目も果たす.

 2000年に西オーストラリアの6.2億年前の地層に刻まれていた縞模様を解析したWilliams2000はこの年輪のような規則的な縞模様が,それまでの太陽活動の11年周期を記録したものという解釈を改め,1日の潮の干満にともなう潮流で作られたと考えた.その大きな周期を小潮−大潮のリズム,また間の細かい縞が当時の1日に対応すると考え,この縞を含む地層をtidal rhythmite(潮汐周期層)と呼んだ.これからわかることは6億年前の1月の長さ(つまり月の公転周期)や1日の長さ(地球の自転周期)がどうなっていたかということ.同じ研究は現在世界各地で始まっていて,例えば私が昨秋,訪れた南アフリカのバーバートン地方にある砂岩のクロスラミナでも同様の研究が行われ,32億年前の1月が18日ほどであったことなどがわかってきている(Ericson2008).

 これらの過去の月の長さは月の起源と関係する.月が地球での惑星衝突から生まれたという最新の説によれば,過去の月は もっと地球に近いところにいて,速い公転速度で回っていた.また地球の自転速度も今とは比べものにならないほど速かった.ここから生じる強い潮汐力は地球 に数100mもの潮汐をもたらし,数100kmにもおよぶ潮間帯をもたらしただろうという.その巨大な潮汐力が原始生命の急速な進化を育んだという予測も立てられている.まさに我々にとっては生まれた頃の月さまさまである.

 さて増田(2005) によれば,京都の木津川の河床の洪水堆積物に人間の出したゴミが多数含まれ,食品包装物の切れ端などに記された製造年月日やバーコードなどから,このゴミ の年代が確定するという報告がある.この結果これらの洪水がどれくらいの頻度で生じまたそれによりどれくらいの地層の厚さが堆積するかが解析されるように なったという.しかし面白いことにこの方法で地層の時代を遡れるのは1960年代までだという.それ以前は地層の中に長く保存されるプラスティックなど石油樹脂がなかったのと,人間の出すゴミそのものが少なかったのがその理由だという.人間の活動が川を汚すことで年代が地層に記録されるという変な話が今後いつまで続くのかが期待というかむしろ心配.さすがに人間の出したゴミの縞模様だけは未来に残すのは遠慮したいと思うのだけど.

(この稿,増田富士雄(2005)『超高分解能層序学: 地層から読み取る「年・月・日・時」』を参考にした.)

-----「空には間違いなく,見違えようもなく,月が二つきれいに並んで浮かんでいる.黄色の月と,緑色の月」----Q84 Book1/村上春樹著より


試験に出ない地学Series10月暖秋編 −「べき乗則」と「ブラックスワン」あるいは「想定外」−

レバノンの政府の要職を重ねたほどの恵まれた家庭に育ったナシム・タレブは,しかし1975年 に始まったベイルート内戦下で,銃弾の飛び交うなか高校に通えず,自宅の地下室にあった大量の本をむさぼり読むしかなかった.パリ大学に進学した彼は数理 科学と哲学で博士号を取得.しかしなぜかその後トレーダーの道に進む.彼のスタイルは経済学を一切信じず,他のトレーダーとは逆の相場の張り方に徹底され る.そのスタイルである程度の財をなした彼は突然仕事を辞め,作家として転身を図る.彼のFooled by Randomness: 邦題『まぐれ投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか 』とその後のThe Black Swan:『ブラック・スワン不確実性とリスクの本質[][]』はアメリカでベストセラーとなる.そしてその直後,彼の予言どおり予期せぬ「リーマン・ショック」が世界を襲うと,彼は一躍時代の寵児となった.「ブラック・スワン」つまり黒い白鳥なんて世の中にいるわけがないという予想は,1697年 オーストラリアで実際に発見されて見事に裏切られた.彼はそんなことが世の中で起こりっこないと人々が信じる事象は意外と高い確率で生じる可能性があると 予見した.その際,彼が用いたのが「べき乗則」である(彼のそれまで市場経済学の主流であった「正規分布」ではなく,もっと裾野の広い「べき分布」で市場 変動を捉えようとするアイデアは,以前に本欄で取り上げたベノア・マンデルブロによりすでに気づかれていた).

実は「べき乗則」が自然科学でもっとも早く確認された分野は地震学である.南カリフォルニアの地震の大きさと個数の関係を調べていたグーテンベルグとリヒ ターは,サイズの対数と個数の対数を取ると,それがきれいな直線のグラフになることに気付いた.つまり大きな地震はめったに起こらないが,小さな地震はた びたび起こるという関係が,実は両対数グラフできれいな直線になる美しい関係だと気づかれた最初の瞬間だった.以後この法則はG−R則と呼ばれ,地震の起 こり方を考える際の唯一の物差しとなった(タレブはこれを経済現象に応用し,めったに起きない巨大な市場のクラッシュも現実には,正規分布を仮定するより はるかに高い確率で起こりうることを予言したのだ).

さてこのG−R則を日本列島の地震に適応すると,Mが1下がると個数は約10倍になる.この40年間の日本列島の地震活動ではM8の地震が数個,M6の地震はその100倍近く.またM4の地震はさらにその100倍近くというふうに生じていることがわかる.単純に考えてこの法則が成り立つなら,40年間の10倍の400年の時間を考えると,地震の数は単純にほぼ10倍 されるから,グラフはさらに大きいMの方に伸びてM9の地震が数個生じてもよいことになる.私も何度となくこのグラフを授業で紹介したが,一度たりとも, だから日本列島にM9が本当に生じるとは思わなかった.どこかに頭のストッパーが働いてそんな大きな地震が日本で発生することはないと信じこんでいたの だ.状況は私だけでなくすべての日本の地震学者がそうであった.先週土曜日,1日をかけて静岡で開かれた日本地震学会の特別シンポジウム『地震学の今を問 う』はさながら地震学者の大反省会のようになった.なぜM9が「ブラック・スワン」であることを予見できなかったのか?様々な立場からの発言があった.真 摯な反省の言葉が多く聞かれ,地震学者がとてもナイーブでまじめな人が多いということがよくわかった.

 翻ってこの「べき乗則」は地震のような自然災害のみならず,タレブの言うように経済現象さらには,歴史学(下記引用),社会学などにも応用が始まってい る.時間を充分長く取れば,様々なけた外れに巨大な現象(システムサイズのカタストロフ)が起きる可能性が生じる.それも慣れ親しんだ正規分布よりもはる かに高い確率でそれは生じる.二度と「想定外」という言葉を言わなくてもすむようにこの「べき乗則」の意味するものをもう一度きちんと勉強し直したいと 思っている.

―――ソクラテスの哲学者としての最大の業績は,皮肉にも,自分が知った唯一の事柄は自分が何も知らないことだというのを認めたことにある.――「歴史は『べき乗則』で動く」マーク・ブキャナン/水谷淳訳


試験に出ない地学Series梅雨明け節電編 −大阪層群の火山灰と破局的噴火−


大阪層群という大阪の地名を冠した地層が大阪平野の地下や,千里・泉北の丘陵地に広く分布する.戦後間もないころ,資源の乏しかった日本の現状を憂いた通 産省は大阪平野の地下に天然ガスが眠るかも知れないと考え,その地層の調査を大学に依頼した.結局天然ガス資源は幻に終わったが,その成果を受けて1970年 代のニュータウンの建設時にこれらの地層はよく研究され多くの話題を生んだ.大阪大学の校舎建設時にはマチカネワニという見事に保存された大型ワニの化石 が出てきた.これ以外にも象や二枚貝など当時の堆積環境を忍ぶ化石も多く産出する.大阪層群の多くは粘土層と砂や礫層などで,特に粘土層は海成粘土と淡水 粘土に区分され,それぞれ古い大阪湾が外海に開かれていたときと,陸に閉じられて湖になったときを示す.この海陸分布は当時の気候変動や地殻変動とも密接 に関連している.

 さらに大阪層群を際立たせるのは,その中に含まれる豊富な火山灰層にある.暑い夏の地層巡検の最中に食べていたアズキアイスバーに似ているということで名付けられたアズキ火山灰層や,水を含むと独特のピンク色が目立つので名づけられたピンク火山灰層など,全部で20数枚に達する火山灰がこの地層の層序(地層の積み重なった時系列)を見事に編纂している.鍵層としてのこれらの火山灰は大阪平野だけでなく近畿各地のこの時代の地層の時代を対比する大変よい目盛となっている.これらの火山灰の分析から,時代は300万年前から30万年前という長い時代の堆積だと分かってきた.ところが問題はこれらの火山灰が一体どこから飛んできたのかという点である.もっと新しい時代の火山灰について,やはり1970年代に町田洋さんらの手によって全国に分布する姶良Tn火 山灰(2万5千年前)が鹿児島湾のカルデラ噴火起源であると決定されて以来,偏西風に乗る火山灰の経路から地層に含まれる火山灰は基本的にその発見地より 西側に供給源を考えるのが普通になった.というわけで大阪層群の火山灰の多くも九州以西起源であるとされることが多い.ただ九州はカルデラ銀座と言われる ように,現在多くのカルデラや活火山で覆われ,300万年前に遡る昔の火山の痕跡を突き止めることは容易ではない.ともあれ,九州などを起点とする破局的噴火は大阪平野に厚さ最大2m強の火山灰をもたらした.水底で堆積し地層の圧力に固められて2mということは,地上に降り積もったときはおそらく優に5mを越えるだろうと想像できる.そのような大きな噴火が歴史上には繰り返しあったことを示す証拠が他ならぬ大阪の地下の地層に刻まれている.わずか100万年ほど前に.

 九州を代表する活火山である霧島火山で突然生じた破局的噴火が,九州のみならず日本の国家全体にどのような影響を及ぼすのか.地学好きの医師でもある作家石黒耀は2002年にデビュー作「死都日本」でこの紙上シミュレーションを行った.その火山噴火の描写内容があまりにリアルであったために,小説発表直後火山の専門家による「死都日本シンポジウム」まで企画された.それから10年 近くたち,折しも今年1月霧島連峰の新燃岳が長い沈黙を破って噴火した.その直後の東北の地震と津波のニュースにかき消されたが活動は今も続いている.こ れら九州の大型カルデラや活火山の活動が今後どのように推移するのかは実は大変重要な意味があるのだが,一般にはあまり理解されてはいない.最近の日本列 島における破局的噴火はアカホヤ火山灰の7300年前,そしてその前は姶良Tn火山灰の2万5千年前.そろそろ次の噴火が準備されているのかどうか?地震と津波の惨状で忘れ去られた感もあるが,数多くの活火山が日本列島の地下深く今もじっと雌伏の時を窺っていることも忘れてはいけないと思う.(この稿URBAN KUBOTA NO.1129などに拠った)

―――「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」――希望の国のエクソダス とかつて書いた村上龍は今年東北の地震の直後,ニューヨークタイムズ紙にだが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。」と寄稿した.


試験に出ない地学Series 2011年初夏編「結晶のシスティナ礼拝堂」(画像つき)

 作家ルイス・キャロルがもし,この鉱山のことを知っていたら,間違いなく「鏡の国のアリス」の続編を書いたかも知れない天下の奇景メキシコ「ナイカ鉱山」の地下の石膏洞窟「クエバ・デ・ロス・クリスタレス(結晶の洞窟)」.
 ふだんは鉛と銀を採掘している鉱山の坑道の奥で2000年に地下300mのところで探鉱中に偶然発見されたというこの奇怪な洞窟はすぐにナショナルジオグラフィック社の知るところとなり,研究者がこの洞窟を探検する見事なドキュメンタリが作られた.まるで机の上に置かれた小さな結晶の群晶をそのまま1000倍に拡大して,隙間に人を配置したかのように思えるこの奇妙な洞窟の様子は下の写真を参照してほしい.
鉱山の地下1.5kmほどのところにあると推定されているマグマの熱で温められた地下水が約58度で安定し,60万年の歳月をかけてしだいに結晶を成長させたという,まるで中学生の明礬結晶成長実験のような稀有な条件下に作られていた.それが1985年ごろ,鉱山の地下水面を下げるために地下水の汲み上げがなされ,それまで水に埋もれていたこの洞窟が忽然と姿を表したのだという.摂氏44度湿度100%の高温多湿の条件は保冷材をまとった完全装備でもわずか20分の滞在が限度という過酷な空間.その洞窟に一抱え以上ある太さの長さ10mを越える巨大な透明石膏(セレナイト)結晶の柱が縦横に交錯しまた屹立する.Wikipediaによれば

 硫酸カルシウム・2水和物(CaSO42H2O)を二水石膏、軟石膏、または単に石膏(gypsum、狭義の「石膏」)という。比重2.23の無色の結晶。硬度1.52。水に難溶。単斜晶系に属する。 天然には単結晶のほかに結晶集合体が生じ、透明のものを透明石膏(セレナイト、selenite)、繊維状のものを繊維石膏(satinspar)、細かい粒状のものを雪花石膏(アラバスターalabaster)と呼ぶ。

National Geographic社サイトより

 このように石膏は結構ありふれた物質ではあるが,蒸発岩として堆積するものがほとんどで,この鉱山の結晶のように地下水から結晶した巨大なものは珍しいという.美しくこの世のものとも思われない空間もしかし,石膏の硬度がモースの硬度計でわずか1.5〜2と爪よりも柔らかく,洞窟に入る研究者の靴や道具だけでなく様々な環境変化で美しい結晶の表面が痛むのではないかと保存が心配されているという.また地下水が元のように復帰すればこの洞窟もかつてのように熱水に水没する恐れもあるらしい.
ともあれ鉱山側はこの洞窟の入り口は鉄の扉で厳重に警備し,今のところ盗掘者の侵入を防いでいるとか.しかしそのおかげでスペインの結晶鉱物学者ガルシアが「結晶のシスティナ礼拝堂」と呼ぶCGの世界のような結晶の迷宮(ラビリンス)を詳細に窺い知れるのは今後とも,入窟を許された数少ない研究者の論文とナショジオの上記ドキュメンタリだけだろうと思うと,少し残念なような,また安心するような----
(この稿,http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0811/feature02/index.shtml に拠った.)

"Something has made that last leaf stay there to show me how wicked I was."-----The Last Leaf, O.Henry より


試験に出ない地学Series 2011年厳冬春待ち編――「百キロ徒歩中の質問に答えて」

  一昨年の長距離徒歩で,奈良を南下する川岸をのんびり歩いていたとき,ふいに前を歩く特別隊のS君,M君から質問を受けた.「先生,この奈良盆地の上空にある雲の水の量ってどれくらいあるんですか?」--そのときにすぐに答えられなかった私は,自分の受け持ちの区域を歩いたあと,自宅に帰ってさっそく調べることにした.
まず,場所を奈良盆地上空(直径10km)に含まれる積雲と限定し,当日は雲量8であったと考える(当日は晴れ時々曇りの天気だった).積雲の雲底を1000m,高さを3000mとする.従って雲が占める体積を,奈良盆地上空,直径10kmで高さが2kmの円柱の8割と概算することにする.5××××0.8120km3がこのときの雲の体積である.積雲に含まれる水滴量(雲水量と呼ばれる)の平均として1〔g/m3〕を採用する(近藤,2000より).これで換算すると奈良盆地上空の積雲中の総水滴量は12万トンになる.これは現在の大型タンカー1隻分の積載量に相当する.しかしこれは目に見える水滴だけの量であり,目に見えない水蒸気量まで考えると,飽和水蒸気量は当日の気温15℃12.8 g/m3であるから,水滴の約10倍以上の水蒸気を雲は含んでいることになる.
 もちろん荒っぽい推定であるし,雲の高さにもよるのだが,奈良盆地の上空に並ぶ真水を満載した10数隻の巨大タンカーの船団を思い浮かべると,これを壮観と見るか,それだけなの?と見るかは読者におまかせする.
 さて,この水蒸気量をどのように見積もるかという問題は実は「地球温暖化」を考える上で重要な役割をしている.水蒸気はCO2以上の強烈な温室効果ガスだからである.しかし肝心のこの水蒸気量の世界全体での総量の見積もりは,実はあまり確かではない.場所や時間により激しく変動する以外にも,観測することが難しい量であるということが関係する.しかし,現在GPSをこの大気の水蒸気量の観測に用いようという試みが進行中である.GPSの電波が大気の水蒸気量に応じて遅延することを逆に観測に用いようというGPS気象学が発展してきた.新しい技術が元々考えもしなかった分野に応用される好例であるとも言える.
 筆者に面白い題材を提供してくれたS君,M君もこの春本校を無事卒業した.卒業式U部で涙ながらに後輩たちに言葉を贈った野球部のキャプテンN君のスピーチに感動しながら,あの当時の百キロ徒歩をまた思い出してしまった.

To Benoit Mandelbrot, a Greek among Romans-- The Black Swan/ Nassim Nicholas Taleb
(ベノワ・マンデルブロに捧ぐ,皆がローマ人へとなびいたとき,一人彼だけがギリシャ人たらんとした,岡本訳)「ブラックスワン」ナシム・タレブ著の冒頭の献辞

試験に出ない地学Series ラニーニャ初冬号 ――巨星マンデルブロ寂かに墜つ――


 ベノワ・マンデルブロは1924年 ワルシャワに生まれたが,幼少期には正式の学校教育を受けていないともいう.その頃のユダヤ系の研究者が皆そうであったように,祖国を追われるように幼少 時フランスに移住し,しばらく馬の世話や工具の修理などをやらされていたが,支援者を得てそこで高等教育を受け,これまたお決まりのように米国でIBMの研究者としての仕事を得る.初期に綿花の市場価格変動の研究に携わり価格変動が正規分布から外れることを明らかにする.それもあって彼自身は自分が生涯経済学者だと認識していたようだ.しかし生来の好奇心から興味の赴くまま自然の造形などに次第に惹かれていく.

 1975年,海岸線の長さやカリフラワーの不思議な形を説明する「フラクタル」という概念を初めて提唱する.以来彼の独自の自然観はやがて198090年代の「複雑系革命」を開花させる.その影響は自然科学のみならず経済学,社会学など多くの分野にわたっている.

 その彼が今年10月,85歳で永眠したというニュースを突然聞いた.2002年 秋,彼の京都工芸繊維大学での講演を当時の2人の生徒と一緒に聞いたのがほんの昨日の事のように思い出される.地層のスライドを最初に見せ,中央にレンズ キャップを置かないとこの地層の大きさが分からないでしょという,わかりやすくやさしい英語の語り口がまだ耳についているような気がする.次に日本の美術 作品の中から風神と雷神の絵を見せる.これこそフラクタルそのものだと語る彼の嬉しそうな表情が忘れられない.途中のスライドにゲーテのメフィストフェレ スの台詞を引用したり,教養ある文化人だとうならせる講演だった.

 講演の終わりの質問の時間に「Why does the nature so prefer Fractal?」思い切って手を上げようとしかけたとき,別の聴衆が先に手を上げてしまい,つまらない質問をされて時間切れとなってしまった.生徒を早く帰らせたあと,狭い大学食 堂で開かれた懇親会に参加したが,参加者はそれほど多くなく講演主催者の挨拶を聞いていても本当にマンデルブロのすごさが解っているのかとちょっと戸惑っ てしまう状態だった.サインをもらう列に並んでやっと順番が着て著書にサインを書いてもらいながら,「実はフラクタルを紹介した高校地学の教材を作ってい るのです」と口ごもりながら言うと「それはいい.今高校の数学の先生とフラクタルの教材本を作っているところだ.君の論文が書けたらすぐ送ってくれ」と励 まされた.サイン待ちの列は続いていたので,それを潮に彼の面前を辞して,側におられた奥様と話した.「ご主人のFractalの著書は英語がとても難しい」と言うと,「そうでしょ.彼にとって最初の英語の本だから力が入っていたみたい.家ではフランス語で話しているのよ」と話していたのが記憶に残る.その日は彼に会えた感激だけでどこをどう帰ったのか今では思い出せない.彼に私の論文を送ることは遂に果たせなかった.あとせめて10年長生きしていればノーベル経済学賞は間違いなかったのにとくやんでも仕方がない.彼の偉業の本当の意味が世間に理解されるのはひょっとするともっと後かも知れないと今でも思っている.

この稿,http://www.honza.jp/senya/1339 なども参考にした.

