, マーラー、チャイコフスキー、ラフマニノフ好き管理人のクラシック音楽の部屋 : ほんのちょっとクラシック気分〔マーラーの部屋〕

マーラー、チャイコフスキー、ラフマニノフ好き管理人のクラシック音楽の部屋「ほんのちょっとクラシック気分」





交響曲第九番ニ長調

☆作曲の背景☆
第8交響曲を完成させた翌1907年夏に、マーラーはさらに「大地の歌」を手がけ、1908年秋にこれを完成させました。1907年の暮れにウィーン宮廷歌劇場を辞めたマーラーは、それ以後、死にいたる1911年まで、ニューヨークとヨーロッパ各地で指揮者活動を続けます。そのかたわら、彼は1909年夏にトプラッハの近くのアルト・シュルーダーバッハでの避暑中に第9交響曲の作曲をはじめ、10月にニューヨークへ行ってからも書き続けました。そして1910年3月に完成されました。


とても美しい曲、そしてユニークな曲・・・これが私のこの最後の交響曲に対する最初の率直な感想でした。
また、陶酔的なマーラーの音楽が大きく広がる中、新しい風がさーっと流れ込んできたような、そういう新鮮さも感じました。
この作品は晩年病身であったマーラーが、死の予感に襲われつつ書き上げたと言われています。ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナーなどがそれぞれ第9の交響曲を書き上げて世を去ったということに迷信的な恐れをいだき、この曲の直前にかいた「大地の歌」に交響曲とは書きましたが、「第9」とつけるのを避けたのです。しかし、その後に書きあげたこの曲は「第9」とならざるを得なくなり、迷信が的中してしまったように第10を未完のままこの世を去ってしまいます。
マーラーが死との対決を覚悟して書き上げた曲。過去の思い出や、夢、離別、傷心、そして自然と神。 マーラー自身の過去の作品や、ベートーヴェンやブルックナーのモチーフも取り入れられたこの大曲。マーラーの集大成と呼ぶにふさわしい作品でしょう。

【第1楽章】ニ長調 アンダンテ・コモド
ソナタ形式。
ホルン、チェロ、ハープの低い音に導かれ、ため息のようなしっとりとした音楽が漂います。マーラーが作り出す音の世界へゆっくりと引き込まれていくような感覚に襲われます。第2ヴァイオリンが途切れがちに第1主題を奏で、主題が第1ヴァイオリンに移ったころから、その安らぎが大きく乱され、何とも言えない緊張感が漂います。 その緊張感を覆うように、また美しいメロディーが流れ出す。トランペットに導かれ大きく盛り上がった後、全てが沈黙します。ティンパニとコントラバスだけがうなりつつ、展開部に入ります。葬送行進曲のような不気味な時が流れてると思えば、主題が不思議な感覚に変化させられ、トランペット郡がこの静かな気分を破る。静けさ、ざわめき、さまざまに変化し、最後はホルンの落ち着いた気分の中で、乱されることなく曲は結ばれます。とても美しく変化に飛んだ印象的な楽章です。ただ、とにかく長いです(マゼールのなんて29:47でしたよ!!) 2楽章分聴いている気分になりました。


【第2楽章】ハ長調 ゆっくりとしたレントラーのテンポで
(スケルツォ)
この楽章は3つの舞曲からなっています。1つは、ウィーン風のレントラーで、第2ヴァイオリンがフィーデル(古いヴァイオリン)で演奏するように、農民風に不器用に奏されています。とても長閑で、どってりとしたユニークな音楽に気分ものんびりとします。2つ目はいきのいいウィーン風ワルツ。テンポも軽やかになるのですが、どこか不器用な音はそのままといった感じです。3つ目はホルンにより紹介されるゆっくりとしたレントラー。この3つのレントラーが変奏されたり、折々に中断さたりと、最後の方には慌てふためく様子を感じるところもあったりと、とてもおもしろく作られています。「人生感情の表現」ともいわれているようですが、本当におもしろい楽章です。


【第3楽章】イ短調 アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に
ロンド、ブルレスケ
ブルレスケとは元来「道化」の意味。「きわめて反抗的に」と記されているように、ユーモアと皮肉の入り交じったような早いテンポ、強圧的な力を感じる曲調に支配されます。やがて美しい旋律、天上的な気分の中、ヴァイオリンが一層抒情的な歌を奏でます。しかし、ブルレスケな気分は次第に戻ってきて、やかましくなり、行進曲風にもなり、落ち着かない気分のまま曲は終わります。


【第4楽章】変ニ長調 アダージョ
ロンド形式
第4楽章は長大で崇高なアダージョです。冒頭のヴァイオリンのG線上の響きは、胸に響き、そして染み渡ります。荘厳で感動的で・・・まぬがれ得ざる運命の力のように時の流れを推し進めていきます。ヴァイオリンの美しくやわらかい旋律は、少しずつ消失への道を辿っていきます。身も心も漂い流され、美しく不思議な世界へと導かれます。
蝋燭の炎が消えてなくなるような最後。 まるで死を覚悟した自分へのレクイエムでもあるかのように。
美しい音楽を作り続けたマーラーにふさわしい最終楽章です。


「深い、休息に満ちたアダージョがひびきはじめる。また、第3交響曲の終わりと同様、神の愛が語る。しかしそれはもはや発芽し、開花する愛ではなくて、それは死に赴く自然の愛である。生命充足の調性であるニ長調は、崇厳の調である変ニ長調に下ったのである。偉大なるパンは創造主ではなく、救済者として現れる。生成は変化して消失となる。」
(パウル・ベッカー)

「終楽章において、彼はこの世に訣別を告げる。その結尾は、あたかも青空に溶けいる白雲のようである。」
(ブルーノ・ワルター)







☆マーラー:交響曲第九番ニ長調を聴く(CDの記録)

@指揮:ブルーノ・ワルター / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団    1938年2月録音
A指揮:ロリン・マゼール / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団    1984年4月録音