屋根のお話

  雨の多い気候条件の我が国では、建物の外壁面の木部、土壁を守るため、屋根の庇
(ひさし)を長く、また軒反りを小さくいたします。つまり、深い軒が要求される訳で、
このような軒は世界でも類を見ないだけに、日本の屋根の美しさの重要な要素となっ
ております。我が国ほど多彩な屋根を持つ国は見当たらないでしょう。中国や西欧で
雨風が吹き付けても大丈夫な壁すなわち壁材に塼や煉瓦、石を使用しておりますの
で浅い軒で構わないのです。
それゆえ、我が国は「屋根の建築」と言われる所以でそれ
に反し西欧のは「壁の建築」と言われます。
 とはいえ、古代の建物を眺めるとまず最初に屋根が目に付きますが装飾美を誇る
「日光東照宮」では屋根よりも施された華麗な彫刻がまず最初に目に飛び込んでくるこ
とでしょう。
 

 「庇と軒」の違いですが出入口に設けるものを庇と言い、建物の周囲に設けるものを
軒と区別される場合があります。なるほどと思えるのは帽子の庇で顔の部分しかない
からです。とはいうものの建築用語の庇、孫庇といえば母屋の周囲に造った建物のこ
とで庇も軒も同意語と考えた方が理解しやすいでしょう。出入口の階段の上に差しか
けられた庇は寝殿造、社殿では「階隠(はしかくし)」と言い、これが仏堂に取り入れら
れて「向拝」となりました。
 庇の天井は母屋の天井より格が落ちる形式で仕上げられます。このことは内陣、外
陣も同じことであります。

  我が国古来の建物は殆ど直線屋根で軒反りは存在いたしません。このことは簡素な
美しさが律儀な日本人に好まれたからでしょう。古代建築の柱間(柱と柱の間)も等間
隔ですし、寺院建築の垂木も平行垂木が好まれており、五重塔などは構造上不利にも
かかわらず今だ平行垂木が使われております。しかし、主要でない仏堂の柱間は等間
隔でありますが主要な仏堂の柱間は脇間にいくにしたがって減じられております。

 我が国では古代、宮殿・神社建築の屋根が「切妻造
(きりづまづくり)」でありました
から、切妻造が格の高い建物とされており、「寄棟造
(よせむねづくり)」・ 「入母屋造
(いりもやづくり)
」の屋根 と比べて、切妻造の屋根が最高の形式でした。切妻造を真
屋(まや)、寄棟造のことを東屋(あずまや)と呼びました。真屋の真とはまこととか本
当とかの意味で東屋の東とは都から離れた地方の田舎を表しておりました。
それが中
国の影響により寺院建築では、切妻造の屋根より入母屋造、さらに寄棟造の屋根のほ
うが格が上となりましたが
、主要な仏殿が入母屋造から寄棟造となるのは天平時代で
ありそれも
後の時代になると入母屋造の建物が主流となります。
 
切妻造、入母屋造、寄棟造の違いを私が説明するとややこしくなりますので後述の
写真で理解ください。

 
 屋根の形式は、時代とともに変化しますが、その時代の伽藍配置、立地条件、もし
くは創建当時の建築様式の遵守などは、色々な条件によって決定されております。寺
院の建物をご覧になる際には、なぜこの屋根様式で建築されたかを考えてみるのも一
興かと思われます。

 我が国の古代の建物の色は、青(緑)(連子窓)、朱(木部)、黄(木口)の単純な三色で、
中国・韓国は極彩色の文様装飾がされておりました。しかし、この3色は信号にも使
われるように明るく目立つ色でありますので煌びやかな建物には色瓦の瑠璃瓦の方が
マッチして銀灰色(ぎんかいしょく)
の燻し瓦より適していたのではないでしょうか。
しかし、現在のように建物の彩色が退色して墨絵風になった建物には
銀灰色の燻し瓦
が馴染んでおり逆に色瓦を使えば景色を破壊することになります。
 