―――空から見るローマは迷宮だ.建造物や噴水や廃墟のあいだを縫って走る古代の道路が,解きほぐせないほど複雑にからみあっている---「天使と悪魔」ダン・ブラウン著/越前敏弥訳より


試験に出ない地学Series2010年暖秋号 ―スイスの空気入りの地震計―

 その地震計の中にはスイスの空気が入っていますよ.さる地震観測所で観測のベテランSさんはその観測壕に最近設置された最新鋭のスイス製の地 震計を前に筆者にこういって笑った.地震計の原理は古い.振り子の錘と地面の相対的な揺れを何らかの方法で拡大し,記録するというメカニズムは今も昔もか わっていない.かつての機械しかけの複雑な梃子と軽く強い麦わらの先の描針で,煤を塗った紙に記録する形から,電子回路と計算機メモリに記録する形に変化 はしたものの,その原理は変わっていなかった.しかし1990年代にその旧いメカニズムはついに電子回路技術を得て,フィードバックタイプというものが出 現する.電子回路でとても微妙な地面と錘のずれを元に戻し,その戻す際の電流を増幅するという新しい技術革新がなされた.スイスの会社が特許を持つこのタ イプの地震計は300万円もするという高額のものではあったが,それまでの小型地震計が不得意としたきわめて長周期のゆれを正確に見事に記録し始めた.瞬 く間にこの地震計は世界の観測所に広まり,それだけではなく,活火山や活断層の傍での観測に使用され,それまで発見されていなかった数多くの新たな地震や 地殻変動が発見されるきっかけを作った.
 くだんの観測所にはその機械が1台備え付けられていた.観測所に遊びに行くたびに幾つかの旧い地震計が廃棄され,新しい観測機器が入っていた.それらの 移り変わりを丹念に筆者に説明していただいたSさん.1人人間を入れると,振動と温度変化でしばらく観測の支障になるのを知りながら,心安く筆者を観測壕 に招きいれてくれたこの観測の先輩はしかし,その数年後,田舎に帰省されたおりに,不慮の交通事故で亡くなった.そのニュースを新聞の速報で知った私は もっと学んでおくことがたくさんあったのにと悔やんだが後の祭りであった.それから幾星霜.観測所の所員もどんどん減らされ,観測壕で取られたデータは通 信衛星を経て東京の大学のデータセンターに送られるだけとなったと聞いた.高性能の地震計を設置しさえすればそれで簡単に精度の良いデータが取れると誰も が思うかも知れないが,Sさんは観測壕や地震計のメンテナンスにまつわる数多くの苦労や経験をいつも私に語っておられた.教科書に書かれた様々な観測の記 録にも実は多くの人間の人知れぬ苦労があることを,私は彼に代わって末代まで伝えていければと思っている.

―――『私が私が』で人も企業も病んでいく―――香山リカ『しがみつかない生き方』より

試験に出ない地学Series 2010 梅雨明け号 ―「予測の難しい2つの雲について」―

 最近,梅雨末期の集中豪雨や秋雨の時期の豪雨などで,テーパリングクラウド(Tapering Cloud)と呼ばれる雲の注目されている.気象庁の文献によれば,九州を襲った2003年7月19日に九州を襲った豪雨の解析で,「雲 域が細い三角形の形状をしており、穂先状になっていることから『テーパリングクラウド』と呼ばれる。これは、東シナ海から九州地方に吹き込む風の流れに沿 うように発達した対流雲列と上層風に流される巻雲から構成され、特に穂先部分において豪雨・突風・雷等の顕著な気象現象を伴うことが多い。」とされ,Wikipediaによればその成因は「この雲は、上空に乾燥した空気、下層に湿った空気が存在する成層不安定の状態で、上空では西風が吹いており発散が見られること、下層では暖湿流移流収束が見られることなど、積乱雲が効率よく発生する条件が整うと発生する。」と 述べられている.要するに地上付近は回りから風が集まってくる条件.上空は風が周囲に漏れだす条件で上昇気流が発生しやすい条件が整えられ場ところに次々 と積乱雲が発生し豪雨をもたらすというものらしい.気象衛星からの雲写真では人参のような雲が同じ場所から次々と発生して東に流されていく様子が観測され る.

 一方ところ変わって,オーストラリア北部のカンタベリー湾では,毎年9月から10月にかけて,朝方の晴天下に長さ1000kmにも達し,1列に並んで激しく回転運動する巨大な“巻きずし”のような雲が,時折発生し,『モーニング・グローリー』(Morning Glory)と呼ばれている.命知らずのグライダー乗り達がこの雲を捉えてスカイサーフィンを繰り広げる模様はTVでも放映されて話題になった.これもやはり性質の異なる2種の気流が地上付近で衝突して形成されるというメカニズムが現在検討されている.

 同じ雲でもずいぶん性質は異なる.一方は集中豪雨をもたらしいくつもの悲劇を刻み,一方 は地域の住民に恐れられつつも,グライダー乗り達に格好の自然の遊び場を提供する.2つの雲に共通するのは,いずれもその発生予測が難しく,気まぐれに発 生する性質があり,気象学の分野ではこの性質をchaosと呼んでいる.将来,その予測をもっと正確に行える革命的手法が,誰かの天才の脳にやはり突然の“雲の啓示”のように閃くのだろうか?

-----「リスクを負わないチャレンジはない.そういう日本人に欠けている哲学の部分を埋めたいと考えていた.」-----イビチャ・オシム『考えよ!』より

試験に出ない地学Series 2010年初夏号 −P/E(暁新世/始新世)境界について−

 古生代と中生代の境:P/T境界や中生代と新生代の境:K/T境界での生物大量絶滅は有名であるが,もっと最近,それも新生代になってからの底生有孔虫 の大量絶滅の存在はあまり知られていない.昨年私が出席した2009年5月の日本地球惑星科学連合大会(幕張メッセ)の気候変動を扱ったセッションでこの 絶滅と気候の関係を述べた発表があった.ーー5500万年前の暁新世/始新世境界は,大気海洋全体に及ぶ急激な温度極大期と考えられ PETM(Paleocene/Eocene thermal maximum)と呼ばれている.炭素の同位体比(δ13C)が大きく負にシフトするほか,水温上昇も緯度が高くなるほど顕著で高緯度では5〜8℃におよ び,また深層水温も4〜5℃上昇したと推定される.この急激な環境変動の開始とともに底生有孔虫の30-50%の種が絶滅したことが明らかになっている. また温暖な期間は約10万年程度続いたとされる.
 この原因には諸説あるが,今のところ,海底に存在した大量のメタンハイドレートが気化したと考える説がもっとも有力である.またその場所の候補すら 2,3挙げられている.現存するメタンハイドレードの1〜2割に相当する固体のメタンが海底から何らかの原因で大量に気化し,大気中に流れこんだためメタ ンの著しい温室効果のため,急激な昇温が生じたとする仮説である.それがもし真実だとすると,現在の人為的CO2放出はそれに匹敵する温暖化を招くのでは ないかというのが私の聞いた研究者の遠まわしの警告だったように思える.さらにその研究者はP/E境界と同じように現在の南極海底で著しい,海水の酸性化 が進行しており,これが今世紀末には全海洋に及ぶだろうという不気味な予言を残していた.空気中に増えたCO2が行き場所を失い,海水に再び溶けるために 海水の酸性化が進行するというシナリオである.しかし現在の6倍のCO2が存在したとされる白亜紀には見事なチョーク層という底生の有孔虫の地層だ世界各 地に残されていて,そのような大量絶滅は生じなかった.この2つの違いはどこにあるのか?この研究者はCO2の増え方の差であると結論づけていた.白亜紀 にはCO2の増え方がゆっくりであったため,河川の水で流入する大陸風化によるアルカリが酸化しようとする海水を中和したのだと考える.しかし現在の地球 にはそのような悠長な時間はないとこの研究者は警告していた.
 この説が正しいのかどうかそれは今世紀の半ばごろになれば結論がでるだろう.しかしそのときすでに手遅れとなっているのか,はたまた一昨年の学会で唱えられた地球寒冷化説が正しくて,人々は食料飢饉にさいなまれているのか.その結論はまだ少し遠い先のようである.

−−−「大きく儲けることができるのは,国が興るときと,滅ぶときだ.とりわけ滅ぶときの利益は大きいってね.」−−−『ストックホルムの密使』/佐々木譲著より


試験に出ない地学Series2010年暖冬号 --春霞と黄砂について--

 花粉の季節 が始まると春もたけなわで,昔は春霞,今では黄砂がニュースを賑わせる.霞は実は気象用語ではなく,その定義は特にない.おなじ視界を遮るものとして霧と 靄はそれぞれ視界が1km未満かそれ以上かで定義されたれっきとした気象用語であるのとは対照的である. それでは霞の正体はというとこれがあまりはっきりしない.冬の大気が乾燥してキーンと透明なのに比べて春は水蒸気量が増えて透明度が落ちることが原因とさ れるほか大陸からの黄砂が原因と考えられている.おぼろ月夜という春の名物もこれが原因であるとされる.「春 の野に 霞たなびき うらがなし この夕かげに うぐひす鳴くも」
 (大友家持)をはじ め、万葉集には霞を詠んだ歌がたくさんありますがこの霞は黄砂のこ とです。と中国黄土高原の緑化事 業を手がける高見邦雄氏はブログで述べている.
 最近でこそよく黄砂のニュースが伝わるが,日本列島の堆積物中には すでに7万年以降の最終氷期には黄砂が飛来しており,その量は現在よりも多かったと推定されている.これは大陸に露出する砂漠からの砂の量はたとえば南極 氷床などでも記録され,大気が乾燥した寒冷期になるとdustの量が増えるという相関があり,これから過去の気候変動を探る手がかりとしても 用いられている.wikiによればその粒子の大きさは「0.5µm(マイクロメートル) - 5µm(=0.0005mm - 0.005mm)くらいで、タバコの煙の粒子の直径 (0.2 - 0.5µm) よりやや大きく、 人間の赤血球の直径 (6 - 8µm) よりやや小さいくらい。この大きさの粒 は、地質学においては砂というよりも「泥」に分類される。」とされる.砂と呼びながら意外と小さなものであることがわかる.また意外にもその成分の炭酸カ ルシウムは土壌を強アルカリの性質から酸性土壌を中和する役割があり,酸性雨と好対照であることがわかる.ただ,その粒子表面に多くの化学物質を吸収する ため特に中国における大気汚染物質を吸着することによる被害が心配されている.
 近年の黄砂の被害の増加が自然現象であるのか,大陸奥地の開発によ る人為的なものかの判断は極めて難しい.古くから伝わる現象であるにもかかわらずまだ実態が良く分からないという自然現象が意外と身近にあるのに今回も驚 かされた(この稿,高見邦雄氏のブログhttp://blogs.dion.ne.jp/koko_tayori/archives/3790377.htmlの記述を参考にした)

-----タラが豊富に獲れ,いつになく温暖な気候が何世紀もつづいたおかげで,グリーン ランドの人々は北アメリカまで航海し,アイスランドやノルウエイを相手にセイウチの牙や羊毛ばかりかハヤブサまで自由に交易してきた.−−−「歴史を変え た気候大変動」ブライアン・フェイガン著/東郷,桃井訳より


試験に出ない地学シリーズ2009年小春 日和編 −地球外惑星を探す−Hot Jupiterの発見−


 「我々人類は宇宙で孤独な存在なのか」という“友達探しの旅”は,古くは太陽系の火星や金星などの惑星探査でもろくも挫折し, 初期の夢が崩れた今,再び太陽系外の惑星系へとその探査範囲を広げている.1963年, SwarthmoreカレッジSproul天文台のVan de Kampが,年周視差測定で名を馳せた60cm屈折望遠鏡を駆ってバーナード星に周期的なふらつきを観測したという論文を出した.さらにこのふらつきは木 星の1.6倍の惑星を考えるとうまく合うと発表したので,太陽系外惑星の初めての発見と大騒ぎになった.ところがその後,他の人が同じ屈折望遠鏡を使って 別の星を観測,同じ周期のふらつきを偶然見つけてしまう.何のことはない.これがこの屈折望遠鏡の駆動システムの癖であったというお粗末.話は振り出しに 戻る.
 それから幾星霜---,1995年科学雑誌Natureの表紙にMayerとQuelozのペガサス51番星のふらつきを示す見事なサインカーブを描く 図が載った.これこそ,その後の太陽系惑星探査フィーバーの幕が切って落とされた瞬間だった(皮肉なことに初代惑星探しの達人Kampが亡くなったのは, この1995年の論文が出る直前だったという).彼らは写真による恒星(主星)位置のずれ観測という古典的観測法をあきらめ,主星の視線方向のふらつきを ドップラー効果により測定するという画期的な方法を用いていた.彼らの観測で,ペガサス51番星の惑星ベレロフォンは木星の質量のほぼ0.6倍,主星から の距離はわずかに0.05天文単位という恐ろしく主星に近い軌道を描く惑星だとわかった.これ以後今年の夏までで,すでに発見された惑星の数は500個近 くになりまだ発見が続いているという.
 これら最近発見される惑星の半分以上が木星サイズと同等かさらに大きな惑星なのだが,軌道計算から太陽系で言えば,水星軌道よりはるかに内側を廻る奇妙 な惑星であることがわかった.ガスの巨大な惑星が主星である恒星に近い軌道を描き,表面が熱く焼かれているイメージからHot Jupiterというニックネームがつけられた.このHot Jupiterとは何物なのか.またなぜ異常にその数が多いのかなど,ますます謎は深まるばかりである.我々はたびたび自分たち中心の世界観を描き,そし てその後のコペルニクス転回でそれらは見事に崩れ去って行った.宇宙における惑星系のスタンダードは我々太陽系なのか,はたまたHot_Jupiter系 なのか.1995年のMayerらのブレークスルーはまた別の巨大な謎のパンドラの箱を開けた.21世紀になって天文学はますます面白くなりそうで楽しみ である.
(この話の元は,大阪教育大学教授 定金晃三先生に教わりました.感謝します.また参考論文はA.P.Boss:Extrasolar planets: Past,present, and future, 2005に拠りました.

 -----The Martians stared back up at them for a long, long silent time from the rippling water... ---”The Martian Chronicles” Ray Bradbury 終章より


試験に出ない地学Series.暖秋号  「パリ革命記念日の夜空を彩った夜光雲」

 雲は毎日空を彩るとても身近な現象であるが,そのほとんどは対流圏と言われる高さ約10kmまでの狭い範囲に生じる雲で,それより上の成層圏にはほとん ど雲はできない.これは成層圏の温度構造が上昇気流を発生させないからで,極地方の上空の真珠母雲と呼ばれる特殊な雲を除くと観測例はそれほど多くなかっ た.
 ところが今年夏,フランス革命記念日の7月14日夜,エッフェル塔からの花火を見ようと集まった群集はその背景の日没直後のパリの夜空一面に不気味に青 白く光る波打つ雲の群れに驚いた.これが専門家によって「夜光雲」だと確認されたという.さきほどの成層圏の真珠母雲を通り越してはるかに高く,中間圏の 80km前後の高さに出現する全く別の成因の雲だというから驚く.極地に近い高緯度の上空の,このような希薄な大気中に何らかの原因で氷の結晶が現れ,は るかに地平線下に沈んだはずの太陽光を反射するのだという.最初に発見されたのはクラカトア火山の大噴火の2年後の1885年,ヨーロッパで異常な夕焼け が観測されていた最中の出来事であったという.また大陸移動説をとなえた気象学者のウエゲナーはこの「夜光雲」が氷でできているという推測をしたが,これ が正しいと確認されるのは実にそれから80年経った2001年,衛星に詰まれたHALOEと呼ばれる特殊な装置がはじめて氷の存在を確認したのだという.
 不思議なのはこの現象が19世紀以前には観測されておらず,またこの現象が見られる地域がここ数年,極地域だけでなく,低緯度の場所に拡大してきている という事実である.人間の二酸化炭素やメタンの排出,あるいはスペースシャトルからの排気の中の水蒸気が一部の夜光雲の発生に関与しているという説もとな えられているが定かではない.
 ともあれパリの緯度はそれでも48度.バスティーユ襲撃からはるかに200年を経て,革命記念日の夜空を彩るようになった「夜光雲」.ひょっとすると日 本の30度代の低緯度でもこれから見えるようになるのではと,澄んだ夕暮れのひとしきり,この雲を黄昏の夜空に探して佇んでみるのもいいと思うがどうだろ うか?
[この稿http://www.technobahn.com/news/200907161304やwikipedia などに拠った.また写真は「革命記念日,夜光雲」でWeb検索するとFlicker発の見事な画像が見れる.2009/10/19]

  --しかし大切なのはそのことに自省的であるということである.なぜなら,おそらくあてどなき解像と鳥瞰のその繰り返しが世界に対するということだか ら.--「世界は分けてもわからない」福岡伸一著より.


試験に出ない地学シリーズ 2009年空 梅雨編 「ピークオイル論を巡って」

 石油の価格が乱高下するなか,ピークオイル論がかしましい.いわくすでに世界の油田の埋蔵量のピークはすぎてあとは,埋蔵量は減り続けるだけだという推 論である.しかし私が子供の頃,あと30年で石油が枯渇すると脅された話はどこへやら,その後可掘石油埋蔵量は増え続けた.北海油田を代表とする新たな油 田が次々と発見されたり,原油の値段が上がって今まで経営に乗らないとされた莫大な埋蔵量のオイルサンドやオイルシェールからの石油精製に目処がたったこ とも大きい.
 その昔,石油探査の技術はシュルンベルジュという当時名もないフランス人の兄弟が実用化した.やがて彼らは1927年に会社を設立,会社は電磁気,音 波,放射線などを石油探査に活用し,とんとん拍子で発展し独自の探査技術を開発してきた.かつて私の大学時代に日本の秋田県にあるちっぽけな八橋油田の試 掘にも立ち会ったと聞いたことがある.その会社もいまや140ヶ国の国籍の7万人近くが働く多国籍企業に発展した(wikipediaより).世界中の多 くの油田開発に従事していると聞く.
 現在地球内部構造を探る手段としてもっとも重要な「地震波トモグラフィー」という手法は,この石油探査技術の発展と,もうひとつ人間の体内の病巣を調べ るCTスキャンの技術によるところが大きい.地震波とX線という透過させる波の種類は異なっても,計算機で巨大な2次元行列の係数を求めて,波の透過する 内部の構造を探っていく手法はまったく同じ論理を用いる.いずれも莫大な研究費用を投じて幾百のハイテク企業がその先端技術開発の鎬を削っている現場でも ある.
 一方かつてセブンシスターズと呼ばれ油田開発を独占していたシェルやテキサコなど石油メジャー7社は今は凋落して,栄華を誇った昔の姿は見るべくもな い.候補地の選定や探査にじっくり数10年はかかり,仮に試掘しても俗に「千三つ」(千本井戸を掘っても3本しか油層に当たらない!)という博打のような 油田開発に莫大な経費をかけるような懐の深い企業は,数年で実績を出せという今時の企業の評価システムの元で次々と蹴落とされていった.その果てに世界中 にまだ密かに眠る油層やオイルシェールの層が今後誰に発見されることなく,寂しく見捨てられるようになるのかも知れない.
 またそんなピークオイル論を嘲笑うかのように,「石油無機起源説」もまだ力を失っていない.すなわち,プランクトンの屍骸などの有機物が濃集して炭化水 素の油田の起源になったという有機起源説ではなく,むしろ石油の始源物質は今も不断にマントルから供給されているのだという突拍子もない考えである.石油 に大きく依存する石油業界は元より自動車産業界,次代を狙う環境産業,そしてそれらをバックに暗躍するロビイスト達もまた,まだ科学的に立証されていない これらの説に右往左往している現状にある.これら石油の現状に一喜一憂するのではなく,それこそ千年先を見据えた我々の文明の有り様をきちんと議論できる 「哲学」と「経済学」こそ,今早急に整備されるべきだと私は考えるのだがどうだろうか?

