塀のお話

 「塀」とは本来防犯、目隠しのために設けるものですが、古代寺院では土塀で囲われた
清浄な空間とし、「回廊」内は一般庶民は立ち入ることは許されませんでした。
 ただ「興福寺」は、明治時代に土塀は取り壊されたままですので、奈良での宿泊の場合、早朝の公園散歩での興福寺への立ち寄りは最高のコースです。が、いつかは「築地塀」か「回廊」ができることでしょう。と言いますのも、鎌倉時代の国宝彫刻の件数24のうち「興福寺」には11もあります。これら「興福寺」の貴重な宝庫を守るためにも防犯上の「回廊」は絶対に必要といたしますが、色んな事情で完成を見ないでおります。
 「垣」とは、「垣間見る」とあるように隙間があり、その隙間から中の様子を覗いても
許されたのでありますが、現在ではプライバシーの侵害でクレームがつくことでしょう。

    

 古代の塀は「版築」技法で壁面をきれい
に仕上げてありました。
 「版築」とは粘土を棒で突き固める方式
で、「版築」の回数が塀に境界線として残
っており、近寄って見れば確認できます。
 写真は「法隆寺の築地塀」で、塀の屋根
は「切妻造」で、下部の厚さが1m50cm
もあります。
 今では考えられませんが、「法隆寺の築
地塀」が細かく砕かれて田畑の土に利用さ
れかかったことがあるそうです。

    

 写真は「法隆寺上土門」です。「上土門」
とは屋根の平面な板の上に土で「切妻造」の
瓦葺き屋根のような形にし、その土に花など
を植えた風流な「門」でした。
 当然、「築地塀」も同じような形で土の屋
根に花が咲き乱れていたことでしょう。
 「上土門」は移設されて「寺務門」として
使われておりますが、上部の土は取り除かれ
て桧皮葺となっております。現在、面影は失
われておりますが、現存唯一の遺構です。

   
     今 宮 神 社 (京都)

 「筋塀(すじべい)」とは、に白色の横
筋を刻んだ築地塀のことです。この白色の
横筋を定規筋といいます。
 五本の筋が最高格式を表し、現在は最高
の五本筋以外は滅多にお目にはかかれませ
ん。
 「筋塀」が主に寺院の塀として用いられ
ております。

 



 

   
      平 城 京
   
         洛 東 (京都)        
   

  「東大寺の裏参道」をゆっくり上っ
て行くと、お水取りでお馴染みの
 「二月堂」が目に飛び込んでまいり
ます。
 「裏参道」の両側の「塀」は、瓦をラ
ンダムに横に入れた構造で、古代の
「築地塀」に比べて変化に富み、しか
も仕上げの白漆喰が剥げ落ちて暖か
い土が露出しているため、崩れた魅
力があり趣のある表現となったおり
ます。

  周辺の建物は「塔頭(たっちゅう)・(子院)」です。緩やかな石畳の道をを上っ
 て行きますと、「二月堂」「三月堂」「四月堂」に到着します。

   
 
   唐 招 提 寺
 
       

      

 昨年の「唐招提寺金堂」
です。
 左の「鴟尾」は井上靖さ
んの小説で有名な「天平の甍」です。

 

 平成13年3月11日現在
の「唐招提寺金堂」です。
 ギリシャ建築を想像させる
「金堂の列柱」は、「興福寺
東金堂」で懐かしんでください。
 解体修理は長期間を要し、
平成20年頃の完成となります。

    
      熱 田 神 宮(愛知)

 
        竜 安 寺 (京 都)

       
          大 徳 寺 (京都)※
                  モダンな塀ですね。   

  
     御香宮神社(京都)

   
            根津神社(東京)

  「透き塀(すきべい)は神社で見られる塀で、菱格子の隙間が大きいため、 開放的な内部 空間となっております。

 
  
      建 仁 寺(京都)※
   
          圓 徳 院(京都)
       割竹を縦に密に並べた日本らしい「塀」で、京都ならではでしょう。

   
      銀 閣 寺(京都)※
   
       詩 仙 堂(京都)※ 

   
         圓 徳 院(京都)
   
       車 折 神 社(京都) 

  
       法 然 院(京都)
  
         法 然 院(京都)
  今回 増田建築研究所(京都市)様から多くの写真(※印分)をご提供いただきました。厚くお礼申し上げます。