宮本武蔵

1.生い立ち
天正12年(1584)播磨国印南郡米堕村 田原家貞の二男に生まれる。本名、田原玄信。 七歳頃までのある時期、美作国吉野郡讃甘村宮本村の剣士、宮本無二之助一真の養子となる。。

2.関ヶ原合戦
慶長5年(1600)18歳、竹山城の新免伊賀之守の配下となって、新免父子、西軍に参加し、宇喜多秀家の指揮下に入り奮戦するも、戦い破れて、九州に入り、細川家家老松井康之の庇護を受ける。

3.吉岡一門との戦い
慶長10年(1605)21歳、京都に上り、吉岡家と試合をする。
吉岡家を断絶させる。

4.巌流島の決闘
慶長17年(1612)29歳、佐々木小次郎と舟島にて試合をする。勝ったものの、小次郎の弟子に追われ、門司城代沼田勘解由に助けられ、父無に之助のもとに送り届けられる。

5.大阪夏の陣
元和元年(1615)32歳、大阪城籠城軍に加わって奮戦するも、落城後、姫路近郊に閉居する。

6.姫路城
元和5年(1619)36歳、本多忠政の客分となって、町割りに力を注ぐ。 本多忠政は、1617年に姫路15万石で転封を命ぜられている。

7.第一養子
酒造之助を養子として、姫路城、本多藩出仕するも、本多忠刻の急逝に殉死する。

8.明石城
寛永3年(1626年)43歳、明石城、小笠原忠真に客分として町割り、造園等に与力する。 この頃、水墨画、参禅その他の余技を修養したと思われる。藩主参府の護衛には度々付き添ったといわれる。

9.第二養子
寛永3年(1626)、甥の伊織を養子として、明石・小笠原藩に出仕させる。伊織、15歳。 後、しかし、寛永9年(1632)には、小笠原忠真について伊織とともに小倉に移る。伊織、20歳で筆頭家老。武蔵、49歳。

10.島原の乱
寛永15年(1638)55歳、島原の乱、起こり、宮本父子ともに参戦する。戦功あり、伊織1500石加増、4000石となる。

11.熊本へ
寛永17年(1640)57歳、肥前細川家の招きにより熊本入りする。

12.五輪書
寛永20年(1643)60歳、兵法「五輪書」執筆に入り、翌年完成。。

13.
正保2年(1645)62歳、熊本城下、千葉城にて没する。

14.宮本武蔵の与力・姫路城
西の丸の築城(百間廊下、化粧櫓、造園、好古園(西御屋敷跡)

15.宮本武蔵の与力・明石城
。城の縄張り、作庭、城下の町割り、本松寺、園珠院の作庭(枯山水)

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