 ----オゴニ族は,ニジェール・デルタ地帯の南北19キロ,東西23キロの「オゴニランド」に暮らす人口約50万人の半農半漁の民.かつてそこは豊か で平穏な村だった.しかし1958年に石油が発見されて以来,川や池は原油に汚染され,村は硫黄の臭気が充満する荒地に変わり果てた---黒木亮「巨大投 資銀行」(下巻)より


試験に出ない地学Series.無黒点初 夏号 「大圏航路を飛ぶ航空機,今昔」

 地理のテスト問題で,大阪を真東に飛び出すとどこに到達するかという問題があって,これを普通のメルカトール図法の地図を見慣れた目では,サンフランシ スコに到着すると答えるのだけれど,これは間違いで,地球儀で実際に日本から真東に伸ばした針金を地球儀に沿って曲げると南米のチリを通ってブラジル,ア ルゼンチンに達してしまう.実際アメリカに飛ぶ航空機はほとんどカムチャッカ半島すれすれの北太平洋上空からアラスカの南を通ってサンフランシスコにいた るコースを描く.上記メルカトール図法ではぐっと北の方に湾曲して飛ぶように見えるが実は地球ではこれが一番近い.このように地球儀の任意の2点を地球儀 上でひもをぴんと張ったように結ぶ経路を大圏航路と呼び,もちろん実際にはコリオリの力が北半球では右向きに働き,高空の偏西風などにも流されるので,そ れほど単純ではないが,大旨,航空機はこの経路で飛行することになる.そして出発時に飛び出す方向を間違えないように,ジャイロコンパスという一種のはず み車をつけたモーターを真北に向けておく.航空機がいかなる方向を向いてもいつも真北を指すジャイロコンパスはかつて航空機にとって航法を決める際のもっ ともたよりになる計器であった.
   1983年9月1日,アラスカアンカレッジ空港を出発しソウルに帰還する予定の大韓航空007便のジャンボ機が,間違って当時のソ連上空(カム チャッカ半島)に侵入し,ソ連防空軍のジェット戦闘機に撃墜された結果,乗員乗客全員269名が死亡するという痛ましい事件が起こった.原因について様々 な説が飛び交ったが,現在では,出発時に設定しなければいけないINS(上記ジャイロを含む慣性航法装置)の設定ミスが原因で,航空機が誤って北方に数度 ほどずれた航路を飛んだのが災いしたと推測されている.これが本当だとすると2000年代の今日では起こり得ない事件である.今日ではGPS(汎地球位置 観測システム)が航空機の位置を数mの精度で常に表示してくれる.外国の航空機に乗ると,現在飛んでいる位置を世界地図上で示してくれるのもそのおかげで ある.
   測位技術の発達は従来起きていた事件事故を未然に防ぐ手立てに役立っている.その一方で,滅多に地球儀や地図をまじめに見なくなるせいで,地理的な 勘や地図を読む力がどんどん落ちてきているような気がしてならない.百キロ徒歩で地図と道を見比べながら歩くのも,そうした野生の地理的な勘を育てる上で とても重要だと思っている.
 
 -------要するに,日本人はある主張の是非を判断するとき,その主張が論理的に正し いかというより,主張者が その主張にどれほどの思いを込めているかを基準にする傾向にある.--------岸田 秀 「自殺が映す日本文化」より


試 験に出ない地学Series暖冬春待ち 編 「セイシュについて」

 「潮位急変する『副振動』九州などで被害 転覆・浸水など」と今年2月25日の朝日新聞ニュースサイトは伝えている.
 --港や湾内などで潮位が急激に変化する現象「副 振動」が、24日夜から25日にかけて九州沿岸や奄美大島で観測された。気象庁によると、長崎県や鹿児島県では5〜30分の周期で最大約160センチも潮 位が変化し、各地で小型船が転覆したり、住宅が床下浸水したりするなどの被害が出た。26日午前にかけて満潮を迎えるところもあり、気象庁が警戒を呼びか けている。--
 
という記事である.気になったので調べてみた.

 これは昔からセイシュ(静振)という現象だという.原語は Seicheswikipedia
The effect is caused by resonances in a body of water that has been disturbed by one or more of a number of factors, most often meteorological effects (wind and atmospheric pressure variations), seismic activity or by tsunamisと 解説する.
 語源はスイスのジュネーブ湖で起こる現象を呼ぶ言葉で
the word originates in a Swiss French dialect word that means "to sway back and forth"だという.ようするにコップや容器に入れ た水がある振動で共振するように,湾や港の海水や湖水がある原因によりその湾や港の形に起因する固有振動数で共振したり往復する現象をいうらしい.気象庁 は「副振動」とよび,地震の関係者は「セイシュ」と呼ぶことが多いようである.その原因は気象現象(風や気圧変化)や津波,山崩れなどが引き金になる.

 江戸時代の1792年島原半島で雲仙の火山活動に伴う,大規模や山崩れが有明海に崩れ,これが原因で巨大津波が対岸の熊本との間を往復し,両 岸で死者1万5千人という大きな被害が出た.これは当時「島原大変,肥後迷惑」と呼ばれた.また最近では1958年のアラスカの地震の際に同様に山崩れが発生し,フィヨルドであるリツヤ湾で波高525mに達する波が発生したのもこの一種だとされる.この記録は津波のレコードとして現在も未踏のままである.また日本海に起き た日本海中部地震や北海道南西沖地震の際に,日本海を囲む地域でいつまでも津波が静まらなかった現象もこれだと解釈されている.
 なお,今回のは「気象 庁によると、副振動は低気圧が中国大陸から日本へ向けて発達しながら進むときに発生しやすいが、今回は日本から大陸にかけて延びた停滞前線付近での気圧変 化が「引き金」になったと考えられるという。」と同新聞サイトは伝えてい る. 地球規模でこのような共振現象が起きるというのは不思議であるが,物理現象というのは本当に規模の大小を問わずに生じると目の前で小さくゆれるコーヒー カップの水面を見ながら改めて感じ入った.

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かつて港湾近くの路地に捨てられ,人の慈悲 と偽善に育まれた私の,恥多い幼年期との,それが完全な訣別だった.----- 高橋和巳「捨子物語」終章


試験に出ない地学Series 「古く て新しい天体,月の謎」
 月見にはもう遅い季節になったが,立待ち月,居待ち月,寝待ち月と歌われる月は研究対象としては古くて新しい天体である.満月の夜に一斉に産卵する珊瑚 や月齢と地震や殺人の発生数との関連など,地球上の生命や現象と月との関連の話題は絶えない.一方天文学としての月の解明はアポロ宇宙船が月面に着陸し, 岩石を持ち帰ってからすでに40年近く経過し,月には研究対象は尽きたと思われたが,実際にはそれは月の秘密のほんの入り口に過ぎなかったということが段 々解ってきた.月の起源に関する学問は始まったばかりで,そもそもなぜ月がそこにあるのかという疑問がまだ解かれていない.月は他の惑星の衛星に比してと ても大きい.主星の1/4もの直径を持つ衛星は月だけである.大きい割には密度が小さいことも知られている.ここから「ジャイアントインパクト説」という 途方もないアイデアが出てくる.地球の創成期に火星ほどの大きさの天体が,地球に斜めに衝突し,その表面の岩石を多量にそぎとり,それが宇宙空間で再び集 結して月を作ったとされる珍説である.しかも月には他の惑星や衛星にみられないおびただしい数のクレータ孔が保存されている.そのサイズと個数の分布は見 事な「フラクタル」の分布に従う.また陸の部分と海の部分ではクレータの密度が異なり,これは海が後から溶岩の湖として生成したため,クレータの形成が少 なかったという「クレータ年代学」の基礎を作る考え方につながる.このクレータ形成の頃の謎は実は地球や火星の創成期の謎と重なる.地球はあらかた大きさ ができたあと,表面がマグマオーシャンとして,溶けてしまい.創成期の記憶を失ってしまった.火星も砂嵐やかつて多量に存在したとされる水がやはり創成期 の地形をそぎ落としてしまった.しかし空気のない月にはそうした太陽系の創成期の謎がまだ残っているというのである.それを調査するため今年,日本の月探 査衛星SELENE(日本名「かぐや」)が月周回軌道に入った.TVで放映されたその見事なハイビジョン映像に写った月をみながら,調べれば調べるほど謎 が増す月というのは本当に不思議な天体だとまた改めて感じ入った.

−−上弦の月だったっけ 久しぶりだね 月見るなんて−− 吉田拓郎「旅の宿」より


試験に出ない地学Series2008 年も暖秋号 「雨に煙るオスロ湾で宮沢賢治のイギリス海岸の風景を思い出す−−」

 2008年夏ノルウエイを訪ねた.北緯60°に位置する首都オスロから,山岳鉄道とフィヨルドを船で渡るツアーで西岸の都市ベルゲンに向かっ た.化石の巡検でも雨に降られ,またこの日のフィヨルドも雨にたたられた.世界遺産の美しい港町,ベルゲンでみやげ物屋の兄ちゃんが,この町は1年に 300日雨が降ると笑っていた.南氷洋では「叫ぶ60°」といわれる高緯度の海は北大西洋でもさほど変わらないらしい.毎日TVの天気図には低気 圧を示すLの記号と寒冷前線,温暖前線が象形文字のようにスカンジナビア半島に毎日のたうっていた.まさに「低気圧の墓場」というにふさわしい場所なの だ.20世紀の初めごろ,低気圧の一生を研究したビヤークス,雨の降る機構を氷晶説として著したベルシェロン,偏西風による大気の大循環を研究したロス ビーなどがベルゲン大学に結集し,ベルゲン学派として,世界の気象学をリードした理由がよくわかった.また美しいフィヨルドの地形もかつて第2次世界大戦 ではドイツのUボート基地として戦争の担い手となった.さらに現在ノルウエイ最大の企業に発展したHydroは,かつて本稿でも書いたナチの核爆弾開発材 料を巡る争いの鍵を握った山中の重水生産工場をその起源としているという.
 ともあれ1990年以来デフレに苦しんだ日本とは裏腹に,北海油田の好景気に湧くこの国はまた,恐ろしいほどの高物価で旅行者の私を驚かせた.マクドの ハンバーガーセットが日本円で1500円もするのには驚くよりあきれるしかなかった.食べ物を始末したため3kgも痩せて帰ってきたのはここだけの秘密 −−.
 途中のフィヨルドでは1000m近い崖の上から氷河の雪解け水が何本もの滝となって落ちる光景にほとんど感覚が麻痺してしまった.この豊富な水量ですべ ての国内電力を水力発電でまかなっているときいてさらに驚いた.なるほど日本と同じ面積で470万人という大阪府ほどの人口の少なさなら,それもありえる のだ.しかしそんな人口の少ないこの国も,小さくてもピリッと辛い幾つかの自慢を持っている.近代史の局面では,1993年に当時のイスラエルのラビン首 相とパレスティナのアラファト議長を握手させた「オスロ合意」は裏でノルウエイ外務省による献身的な画策があったとうわさされる.そうした活動にあやかっ てか,ノーベル賞のうち平和賞だけは今もオスロでノルウエイ国王からじきじきに授けられる.昨年秋,地球温暖化防止キャンペーンで米国のゴア元副大統領が ノーベル平和賞を授賞した.立派な絵画で飾られたオスロ市庁舎ホールで並み居るノルウエイの国会議員や大臣たちが聞き入るなか,彼が格調高い授賞スピーチ を行う様子はYouTubeでも紹介されている.私はその動画で,ある若い子連れの女性議員が途中で眠ってしまった子供を抱きながらスピーチに聞き入る シーンに感動した.この国はまたポリシーとして子育てがしやすい社会を目指し,先進国中最大の出生率を誇ると地元の研究者の女性が巡検の帰りの車中で自慢 していたのを思い出した.すべてが日本と正反対のこの国の有り様を見ながら,世界はまだまだ広いと感激した渡航であった.

--Indeed, the troubles of hedge funds played a remarkably large role in the financial instability of the world over the last few years. Paul Krugman(2008年ノーベル経済学賞) TIGER'S TALE -The leverage that moved the world- 1999.11(http://www.pkarchive.org/)より.


試験に出ない地学Series2008年梅雨編---「太陽活動と気候変動」-----------------------

 太陽は地球にもっとも近い恒星ですでに膨大な観測が行われているにもかかわらず,大変 謎の多い星でもある.6000度の光球に駆動される太陽外気圏 のコロナがなぜ100万 度を越える超高温であるのかとか.太陽からやってくるニュートリノの量が理論で予想されるよりもはるかに少ない量しか観測されないという問題(太陽ニュー トリノ問題と称され,やっと最近「ニュートリノ振動」の発見で何とかかたがついたかに見える)など昔から議論に絶えない.その中でも最大の謎は,なぜ黒点 活動の周期が11年で,しかもそれが地球の気候にどのような影 響を与えているのかがまだ解かれていない.
 地球上で太陽黒点と同じ11年周期の変動は様 々な場所で見つかっている.例えばかつてアフリカのビクトリア湖の水面変動が黒点周期にリンクしたとか,本栖湖など富士五湖の水面もそうであるとか言われ ている.古い木の年輪についても11年周期が記録されていると いう話も枚挙にいとまがない.また最近ではイタリア,イオニア海堆積物の浮遊性有孔虫殻のδ13C量が太陽黒点に見事にリンクする11年周期変動を描くという報告が出ている.また経済学の方では,同じよ うに太陽黒点に経済変動がリンクするという主張としてジュグラー・サイクル(7-10年) やクヅネツク・サイクル(22-23年)など多くの学説が昔か ら発表されてきた.しかしいずれもその物理的根拠は未だ定かでない.いわば経験的に同じような周期と変動のグラフが重なって見られるという見かけの一致の 指摘に留まる.また否定的な研究も多数存在して決着は着きそうにない.
 一方最近,IPCCが主導するいわゆる「人為 的地球温暖化」説に反発する「地球温暖化懐疑論」の立場から,この太陽活動の影響が地球の気候変動に与える影響を見直そうという動きが活発に見られるよう になってきた.その最初の動きは1997年宇宙物理学者Henrik Svensmarkの 宇宙線量と対流圏下層の雲の量との相関を示す論文だった.以来,主に気象以外の専門家が「太陽活動が銀河から恒常的にやってくる宇宙線の地球への侵入を地 球地場を介して支配し,結果,対流圏下部の雲量が左右されて,地球が受け取る日射量に影響が生じ,気候が温暖化したり寒冷化したりする」という仮説を強く 提唱してきた.つまり地球の気候を支配するのは,温室効果ガスではなく,太陽活動そのもだという主張である.今年5月,幕張で開かれた地球科学の学会でも この論拠を元に「地球温暖化人為説」を批判するセッションが初めて開かれた.そのセッションに偶然参加した私も,結構説得力のある議論に感心するととも に,自然の解明の難しさを痛感した.ただなぜかそのセッションに肝心の気象研究者の姿は少なかった.そのセッションの主催者は地球はIPCCの言うように今後温暖化するか,それとも我々の主張のように寒冷 化するかの決着が,あと5年もすればつくはずだと鼻息も荒かった.それを聞いた私は,今から5年後が楽しみのようなちょっと怖いような---.そしてその後,心なしか今年の6月が昨年より涼しいように感じる のは気のせいか?(この稿http://cloud.web.cern.ch/cloud/documents_cloud/kirkby_iaci.pdfを 参考にした)
 
−−−−
ねえ父さん,お元気ですか,あれから僕は歌を歌ってます.自分の中の手に負えぬ部分や,行き場のない悲しみや思いを,何一つわかってないけど,美しいものをつかみたくて−−−−−早川義夫「父さんへの手紙」から



試験に出ない地学Series 2008年快適初夏編 「ビーバーの毛皮貿易と気 候変動」----------

 日本で関が原の合戦があった1600年ごろ,ヨーロッパは小 氷期と呼ばれる寒い時期を迎えていた.オランダ(ネーデルランド)の画家ピーター・ブリューゲルが凍結した冬の運河の風景を描いていた頃である.その寒い 冬を乗り切るために人々は多数の毛皮を必要とした.その頃他国に先駆けて新大陸に乗り出していたオランダの商人は,柔らかい毛皮として珍重されるビーバー が北米各地の小さな川や沼に小さなダムを作って多数生息しているのを見つける.おとなしい性質のビーバーは次々と捕獲されてヨーロッパへ輸出された.そし て19世紀までにはほとんど絶滅寸前にまで追い込まれる-----
 ところが,最近このビーバーの毛皮貿易を巡る面白い記事を見つけた(Eos, Vol. 87, No. 52, 26 December 2006).このビーバーの毛皮を取るための凄まじい捕獲が,北米全域でビーバーが自分で作って住んでいた小 さなダムや沼の崩壊につながり,そのダムや沼からのCO2や メタンの発生を抑えたために,大気の温室効果の低下を招き,小氷期はますます加速されたという記事である.すなわち現在とは逆に,この時期には毛皮貿易の 発展でCO2やメタンが大気中から減少 したという推定である.The global beaver eradication (possibly 50 million killed in North America alone) may have significantly decreased the methane and CO2 flux from ponds,-- ヨーロッパの人々は毛皮を手に入れ自分たちを暖めようとしたが,それによって気候を寒くする悪循環に寄与していたという 指摘に笑ってしまった.Dutch fur trade and resulting beaver eradication may have been driven by climate change, whereas the worldwide beaver eradication may have been a driver of climate change itself. When the early Europeans tried to keep themselves warm with fur, they may have contributed to global cooling.
 そういえば,オランダは最初,現在ニューヨークと呼ばれるあたりに進出したとき,地元のインディアンからマンハッタン島をビーバーの毛皮34枚分という嘘のような値段で買い取ったという.おごれるものも久しか らず.有頂天だったオランダが凋落したあと,いくつもの政治的戦いを経て,マンハッタン島は世界の貿易と金融の中心となり,やがて9.11の惨劇「グラウンドゼロ」を迎えることになる.
 そして,昨年ニューヨークではほとんど絶滅したと思われたビーバーが2007227200年 ぶりにブロンクスの川で目撃されたという記事が伝わった.かつて人間のわがままな行いに振り回されたビーバーが,今ふたたび人間の愚かな行いをよそに,た くましい野生の姿を見せてくれたことにほっとするとともに,こんな小さな動物の生態系すら気候変動につながりそうだという自然の複雑なシステムには驚かさ れるばかりである.(この稿,Johan C. Varekamp:The Historic Fur Trade and Climate Change, Eos, Vol. 87, No. 52, 26 December 2006に拠った)

--酒場のコンガイは「ホンダ」といい,「トット・ラム(最高よ)!」という.アルス・ロンガ・ヴィタ・ブレビス(技術は長く,生は短し)か.-----「サ イゴンの十字架」開高 健より.



試験に出ない地学Series2008年厳冬号--「でたらめさが役立つ?」--

  でたらめさ(ランダムさ)というのは自然の予測が難しいという理由に良く使われ,何となく”いいかげん”という印象が強いが,逆に自然界である現象がでた らめに生じるということを仮定して,確率的処理を行うことで成功した研究も多い.生物学で有名な染色体地図は今世紀初めにモーガンという人によって,キイ ロショウジョウバエの遺伝子間の組み換えがランダムに生じるという仮定のもとに,その生じる割合は遺伝子間の距離に比例するという条件を入れて推定してい くことで得られた.最近では,近縁種のDNAの塩基配列の差が,ランダムに生じる突然変異によると仮定すると,その差の割合は進化系列分岐の時間関係に置き換えられる とする「分子時計」という考え方が注目されている.これにより類人猿相互の進化の分岐関係や化石人類の系列の時間関係が細かく推定されるようになった.有 名な「ミトコンドリアイブ」(人類の起源がアフリカの20万年前のある女性に至るという研究)などもこの研究の成果である.いいかげんさの象徴だと思われたランダムさが,ある場合 には,自然の空間と時間の目盛を正確に決めていくことに役立つという逆説は大変興味深いと思うがどうだろうか?
 
 -----免状は家元の権威によって,ドルはアメリカという国家の威信に よって流通している-----   「ウルトラダラー」手嶋龍一より.



試験に出ない地学Series 2007 年ラニーニャの冬編 −「マラリアと気候変動」−

   5年前,アフリカに渡航する際に,マラリアの予防薬を飲むかどうかで思案したことがあった.重い副作用があるなどと聞いていた(これどうも誤解のようだ が)ので,飲まなかったが向こうで何度か蚊に刺されたときに少し心配になった.
 マラリアは熱帯の病気だと思われることが多いが調べてみると,日本でも江戸時代やさらに時代がくだると奈良時代や平安時代に流行したことがあったと文書 に記されている.平家物語に書かれた平清盛の最後や,藤原定家日記などに,マラリアと思われる記述(わらはやみ,おこり)がたびたび登場する.同時期イタ リアでも流行したらしく,もともとMal-ariaはイタリア語で「悪い病気」という意味らしい.古くはアレキサンダー大王の死も熱帯マラリアの感染によ るものとの説があるという.
 日本での患者が最後に数えられたのが1965年で,1974年日本復帰直後の沖縄・西表島でようやく無病地宣言がなされた.もちろん現在,日本および ヨーロッパ主要国は感染地域には入っていない.
 ところが,近年再びこのマラリアの脅威が取り上げられるようになった.地球温暖化の問題である.折角駆逐したマラリア病原虫を持った蚊が温暖化の流れに 乗って再びヨーロッパや日本に鉾先を向けようとしているからである.前述した平安時代は世界的に温暖な時期であったとされる.マラリアの流行は一旦16世 紀初頭の小氷期と呼ばれる時期におさまり,その後再び万延したことを見ると,その流行が世界的な気候変動にも敏感であることが見て取れる.世界での患者数 が推定で3〜5億人/年,また死者数(同じく推定)が100〜270万人/年といわれる人類に取って脅威のマラリアの流行は先進諸国に取って,決して対岸 の火事として見過ごすことはできない.