 
天平時代までの屋根勾配は中国風の緩い屋根勾配で、下から見える化粧垂木の「
垂木(青部分)
」と「飛檐垂木(緑部分)」上に瓦を葺いておりました。詳しくは垂木上に
板を張りその上に土を敷いてから瓦を葺きました。

 ところが平安時代ともなりますと椅子、ベッ
ドの生活から板敷きの床に坐る生活に変わった
ので落ち着いた空間確保のため天井を下げたい、
板敷きの床になると建物の周りに縁が設けられ
たため縁を濡らさないように一段と深い軒にし
たい、さらには、古代の軽快な緩い屋根勾配で

起こる
雨漏りを解消する為強い勾配の屋根にし
たいという要望が起きたのであります。
しかし
ながら、屋根勾配を急にすると、
室内から外を

眺めたとき、急勾配の軒が目障りになりますのと、自然光が照明の時代だけに室内が
暗くなります。
そこで我が国で考案されたが日本独特の屋根の上に屋根を被せるアイ
デア「野屋根(野小屋)(赤部分)」
形式であり、例えは悪いですが「屋上屋」であります。
従来、化粧垂木は構造垂木でもありましたが化粧垂木と構造垂木(野垂木)が別個のも
のとなり屋根勾配の強い建物が建築可能となりました。
結果、化粧垂木は屋根勾配と
関係がなくなりましたので水平でも良くなりました。
さらに 鎌倉時代ともなると、
代は梁行(奥行)が2間の建物しか建築できないため拡張する為庇、孫庇を設けて解決
しておりましたが、その両垂木の間に拮木(紫部分)」を組み込んで梁行が3間以上の
建物が出来るようになりました。例を挙げると、横長な建物・三十三間堂から正方形
に近い建物・知恩院の御影堂です。 
 
屋根勾配が増し屋根ばかりが目立つ建物となり一部では悪評高いですが、豪放に見
えることも事実であります。と申しますのも、昔、通勤途上に、融通念仏宗の総本山
の「大念仏寺」(大阪市平野区)があり、屋根だけしか見えませんがその屋根たるや重厚
そのもので感心して眺めておりました。

 この野屋根形式の現存最古の遺構が「法隆寺大講堂」であります
 


      寄棟造(大仏殿・東大寺)
 
    寄棟造(東金堂・興福寺) 

      入母屋造(講堂・唐招提寺)

       入母屋造(東院堂・薬師寺)

    切妻造 (伝法堂・法隆寺)
           切妻造(禅室・元興寺)

 天平時代の軽快な屋根の代表的な
ものが、長期間の解体修理も無事完
了した「新薬師寺本堂」です。「唐招
提寺金堂」も創建当時は天平時代の
屋根勾配でありましたが元禄の修理
で屋根勾配が少しきついものとなり
ました。
 天平時代の屋根は静的、女性的で
鎌倉時代の禅宗寺院の屋根は動的、
男性的といえましょう。


             本 堂(新薬師寺)

  屋根形式で「行基葺(ぎょうぎぶき)」というのがあります。「本瓦葺」の重ね葺きの場
合、丸瓦の一方に重ねしろ(玉縁)を取るため、段が出来ずフラット(図)になるよう造
られております。ところが、行基葺の方は、ただ重ねられるよう丸瓦の一方を細くし
ただけです。当然重ね葺きの場合瓦の継ぎ目に瓦の厚みが表面に出てきて、図のよう
に変化に富んだ瓦屋根となっております。
 
法隆寺玉虫厨子の屋根形式も行基葺であります。


       本 瓦 葺

      行 基 葺  
    
  本瓦葺 (元興寺)  行基葺

      行基葺(元興寺) 

  元興寺 極楽堂・禅室は行基葺屋根ですが、この行基葺の瓦の中には飛鳥時代創
建の
法興寺の屋根に載せていた瓦、すなわち、1400年も遠い昔に造られた瓦が混じ
っていると言われております。色の付いた瓦がそうなんでしょう。歴史を背負った古
い屋根瓦とはロマンのある話ですね。
 

