有名な彫刻だそうだが…。
自由時間になったあと、イタリア絵画の間に置き忘れてあったドイツ語の館内パンフレットを手にして、いわゆる印象派とか後期印象派、素朴派、フォーヴィスム(野獣派)、立体派、超現実派、象徴主義などなど、エルミタージュでも人気のあるセクションも訪れた。このセクションの絵は、主にロシア人の蒐集家モロゾフとシチューキンが豊かな先見性から買いあさった二十世紀前衛美術で彩られている。この偉大なるロシア人のパトロンがいなければマチスもピカソも、いや、前衛芸術と呼ばれている作品は成されなかったかもしれない。なぜなら、特にシチューキンは、マチスやピカソたちが最も苦しかった時期に手を差し伸べているし、また、マチスやピカソはロシア美術にふれ、各々の後々の創作の源にしているからである。
このセクションで私にとって見ておくべき作品は、まずはセザンヌの『サント=ヴィクトワール山』だった。セザンヌは同じ山を生涯に渡って描き続けたそうだが、エルミタージュにもその内の2枚(1枚は撮影禁止のベルンハルト・ケーラーコレクションの分)がある。 |
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私は以前ネットで『サント=ヴィクトワール山』のことが話題になったとき、山が自然の中にあるときの、実際の人間の眼球が捉える山の姿の瞬間を描きとった、まさに印象派の極地であるという意見から、興味を持っていたのである。出発前、エルミタージュの分以外の『サント=ヴィクトワール山』が載っている画集を見て、どれもまるで表情が異なっていることに、セザンヌのこだわりというか徹底力を見た感じがした。そしてエルミタージュの分を実際に見てみると、たしかにこれも違うのである。
この絵を購入した人はロシアの西洋美術収集家の中でも名を馳せるモロゾフである。セザンヌに目をつけたモロゾフの眼力は、ある意味では知的な冒険家のものであると記す書物もある。 |
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このセクションにはゴッホの絵もある。帰国後、こちらの看板に対して覚えた印象の元になっている作品が左の『灌木』であった。ゴッホの絵のことについては、よく知らなかったし今もそんなに関心はないのであるが、色使いや絵の具が残す筆の跡は確かにインパクトがあって、一目見るだけでゴッホだ!と分かるのは、さすがだなぁと思う。
モロゾフやシチューキンのことなどについて、いろいろ頭に描いて見ていたつもりだったが、広大なエルミタージュにそろそろ疲れてきていた。そして休憩がてら椅子に座って足を伸ばしたりして、エルミタージュで見かける日本人に話し掛けたりしていた。 すると、マチスの赤い部屋が展示されているところで、こちらやこちらの広告で見かけたあの歌舞伎公演の近松座、ロシア語ではКабукиТикамацу−дзаの方々に出会ったのである。この日は公演前日の休養日だったようで、エルミタージュを楽しんでおられたようだ。話をしているうちに俗物根性が出てしまった私は相手の役者さんのこともよく知らないまま一緒に写真に写ってもらったりしたのであった。 |
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(右に)『マルヌの川岸』(1888) |
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上の写真に撮った絵画は一通り、その他のエルミタージュの画集にあるような知られた作品はじっくりと見たが、近代・二十世紀初頭の前衛美術に関しては勉強不足だし、また大して関心もなかったので、見るべきものは見たという俗物根性しか残っていないかもしれない。かえって、写真にも写っているように、絵画を指差して真剣に説明している人やそれを聞いている人々を見たことのほうが印象に残っているかもしれない。
伯爵夫人はといえば、伯爵が「ああ、バルザックか。なるほどバルザックね。時間がかかりますぞ。『メルス公爵夫人』は読んだかね?」と言うのへ、「わたし、バルザックは好きじゃないの。大げさなんですもの」と答えるのがつねでした。もともと夫人は、ものごとを「大げさにやる」人間が嫌いなのです。大げさにやらない者は咎められているような気分になるもので、誰か「大げさな」チップをはずむ人がいると、自分のチップがひどくしみったれて見えてくる、あれですね。近親者の死に遭って常ならぬ悲嘆に沈み、友人が不幸な目にあうと親身も及ばぬ世話をしてやり、誰か友人の肖像画が出ているわけでもなく、「ぜひ見ておくべき」作品があるわけでもないのに、わざわざ展覧会へ出かけて行ったりする、そういう人たちが好きでなかったのです。大げさ人間でないこの夫人は、展覧会でこれこれの絵を見たかと訊ねられると、ただ一言、こんな風に答えるのが常でした。「見ておくべき絵でしたら、見ておりますわ」
なんだかプルーストの書いていることが、分かるような気が……(笑) |
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