---入道、病ひつき給ひし日よりして、水をだにのどへも入れ給はず。身のうちのあつきこと、火をたくがごとし。臥したまへる所、四五間がうちへ入る者 は、あつさ堪へがたし。ただのたまふこととては、「あつや、あつや」とばかりなり。比叡山より、千手院の水を汲み、石の舟にたたへ、それにおりて冷したま へば、水おびたたしく沸きあがり、ほどなく湯にぞなりにける。もしや助かり給ふと、筧の水をまかせたれば、石や、くろがねなどの焼けたる様に、水ほどばし つて、寄りつかず。---「平家物語(百二十句本)巻六」より


試験に出ない地学Series 2007年秋深し編 --英国航空第9便の災いとその後--

  1982年 6月24日クアラルンプールを経ってパースに向かう英国航空第9便B747がスマトラ島上空11000mに 達した頃,ムーディ機長はトイレからコックピットに帰った途端,窓一面に彩色で彩られた無数の光点がぶつかり,後ろに飛び去っていく奇妙な光景に唖然とす る.その後立て続けに異常はこの機を襲う.客室内に漂う煙と異臭.ジェットエンジンの前後に発する奇妙な光.しかし計器やレーダーには異常は現れていな い.狐につままれたような乗員をさらにショックが襲う.巨大なバックファイヤーを残し,第4エンジンが原因不明で停止,残った3個のエンジンも次々と後を 追った.4個すべてのエンジンが停止しグライダー状態でしだいに高度を下げる機体と必死に格闘し,エンジンの再スタートをかけようと,必死の乗員の戦いは このあと10数分も続いた.乗客にも緊急事態が伝わり,もう駄目か とみんなが覚悟した頃,高度4000mま で降下したところで奇跡的に第4エンジンが再点火.さらに続いて他のエンジンも点火された.この後ジャカルタに緊急着陸を試みるが,今度は空港の着陸ガイ ド装置が故障,コックピットの窓ガラスは摺りガラス状態でほとんど前が見えず,わずかに残った窓枠際の2インチ幅の透明な部分を頼りに手動着陸を試みた機 長たちは悪戦苦闘するが,何とか無事に着陸に成功.けが人もなく,客室ではみんなの無事着陸を祝いファーストクラス用のシャンパンまでがふるまわれたと か.機体を降りた乗員たちが最初に目にしたのは,全体に塗料が剥げ落ち,ジュラルミンの地肌が露出した自分たちの航空機の無残な姿だった.

 この奇妙な事件の原因が,近くで噴火していたガルングン火山の火山灰によるものだと解 るまでにそれほど時間はかからなかった.エンジンに吸い込まれた火山灰が高温で溶けてエンジンの各部に詰まってエンジンが止まっていたのだ.さらにしばら く停止している間に冷却されたその塊は振動で次々とはずれ,その後再点火に成功したこともわかった.奇妙な光点の原因も摩擦で静電気を溜めた火山灰がセン トエルモの火を灯したためと解った.火山灰は窓ガラスを曇らせただけでなく,機体全体の塗料までそぎ落としていたのだ.

 この事件は,その後の火山地帯を飛ぶ航空機の安全の指標となる.無事に帰還したムー ディ機長とほかの乗員はその落ち着いた対応を賞賛された.一度は死を覚悟した乗客たちもその後機長の呼びかけでGalungungu Gliding Clubを組織し,現在も無事帰還したことを祝う会を開いているのだという.(この稿,http://www.sydrose.com/case100/406/ http://findarticles.com/p/articles/mi_m0UBT/is_26_18/ai_n6280435  および「ナショナルジオグラフィックビデオ」などを参考にした) 

―――――しかし危機は,人々の心の中に愛国心を呼び起こす.ローマ人たちが伝統の神々 を再認識していたこの時期,それへの同調を拒否するキリスト教徒に,ローマ人側からの反撥が高まったのだった.―――――「ローマ人の物語29 終わりの 始まり」塩野七生著より


試験に出ない地学Series.2007 夏休み待ち遠しい編(今回よりタイトルをつけました)
<地磁気と生物−鳩の受難−>
 地磁気と生物の行動との関係は昔からさまざまに取りざたされてきたが,いずれもその根拠は薄かった.
それが決定的になるのは,1975年大学院生だったニューハンプシャー大学のブラックモアが,土壌細菌の一種の北 をさす動きを見つけたときに始まる.細菌中にある,磁鉄鉱(Fe3O4)の小さな粒が繋がった器官が地磁気に添う動きを促していることが見つかる.さらに 興味深いことに北半球の細菌は北を目指すのに,南半球の細菌は南を目指すという.その場所に応じた地磁気の伏角と極性の方向を知って,水面から離れ,酸素 が少ない水底の泥の還元層を目指すということが分ってきた.このように微生物には地磁気を感じとり,それを行動に生かすものがいることが分ったが,大きな 動物はどうなのか?
 例えば鳩に関しては1973年キートン他,1974年ウォルコツトとグリーン他の実験などによって,帰巣する鳩 は基本的に太陽をコンパスとするが,地磁気を磁気コンパスで感じ,併用していることがわかった.度の合わないコンタクトレンズをはめられたり,頭に磁場を 乱すコイルをつけられたりとさんざん意地悪なことをされた鳩のおかげでこれらが分ってきたのだという.さらに最近ではイルカ,カメなどの海洋生物の回遊や ミツバチの巣作りなどと地磁気との関係がさかんに調べられている.また人間の脳と地磁気を関係を主張する「全地球凍結」で有名なCaltechのカーシュ ビンクなどのグループの研究もあり,人体と地磁気の関係については今後の研究の進展が注目される.
 それにしても,地図の代わりに携帯電話やGPSで自分の居場所を確認する人が増えた今,ひょっとすると我々は鳩 やミツバチをはるかに凌ぐ感度で地磁気や電波を受信する器械なしにはどこにも行けないほど,自らの五感のセンサーを退化させ始めているのか?頭にコイルを つけられた鳩はひょっとすると我々自身の現在の姿なのかも知れないと思った.(この項,http: //www.px.tsukuba.ac.jp/home/ecm/onoda/ssh/node33.htmlなどを参考にした.)

-----(いけるかもしれない)初めて黒木の胸に小さな希望が芽生えた.少なくとも熱死するまでの時間は大分伸 ばせそうだった-----「死都日本」石黒 曜著より


試験 に出ない地学Series2007年初夏編
 変成鉱物としてよく例に挙げら れる翡翠(ヒスイ輝石)は不思議な鉱物である.超高圧変成鉱物とされ,実験的には曹長石が超高圧下でヒスイ輝石と石英に分離するとされるが,実際に石英と ヒスイ輝石は産地ではほとんど共存しない.またなぜか蛇紋岩と共存するが,日本の代表的な産地糸魚川周辺でも,転石はいくらも見つかるが,肝心のヒスイの 露頭がまだ発見されていないという.従って研究者の中には変成鉱物説を採らずマグマからの形成など別の成因を考える人すら出ている.ともあれ,世界にヒス イが珍重された古代文化は2つしかない.1つは日本の縄文文化であり,もう一つはそれから少し遅れて中米のオルメカ,マヤ,アステカ文化と続く流れであ る.日本の縄文文化やその後古墳文化を彩るヒスイの勾玉などは当初中国からの輸入であると考えられていたが,昭和になって新潟県糸魚川周辺で天然ヒスイが 発見されるに至り,国産の石であることが判ったという.さらに皮肉なことに,当の中国ではヒスイに似た軟玉(ネフライト)は幾つも発見されるが,肝心のヒ スイ輝石(硬玉)の産地は未発見だという.
  ともあれ,ロシア,ミャンマーなどと並んで世界の3大産地と言われる糸魚川周辺では,最 初の発見報告以来,ヒスイの盗掘があい次いだという.あわてて行政サイドは産地の谷を「天然記念物」指定して採取を禁じるとともに,産地にはTVカメラの盗掘監視装置までと りつけた.さらに何トンもある大きなヒスイ原石のブロックは産地の谷あいから苦労して博物館まで運び,厳重な盗難防止装置のもとに公開展示される運びと なっている.
 私も何度か当地に足を運び,採 集禁止区域ではない,海岸べりや河原でヒスイを探し,何個か自信のある石を博物館の専門家に鑑定してもらったが,ことごとく別物だと判定された.仕方なく 産地のすぐ側に店を構えた原石販売店で糸魚川産ならぬ,ミャンマー産の原石を安い値段で買いこんで部屋の飾りとして置いてある.ハンマーすら寄せつけない その硬くねばい薄緑の岩石の表面を見ていると,遠く16世紀,スペイン侵攻の前に滅んだ同じモンゴロイド起源というマヤの文明のあえかなわびし さを感じとれるような気がする―――――.

  「-----それがものごとのあるべき姿なのかい?いいかい,弱い不完全な方の立場からものを見るん だ.獣や影や森の人々の立場からね」-----村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』より


試験に出ない地学Series.暖冬はて無し編2007

 アフリカ赤道直下ガボン共和国,かつて有名なシュバイツアー博士が住んだ村の奥にある,オクロと呼ばれるウラン鉱床で1972年,フランスの技術者たち が妙な事実を見つけた.この鉱床から採掘されたウランを詳しく分析すると,核分裂を起こすU235の分量が期待される値0.72%よりわずかに少なかった のだ.こういった元素の同位体の割合はかなり厳格に決まっていて,地球上の条件などでは容易に変動しない.彼らはその原因を探る過程で驚くべき結論に達し た.オクロの地下では20億年前に,堆積鉱床で濃集したウランが天然の原子炉が形成し,自然発生的に核分裂の連鎖反応を持続させていたというのだ(その天 然原子炉の可能性については,すでに1956年に日本の黒田和夫博士が予言していたというからさらに驚く).
 現在,核分裂を起こすU235は天然ウランにはわずかに0.72%しか含まれていない.従ってこれを燃えないU238と分離し,濃縮するために各国とも 極秘の開発に余念がない.ところがこのU235は半減期が7億年とU238(半減期46億年)と比べるとはるかに短い.簡単な計算で,20億年前には U235の天然ウランにける割合は3-4%程度もあったことがわかった.これは実は現在の発電用原子炉の燃料棒のU235の濃度に相当する.この天然ウラ ン鉱床に何らかの原因で地下水が混入すれば,水が現在の原子炉と同じように,熱中性子の減速材の役割を果たし,核分裂反応が持続することが推測されたので ある.おそらく発生した熱で水は蒸発し,それが冷えるとまた反応が始まるという,まるで「間欠泉」のような核分裂反応がその当時,人知れずアフリカの大地 の地下で進行したのだろう.このような天然原子炉の跡がオクロでは10数か所も見つかっているという.
 さらに残留する放射性の元素量から推定して,およそ60万年続いたと推定される核反応の総エネルギー量は現代の原発5基を1年間フル稼働して生じる量に 相当するという.もちろん実際はゆっくりと発熱が生じたと考えられるが,驚くべき自然の現象だと思う.そしてその残留する元素の状態は,現在計画されてい る高レベル放射性廃棄物の地下処分(地下に孔を掘ってそこにハイレベル放射性廃棄物を埋めてしまおうという計画)にも役立つということで調査が進められて いるという.
 今から70年近く前,人を瞬時に生きながら焼く兵器の開発のために,世界最初の原子炉を作った科学者は,自分たちが最初に偉業を成し遂げたと自惚れたか も知れないが,自然は人間がそんな悪魔の真似事に手を染めるはるか以前から,地下で有効に原子の火を灯し,その廃棄物を蓄えるすべを知っていたというのは 何とも皮肉なことである.(この稿http://sta-atm.jst.go.jp:8080/04020110_1.htmlなどを参考にした)

A man does not have to be an angel in order to be saint.  Albert Schweitzer


試験に出ない地学Series 2006年暖冬編--------------

  ドイツの学会の1日巡検の終わりにチェコとの国境に近い,KTBサイトという地球深部掘削サイトを訪ねた.1994年に世界で3番目という深さ 9.1km の深部ボーリングを成し遂げた櫓が丘陵のはずれにひっそりと聳えていた.深部掘削の第1位は旧ソ連がコラ半島で1985年に12.3kmを記録し,これが ワールドレコード.No.2記録は9.5kmとわずかにリードしたアメリカが持つ.しかしこれらはいずれも天然ガスなどの資源探査を兼ねていて,純粋な科 学的掘削はドイツが1番だと彼らはプライドを持つ.しかしながらこれらの苦労した掘削も結局はモホ面はおろか,下部地殻と上部地殻の境とされるコンラッド 面すら抜けなかった.片麻岩と角閃岩がどこまでも果てしなく続く地底で,技術者たちの筆舌に尽くしがたい苦闘は続いた.結局,300℃近い温度と絶え間な いボーリング孔の破壊で,ついに予算が尽きて,この計画は凍結されたと,今やモニュメントになったKTBサイトの所長は寂しそうに語っていた.そして,そ んなドイツを尻目に数年を待たず,我々の税金で建造された深海掘削船「ちきゅう」がおそらく世界で最初に海底下のモホ面を貫くだろう.
 それにしても,人類が華々しく月面に足を下ろして以来,火星表面を器械が走り回り,土星の衛星の鮮鋭な表面写真が遠く太陽系の彼方からデジタル画像で送 られて来る時代に,たかが10kmの地面の下を掘るのに,なぜそんなにも苦労を重ねるのか.そしてこれほど地味なプロジェクトに20年の歳月と,500億 円を越える予算をつぎ込んだドイツの基礎科学の伝統-----.偶然,私が出会ったドイツの高校の地学の先生は,かつて綺羅星のごとくノーベル賞学者を輩 出したドイツの科学の栄光はもうはるか昔の話しだと肩を落として語った.若者の科学離れは日本以上に進み,学力低下にあえいでいるのだと嘆いていた.東ド イツの併合,トルコ系を中心とする移民の流入---,数多くの隣人を暖かく抱え,さらに先進国唯一のCO2削減量を実現した厳しい環境保護政策---.そ のどれもが,やせ我慢をしながらも懸命に未来を行きようとするドイツの青くさいほどの理想主義の象徴のようにも思えた.ビールグラスに刻まれた細い線をこ れもおなじみのルールだよと笑う彼らに,100年後,それでも君たちの理想は間違っていなかったのだと,長生きをしてエールを送りたいものだとつくづく 思った.

  ---古代のゲルマン族が蟠踞していたのはこの地方の森林で,彼らは樹海から溢出して,ライン河でシーザーに阻止されたのである−−.「オデッサ・ ファイル」 F.フォーサイス著(篠原慎訳)より


 試験に出ない地学Series2006年秋深し編
 
 10年あまり前,盛岡で開かれたさる学会の地質巡検に参加した夜,三陸海岸に 近い旅館で,その黄色みを帯びた食材はビールのつまみに出た.お かみさんが地元特産の「ほや」だという.うわさには聞いていたが,一口食べると何とも言えない金属臭の後味が残り,これまた奇妙な食感の料理だった.私にはそれほど美味でもなく, また金輪際食べれないというでもない,どっちつかずの印象しか残 らず,その味も食感もとっくに忘れてしまった.
 今回,これを思い出し,気になってちょっとネットで調べてみた.脊索動物門 尾索動物亜門 ホヤ綱に属する海産の生物だという.金属臭は海産 生物には珍しいバナジウムを血液中に多量に含むからで.ヘモグロビンならぬ,緑色のヘモバナジンを含むのだという(註:バナジウムは触媒としても重要な金属で,自動車の排ガスの清浄化や燃料電池 関連でも重要とか).さらに鉄,ニオブ,タンタルなども海水よりはるかに高濃度を体内に凝縮しているが,これらの元素を周期表で見ると鉄を除いて5A族に縦にならぶ.大変不思議だ.またなぜこのような 金属を濃集するのかはよくわからないという.他にも,体内で「セ ルロース」を合成できる唯一の動物とか.ホヤの一種である「スボヤ」は血液がpH1という強酸性の硫酸でできているとか,調べれば調べるほど,この奇妙な食材の虜にな りそうになってきた.
 この海生の奇妙な食材のとりこになっているのは私だけではなく,発生や進化を 専門に研究する生物学者だという.DNAが比較的単純で,ゲノム が完全解読された生物では,線虫,ショウジョウバエ,ヒト,フグ,マラリアカ,マウスに次ぐ7番目だという.生物進化の専門家は「ホヤ」が脊椎動物の初期の進化の鍵を握っている という.あのバージェス動物群の唯一の生き残り,「ピカイヤ」や その系列を引く「なめくじうお」,また地球史の化石ミステリーの一つ「コノドント」の生物などとも近縁種で,脊椎動物の初期発生の研究にさかんに使われている.なるほ ど,このあたりに地球科学との接点がありそうだと一人合点してほ くそえんだ.
 5億年をほとんど進化せず,また大量絶滅をも逃げ延び,海に生き続けた脊椎動 物の祖先,体中に奇妙な元素を集めて,他の生物の餌になることを 逃れたのだろうか.海にはまだまだ奇妙な生物が潜んでいる.それを食材として試した,我々の遠い祖先もまた,「ホヤ」から受け継いだDNAを持っていた不思議.あの新鮮な「ほ や」をもう一度食べる機会が来ることをひそかにうかがっている.(この稿,ネット上のウィキペディアや各種サイト,http: //www.nig.ac.jp/hot/2002/kohara0224-j.htmlなどを参考にした)

 -----悪いことばっかり見付けないで 僕ら一緒に探そうずっと
    優しく淡く弧を描いて 夜を撫でていく箒星-----      桜井和寿「箒星」より


試 験に出ない地学Series.2006年梅雨明け号

  1965年9月18日の未明,東京三鷹の国立天文台はあいついで2通の電報を受け取る.台風通過のわずかの晴れ間を利用し
て空を捜索していた,熱心な天文家からの電報であった.通常なら行われる確認作業をすっ飛 ばして,その発見の報は米国スミソニアン天文台に至急電で送られ た.これがのちに太陽表面からわずか45万km(太陽直径の何と1/3という近さ!)という距離まで近づいて,20世紀最大の大彗星に成長する「イケヤ・セキ彗星」の発 見であった.この彗星を発見した池谷薫氏は当時,浜松にあった楽 器工場に勤める技師,また関勉氏は高知で個人ギター教室の先生.いずれも職業的な天文学者ではなくアマチュアのコメットハンターであった.しかも両人ともにその発見に用 いた望遠鏡は自身の手づくりのものであったという.
 彗星は独立した発見者の名前を発見時間順に3名まで加えることができるとい う.関氏,池谷氏ともに自分の名前がついた新彗星を6個ずつ発見 されている.外国で独立に発見される場合も多く,関勉氏の2番目の彗星は「関・ラインズ彗星」と呼ばれる.また惜しくも4番目,5番目で名前がつかなかった人も多いという.新彗星 は空のどこに現れるかわからないし,最初に肉眼で見えることはま ずない.従ってその捜索は職業的な天文学者のルーチンワークの中には入らないことが多い.新星(星の爆発)や超新星(星の崩壊)も同様にアマチュアの発見が多い.最初 に発見される新彗星はほとんど望遠鏡の観察限界に近い8等星より 暗い状態で発見される.また世界中にライバルがひしめいているので,発見は努力のほかに運も大きく作用する.新彗星が出やすい夜明け前の東空を端から望遠鏡でゆっくり 捜索していき,仮に彗星のような淡い見知らぬ天体を視野に見つけ ても,既知の星団や星雲であることがほとんどで,その確認にも時間を食うことが多い.優れたコメットハンターは視野に入る既知の星団や星雲の配置まで覚えていると何か の本で読んだことがある.
 ともあれ,1960年代のこの2人の活躍に刺激を受けて,日本でも多くのコ メットハンターが誕生した.私も高校生の頃,関勉氏の書いた「未 知の星を求めて」という著書にいたく感動して,反射望遠鏡の鏡を磨いたことがある.ラジオの深夜放送を聞きながら明け方まで,手のひらを研磨剤の紅柄で真っ赤にしながら,鏡を磨き続 けたことを昨日のことのように思い出す.その望遠鏡は高校3年の 冬に試作が完成したが,ちょっとした不注意で鏡の表面に傷をつけてしまい.星を見る熱まで急速に醒めてしまった.私のアマチュア天文家としてのキャリアはそうしてデ ビュー前に終わってしまった.
 最近でも1996年の「百武彗星」の雄姿は天空に90度近い尾を見せ,世界の 天文fanをうならせた.しかしコメットハンターとして夜明けに 人知れず現れる新彗星を見つけるための身体の酷使は健康を蝕み,発見者の百武裕司氏は8年後,2002年の春,51才の若さで彼の名のついた彗星の後を追うように空へ旅立って往かれ た.
 私は今でも,ときどきふらっと双眼鏡を手に星座の星を追うことがある.そのと きふと,視野に10年前の百武彗星の淡い尾を引いた像が思い出さ れる.お前はまだ生涯を賭けて自分の名を歴史に刻むほどの情熱を持っているのか,と天に昇った百武氏からの問いかけられているように,-----.(参考:関勉氏のWeb Page:http://comet-seki.net/jp/)

