二本松城

所 在 地  福島県二本松市郭内 別 名  霞ケ城
遺 構  曲輪 石垣 再建石垣・門・櫓 形 式  平山城
築 城 者  畠山満泰 築 城 年  応永21年(1414)
歴 史 二本松城は、二本松畠山氏の畠山満泰によって応永21年(1414)に築城されたのに始まる。
天正14年(1586)、最後の当主の畠山義綱は伊達政宗の攻撃に降伏して、二本松城を開城し、伊達氏の城となった。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置で、二本松城は蒲生氏郷に与えられ、会津若松城の支城となった。慶長3年(1598)、蒲生氏郷を継いだ秀行は年少のために移され、上杉景勝に会津若松と共に二本松城が与えられた。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの後、上杉景勝は移され、蒲生秀行が返り咲いた。
寛永4年(1627)、加藤嘉明が会津領主となり、家臣の松下重綱が二本松城主となった。
寛永20年(1643)、加藤氏は改易となり、丹羽光重が白河小峰城から二本松城に入った。以後、丹羽氏が明治維新まで材封した。
明治元年(1868)、戊辰戦争に際して新政府軍に攻められ、落城した。
歴 代 城 主 畠山氏 伊達氏 蒲生氏 上杉氏 伊達氏 松下氏(5万石) 加藤氏(3万石) 丹羽氏10代(10万石)


箕輪門脇櫓(模擬再建) 箕輪門(模擬再建)


現地案内図

二本松城は、標高約350mの白旗ケ峰に築かれている。比高120mの山頂部に本丸を配置し、南側の山麓にかけて曲輪が設けられている。
現在、霞ケ公園として整備されており、山頂部などに石垣が残る他、本丸石垣が復元され、箕輪門、脇櫓が再建されている。


本丸の石垣(復元) 本丸上の天守台(復元)


天守台下大石垣(現存) 搦め手門跡石垣


三の丸の門跡 土塁と空堀


 <アクセス>
二本松城のある霞ケ城公園の入り口は、JR二本松駅の北方約0.9kmの位置。東北自動車道の二本松ICを降りて県道355号線に入り、東に進む。0.5km先の「若宮」交差点を北に折れ、案内標識に従いつつ道なりに1km程進むと、霞ケ城公園の入り口に着く。この入口の横に広い無料駐車場がある。(2013.06.10)