マーラー、チャイコフスキー、ラフマニノフ好き管理人のクラシック音楽の部屋「ほんのちょっとクラシック気分」



交響曲第六番イ短調「悲劇的」

☆作曲の背景☆
マーラーは、第五交響曲を完成した翌年の1903年夏に、ヴェルター湖畔のマイエルニヒにあるお気に入りの別荘で、つぎの第六交響曲の作曲に着手しました。この頃のマーラーは、ウィーン国立歌劇場の音楽監督としての多忙な日々、そして円満な家庭生活と、人生の絶頂期でした。
この夏の間に2つの楽章を書き上げ、翌年にはこの曲を完成させました。大曲でありながら、マーラーとしては短時間で完成させた作品です。


一番、五番に続いて、次の作品を・・・とPCに向かうまではいいのですが、難しい!! 私のような「素人&聴き込み足らず」人間にマーラーを・・・、例えそれが独りよがりで幼稚な解釈であっても、書き記すのはとても難しいのです。しかし、「自分のお気に入りとして、ご紹介はしたい!」という事で無謀にも取り組んでみました。お見苦しい点もあるとは思いますが、どうぞ暖かいお心で・・・
まずは第一印象を、「長い! なかなか複雑!!」。
指揮をするのに難しい曲になっているだとか、曲が長大すぎるとかの理由で普及が遅れたというのが何となく分る気がします。
この交響曲では各箇所で管楽器や打楽器が効果的に活用されています。特に打楽器では、カウベル(牛の首にぶらさげる大きな鈴)、ティンパニ、ハンマー(木槌)・・・・・ハンマー?。それぞれの打楽器が印象的に使われる中、”ハンマー”には驚きました。第4楽章で2回使用されるのですが、最初は3回だったそうです。「英雄は3度目の打撃で倒れる」という予言めいたものを含ませていたのだそうですが、やがてそれが自分の人生の予言になってしまったと感じ、2回に変更したそうです。 自分への予言・・・・・
マーラーの3度の打撃とは「心臓の調子が悪くなった事」、「ウィーン宮廷歌劇場の楽長の地位を去った事」、そして「たった4歳半という幼い長女を病気で亡くした事」・・・・・
「死への恐れを表現した曲」。悲劇的な情景の中にも、マーラーの交響曲の最大の魅力である心打つ美しいメロディがふんだんに盛り込まれているこの曲を聴いていると、「悲しい」という表現とはちょっと違った「刹那さ」を感じてしまいます。

【第1楽章】イ短調 アレグロ・エネルジーコ、マ・ノン・トロッポ(激しく、しかしはっきりと)
ソナタ形式。
何かがせまってくるような始まりです。短い序奏ののちに弦楽器によって行進曲ふうで暗い第1主題が奏されます。木管によるコラールふうの動きののちに、優しい情緒溢れる第2主題(アルマを象徴したものだともいわれています)が奏しだされます。展開部では、マーラーらしい大きな自然を感じさせる音楽が大きく広がり、クライマックスへと壮快に盛り上がって幕を下ろします。

【第2楽章】イ短調 スケルツォ(どっしりと)
スケルツォと聞くと、軽快なイメージがあるのですが、この楽章は特に軽快でも気まぐれでもなく、踊るようでもユーモラスでもありません。第一楽章の重々しい雰囲気が、そのまま流れ込んできているような印象です。 それから、だんだんと変化をつけて−−−暗⇒明、速く⇒遅く、拍子の変化、とさまざまな場面が繰り広げられます。

【第3楽章】変ホ長調 アンダンテ・モデラート(ゆっくりと、歩く速さで − 中庸の速さで)
三部形式
とても牧歌的で情緒深い楽章です。ヴァイオリンが表情豊かな主題を奏し、それに管楽器が加わって、まもなくホルンの旋律が牧歌的な情感をさらに強めます。昼間部はカウ・ベル、ハーブ、チェレスタ、クラリネットとさざ波のような動きをみせ、トランペットが第1部の動機を演します。
私はこの楽章を「物思いに耽る楽章」と名付けています。どこかセンチメンタルで物悲しくもありますが、何かを思い懐かしんでいるようにも聴こえるのです。マーラーらしいと思って聴いています。

【第4楽章】ハ短調 ソステヌート〜イ短調 アレグロ・モデラート〜アレグロ・エネルジーコ(各音の長さを十分に保って〜力強く快速に)
序奏付きソナタ形式
演奏時間の長いこの交響曲の中で、最も長い楽章です。
チェレスタとハーブに続き、ヴァイオリンが「悲劇的」とも呼ばれる序奏の主要旋律を奏します。つぎつぎと色彩が加えられ、次第に昴奮してアレグロ・エネルジーコの主要部へと突入します。力強い木管とヴァイオリンによる第1主題、ホルンが大きな飛躍を持った第2主題を奏します。さまざまな楽器が加えられ多彩な音楽が広がります。
この楽章でいよいよハンマー(木槌)が登場します。30分を越える演奏時間の中で、たった2回の登場です。じっと耳を澄ますと確かに鈍い、重たい打楽器が打たれたのは分ったのですが、その事を知らなければ聞き逃してしまう程、目立たない音響です。3回程聴いてやっと「これかな〜?」と思うくらい。多分コンサートでは人目を引く存在になるのでしょうが、もっと他の打楽器の方が効果がありそうな気もします。でも、それがマーラー独自の”こだわり”だったのでしょうね!
最後は悲劇的で沈んだような重々しい結尾で結ばれます。 私個人としては、ハープの音色がなぜか心に残りました。
この楽章は最後の悲鳴!そう言うのでしょうか・・・。ただ「悲劇」を悲しむだけでなく、「誰も「悲劇」など望んでいない! 穏かな幸福を望んでいる! 決して「希望」を捨てたわけではない!!・・・そういう叫びに聞こえるのです。


追記 : 第4楽章を聴いている最中に、小学生の娘が帰ってきました。暫く傍で聴いていて「あ〜、今の私の気持ちやわ!」と突然言い出しました。私はそれを聞いて「え〜っ? もしかして悲劇があった?」と笑いながら尋ねると、「そーそれそれ、悲劇やわ!」。娘にこの曲が「悲劇的」という曲だという事をおしえると「そーなんや?! ほんまにこの曲悲劇って感じやね!」と言い残し、自分の部屋へと行ってしまいました。あんな何もわからない子供にさえ、目で見るわけでもなく、言葉で聞くわけでもないのに、そういう印象を与えられるって、やっぱりクラシック音楽ってスゴイんですね。
えっ? 娘の悲劇? 子供の悲劇なんて大人が聞いたら、殆どが笑ってしまうような事ですよ!






☆マーラー:交響曲第六番イ短調「悲劇的」を聴く(CDの記録)

@指揮:クラウス・テンシュテット / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団    1991年11月録音
A指揮:エーリヒ・ラインスドルフ / ボストン交響楽団    1965年4月録音