---夜露は,望遠鏡の白い鏡筒を流れ始めた.(耐えられるだけ,耐えるの だ.) 私は,心に激しく,むち打ちながら,視野に映る星々を, じっと見つめていた. ---「未知の星を求めて」関勉著より


試 験に出ない地学Series 2006年初夏号

 中緯度の対流圏と成層圏の境を吹く強い西風であるジェットストリーム(気流)はそのどこかロマンティックな響きと共に,大陸間を旅するジェット旅客機の燃費節減にも大いに貢献している.しかしその発見には意外な秘話があった.それらをちょっと調べてみた.
 1944年11月24日東京郊外にある中島航空機の武蔵野発動機工場を攻撃目 標として,東京上空9000mに達していたB29(当時の米軍の 新鋭爆撃機)の操縦士Edward Hiattは恐ろしい追い風に驚いていた.レーダーを注視していたナビゲータに確認した飛行機の対気速度は545 km/hであったが,これに追い風が225 km/hもプラスして,対地速度は770 km/hに達していた.当時のプロペラ爆撃機の速度としては信じ られない速度であった.目標をはるかに外してしまったので爆弾を適 当に処分するように投下して,ほうほうのていでサイパン島に帰投するしかなかった.着陸するや彼は早速,上官に信じられない追い風の報告をしたが,誰もその風を信じようとはしなかった.
 その翌年の1945年5月5日オレゴン州の不幸な子供たち6人が空から降って きた爆弾で死亡した.日本がほとんど戦果を期待せずに,空に放っ た数千の風船爆弾が遠く太平洋上空の高さ9000mを時速160 km/hで西から東に1万kmも渡り,運が悪いとしか言いようの ない犠牲者を出したのだ.米国がアメリカ大陸内で第2次世界大戦 中に出した唯一の戦争の犠牲者だった.
 さらに時は下って,1947年,アンデスを越えようとした4発のプロペラ機が 6人の乗客と搭乗員もろともどこかに消息を絶つという出来事が あった.はるかに後の2000年になって,彼らの遺体の一部とエ ンジンが氷河の底から見つかったという.アンデスを越える強い西 風に逆らえずに氷河に墜落したと推定されている.
 ところがこの強い西風は歴史を遡ること1926年,日本の気象学者大石和三郎(初代高層気象台長)が風船を上空に放つ観測ですでに捉えていたという.彼はその成果を何とエスペラント語で公表したが,世界の誰の注目も得ることもなかった.ジェット気流発見の栄誉は,戦時中のB29の飛行経験を戦後調べた米国人の手に授けられた.ところが2003年3月号の米国気象学会誌に,「Ooishi's Observation: Viewed in the Context of Jet Stream Discovery(ジェット気流発見史に占める大石博士の観測成果)」という論文が77年の時を経てJohn M.Lewis氏の手で紹介された.英語が現在のように科学研究のグローバルスタンダードになるとは当時の日本ではまだ気づかれていなかった.大石博士の不幸はそうした時代の雰囲気とも無関係ではない.また,ネットでヒットする発見詳細の唯一の文献であるフランス語の以下のサイトの内容を調べるのにも骨を折ることになった.(この稿,
http://www.astrosurf.com/lombry/meteo- jetstream.htm(フランス語のサイト)
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/b29.htm
http://www.kousou-jma.go.jp/share/publication/archive/2005/jouabs_6500.htm
を参考にした)

−−「幸福はいつも減点法ではかられるのだ.環境は減点するかし ないかであって,決して点を加えはしない−−」池澤夏樹「夏の朝 の成層圏」より


試 験に出ない地学Series 2006年暖春号

  重水は天然の水のなかにほんのわずか0.02%足らず含まれる.淡水の電気 分解で残留する成分から得られるが,濃縮コストは高く,2004 年現在,純度99%の重水は150円/gだと言われる.分子式は H2OではなくD2Oと書かれ,水素原子の原子核が陽子と中性子 がペアになったため少し重く,比重は1.1と普通の水より少しだ け重い.10数年前この重水を使った常温核融合騒ぎが世間を賑せたことも記憶に新しい.今回はその重水にかかわる話を−−.
  第2次世界大戦の真っ只中ヨーロッパの戦場からは遠く離れたノルウエイのフィヨルド奥にあった,当時唯一の重水工場を巡って,ナチスドイツと連合国とりわけ英国との間に凄まじい戦いが繰り広げられる.戦争が始まり,ナチスはいち早く原爆開発の材料源として重要であったこの重水の工場を接収.ただちに英国はナチスの原爆開発を阻止するため,無音のグライダーとパラシュートで森の奥深くに滑空降下し,工場を爆破しようとした.しかしグライダーは事故で墜落,作戦は失敗.英国はさらに繰り返しコマンドを送りこんだ.土地勘のある亡命ノルウエイ人のレジスタンス部隊は険しい山岳をスキーで越え工場を攻撃,さらに最後には重水をドイツに運ぶという情報で自国民の乗ったフェリーを爆破沈没させてまで,ドイツに重水が持ち帰られるのを防いだ.しかしナチスはほどなく敗北.懸念された原爆開発もさほど進んでいないことがわかったのはかなり後であった.また重水が原爆開発に必要という当時の情報も直接には実はそれほど重要でないということは米国の原爆開発の過程でわかる.
 し
かし現在では,アルゼンチンをはじめイランなど多くの国がこ の重水生産工場を持つことがわかっている.重水型原子炉は濃縮し ていない天然ウランを燃料棒として使用でき,しかも副産物として 爆弾用のプルトニウムができるため,ひそかに核開発をする国には 喉から手がでるほど欲しい物質である.第2次世界大戦から60年 を経てもなお,透明な重水をめぐる思惑は,くすぶる国際情勢のなかで黒々とした不透明な姿で蠢いている.(註:このノルウエイの重水工場を巡る英独の戦いは映画「テレマークの要塞」 (米1965)や「633爆撃隊」(英1964)などでも描かれた)

 −−−博士の幸福は計算の難しさには比例しない.どんなに簡単 な計算であっても,その正しさを分かち合えることが,私たちの喜 びとなる.−− 小川洋子「博士の愛した数式」より


試験に出ない地学Series 2005年暖秋号
  1964年ボストン.丘の上のスタート地点でP.F.Hoffmanは顔にかかる冷たい風に初めてのフルマラソンの緊張を感じていた.結果はビギナー ズラックともいえる9位入賞で,ホフマンの気持ちは揺らいだ.これから4年後のメキシコ五輪に向けてマラソンランナーとして鍛えるか.その当時在籍した大 学の地質学で身を立てるか.悩んだあげく彼はマラソンを捨てる.それが地球科学に幸いした.地質学者となった彼はカナダ地質調査所の所員として極北のカナ ダの地質調査に邁進する.白熊と亜寒帯特有のしつこい蚊の攻撃に息を潜めながら彼の孤独な研究は続いた.しかし,奔放に学問に邁進する彼と,官僚的な色彩 濃い上司との間が決裂するのは目に見えていた.ついに上司と衝突した彼は退職願いを書き,運良く拾ってくれた大学の教員に納まる.慣れ親しんだカナダを捨 てて,次のフィールドを探す彼に,願ってもない話しが舞い込んだ.それは長く続いた内戦がようやく終結したアフリカのナミビアの地質調査であった.
 ここで彼はマラソンの金メダル以上の貴重な発見を手にする.砂漠の切れた岩山に残された,どうみても熱帯の海に溜まった泥岩に,氷山が落とした巨大なド ロップストーンが挟まれている重要な露頭である.そしてその奇妙な地層は,これまた説明困難な分厚い石灰岩層に挟まれていた.
 この地層を解釈するのにホフマンは10年近く前にCaltech(カリフォルニア工科大学)のある風変わりな地磁気の研究者が唱えていたSnow Ball Earthという概念に着目する.7億年前に地球は熱帯まで全面的に凍結した!この途方もないストーリーを緻密な調査結果から粘り強く書き上げ,1998 年雑誌「サイエンス」に発表.地質学に衝撃を与えた.
 現在ではこの凍結時代こそ,その後の生物の発展に大きく寄与したと考える人が多い.苦難の歴史が人々を鍛えるという聖書的な歴史観とどこか似ているのが 興味ある.ともあれ2度あることは3度ある.この全球凍結がたった一度の稀有な地球史上の特異な現象なのか.それとも条件さえ整えば明日にでもまた坂を転 げ落ちるように気候は激変するのか.私たちの未来を予測する科学はまだその長い道のりのほんのスタートラインに立ったばかりである,−−−.(この稿, Gabrielle Walker著のSnowball Earthを参考にした.)

アマゾンの女王ペンテジレーアが 白馬を走らせていた.恋しいアキレスに会うために.  春江一也「プラハの春」より.


試験に出ない地学Series  2005年中秋号
 1909年の夏,あたりで多産する三葉虫の化石の箱と,妻を載せた馬が降り出した雪のために足を滑らせ,偶然,その山道の傍らに奇妙な軟体部を持つ化石 が発見される.C・D・ウオルコットによるバージェス動物群の最初の発見はそう語られている.しかし,米国を代表する古生物学者で「ワンダフルライフ」に よりこの奇妙な生物群を世界に知らしめた,S・J・グールドはその本のなかで,ウオルコットの当時の日記を引きながら,この逸話が嘘であると語っている. また辛辣な言葉で何度もウオルコットの研究姿勢や分類の仕方をこっぴどく批判している.発見の真相は知るべくもないが,その後,ウオルコットは家族を動員 してこの化石を一心に発掘する.やがて7万点にのぼる化石を発掘,最後の人生をその分類と保管に費やす.しかし彼の死後,奇妙なことに彼の膨大なコレク ションは60年間もスミソニアン博物館の倉庫の引き出しのなかに封印されたかのように忘れ去られる−−−.
 1970年代に至って,この封印を最初に解いたのはケンブリッジ大学の三葉虫の専門家H・ウィッチントンと彼の研究室に配属されたばかりの若い2人の大 学院生,コンウエイ・モリスとデレク・ブリッグス.彼らはフィールドというより,むしろ博物館の引き出しにしまわれたウオルコットの化石に再び光を当て, 歯医者用のドリルを駆使して精緻な再研究を開始する.そしてこのおそるべき「カンブリア爆発」の証拠を次々と論証していく.5つの眼を持つオパビニア,エ ビとクラゲの2種類の動物とされていたアノマロカリスなどおなじみの顔ぶれが復元されるのにそんなに時間はかからなかった.−−映画「ワンダフルライフ」 は他人思いの主人公が最後は人に騙されて商売に失敗し,絶望の中で町外れの橋から身を投げようとする.それをまだ見習いの二級天使が助ける.「自分の人生 なんて何の価値もないのだ」と嘆く主人公に,それでは君のいなかった町を見せてあげようと,天使は別のおぞましい町の風景を見せる.君のおかげでこんなに 町は賑わってきた,君の人生がどんなに人に役だったのかを分かってほしいと−−−.
 グールドは,人知れず滅んで行ったバージェスの動物たちに,おまえたちはこんなに現在の私たちに役だったのだと,彼独特の進化の見方から語りかけてい る.しかし,今これを書いていて,グールドが映画「ワンダフルライフ」の主人公と重ねたのは,ひょっとすると彼が著書でこっぴどく批判したウオルコット自 身ではないかという気がしてきた.齢60を越えて発掘に着手し,さらに発掘途中で妻と息子2人をそれぞれ事故や病気,戦争で失うという悲劇にさいなまれて もなお,情熱はその後もとどまることなく,人生の最後のページをバージェスの化石に賭けたウオルコットの人生こそ「ワンダフルライフ」だったと書きたかっ たのかも知れないと初めて感じた−−.

 ―真にエスニックなものは驚くほどコスモポリタンだ.―「ヘルメスの音楽」浅田 彰より


試験に出ない地学Series.2005年空梅雨編
  1929 年,大恐慌の年の11月半ば,北米ニューファンドランド沖でM7.2というこのあたりとしては珍しく大きな地震が発生し,あたりに時ならぬ津波の被害を与 えた.しかもその直後,奇妙なことが起こる.北米とヨーロッパを結ぶ海底ケーブルが次々と不通になった.しかもその不通になる時間は少しずつずれていて, あたかも海底ケーブルが時間差で深い方に向かって何者かに切断されて行ったような形跡があった.その速度は簡単な計算から約65km/時と結論づけられ た.その25年後,震源域の海底の巨大なエリアに真新しい砂岩層と地すべりのあとが発見された.ケーブルを切断したのが地震に誘発された,海底の地すべり で,その結果砂岩層が堆積されたと結論付けられた.これが世界で最初の海底「混濁流(乱泥流)」の発見であった. 
   それから時は流れて,1973年オイルショックに明け暮れた日本では,小松左京というSF作家が「日本沈没」という作品を出版し,映画にもなった.日本列 島が火山噴火と巨大地震の連鎖のなかで,中央構造線を境に海底下に沈没し壊滅するという当時のプレートテクトニクスの最先端の知識をモチーフにした壮大な 物語である.その冒頭で,地学的事件の最初を飾る現象として,主人公は深海調査船で日本海溝の奥深く,もくもくと盛り上がり下降するこの乱泥流を目撃する ―――. 
  さらに時は流れて,昨年12月,スマトラ島からアンダマン諸島にかけてを震源とする,M9.3という地震学者の想像を越えた巨大な地震が発生した.かつて 「日本沈没」を読んだとき,まさかこんなM9から10(小説の中では確かそうなっていた)なんていう巨大地震は日本では現実には起こらないと高をくくって いた私であるが,このスマトラ地震の震源域を日本列島に重ねて驚いた.この現実の地震の震源域ははるかに三陸沖から九州南部に達する長さと幅を持ってい た.
 「日本沈没」ではその後,日本にすむ人々が沈んだ日本列島を離れ,流浪の民と なってヨーロッパに向かうところで終わる.小松左京はその続編を書くと当時インタビューで答えていたが,その後の物語はまだ書かれていない.乱泥流をから めたテスト問題を考えていてふとそんなことを思い出した―――――.(この稿,http: //earthnet.bio.ns.ca/communities/earthquake_e.phpの記事を参考にした)

「-----だから負の重力異常帯に沿って,大冷水塊が出現し,そいつに黒潮が ぶつかって濃霧を発生しているのだ-----」 小松左京「日本沈没」より. 
※ 最近のニュースに映画 「日本沈没」のリメイクの話.製作費20億で来夏公開とか.
主演はSMAP草なぎ剛と柴咲コウとか.ちょっ と楽しみ!

試験に出ない地学 Series 2005年初夏号
 「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ」---海は時として驚くようなものを運 んでくるが,1990年秋から翌年の春にかけて北米の西海岸を中 心に,浜辺に新品のNike(ナイキ)のスポーツシューズが次々と漂着した.実はその半年前の1990年5月27日,韓国の工場から米国に向かっていたコンテナ船 がアリューシャン列島の南で嵐に遭遇.甲板上の大量の靴を積めた コンテナが割れて荒れる海へ落ちそこからこぼれたものだった.その後も漂着は続き総数は1600足に達した.積荷の書類から60000個を越える靴が海に投げ出 されたことがわかった.事件は繰り返す.その2年後,今度はさら に西方海域で,香港から米国に向かっていた同様のコンテナ船から,子供が風呂に浮かべて遊ぶプラスチックのあひるやかめやいるかのおもちゃがまたまた大量に海に流 された.これらのおもちゃもまたまたカナダ西部の海岸に次々と漂 着する.海洋学者は早速,ちゃっかりこの靴やあひるの漂着ルートを 推定し,太平洋の北部の海流や風の研究に役立てているという.
 海流は熱帯で生成された暖かい海水と北極で冷やされた冷たい海水の境を海面の 等高線に沿って渦を作りながら流れる.海水とそれに接する大気の コラボレーションのメカニズムは地球温暖化など長期の気候に与える影響が大きく,21世紀になってようやく最新のスーパーコンピュータによって解析が実用化され始め た.横浜にある世界最速を誇ったJAMSTEC(海洋開発機構) のスパコン「地球シミュレータ」でコンピュータメモリ上に再現された海流には本州の南岸を洗う,見事な黒潮とそれが作る細かい渦構造まで現れていて驚かされた.
 ハイテクの最先端で計算された数値モデルの海流と,実際の海流のすり合せは今 後ますます重要になるが,その解明に嵐で流されたナイキのスポー ツシューズやおもちゃのあひるが役に立っているというのはなかなか興味深い.島崎藤村の冒頭の詩は,実は民俗学者柳田国男が伊良湖に1カ月余り滞在した時の体験を 藤村が聞いて唄にしたといわれる.それから100年の時を経て現 代の合成樹脂の椰子の実たちは今も黙々と海を漂い続ける-----.
(この稿http: //www.agu.org/sci_soc/ducks.htmlやhttp://www.msc.ucla.edu/oceanglobe/pdf/nike_invest.pdf などを参考にした)

 ---それでその潜水艦はひどく雑音(ノイズ)を立てていたので,コップをダラスの船体にくっつけるだけでも聞き取れた.---「レッド・オ クトーバーを追え」トム・クランシー/井坂清訳


試験に出ない地学Series 2005年早春号
 地球の自転は日々の時計の基準ともなり,一見盤石かつ正確に見えるが実は様々なゆらぎを含むことがわかってきた.19世紀の終わりアメリカのChandler, SethC.はチャンドラー極運動と名付けられる奇妙な地球の極 の首振りを見つけた.これを精密に観測するため,当時世界を巡っ て北緯39度8分の線上に6か所,緯度を精密に測定する観測所を 作ることになった.そこで白羽の矢を立てられたのが東北地方の寒 村水沢であった.以来ここに築かれた緯度観測所は天頂を過ぎる恒 星の精密な位置観測に邁進する.初代所長であった木村栄(ひさし)は観測データのゆらぎを従来の式にZ項という新たな項を付け加えることで解決した.この発見は文明開花以来,日本が最初に自然科学でなし得た世界的業績となった.木村はこの功績により,日本で最初の学士院恩賜賞,文化勲章を受賞する.それまで欧米の後追いであった地球と宇宙に関する学問が日本に根ついた瞬間であった.木村は物理学,天文学に秀でたほか,この時代の天才,寺田寅彦などがそうであったように,テニスや謡曲,書などにも造形が深かったという教養人でもあった.以来すでに1世紀がすぎた.星の精密位置測定の技術は飛躍的に進み,地球内部の核やマントルの状態までが,チャンドラー極運動などの精密解析から推定されるようになった.昨年末のスマトラ島沖地震では,自転軸が約2.5cmずれ,また自転周期が2.68マイクロ秒短くなったことまで観測された.しかしそれだけ観測技術がすすんでなお,この地震を予測した人は世界に誰もいない.また依然としてチャンドラー極運動のメカニズムも完全には解けていない.観測ですぐに解ることと困難なことの区別がようやく解ってきたというだけでも学問は進歩したといえるかも知れない.地球の謎はまだまだ深く遠い.