   

 屋根形式で錣葺(しころぶき)と言うのがありますがそれには三形式があり、写真の
ように寄棟造の屋根の上半分を切り離したような形式に、@切妻屋根を載せたような
もの(法隆寺玉虫厨子・四天王寺金堂 ・芝増上寺大殿) A入母屋屋根を載せてような
もの(東大寺俊乗堂) B寄棟屋根を載せたようなもの(東大寺念仏堂)です。この錣葺
は古代から存在し法隆寺より古い大阪の四天王寺の金堂はこの錣葺で建築されており
ましたので現在も錣葺で再建されております。錣葺にいたしますと区切りが付いて躍
動的な屋根となります。

 

  参考のために寄棟屋根の上半分
を切り離したところです。 


    金堂(切妻造・四天王寺)

    大殿(切妻造・芝増上寺)

    俊乗堂(入母屋造・東大寺)

    念仏堂(寄棟造・東大寺)

 錣葺の「錣」とは冑の頭に被る部分からの下に垂れて
首筋を覆う「錣(青矢印)」からきております。ただし、
冑の場合しころを錣、錏とも記載されております。
 はっきりとは分かりませんが建物の庇部分を錣と見
なして錣葺と命名されたのではないでしょうか。 

 「法隆寺金堂」は創建当初は錣葺であったとも言
われています。それが現在の入母屋屋根に変わっ
ていますのは流れる屋根の線を乱したくなかった
ためでしょう。ただ、錣葺の名残を留めているの
か金堂の上層の屋根が中段から大棟にかけて急勾
配になっておりますのは、この錣葺を意識した結
果でしょうか。
 四天王寺金堂の屋根勾配は切妻部分が急勾配で
庇部分は軽快な勾配となっておりますように雨漏
りを避けなければならない母屋と万が一雨漏りし
てもよい庇部分を考えてのことでしょう。

 
    金堂(四天王寺)

 


         桧皮葺


       柿 葺 

      栩 葺

  京都は奈良の都市伽藍と違って山岳寺院ですので日本伝統の桧皮葺や柿葺が自然の
風景と一体化して落ち着いたものとなっております。桧皮葺、柿葺の方が工事費も安
価(現在は高価)であるばかりでなく、屋根の施工も瓦と違って、色んな形状に出来る
利点があります。
 
屋根の葺き材には桧皮葺、柿葺(こけらぶき)、木賊葺(とくさぶき)、栩葺(とちぶ
き)
があり、桧皮葺は桧の樹皮を使用、柿葺は椹(さわら)などの厚み2〜3oの板を
使用、木賊葺は厚み4〜7oの板を使用、栩葺は厚み10〜30oの板を使用します。桧
皮葺、柿葺は仏教伝来以前からあり本瓦葺より古いものです。
 同じ柿ですが演劇などで会場開きの「杮落とし」の柿とは鉋屑(かんなくず)のことで、
柿葺の柿とは3o程度の板のことです。杮落としは舞台の鉋屑を落とし綺麗にして初
演を迎えることですが柿葺は杮が風により飛んでしまわないよう竹釘で固定いたしま
す。 


      行基葺(富貴寺大堂)


     栩葺
(光明寺二王門)

 行基葺の「富貴寺大堂」と栩葺の「光明寺二王門」は緑深い大自然に抱かれて静かな佇
まいです。平瓦は本瓦葺でも行基葺でも瓦の厚みの重ねしろが表面に出てきますので
行基葺の場合は平瓦も丸瓦も段がついていてでこぼこしております。一方、栩葺も全
体に段が付いてでこぼこしており両者は何となく似通っております。

 私が繊細な屋根の建物を眺めるだけで安らぎを覚えるのは、日本人ゆえか年齢的な
ものでしょうか。