下野土鈴・酉 駕籠
 下野土鈴は、栃木の瓦の土と陶器の里・益子の土を使い県内の名所・旧跡名物郷土玩具、各地の伝説等を題材としていろいろな土鈴を作っています。
 土鈴の中に神霊が宿るとして古くから魔除けとして親しまれています。
宇都宮市 ふくべ洞 小川昌信 作 相沢一太郎 作


出世紅白梅 下野土鈴・達磨大師 黄鮒の貼り絵土鈴
  下野国佐野鎮座朝日森天満宮は太政大臣正一位菅原道真公をお祀り申したお社なり。
 道真公は幼少の頃より学問に秀で時の帝に召されて学問所の文書博士となり成人するに及び政に参与し忠勤と誠実はついに右大臣に任ぜられる。ある時同僚のそしりを受けるところとなり、筑紫の太宰府に流される。その折り咲き始めた庭園の紅梅に名残を惜みて
 「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
と吟じられ、その為か参道には梅の古木立連り、春ともなれば馥郁な薫りに詣ずるものは公の胸中を偲ばれて胸せまるものあり。公は学問の神様として霊験あらたかである故に学問の上達と出世を祈願す参詣者の絶えることなし、この故事と紅梅に因み 紅梅土鈴を制作す。
                相沢土比古
 下野土鈴について
 関東平野の北に位置する栃木県古くは下野国と呼ばれ東国の要地として重要な位置を占め、奈良時代には国分寺や国分尼寺等も設けられた歴史の地です。
 その国分寺の屋根を飾る美しい瓦はこの土を用いて作成されたことが明らかになっています。
 下野土鈴は栃木の瓦の土と陶器の里・益子の土を使い、県内の名所・旧跡名物郷土玩具、各地の伝説等を題材としていろいろな土鈴を作っています。

  昔(年代不明)宇都宮地内に、天然痘が流行して多くの病人が出た。
 そこで村人は神に祈り、病気の平癒を願った。或る日信心深い一村民が、病人に与えるため魚を釣りに出かけ、鯉の様に大きな黄色の変わった鮒を釣り上げ、これを病人に与えたところ、病気は、あとかたもなく治った。
 後年村人たちは、これを神に感謝し、また病気よけとしてこの黄鮒を型取り、毎年新年に神にそなえる様になりました。
 この伝説により張り子の黄鮒は宇都宮市の郷土玩具として地元の人達に親しまれています。
 
佐野市 相沢市太郎宅 宇都宮市 ふくべ洞 小川昌信 作 


朝日天神授与鈴・三つ俵 秘物 かゝあ天下
  その昔、豊城入彦命、命を受け関東に下りこの地方を治めし頃、毛野国と称し、群馬県を上毛野国、栃木県を下毛野国と称へ、この上毛野国を後に上州とも云う「おらが国の名物はかゝあ天下に北西風(からっかぜ)でござんす」といつの頃からか、子守歌にも歌われ、他国の人にまで知られる様になった。
 この地方は昔から養蚕と織物が盛んな所である為に女の仕事が多く、この地方の女達は実によく働く習慣があった。その為にかゝあ天下と誤解されたがさにあらず「家のかゝあは器量よし、親切もので稼ぎものやりくり上手で子沢山ほんに家のかゝあは天下一」と亭主族がほめたゝえた。 
 このかゝあ天下を鈴にして世の亭主族に贈る。
佐野市 相沢市太郎宅