-----その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った.---見ると木村博 士と気象の方の技手とがラケットをさげて出て来ていたんだ.木村 博士は痩せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだね え,それに非常にテニスがうまいんだよ.-----宮沢賢治「風 野又三郎」より


試験に出ない地学Series2004年木枯らし号
 ドイツ南部の丘陵地がアルプスに向かってゆるやかに標高を高める場所に位置するゾルンホーヘンは,良質の板状石灰岩を産することで有名だった.古くローマ時代はこれをローマに通じる道路の敷石や建物の建材として用いた.ルネサンス以後,そのガラスのように緻密な表面は石版印刷用の石板として重宝された.またその石灰質の堆積物は,遠くジュラ紀の暖かい沼沢地(ラグーン)に堆積したと考えられ,古代より保存のよい化石を産することでも有名であった.その石切場の一角で1861年始祖鳥は発見された.C.Darwinが論争を巻き起こした「種の起源」の出版のわずか2年後である.早速Darwinの番犬と称されたT.Huxreyら がこの化石の意義に気づく.この化石こそ進化論の証拠となるべき 重要な化石であると.その後,現在に至るまで確認された始祖鳥の 化石は羽毛の印象のみのものを含めて8体ある.有名なのは発掘順 で2つ目のLondon標本と3つ目のBerlin標本である. 特に後者は完全な頭骨を保存し,羽毛の跡が信じられないくらいきれい に残っていた.最初の標本をLondonに買い取られてしまったドイツは威信を賭けて,当時の金で20000ドイツマルクを持ち主の研究者に支払い,博物館に買い取ったという.現在,この化石を発見当時のF.Foyle(天文学者,定常宇宙論で有名)の疑念のように,Fake(贋物)だという研究者はほとんどいない.しかし今も,頑強に進化論を否定する創造論者(聖書に描かれた天地創造が真実だと主張する人たち)には,この化石を贋物だと論評する人が後をたたない.それほどこの化石の発見が進化論のその後の論議に与えた影響が大きかったということか.ともあれ日本では想像つかないが,米国の科学教育の議論ではこの進化論者(Evolutionalism)と創造論者(Creationalism)がしばしば対 立する場面が見られる.米国の宗教観の特異な一端がここに覗いて いる.
(この稿http: //homepage1.nifty.com/archaeo/dinobird/shisochou.html
 http://www.talkorigins.org/faqs/archaeopteryx/info.html  などを参考にした.05Dec.2004)

----その鳥は夜も光かがやき,この地上のすべてのことを知っている神の使い だという--- 手塚治虫「火の鳥4,鳳凰編」より


試験に出ない地学Series2004年紅葉号
 昭和5年11月25日昼,京都帝国大学理学部長石野又吉教授は天橋立郵便局発 の見知らぬ差出人から届いた1通の電報に驚く.「アスアサ,ヨ ジ,イズニテ,ジシンアリ」ムクヒラ.その予言どおり,翌11月 26日午前4時すぎ,北伊豆地震が発生,死者223名の惨事とな る.当時の新聞はこれを大々的に取り上げ,電報の差出人だった椋 平廣平氏は一躍,時の人となった.その後も彼は故郷,天の橋立近 傍で観測した特殊な小さな弧(アーク)のような虹を用いて次々と地震の予知を的中させたという.気象庁の予報官と直木賞作家という2足のわらじを履いていた新田次郎(本名藤原寛人)は短編小説「虹の人」(新田次郎全集10「火の島・火山群」新潮社に所収)という彼をモデルにした作品のなかで,知らぬ男からの突然の地震予知電報に運命を翻弄され,やがてその虹で地震を予知した男と対決を決意する若い地震研究者を描いている.この椋平虹は,当時すでに大学者であった寺田寅彦,藤原咲平(後の気象庁長官で新田次郎の叔父にあたる),三木晴男(京都大学教授)といった専門家の注目を浴びた.しかし確固とした専門家の支持は,結局得られず世間の評判も次第に芳しくなくなった.彼は自分で考案したセルロイドの分度器を用いた虹の観測と熱心な日常の気象観測に戻っていった.戦後も知人相手に地震の予知を続けていた彼であったが,昭和51年9月26日毎日新聞が突如,鉛筆書きのはがきの消印を用いた彼のトリックを暴露する記事を載せた.記者が密かに彼の不可解な行動を逐一監視していたのだ.以後彼は一切を沈黙したままやがて天の橋立に近い故郷で静かに生涯を閉じる.この模様はTVの人気番組「驚きももの木20世紀」でドキュメンタリーとなったので思い出す人もいると思う.しかし彼の初期の予知は電報でなされたため,消印のトリックは不可能である.その後も,彼が観測したという虹を科学的に確認したという話はついぞ聞かない.彼が死んだ今となっては生涯をかけた彼の観測の全貌は,まるで彼の虹と同じように歴史の闇の彼方に薄らいで消えてしまった-------.

“君の考えは常に出発点で彷徨している.多分,君は走るだろうが,決して飛ぶことは出来ない人だ.”-----新田次郎「虹の人」より


試験に出ない地学Series 2004年梅雨明け号
  1945年5月8日,降伏したドイツの隠し資産を調査していた米軍はオーストリア,ザルツブルグ近郊のAlt Aussee岩塩鉱山を捜索し,坑の奥深くに隠されていた7000点に及ぶ膨大な絵画コレクションを発見する.もともとヒトラーは部下に命じて占領地から 膨大な絵画の買取りや略奪を行った.彼が嫌った前衛芸術家やユダヤ人の作品は英米のコレクターや美術館に売却し戦費の調達に使われ,残りは彼や部下の個人 的コレクションとされた.しかし,戦争が終わりに近づき,空襲下の都市では保管できなくなったこれらの収奪物の隠匿場所として,爆撃の影響を受けず,また 成分のNaClが吸湿性に富み,乾燥して低温の岩塩坑内は最適であった.絵画がユダヤ人達にわたる位ならいっそ爆破しようと,ここの責任者は計画したらし いが,ドイツ軍内部の通報者が知らせて間一髪助かったとも伝えられる.見つかった絵画の中には今年秋に日本に来るフェルメールの「画家のアトリエ」や15 世紀最高の宗教画と言われるベルギーの「ゲントの祭壇画」などが含まれる.略奪された美術品はこれに留まらず,旧ソ連の占領下を中心に数多くの絵画が今も 持ち去られたままと言われる.それらの絵画を元の持ち主に返還させる運動が今ごろになって各所で起きている.
 所変わって,最近では原子力発電所の放射性廃棄物を岩塩鉱山に封じ込める研究もさかんに行われている.地下の圧力で自在に変形し,物質を閉じ込めやすい 岩塩はその目的に最適なのだとも聞く.また砂漠地域で石油を胚胎する地層の構造は岩塩ドームの浮上でできることも多く,石油を探す時に負の重力異常を示す (岩石に比べて密度が軽い)岩塩はよい目印だと学生時代に聞いた.
 あるときは不正に入手した資産の隠し場所になり,またあるときはエネルギー資源探査の目印として使われ,最後にとうとうその資源浪費のつけの格納所にさ れるようでは,幾千の星霜を経て作られた美しい岩塩のピンクの結晶が少々気の毒に思えてきた.-----.

-----日が昇ろうとする頃,ロトがゾアルに着くと,突如として主はソドムとゴモラの上に,主から出る硫黄と火の雨を降らせた.---振り向いたサライ は塩の柱になった.-----旧約聖書「創世記」


試験に出ない地学Series 2004年初夏号
  戦国映画で織田信長が,新装なった安土城の天守閣から望遠鏡を片手に「蘭丸!これが南蛮渡来の遠眼鏡じゃ!都が見えるぞ!」と景色を覗くシーンが出てくる があれは時代考証が合わない.
 望遠鏡の発明は1600年代の初頭,オランダの眼鏡屋,H.リッパルハイが店の老眼鏡(凸レンズ)と近眼鏡(凹レンズ)を組み合わせてみたのが最初で, 1608年特許として出願されたとされる.従って織田信長の1580年頃には望遠鏡はそもそも存在しないはず-----.ともあれ,その発明を伝え聞いた ガリレオ・ガリレイはすぐさま同じレンズの組み合わせで有効口径わずか26mm倍率14倍という望遠鏡を製作したと言われる.このあと彼は同様のものを改 良を重ね10数台製作し,金星の満ち欠けや木星の衛星などの有名な発見をものにする.しかし,彼の知り合いであったある聖職者は「これを覗けば君も地動説 を実感できる」と誘われても頑として固辞したとも伝えられる---.もし信長が本能寺で生き延びて,望遠鏡で木星を見ていたら---.歴史のifのタネは 尽きない.

-----「彼ら(占星術者)は独自の天体観象儀を持っていて,それには1年中の惑星の記号,時刻,位置が記載されている」-----マルコポーロ「東方 見聞録1」クビライ・ハーンのモンゴルを旅した記録より.


試験に出ない地学Series 2004年春待ち号
  1989年3月23日英国の経済誌「フィナンシャルタイムズ」が衝撃的なニュースを伝えた.英国サウサンプトン大学のMartin Fleischmannと米国ユタ大学のStanley Ponsが机上実験で核融合反応を確認したと.----これが世にいう常温核融合騒ぎ(Cold Fusion Fever)の始まりであった.彼らは室温で容器に入れた重水(水素の代わりにそれより重い重水素を含む水)にパラジウムと白金を電極として,電流を流す 電気分解の実験を行った.ところが電極に予想外の熱が発生し重水は蒸発,電極も一部溶けたという.さらにバックグラウンド量より明らかに多いガンマ線と中 性子を検出したと報告したのだ.新たなエネルギー源として世紀の大発見になる!そう思って化学者が追実験を試みた.各国の政府も予算で研究を後押しした. 世界中が蜂の巣をつついた騒ぎになった.しかしそれから10年あまり,もうこの常温核融合を口にする研究者は少なくなった.米国や日本の研究予算もすでに 閉ざされた.実験の再現性の悪さや彼らの最初の実験をめぐる様々な憶測などから,この実験への期待は急速にしぼんでいったという.私も彼らの最初の論文を 取り寄せてみた.実験装置の図もない奇妙な感じのする短い論文にはガンマ線量のグラフだけが見事なピークを描いていた.フィーバーが過ぎ去った今こそ,冷 静になってもう一度この騒ぎの本質を調べてみたいと思っている.

-----人にしてほしいことばっかりなんだ.人にやってあげたいことなんか,何一つ思い浮かばないくせに.----- 綿矢 りさ「蹴りたい背中」 より


試験に出ない地学Series 2003年初冬号
  1908年シベリアのツングースカ上空で何かが爆発し,半径20キロの木を焦がして円形になぎ倒されるという事件が起きる.しかしそれが何か地球外から やってきた天体の衝突だと信じる人はいなかった.それから60年あまり.友人の地質学者の月着陸を自宅で寂しく見守る男がいた.ジーン・シューメイカー. 彼は地質学者として最初の月探検に出かけるはずだった.しかし出発前の腎臓の検査で病気が見つかり,この半生を賭けたチャンスを棒に振る.気を落としなが らも彼はその後,夫人と共に天文台に通い,地球に衝突しようとする小惑星や彗星の捜索に情熱を傾けた.惑星に天体が衝突してクレータができるのは現在でも ありふれた現象であるという若い頃からの彼の主張を支持する人はまだほとんどいなかった.それを隕石や小惑星の軌道から証明しようと思ったからである.そ の思いがようやく天に通じる時が来る.1993年3月パロマー山天文台で彼らが発見したシューメイカー・レビー第9彗星は翌94年7月,21個の分裂核に 別れて木星の引力圏に捕らえられ,次々と木星表面に衝突,その模様は世界中に中継され大きな注目を浴びた.この日,人生最良の日を妻と共に過ごした彼は, しかし3年後の1997年7月,オーストラリアの隕石クレータの調査中に交通事故にあいあっけなく69歳の生涯を閉じる.---その2年後「月に行けな かったことが人生最大の心残り」と言っていた彼の願いを叶えようと同僚や教え子達は月探査機ルナプロスペクターに彼の遺灰30gを詰め,月に送り届けた. あれ程行きたかった月にやっと到着した彼は今頃,地球をどんな思いで見ているのだろうか?(この稿以下のサイトを参考にした.http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/node75.html
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/Space/199908/03.html

---異常な完結的な予定の行動が延期されると,日常のすべてのいとなみが気息を吹きかえす.---  島尾敏雄「出発は遂に訪れず」より


試験に出ない地学Series.2003年秋深し号
   計算機の中の「人工生命」の創始者で,「複雑系」の大家として今や世界をリードするクリス・ラングトンの半生はしかし,数少ない「遅咲きの天才」と しての波乱に満ちたものだった.------.
   “High school is a disaster for me.” という高校をドロップアウトし,ベトナム反戦運動やヒッピームーブメントに身を投じていた頃,良心的徴兵忌避のため病院で夜勤を命じられる.ある深夜,計 算機室でコードのデバッグに飽きた彼は,机上の旧型ミニコンDEC PDP-9の画面にライフゲームを走らせた.そのときふと誰もいないはずの部屋に人の気配を感じる.“I realize that it must have been the Game of Life. There was something alive on that screen.” 彼はこうしてハードウエア上に生きる意識を実感する.しかしそれもつかの間,興味の赴くままに彼はその後,ハンググライダーに夢中にな る.すでに全米選手権は目前に迫っていた.その日の最後の練習フライトでデッドエアーにつかまり50フィートの高さから樹木ごしに落下した.全身35ヶ所 の骨折を負いながらも奇跡的に命を取り留めた彼はやがて担ぎ込まれた病院のベッドで意識を回復する.”I could feel different levels of my operating system building up -----.” 自分の意識の覚醒と計算機の立ち上げ時の操作の類似に気づいた彼は今度こそ,自分のやりたい学問が見えてきた.28才になっていた彼はもう一度,大学2年 生としてアリゾナ大学のキャンパスに戻ってきた.そして30才を過ぎて大学院に進学した彼は,なけなしのバイト料で手に入れたAppleII を相手に「自己増殖するセルオートマトン」すなわち計算機上の「人工生命」のプログラム開発に衝かれたように熱中する.やがてその成果は複雑系の総本山 「サンタフェ研究所」のワークショップで世界の注目を浴びる.彼が研究所のスタッフに残るためにPhD(博士号)を得たのは40才をはるかに過ぎたとき だった.(この稿M.Waldrop著 “Complexity”に拠る.2003.10.25)

  -------忘れたり,紛らわせたりするために描くんじゃ絵は描けない.そんな絵は人の胸を打つことはできない,――.「亡国のイージス」福井晴敏 より


試験に出ない地学Series 2003年夏待ち号
   戦争の敗色も濃くなった1944年6月,半年前より地変の続いていた北海道壮瞥町の麦畑の中で突然,水蒸気が吹き出した.その後1年続く昭和新山誕 生の瞬間である.三松正夫はその風景を自身が局長を勤める郵便局から見ていた.若いころ地震学者大森房吉の火山観測に随行したことのある彼は,すぐに事の 重要さを認識し,この地変の観測を開始する.といっても戦争中の物資のない時代,火山性の地震の回数は豆を皿に1回1回移すことでカウントしたり,2本の 棒の間に水平に張ったテグス(釣り糸)と自分の顎を固定する台を自作して,精密な地面の隆起の測量をしたりとその観測は辛酸を極めた.しかし,その甲斐 あって,彼の残した火山の成長を刻んだ精密な輪郭のスケッチは,田中館秀三によって1948年オスロで開かれた国際火山学会で「ミマツダイアグラム」とし て紹介され,世界の火山学者から絶賛される.同時に彼は硫黄堀の心無い人々によって山が荒らされるのを嫌い,1946年私財を投げ売ってこの山の土地を買 い取る.1977年には3度目の有珠の噴火を体験.その年の冬,89才で静かに世を去る.以来数10年,山のふもとに立つ彼の銅像は半生,彼とともにあっ た昭和新山を今も静かに水準器の彼方に見つめている.(この稿,http://volcanicrider.tripod.co.jp/travelbook/usu.htmlを 参考にした.)

--火山性微動というのは,岩漿(マグマ)が地球外に脱出しようとして,その逃げ口を探しまわっている,いわばその手ざわりの音を拡大したようなものです --- 新田次郎全集「火の島」より.

試験に出ない地学Series 2003年初夏号 
     2001.9/11の朝,北米微小地震観測網は2つの奇妙な小規模の地震(M2.1とM2.3)とそれに前駆する2つのまたそれぞれ極めて微 小な地震(M0.9とM0.7)を記録した.いうまでもなく,後者は乗っ取られた2機の飛行機がNYのWTCビルに突入した衝撃が引き起こした地震であ り,前者はそれによりダメージを受けた2つのビルがそれぞれ崩壊する衝撃が引き起こした地震である.また,その1年あまり前の2000年8月12日,北欧 の微小地震観測網はロシア,フィンランド国境のコラ半島に近いバレンツ海のあたりを震源とする奇妙な地震を連続して2つ記録した.2つ目は結構大きく, M4弱とあまり地震がないこのあたりとしては異例の大きさであった.しかもこれも自然の地震とは異なり,何か海中から発せられた衝撃が引き起こしたものと 分かる.ロシア海軍が沈黙を破って原潜の爆発沈没事故を報じたのはその直後であった.
 このように,地震観測網が捕らえるのは自然の地震ばかりとは限らない.というよりそもそも世界標準地震観測網(WWSSN)が1950年代にアメリカの 同盟国によって世界中に展開された最大の理由は,当時ひどい放射能汚染を伴った空中核実験が禁止され,地下に移行した敵国の核実験探査が目的だったという のは良く知られた話である.地下核実験による地震波は特徴があり,明瞭に自然の地震と区別できる.パキスタンの地下核実験の正確な位置と大きさを探知した のもごく最近の出来事である.
 ともあれ,地震計の耳は欺けない.いつまで人類は自らの英知を集めたはずの地震観測網で,自らの愚かな行いを備忘録のようにていねいに記録し続けようと するのか,-----.

-----さあ,出発だ,BCにむかって.紀元前3世紀の世界へ-------田村隆一「インド酔夢行」より


試験に出ない地学 Series 2003年初春号 
      天文学という一見,浮世離れした研究をするというのはどういった人達なのか?銀河系の形を最初に考えたHarlow Shapleyは中学を卒業し,ジャーナリストを目指すが一転,大学に入学を決意.そこでたまたま講義リストの一番上にあったAstronomy(Aから 始まるリストの一番!)を受講して,以来この道に進んだという変わり者.銀河の後退則を発見したEdwin Hubbleは大学時代はプロ顔負けのボクシング選手.一旦弁護士になるが,再入学して天文学を専攻.しかし第1次大戦で負傷して帰り,それからやっと齢 30歳にして研究の道に入る.たまたまその当時バブル景気に沸くアメリカで巨大望遠鏡の建設ラッシュに出会えたのは幸運だったと言える.その他,天文学に は意外に女性の活躍が眼につく.星の吸収線の同定という大変根気のいる作業は,当時の多くの無名のコンピューター達(計算機ではなくこの作業をする女性達 をそう呼んだ)に支えられた.そしてその研究をまとめ上げたAnnie J Cannon女史は現在のスペクトル分類を作り上げた.しかし彼女らの地位はその活躍にもかかわらず大変低かったと言われる.女性であるだけで研究職につ けなかったり,ノーベル賞をもらえなかったという例もあったと言われる.その他,学問を巡る戦いで互いに口をきかないほど仲の悪かったElizabeth ZwickyとAllan Sandageなど,変わり者のねたも尽きない.星という何か遠い夢のような学問を考えるにしてはあまりに人間的なその研究史には驚かされるばかりであ る.(この稿,野本陽代著「宇宙の果てにせまる」岩波新書を参考にした)

------トゥーレル砦が落ちた.オルレアン橋は再びオルレアンのものになった.-----佐藤賢一「傭兵ピエール」より


試験に出ない地学Series 2002年初冬号
    「秋の日のヴィオロンのためいきの,身にしみてひたぶるにうら悲し-----」,1944年6月6日未明,BBCのラジオニュースが秘かにフラン スのレジスタンスに向けて上陸作戦実行の暗号として,有名なベルレーヌの詩を流した.当時ヨーロッパはナチスドイツの占領下にあり,英米を主軸とする連合 軍は上陸作戦の場所と時間を綿密に練っていた.選ばれたのは世界でも潮位の差が激しいので有名なノルマンディ半島.月のない早朝でしかも大潮の干潮になる この日を選んで上陸作戦は敢行される.この数日間ドーバー海峡はしけで大荒れ,ヒトラーもロンメルも上陸はしばらくないものと油断した隙をついての大きな 賭けであった.連合軍は波の研究者を総動員して,上陸地の波の高さを推定したり,正確な天気予報を予想しようとした.結果として,彼ら連合軍は大きな犠牲 を払いながらもヨーロッパ最初の橋頭堡を確保,以後戦況は逆転,やがてドイツ敗北への道につながる-----.
 ともあれ,カナダのファンディ湾(潮位差最大12.9m),イギリスのセバーン湾(同8.5m)などと並んで,ノルマンディに程近いランスも潮位差 8.5mと干満差が非常に大きく潮汐発電所が作られている.干潮時には陸繋島となる有名なモンサンミッシェル寺院があるのもこの近く.ちなみに日本で潮位 差の一番大きいところは、九州有明海奥の住ノ江で わずかに4.9mほど.潮汐発電の計画も練られてはみたものの,環境や経済性の問題などで実現には至っていないという.
 このノルマンディ上陸作戦は「史上最大の作戦」「プライベートライアン」などで何度も映画化された.しかしその描き方は両者でまったく異なる.その変遷 に私は,ベトナム戦争の敗戦を経験した米国の苦悩を見る思いがした.かつては水際が血で赤く染まったというこのノルマンディの海岸をいつかは訪ねてみたい と思っている.

