マーラー、チャイコフスキー、ラフマニノフ好き管理人のクラシック音楽の部屋「ほんのちょっとクラシック気分」



交響曲第六番ロ短調「悲愴」

☆作曲の背景☆
チャイコフスキーにとって、最後の交響曲となった作品です。この曲に取り組んだのは、前作から4年後の1892年も末になってからのようで、翌年2月に弟のアナトリーへ宛てた手紙に「いま新曲に没頭している。これはきっと私の最高傑作になるだろう」と書いています。この交響曲が完成したのは1893年の夏になってからで、1893年10月28日、ペテルスブルグにおいて、作者自身の指揮によって初演されてから5日後の11月6日、チャイコフスキーはこの世を去りました。
この「悲愴」というタイトルは、初演の後で弟のモデストに相談して付けたもので、モデストははじめ「悲劇的」と言う名を提案しました。しかしチャイコフスキーがそれを気に入らず、しばらく考えた後「悲愴」と名付けられました。


チャイコフスキーの交響曲の中で最も有名な曲、[悲愴」。チャイコフスキーが、この曲の初演から一週間後に亡くなった事も頭をかすめるのか、この曲を聴くと絶望からの嘆き・・のような感情にとらわれ悲しくなってしまう。それでも時々聴きたくなるのは、私自身がそういう音楽を求める時があるせいなのでしょうか・・・
悲しい嘆きの音楽は、とても美しくもあるのですね。

【第1楽章】ロ短調 嘆き悲しむようなアダージョ〜アレグロ・ノン・トロッポ
ソナタ形式
コントラバスの静かな和音の動きの中に、ファゴットが暗くうめくような旋律を奏しはじめます。暗い悲しみの中に、美しい調べが重なって甘美な世界が広がります。悲しみは荒れ狂う嵐へと変化し、強い情感の高まりへと上っていきます。そしてまた絶望的なムードへと静かに落ちていきます。

【第2楽章】ニ長調 アレグロ・コン・グラツィア(快速に、優雅に)
三部形式
全体がロシア民謡によく出てくる4分の5拍子で押し通され、テンポもよく、またとても美しく穏かで、一見心地よい優しい雰囲気につつまれるのですが・・・。どこか不安気で物悲しい印象を与えます。

【第3楽章】ト長調 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ(快速に、きわめて生き生きと)
突然うきうきとしたリズムが流れ出します。スケルツォと行進曲を組み合わせたユニークな楽章です。今までの憂鬱な雰囲気を吹き飛ばし、生き生きとした音楽を歌い出し、スケルツォの3連符に乗って、力強い行進曲へと発展していきます。この交響曲の中で唯一活力に満ちた楽章なのですが、その裏側には何ものかに対する激しい抵抗心を含んでいるのかもしれません。

【第4楽章】ロ短調 再びアダージョ・ラメントーソ(悲しみのアダージョ)へ
自由な三部形式
第3楽章の活力あるラストから、どーんと悲しみの底へと落ちていきます。決してハッピーエンドとはならない映画のラストシーンのように。
曲は、中間部を経て、主部が戻り何とも悲しい情感をどんどん盛り上げていきます。そして最後の時を告げるようにタムタム(ドラ)が鳴り響き、トロンボーントとテューバの重々しい四重奏となり、絶望的な旋律の中、コントラバスの和音が全てを包み込むように、深く重く悲しみの中に消えていきます。

ドナルド・トヴェイ氏 の言葉より
−−チャイコフスキーの第5番と最後の交響曲が彼の作品の中でもっとも有名になったのは、単に感傷的な理由や伝統的な理由の為ではない。他のどの作品でも、彼は、これほど効果的な構成の中に、これほど偉大な音楽の多様性を凝結させた事は無かった。絶望をこの上もなく簡潔にあらわした穏やかな終曲は、 ベートーヴェン以来の作曲家を当惑させたすべての芸術上の難問を解決する天才の手腕である。全曲は、最低の努力すら求めることなく、人を説得する力をもっている。−−






☆チャイコフスキー:交響曲第六番ロ短調「悲愴」(CDの記録)

@指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団    1971年9月録音
A指揮:エフゲニ・ムラヴィンスキー / レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団    1960年9月録音
B指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団    1964年2月録音