  -----空から見下ろすソマリアの大地は相変わらず赤茶けて不毛に見えた.-----「戦争の裏側」村田信一より


試験に出ない地学Series 2002年秋号
        学生の頃,作っていた電子回路にCdsフォトセルという光の強弱を電流の強弱に替えるパーツが必要となった.日本橋の 電子パーツ屋を探したあげく,国内で唯一,浜松の小さな町工場が作ったそのパーツを手に入れた.その後10数年,奈良県の山奥にある天体観測施設での夜, あいにくの曇天でロビーに居たとき,偶然カミオカンデの観測をしている大学の研究者と隣合った.朝まで観測器材の話を聞いた.タンクに注ぐ純水を得る苦労 や弱いチェレンコフ放射光をとらえる光電管の歩留まり(テストに合格する率)に苦労する話だった.ほんのわずかのイオンが溶け込むだけで,たちまち巨大な 水槽は光のノイズまみれになる.そんな話を聞いた.直径50cmの巨大な光電管を作ったメーカーがくだんの浜松のメーカーだと聞かされた.世界でこの会社 でしか作れない光電管だと聞いた.
 しばしの時が流れてその頃のカミオカンデの研究が先週,ノーベル物理学賞を取った.小柴さんは記者に「こ れが何に役立つのですか?」と聞かれ「何にも役立ちませんよ」と答えた.その翌日2人目のノーベル賞は京都のやはり小さな町工場から立ち上がった企業の研 究室から生まれた.小さな町工場が育てたハイテクが基本研究を支える.そして何にも役立たないように見える基本研究が,実はその国の産業の先端技術を鍛え ていく.たしか私が会った研究者はそう教えてくれた.しかし今,そうした優れた技術を持つ町工場が次々とつぶれている.優れた技術やノウハウが職人の頭と 身体に染みついたままどこにもデータ化されずに消えていく.替わって,「設計図さえあれば安い海外の工場や,生産ロボットで簡単に物は作れる」−−−,一 度も本気で物を作ってみたことのない幸せな人々が唱えるこんな神話が幅を効かせ始める.「産業の空洞化」と共に「知の空洞化」がそうして始まると私は思う −−−.
 
    ------I was like finding the key piece to an enormous jigsaw puzzle that made everything fit together.-------
 N.Oreskes編集のPlate Tectonics第4章,The Zebra Pattern, L.W.Morley より(彼はVine & Mathew,1963の論文にタッチの差で敗れ,海洋底拡大説の先駆者としての名を歴史に刻めなかった)


試験に出ない地学Series.2002年夏号
        1905年南アフリカ,プレミア鉱山.仕事を終えて帰ろうとした,鉱山の管理人が道端で光るものが埋もれているのに気 付いた.いつものガラスを埋めた誰かのいたずらだろうとナイフの先でそれを掘り出した.世界最大のダイヤモンド,カリナンの発見の瞬間だった.重さ 3106カラット(621g),5×6×10cmのその巨大な原石はやがてイギリス王室の手に渡り,オランダの加工会社の手を経て,イギリス王室の王笏, 王冠を飾ることになる.最初のカットを担当したアッシャーはのみを入れて原石を割ろうとする瞬間,あまりの緊張で倒れてしまったと伝えられる.
 古来,ダイヤモンドは悲劇と喜劇の間をわたり歩いた.1666年インドのあるお寺の像の眼に嵌められてい たブルーに光る妖しいダイヤモンドはフランスの貿易商人に盗まれ,やがてルイ14世の手からマリ・アントワネットに渡る.しかし,貿易商人は野犬の群れに 食われた変死体で発見.ルイ王朝はマリーともどもフランス革命でギロチン台の露と消える.その後もこのダイヤを手にした宝石商の親子,実業家達は次々と非 業の死を遂げたり,家業が傾いたりと悲劇にみまわれ続ける.最後にスミソニアン博物館の展示品として安住の地を得たこのブルーダイヤ"ホープ"はその後悲 劇を起こすことはなかった.
 冷戦が終わった今も,アフリカでは様々な民族紛争や内戦が絶えない.そのいくつかはダイアモンドの鉱床を 巡る利権が関係するという.ダイヤモンドは際立つその高い屈折率のきらめきの底に,世紀を越えてなお人々の心の貧しさを映し続けている---.
(この稿http://www.royalgrace.co.jp/home/gems/story/story.htmlhttp://tanakanews.com/A0203diamond.htmを 参考にしました.)

    -----歴史は高原において始まり,平野において普遍的なるものへの反省に醒ざめ,海岸においてこの反省を発展せしめる.------和辻哲郎「風土」 (ヘーゲルの世界史論についての記述)より

2003.06/28 補記.南アフリカ,プレミア鉱山の筆者による巡検記はこ こにあります.


試験にでない地学 Series  2002年春待ち号 
    1945年8月6日早朝,広島へ向かうエノラゲイに伴走する飛行機に,後にノーベル賞に輝くことになる若き原子物理学者Luis Alvarezはデータ収集のために搭乗していた.ミッションが終わって基地に帰りつくなり彼は,まだ幼い彼の4才の息子に大きくなれば読むようにと手紙 を書いた.What regrets I have about being a party to killing and maiming thousands of Japanese civilians this morning -----.
    この35年後の1980年,地質学者となった息子Walterは父とともに雑誌「Science」に長文の論文を投稿する.イタリアのK-T境界(白亜紀 と第三紀の境界)の泥岩層に濃集するイリジウムの成因を巨大隕石の落下による凡地球規模の災いによるものと推測したものだった.恐竜やアンモナイトの絶滅 を巡って古来数多くの説が展開されてきたが,Alvarez親子の論文は大きな衝撃を与えた.以来彼らの説を巡る争いは学会を巻き込む壮絶なバトルへと展 開する.伝統的な地質学者達はHuttonやLyellが唱えた「斉一説」(つまり地学現象は身近に見られるようなゆっくりとした現象が積み重なって大き な変化をもたらす)を信奉していたが,彼らの説はそれへのいわば宣戦布告だったからである.ともあれ,1990年にメキシコ沖で発見された巨大クレーター の痕跡は彼らの説の勝利を裏付けた.”Giant Impact”−−巨大隕石の落下により逃げ惑う恐竜たちのカタストロフを老Alvarezは,若い頃目に焼き付いたヒロシマの上空に炸裂した閃光と屹立 するきのこ雲から連想したのだろうか?(Night Comes to the Cretaceous/J.L.Powelの記述を参考にした)

    ---それは初めから知っていたのだ.すべて火と燃えるものは遂には燃え尽きて,黒々とした夜しかあとには残らないことを.「死の島」福永武彦より.


試験にでない地学 Series  2001年初冬の号
    1908年11月25日中国の河北省の農村の貧しい家に生まれた賈蘭坡は成績は優秀だったが,高校を出るとすぐに働かなければならなかった.その 後の彼は図書館に通い独学を志す.やがて,中国地質調査所の試験に合格した後,地質調査の下働きをしながらさらに考古学や古生物学を苦学した.1936年 北京近郊周口店で幸運はやってきた.発掘団に加わっていた彼は偶然化石人骨を発見した.北京原人のほぼ完全な頭骨発見の瞬間である.打製石器を造り,猟や 果実を採集し,火を利用する彼らの姿がやがて明らかになっていく−−−.
   そもそも周口店のような石灰岩地帯の洞窟はこのような化石人骨の保存に適していると言われる.石灰岩の風化土壌に含まれる豊富なカルシウム分が土中 の化石の成分を置換し,補強するからだと言われる.日本でもかつて三ケ日人,葛生人など石灰岩洞窟にまつわる化石人骨がとりざたされたことがあった.さ て,くだんの北京原人の化石は不完全な1個をのぞいて現存していない.戦乱を恐れた中国当局が米国に移送する途中で,紛失したとされ,当時の日本軍の関与 も疑われている.そしていまだに20世紀のミステリーの1つに数えられている.そういえば,日本の原人の方も例の旧石器捏造事件以来,信用度が低下してし まった.葛生原人は動物の骨と15世紀の人骨,三ケ日人は縄文人の疑いが強いと最近の新聞は伝えている.
   さて大学者となった賈蘭坡は90才を過ぎて亡くなるまで,消えた「国宝」である北京原人の骨の行方を探し続けた.北京原人に一生を捧げた彼の遺骨は 一部は生家のそばに,そして残りは北京原人の故郷,周口店の竜骨山に埋められたという.(この稿
http://peopleschina.com/maindoc/html/200111/zhuanwen-3.htm
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/199912/02/1202e008-400.htmlな どの記述を参考にした)

    −−−どれほど変形した死者も眼さえ開いていなければ私をおびやかさない.−−−「輝ける闇」開高健より


試験にでない地学 Series  2001年秋の号
  もう30年以上前に,若干39才の若さで凶弾に倒れた,アメリカの公民権運動活動家であり,また敬虔なバブティストの牧師であった故Dr. Martin Luther King Jr.はその有名なリンカーン祈念堂での「I have a dream」という演説で次のように語るくだりがある.
 ---I have a dream today! I have a dream that one day "every valley shall be exalted, every hills and mountains shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord shall be revealed, and all flesh shall see it together." とイザヤ書40:4-5)より引用して,さらに続ける.
  This is our hope. This is the faith that I go back to the South with. With this faith that we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope.
  すべての谷は隆起し,山は低められそこに平野ができる.入り組んだ道はまっすぐに直される.そして絶望の山からも希望の石を切り出す.と語る彼のこの 演説は世界の多くの人々に,数え切れない感動と勇気を与えると同時に,その後の世界の在りようを変えた.残忍な暴力とそれに対する過剰な報復でしか解決し ようとしない昨今の世界を見るにつけ,Webページから流れる彼の演説を今一度かみしめてみたい.

   -----人は人を幸福にすることには長けていないが,不幸にするには長けている.---「クーデター」楡 周平著の主人公のセリフより要約


試験にでない地学 Series  2001梅雨の巻
  松尾芭蕉がニュートンやハレーと同時代と聞いて少し驚いた.彼の「奥の細道」から少し,地学に関係深そうなものを集めてみた.
  ^五月雨をあつめて早し最上川
は旧暦5月29日に原型が詠まれたとされるが,これは現在の新暦では7月15日に相当する.「五月雨」は実際には5月の雨ではなく梅雨の雨,それもこの場 合梅雨末期の集中豪雨が予想される.五月晴れは従って梅雨の合間の晴れた空というのが本当ということになる.また,その1か月後,越後では佐渡を望んで
  ^荒海や佐渡によこたふ天河
と詠んでいる.これは旧暦7月7日(七夕)に詠まれたとされるが,これも新暦では8月の下旬になる.もう10数年前,とあるアマチュア天文家が,プラネタ リウムソフトを用いて,この日,佐渡の方向(北の方角)に天の川が横たわるかを検証した人がいたと聞く.結果は否.また,奥の細道を随行した弟子の曽良に よれば,この数日は雨模様だったとされ,芭蕉が本当に景色を見ながら詠んだかどうか疑わしいとされる.前後して,象潟では
  ^汐越や鶴はぎぬれて海涼し
と詠んでいる.ここは文化元年 (1804)6月の出羽大地震で隆起が起り現在,田んぼが続く平野となっているが,当時は東の松島とならぶ,小島が湾に浮かぶ海の景勝であったことが窺え る.
 芭蕉の句にも意外な地学的自然像が隠されているのは大変興味深い.弟子の曽良は幕府の隠密といわれたり,彼の生涯には謎が多いが,
  ^旅に病で夢は枯野をかけ廻る
という辞世とはうらはらに,現在でも彼の句は生きて科学のメスが入るのを待ち望んでいるようにも思える.

−−−からみあう蔦葛の下に,幅が約半インチの乳白色の石英の帯が,岩石の表層に埋め込まれて這っているのが見えた.目につくあらゆるものが,” 錫”の存在を示していた.−−−F.フォーサイス「戦争の犬たち」篠原 愼訳より


試験にでない地学 Series  2001初夏の巻
  昨年の10/8,研究体験旅行から帰着した翌日,自宅で早朝,庭で硫黄の匂いがすると家人が述べた.そのころ,知人から同様のニュースを聞いていた. すぐに三宅島の火山ガスだと直感した.SO2とH2Sは半年以上経った現在も大量に三宅島から放出されている.東海〜関東にかけての地域ではすでに環境基 準を超えるSO2(二酸化硫黄)濃度が何度も観測されているほどだが,大阪ではほとんどニュースに取り上げられない.火山ガスと言えば1度だけ火口間近で のどがいたくなるのを経験したことがある.数年前,阿蘇山頂火口のシェルターに観測機器を据え付けていたときだが,せき込む私に火山観測のベテランは笑っ てこう言い放った.「臭いがするうちは大丈夫.臭いがしなくなると脳がやられだしているから気をつけろ!」−−私たちの据えた銅製のむきだしのパイプ(圧 力センサーの一部)は翌朝すでにガスで真っ黒に変色していた.−−−
  さて,昨年,地学の授業で,三宅島のような玄武岩質の火山は真っ赤な溶岩を流すが活動はおとなしく短期間で収まると強調した.ところが昨夏にはじまっ た活動はことごとく予想を裏切った,地下のマグマの側方移動→島から離れた群発地震→地下のマグマ喪失による?カルデラの拡大(崩壊)→小爆発と低温なが ら玄武岩火山としては極めて稀な火砕流の発生,そして現在まで島民を避難させることになった火山ガスの大量発生と行き着く暇もなく,火山学の常識を覆す活 動が続いている.住民の帰島のめどもまったく経っていない.しかし,地球の長い歴史を考えるとこのような活動は珍しくないのかも知れない.地球の大気組成 は火山ガスの寄与が大きいし,原始生命も中央海嶺で吹き出す大量の熱水と火山ガスを元に形成されたと信じられている.茫漠と続く地球の歴史と時間的にほん の一瞬にすぎない私達の生活の間で地学現象はまったく違った顔を見せてしまう.−−拙作の資料を参考に自作の地震計を作られた三宅島の中学の理科のY先生 とは噴火の後,一度電話で話した.「噴火の地震の記録がきれいにとれました」と語っておられたが,東京に避難されて以後連絡は取れていない.かつて私達が 阿蘇に据えたノートパソコンなどの観測機器は小屋の中でポリエチレンの袋とケースに守られ数年間動き続けたと聞くが,彼の手作りの地震計は三宅島の濃い火 山ガスに耐え,いまだ島で噴火の記録をとり続けてくれているのだろうか?−−−

    −−−私は地震だ.うたかた湖の地下数十キロメートルの深さで起きた,誰も迷惑を被ることがない,軽い地震だ.−−−丸山健二「千日の瑠璃」より


試験に出ない地学Series 2001早春号
            16世紀から17世紀にかけての世紀の変わり目は天文学の歴史にとって,重要なエポックであった.中世を支配したスコラとしての天動説が劇的に打ち倒され る過程は小説のように面白い.しかし,この時代を現在のような情報社会としてみることはできない.南から北上するイタリアルネッサンスの波と北から南下す る宗教改革のうねりはそこかしこに渦を巻き,地域ごとに異なった形態を取った.異端狩り,魔女狩り,宗教戦争などヨーロッパ史上まれにみる残酷な世紀が始 まろうとしていた.その中で母親を魔女裁判で半殺しにされながら地動説の礎となったケプラー,アジテータと して全ヨーロッパ指名手配の末,権力に屈服せず火あぶりに殉じたブルーノ,裁判で謝り死刑は免れたが太陽観測で盲目となり失意のうちに果てたガリレオ,地 動説への賛意を秘めたまま野垂れ死にした根性なしのデカルト.生きているうちに偉くなったと自覚できた唯一幸せ者ニュートンという私の見解は単に1つの歴 史の解釈にすぎない.時代はまだ錬金術の世紀を超えてはいなかった.
 先日,フィリピンの友人の恐竜の研究者から,興奮した書き方で長文のe-mailが飛び込んできた. Manila市中でのEstrada退陣を叫ぶ群衆の中にいたという彼は「I was there」というタイトルのメールの最後を「I was part of history.」と結んでいた.現在は歴史の大きな変わり目すら,瞬時にネットを駆け巡る.時間差のない政変を告げるTVニュースと彼の姿をだぶらせな がら,ちょっぴり彼がうらやましかった.(1/26記す.文章のモティーフは山本義隆著「重力と力学的世界」/現代数学社に負うところが大きい)

    −−スペルはNOWHEREだろう.WとHの間にハイフンを入れてみな.−−「微熱少年」松本 隆より


試験に出ない地学Series Millennium冬号
           先頃,前期旧石器時代の遺跡発掘にまつわる”捏造”が話題となったが,地学でも化石にまつわるこの種の話は珍しくない.古くはピルトダウン人(1912年 に英国で発見された化石人骨が実は人間の頭骨と類人猿のあごの骨を組み合わせたものであることが1953年に判明.コナン・ドイルなどの著名人も疑われた が最近の科学雑誌『ネイチャー』によれば博物館職員のしわざと断定)が有名であるが,ごく最近の報道でも,中国で昨年発見されたとされる始祖鳥の1種アー カエオラプトルが実は作り物であったことが確認されたという.
 しかし,そういったいわば”捏造”とまではいかなくても,科学者が信じた観測や実験が実は幻であったという例は多い.火星の有名な”運河”も人工衛星が 表面写真を撮る現在では幻影であったとされる.スキャパレリ,アントニアジ,ローエルといった当時を代表する天文学者がそろいもそろって幻を見ていたとい うのはにわかに信じがたいが,人間の願望(この場合,火星人にいて欲しい!という願い)は時として,科学に幻影を持ち込むのだろうか?最近でも話題をにぎ わした”常温核融合”など,その種の系譜は今も跡を絶たないようだ.筆者は神戸の地震の後,ある席で日本の地震予知を批判する急先鋒のアメリカ人の研究者 から,「日本人は願望と科学を混同しがちだ.地震の前兆という幻を信じているにすぎない」という意味の事を指摘され「そうかな」と考え込んでしまったこと がある.そういえば,火星の運河を熱心にスケッチし,火星人の存在を最後まで信じ続けたというアメリカの天文学者パーシバル・ローエルが明治期の日本を何 度も訪れ,ラフカディオ・ハーンとも交友があり,詳しい日本滞在記「Occult Japan」(神秘の日本)まで書いていたというのはちょっと意外であった.(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/PercivalLowell.htmに よる)こののち,米国に帰ったローエルは火星の研究に没頭し始める."Occult Japan|"が彼に何らかの神秘のモチベーションを与えたのだろうか?.

    -------<火星人>よ.火星に帰ったらこんどこそ仲間を皆,呼びさまして,太古のような<火星人>のイグルーをたてるがいい.------ 光瀬  龍「東キャナル文書」より


試験に出ない地学Series Millennium秋号

   研究体験旅行の付き添いで,バリ島に渡った夜,ビーチの西空に沈む三日月は,皿に置か れた食べ残しのスイカのように水平に浮かんでいた.明くる日,昼食時,レストランの外で, 太陽はほぼ真上にあった.木々や自分の影が真下に小さく落ちた.南緯8度のバリ島はほぼ 赤道直下であることが実感できた.一方,私の家の自室に,若いときに美術教師の同僚にもらった,ムンクの「叫び」の模写 が飾ってある.ムンクはノルウエーの海岸で踊りに興じる男女をよく描くが,絵の中の満月は,いつも直下の海面にT字型の光の柱を落としている.けれどある 時,これは沈む月では なく,高緯度ゆえにいつも南の水平線に近く見えるためかも知れないと気づいた.月や太陽 の動きには緯度の影響が顕著にでる.-----ムンクが高緯度のノルウエーで自らの「叫び」をカンバスにぶつけていたころ,赤道直下ではフランス出身の ゴーギャンが文明に背を向けて, タヒチの素朴な風景を書き留めていた.奇しくも2人は同時代の世紀末を緯度の両サイドか ら,異なった角度で見つめていた.私も蒸し暑いバリ島での夜,鬼気迫るレゴンダンスの踊り手の身振りに圧倒されながら,赤道の緯度の側に立って,文明の意 味を考え直そうとしている自分に気づいた.              
   ――「これを一名,“バタフライ効果”という.北京で蝶々がはばたけば,ニューヨークの天気が変わるというやつだ」 <ジュラシック・パーク> マイケル・クライトン,酒井昭伸訳より            (2000.10/19記)


試験に出ない地学Series  ミレニアム夏の号

 もう20数年前になるが,地質学の分野で「黒潮古陸」という壮大な仮説が提唱されたことがあった. 今から5000万年位前の古第三紀という時代に,紀伊半島の南の太平洋に大きな大陸が存在したという考えである.筆者はその頃,出身高校の生徒達ととも に,この説の提唱者の1人,和歌山大学の原田哲朗先生に紀伊半島の地層を案内してもらったことがある.真夏の暑い昼下がり,釣り船で渡してもらった横島と いう小さな島の露頭の前で,先生は礫岩の礫にオーソコーツアイトという砂漠の砂でできた特殊な岩石が含まれること.そして,その岩石でできた山は紀伊半島 以北では見つからないこと.さらに地層の中の古流系(地層から読み取れる昔の水流の方向)は南の方向からの堆積物の供給を示し,どうしても古第三紀には紀 伊半島の南に砂漠を持つような大陸があったと考えないと,その島の地層を説明できないこと.を事細かに力説しておられた.
 小さな礫岩を片手に汗を拭きながら,高校生達に古代の大陸のロマンを語る氏の姿がいまでも眼に浮かぶ.私 にとって地質学者というのは大いなるロマンチストだとその時感じた.あれからかなりの年月が経ったが,この説の決着はまだついていない.そして原田先生は その決着を見ずに,昨年急逝されたと聞いた.釣り師しか渡らない横島の露頭は多分,今もひっそりと残っているに違いない.そして,いつの日か,その大いな るロマンに決着をつける若い人が登場することを静かにしかし,気長に待ちわびていると私は思う.

    ---バナナの葉という葉に,発光虫みたいに星がとまっているように見えた.遠くの星が一つ,また一つ斜めに線を引いてバナナ畑に流れ落ちた.----   辺見 庸「もの食う人々」より                      ---2000.07/02


試験に出ない地学Series  ミレニアム番外編 <富士の頂角>

 「富士の頂角,廣重の富士は八十五度,文兆の富士も八十四度くらゐ」の書き出しでは じまる「富嶽百景」は心中,自殺未遂と悩み続けた太宰治が一瞬,健やかな時を過ごしたかにみ える,富士山麓での滞在中の出来事をみずみずしく描く佳品である.地学の授業で火山の単元の始めにまず,生徒にノートに富士山の絵を書いてごらんと言った あと,かならず紹介するフレーズである.実際の富士の頂角は,この文章の後に太宰自身が陸測図から測定してくれているように,東西124度,南北117度 の鈍角な成層火山でしかない.人間は自分の目でみた像と異なるイメージを頭の中に描くことがよくあるが,火山や山岳は人々にとってやはり見上げるべきも の,畏れる対象として険しくデフォルメされるのかも知れない.
 「富嶽百景」の別のページには,若い文学志望の青年達に先生と呼ばれて,太宰が自分には誇 るべきものは何もないが,唯一苦悩だけは人に先生と呼ばれてもよいだけ経験したと,「藁一す ぢの自負」と記すシーンがある.私も「先生」と呼ばれる職業について久しいが,いつもこの「藁一すぢの自負」について自問している.
            黒々と人は雨具を桜桃忌  石川桂郎  ---「俳句歳時記(夏の部)」より---



試験に出ない地学Series 95年冬の巻
        授業で核分裂の話をしたところに,高速増殖炉「もんじゅ」の事故のニュースが飛び込んできた.エネルギー問題の難しさをまた実感してしまった.しかし,夜 空の星はそれを笑うかのように今日も穏やかな光を投げかける.
"There are two paths you can go by but in the long long run"  ---Led Zeppelin "Stairway to Heaven"---

試験に出ない地学Series 92年秋号
  
  昨年のピナツボ火山の噴火の影響で,今になっても異常な赤い夕焼けがよくみられる.その夕焼けが消えた頃,スイフト・ タットルという彗星がかろうじて双眼鏡の視野に見えている.その西空を見ながらふと高校生の頃を思い出した.新彗星の発見を夢見て,望遠鏡の反射鏡を自作 するために,毎日,厚いガラス板を研磨していた−−−.あれから20数年,Okamoto彗星はどうも夢に終わりそうであるが,未知の星へのあこがれは当 時と少しも変わっていないように思う.

 「−−−その小さな光はいつも僕の指のほんの少し先にあった.」 村上春樹”ノルウエイの森”より


試験に出ない地学Series93年夏号
 
 1596年(慶長元年)京都及び畿内にM7クラスの地震が起こり,当時秀吉のいた伏見城では天守閣が大破,500名以上が圧死した.このとき秀吉の逆鱗 に触れ謹慎を命じられていた加藤清正はただちに伏見城に駆けつけ,秀吉のごきげんをうかがい激賞されたという.人は彼のことを”地震加藤”と影でうわさし たと伝えられる.その清正も4年後の関ケ原の戦いでは福島正則などと共に東軍に走り,その後長く続く徳川政権誕生の礎となった.−−−以来400年,近畿 地方には大地震が起こっていない.関東に比べ近畿が地震に対して安全だとは決して言えないわけである.

  吾もまた目覚めむとせし暁の山に地震(なゐ)ふりて雉子けたたまし −−茂吉−−

※注 この文章は神戸の地震の直前,1993年に書いていることに注意


試験に出ない地学Series93年秋号
 
 日本の山野,それも都会に近い山の尾根や沢で,宝石の原石が採れるということを知る人は少ない.
17〜8年前,私はアマチュアの鉱物収集家Y氏の案内で琵琶湖の南の山中をよく歩いた.小さな沢の花崗岩の砂や礫を丹念にザルにいれて探していると,ふい にキラッと太陽の光を反射した1cmにも満たない結晶が転がり落ちた.見事な”トパーズ”の結晶だった."Beginner's luck!" 私はその後何度もその山に足を運んだ.
 ある尾根で白いぺグマタイト脈をドライバーの先でこじているとき,土に汚れた少し緑がかった細長い結晶が出てきた.急いでY氏を呼ぶと「珍しい!アクア マリンじゃないか!」−−−
 というわけでこの2つの結晶は今でも私の宝物である.さて,当時石だけが恋人のようだったY氏に昨年偶然10数年ぶりに石の展示会でお会いした.家中, 鉱物やら化石やらの標本箱で一杯だったこの道の先輩に「もう結婚されたのでしょうか?」とはやっぱり聞けなかった.−−−

  −−−”それと同時に頼子は,フランス革命の遠因が天命3年の浅間の噴火にあるという説を思い出した.−−−「真昼のプリニウス」池澤夏樹より

2003.06/28補記:このときのトパーズとアクアマリンの サンプル写真はここに あります.


試験に出ない地学Series'90神無月
  
  記録的に暑かった今年の夏,サウナのような京都の街をさまよっていたある午後,ふとポスターにひかれ て,美術館を訪ねていた.学生時代に読んだことのある暗い小説のどこかのページに書かれていた画家の名前を眼にしたからである.
  ピーター・ブリューゲル(1528-69)はネーデルランド(現在のオランダ)の片田舎に農民の子とし て生まれ,農村の生活を画き,ヨーロッパ中世の最後を飾る画家と言われている.しかし,彼の絵には学生時代読んだ小説の暗いイメージは殆どなかった.私は 20年近く彼の絵をまちがった方向に想像していたのだろうか.美術館から出て,再びサウナのような京都の景色を見ながら,20年前にもし,この絵をに見て いたら,私の人生も変わっていたかも知れないと,ふと夢のようなことを考えていた.
  さて,このブリューゲルの絵には有名な雪の絵が何点かある.彼の生きた16世紀から17世紀は小氷期と 呼ばれ,地球全体が寒い時期にあたっていた.ヨーロッパでは雪の肌寒い冬が続き,アルプスの氷河も現在より,ずっとふもとまで伸びていたと言われる.一 方,19世紀のイギリスの風景画家ターナーの画く空の色は奇妙にオレンジで暗い.これが有史以来最大の噴火といわれる1815年タンボラ火山(インドネシ ア)の噴火による火山灰が成層圏を汚したときの空の色だという説を最近聞いたことがある.名画の中にも案外,地球の歴史を解く鍵が隠されているかも知れな い.-------
   「友人達は若く,すべて偏狭であったが,その偏狭によって皆は美しい精神を保持し,互いに切磋した- ------」  ―野間 宏 “暗い絵”より―
試験に出ない地学Series'90―5月
 
  温泉というと,よく火山地帯につきもので箱根や雲仙などは火山と温泉のセットとして有名である.しか し,近畿地方の温泉(ex.有馬,白浜,城崎など)は,その元となるべき火山を持たない.これは昔からさまざまな説があり,マグマの力が弱く火山を作るに 至っていない.温泉はマグマの活動の最終段階なので,かつてあった火山活動の名残りである等の説明がなされている.大阪府下には冷泉(一般の地下水並みの 温度しかないもの)を暖めて“温泉”と称しているものがほとんどであるが,学校の近くでも河内長野周辺などは炭酸の溶けた地下水(冷泉)をくみ上げ“ミネ ラルウォーター”や“炭酸水”として売りに出している.最近和歌山市周辺の群発地震について,地下のマグマの活動に起因する説が出され,地下のマグマの活 動がまったくないわけではないらしい.
    ―先生,気層のなかに炭酸ガスが増えてくれば暖かくなるのですか?―   宮沢賢治「グスコーブド リの伝記」より―――
試験に出ない地学Series89年神無月

  1689年(元禄2年)6月16日(旧暦)松尾芭蕉は,秋田県南部の“象潟”(きさがた)で次の句を詠んだ.
  “汐越(しおごし)や鶴はぎ濡れて海涼し”
  当時“象潟”は水深2mの海に繋がる潟湖.波間に浮かぶ島々(九十九島とよばれた)が東の松島と並んで東北の2大名勝であった.しかし,現在その面影 は全くない.当時の潟はすべて水田となり,島々は小さな丘となって,海を見つめている.1804年の地震がこのあたりを隆起させ,かつての名勝を見事に干 上がらせた結果である.


試験に出ない地学Series '89春? 番外編
  
  私が高校を卒業する頃,「青年は荒野をめざす」(フォーク・クルセダーズ)という唄がはやりました.
     ――― 一人で行くんだ.幸せに背を向けて ―――という歌詞でした.
あれから20年近く月日が流れたけれども、私が18才の時に決意した生き方だけは今も間違っていなかった! と自信を持って言えます.皆さんは今,どんな決意を胸に秘めて卒業しようとしているのでしょうか?!
試験に出ない地学Series '88春 番外編

  先日,10年前に私が初めて本校で担任を持ったクラスのクラスメイト同士の結婚式に招待されたと きのことである.かけつけたなつかしいかつての生徒達の祝辞が続く中で,かつてのサッカー部のキャプテンでもあったM君は唄の途中で胸が詰まり,絶句して しまった.すぐに何人かが飛び入りで助けに出た.僕も知らない間に席を飛び出していた.この日みんなで肩を組んで唄った「乾杯」は良かった.
  その日,家に帰った私は一目散に久しくほこりをかぶっていたギターを取りだして,たどたどしくもう一度 唄った.妻や子はあきれていたが,あれから私はこの「乾杯」という唄を秘かに練習している.-------- PS.1年間みんなどうもありがとう!



試験に出ない地学Series '87 2月

   作家,太宰治は“書き出し”の作家だと言われる.たとえば
「恋をしたのだ.------」(ダス・ゲマイネ)
「死なうと思ってゐた.-------」(晩年)  など感動的だが
「富士の頂角,広重の富士は八十五度------」(富嶽百景)というのもなかなか秀逸であり,彼の自然観 の一端を垣間見れるように思う.世界のコニーデ型の独立峰としては,富士山の頂角はむしろ鈍重な方であり(117-124度と太宰は見積もっている),こ れを世界の“フジヤマ”として印象づけたのは他ならぬ広重や北斎の才能であった(北斎に至っては頂角は30度!)と太宰は言いたいように思える.
  その富士山にも近年,再噴火のうわさがたえない.この作品から10年を経ずして玉川上水に自死した太宰 治------.「いや俺の苦悩の頂きは,もっとより高く,より鋭かったのだ.------」と彼は言い残したかったのだろうか――.
   「私は,なんだかもっと恐ろしく大きなものの為に走ってゐるのだ.ついて来い!フィロストラトス!」  (走れメロス)より   87.12/7


試験に出ない地学Series 83' 春号New!

  Our shadows taller than our soul.  我が影は我が魂よりも長く−−− Led Zeppelin  "Stair Way to Heaven"
とかつてイギリスのロックグループは唄ったが,高緯度のイギリスでは日本よりも一般に太陽高度が低く,人々 の影が長く伸びる.日本でも夏より冬,影が長く伸びるのと同じだ.さて,春の到来!風が光る春の陽だまりへ向けて会心のスクラムトライをあげよう!


試験に出ない地学Series 81' 冬号New!

   「記録の語るところによれば,君 たちの国(ギリシャ)はその昔,外の方,アトランティス洋(大西洋)から同時に全エウロパとアシアとを不遜に侵寇するいかに強大な勢力を阻止したことか. 実は当時,あそこの大洋は航行できた.というのも,君たちはヘラクレスの柱といっているそうだが,あの海峡の彼方に島があった」−−−前6世紀頃,プラト ンはこうクリティアスに語らせている.−−−これが世に言うアトランティス伝説の発端である.−−−以来数多くの人々が大西洋の底を探ったがめぼしい発見 はなかった.近年この伝説はエーゲ海の火山島,サントリン島の噴火をモデルにしたものではないかという考えが出されている.前1400年頃のこの島の噴火 がミノア文明を滅ぼし,後世の人々の胸の奥に伝説として語り継がれたのだという.−−−

  −−−真紅のほのほはあとからあとから寄せる波のように彼の立っている高みへ向かって押し寄せて きた.はげしい風が吹いているとみえ,ほのほの無数の切れ端が火の鳥のように舞い狂っていた.それが落ちた所からまた新しい火の手が上がった−−−       光瀬 龍『百億の昼と千億の夜』より


試験に出ない地学Series 81' 番外編New!

   光より速い矢をつがえることは不可能だ.と今世紀初頭アインシュタインは告げたが−−−
僕の心の中の非行少年が僕に告げる.
「偉そうな事を言っても,お前の背中の矢はすでに尽きてしまっているではないか!」
答えて僕が返す.
「しかし,お前の背中の矢は,放たれるまでに朽ちてしまっている.−−−」
さて,朽ちた矢を背負った少年と,矢がすでに尽きた後,なおも,幻想の矢を射ち続けるしかない僕と
の闘いはまだ始まったばかりだ.
−−−新たな時代に向けて,光よりも速い矢を最初にいるのは
   少年か.それとも僕か!−−−
PS.1年間みんなどうも有難う−−−            81’2月27日AM11h30m


試験に出ない地学Series 80年冬号

  乾いた冬のアドレスがしだいにかすかになる――――
  見知らぬ蒼い星雲が大きく息をつく夜
  僕は失くした青春の分だけ わずかに
  無口になった日記を綴る
  少し他人になったような表情で
  教科書をしまう君に心のなかで挨拶を送るために----
  それは
  1つのトーテムを通過する季節であった―――――
  PS.1年間みんなどうも有難う


試験に出ない地学Series 80' 初夏New!

   5月も下旬になると梅雨のはしりが現れ,うっとおしい空模様の日が増えてくる.こんな時期は天 気予報がはずれやすく,予報官泣かせだと聞く.さて,昔夜店で買ってくるおもちゃに”晴雨計”というのがあった.原理的には湿度計とおなじで藁葺き屋根の 小屋の中から,雨の日(湿度が高い)には蓑笠つけた田植え姿の翁が,また晴れの日(湿度が低い)には頭にかごを載せた大原女の人形が交互に顔を出すといっ た他愛もないものだったが,小学校の頃,これは実によくあたった.
  セロファンや毛髪などは湿度に敏感でこれを用いて簡単に湿度計を作ることができる.現在でもラジオゾン デ用の湿度計には人間の毛髪を用いている.ふしぎと西欧の若い女性の金髪の特性が良いそうである.新田次郎は小説「毛髪湿度計」( 「火の島・火山群」所収)の中で戦争中,自分の恋人の髪の毛で作った「毛髪湿度計」を抱いて死ぬ悲しい気象台員の物語を書いている.さて”晴雨計”は英語 でbarometer.これは日本語(バロメーター)にもなっている.
二,三,雨に関する日英の記述の比較を
 土砂降り(日本では「車軸を流す」などと言うが) It rains cats and dogs.   
 もっと凄い表現では  cloud burst(雲の爆発)となったりする.

−−−And the tain was upon the earth forty days and forty nights     -----Genesis, vii.12-----
注:現在ラジオゾンデ用湿度計はカーボン紙の含有水量を電気的に測定しているとのこと.


試験に出ない地学Series 79'秋

   虹が実は一重ではないということを知る人は少ない.条件の良いときには虹の上方に,同心円状に 色の順が逆になったうすい虹をみることがある.私は3年前の夏の夕方,泉北ニュータウンでこの虹を写真におさめたことがある.また或る本では4重にまで なった虹の写真を見たことがある.虹の他に,似たものとして,暈(太陽や月の周りの輪),彩雲(雲の一部が7色に輝く)幻日(太陽のそばに別の光の点が寄 り添う),蜃気楼,不知火など大気中の光の屈折,分散の織りなす美しい現象は枚挙にいとまがない.
   虹と言えば,私の高校時代,「虹と共に消えた恋」というフォークソングが流行った.まだ海の向こうの ベトナムでの悲惨な戦争の記事が新聞の紙面を埋めていた頃である.

−−−日は今,子午線のそのいと高きところをもてイエルサレムを蔽う天涯にあらはれ,これと相対ひて めぐる夜は,天秤を持ちてガンジェを去れり−−−ダンテ「神曲」第2曲より−−−


試験に出ない地学Series No.2 79年夏号

  その日,私と私の高校の後輩達が,その島で岩石を採集していて,にわかに暗雲が立ち込め,雷のゴロゴロという音が急に大きくなったときだった. 急に女生徒達の髪の毛が一斉に風になびくように立ち昇り始めたのは,−−−
騒ぎ出す彼女たちと裏腹に,私は肝をつぶす思いであった.−−−
 
 孤島や高山のような場所では,雷が近づくと尖った所に電荷が集中し,よく髪の毛が立ったり,金属棒がうなりだしたりする.高山ではピッケルがうなった り,アルプスの頂上にある十字架やマリア像は蜂の羽音のように唄うといわれる.
 また,闇夜の場合,尖ったものの尖端(船のマストや教会の塔や時には人間の頭や指先からも)から,青いコロナ放電が出ることがある.これは”セントエル モの火”と呼ばれ,昔から航海する船乗りたちをよく驚かせた.

 ともあれ,雷はあの光と音以外にも色々不思議な現象を伴うものである.しかし,その日私はただ,ひたすら雷が落ちないように内心びくびくして伏せ ていた.頭に手を当てて喜んでいた彼女たちの方がよほど度胸があったのを思い出す.

アナクサゴラス:  燃えるガスがあったればこそ,その岩も出来上がったのさ
タレス:      生物は湿気の中で生じたのだ
                                −−−ゲーテ「ファウスト第二部」  


試験に出ない地学Series No.1 79年初夏号

  山陰を旅するとき,その車窓の風景がどこか僕たちの見慣れた景色と違っているのに気づく.そこである夏僕はふと2つの原因を思いついたことがあ る.
1.日射の方向の違い
 日本海側では太陽は海に向かって背後から照らす.このため日本海の海は色が淡く,そこまで澄んで見える.それに対して,太平洋側では太陽は海の
方から照らし,そのため,海の色は黒く見える.
2.海岸の岩石の違い 
  瀬戸内には花崗岩が多く,砂は白いが日本海側は玄武岩が多く色が黒い.
さて今年の夏もし,旅行することがあれば,本当かどうか確かめて欲しいのだけれど−−−

”鼠はどこかへ逃げ込むことができれば助かると思っているように長い串を刺されたまま,また川の真ん中の方へ泳ぎ出た.子供や車夫はますますおもし ろがって石を投げた−−−” 「城の崎にて」志賀直哉


試験に出ない地学Series 78'準備編New!(今年加筆)

  地震の距離と初期微動継続時間の関 係を示す大森公式は中学校の教科書でおなじみだが,これが小説の中にでてくるのは筆者が知る限り次のものだけだ.

  −−その時,吉住は足もとに再び今度こそはっきりとかすかな震動を感じた.地下深くつきささった 鉄とコンクリートの塊の中でである.吉住は必死になって頭の中で計算した.−−−今来たのが本当にP波か?それとも−−−
  震央部に近い所でも,地震の最大振幅は初期微動のあと数分後に来る.−−−アラスカの無人基地が完全破 壊されるのはその時だ.そして,アラスカからワシントンではP波で6分かかる.すると今から6分前にアラスカで初動が起こり−−数分後に大震動がきて基地 が破壊され,ARSはその瞬間から6分間時を刻み−−−
                                    小松左京『復活の日』 p.358より


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