マーラー、チャイコフスキー、ラフマニノフ好き管理人のクラシック音楽の部屋「ほんのちょっとクラシック気分」





ベートーヴェン、古典派を主張しながらも、その足元からロマン派への流れを作った人。ベートーヴェンをあらためてじっくりと聴く気になったきっかけは、サイトを通じてお知り合いになった方々の影響なんです。「聴いてみようかな?」と思っていたところに、スウィトナー指揮/ベルリン・シュターツカペレによる交響曲全集CDとの出会い。これがとてもお買い得なCDだったのです。こうして、ベートーヴェンの世界への第一歩を踏み出しました。
今まで、ロマン派を好んで聴いてきたのですが、これを機に、本当の意味での”クラシック”古典派の音楽に親しんでいけたらと思っています。

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★ 交響曲第一番 ハ長調 / 交響曲第二番 ニ長調   (2006/4/20 記)

交響曲第一番。まず最初に感じたことは、今まで聴いてきた音楽よりはきれいに整っていて、どこか品格を感じさせる音楽だということです。宗教音楽や宮廷音楽の流れを引き継いでいるような、そういう感じでしょうか。また、クラシック音楽を解説されてる多くの方が言っておられるように、ロマン派の”主観的な音楽”に対して”客観的な音楽”というのもわかったような気がします。聴いているだけで涙が出たり、鳥肌が立ったり、歓喜を感じたり・・・そういう気持ちの起伏、高揚などの表現が控えめで、聴き手にはちょっと伝わりにくいように感じました。
これは余談ですが、ピアノには「ソナチネ」という古典を勉強する楽譜集があるんです。それと曲の構成、感じがとてもよく似ていますね。
各部でモーツァルトを模したように書かれていますが、それでもベートーヴェン特有の色は出されているのではないでしょうか? ん〜〜〜っ、ここで他の古典派音楽とうまく比較できない自分がもどかしい。

交響曲第二番。これは私の個人的好みで言うならば、第一番よりずっといい!とても斬新で躍動感に満ちています。
第1楽章から、雄大さと爽やかな躍動感、そして楽器の音色の変化もなかなか面白く表現されています。
それから曲想はやさしく穏やかに変化していき、牧歌的な旋律で田園ののどかさを歌い上げています。第3楽章ではメヌエットでなくて、スケルツオを初めて取り入れたところもおもしろいです。
第4楽章は、とても明るく快活に作られていてフィナーレを目指しての盛り上がりもよかったです。





★ 交響曲第三番 変ホ長調 「英雄」  (2006/4/27 記)

この交響曲第三番については、ナポレオンに献呈するためベートーヴェンが清心込めて書いていたことはよく知られています。フランス革命以後に登場したナポレオンへの期待と敬愛を込めて。しかし、ナポレオンが後に皇帝に即位したことで失望し、作曲中の「交響曲第三番」の表紙に書いてあった「ボナパルト」という記述を「シンフォニア・エロイカ」と書き替えたのは、有名なエピソードだとか。
第1楽章は「英雄」にふさわしく、ドラマティックに力強く描かれています。誇らしく高らかな弦楽器を主とした演奏の合間に、木管の優しく、軽やかな調べが響いてきます。堂々とした中にも上品さが漂う「英雄」。そういう印象を受けました。ところどころに置かれた連続して押し寄せる和音のアクセントもなかなか効いています。
第2楽章は雰囲気も一転し「葬送行進曲」が奏されます。交響曲において「葬送行進曲」を挿入するという試みは、単にベートーヴェンらしさを表現しただけでなく、音楽に「思想性」を強く反映させるという、それまでの音楽の歴史にとって革命的な出来事となりました。このことは、その後のロマン派の音楽に大きな影響を与えることになります。ハ短調で始まるこの楽章。中間部はハ長調に転じて明暗の対照を作っています。死を超えた先にある安らかで優しく、一種の喜びをも表しているようです。全体的に悲しく、そして美しい楽章になっています。
第3楽章はホ長調のスケルツォ。テンポも速く、とても快活で明るい音楽になっていて、自然と心も弾みます。
そして第4楽章。冒頭から「何だかおもしろい!」。上手く言えないのですが、その音楽にそういう印象を持ちました。何度か聴いているうちに副題が「英雄」とつけられていることを思い出し、そうしてこの楽章を聴いてみると、ベートーヴェンが何を「英雄」として描きたかったのが分かるような気がします。とても躍動感に溢れていて、「自由と平和」・・・理想的な生活をもたらしてくれた「英雄」の登場を、民衆が歓喜する様子が浮かびます。そう、そういう「英雄」を託した曲なのですね。

音楽技法やオーケストレーションにおいてもベートーヴェンらしいアイデアがふんだんに盛り込まれている作品でした。



★ 交響曲第四番 変ロ長調  (2006/5/1 記)

第二交響曲のニ長調の世界を反転させてフラット系の調子に映し直したのがこの四番。当然の事ながらこの交響曲もパストラーレ(曲想を表す標語で、牧歌風に。田園風に。)的になっています。第1楽章入ってすぐの下降音型(神的なものの訪れを表す場合にベートヴェンが利用した音型)による暗くぞぞっとするような雰囲気を、分散和音によるアクセントを機に大きく盛り上がった後、木管による軽やかな演奏で、明るい音楽へと変化します。とてもスピード感に溢れる演奏です。
第2楽章は優しく大らかで、そののどかさの中にも力強さもあり、心豊かな楽章になっています。
第3楽章は、とても明るく軽やかで心躍る楽章です。
第4楽章も第1楽章と同じように、鋭いアクセントとスピード感に溢れています。合間に息抜きの様なフレーズをまじえながら、一気に駆け上ってこの曲の幕を閉じます。

全体的に美しい音楽で、とても気持ちのいい曲でした。 お気に入りの1曲になりそうです。





★ 交響曲第五番 ハ短調 「運命」  (2006/5/3 記)

あまりにも有名な『運命』。第1楽章の「ダダダダーン」という有名な動機を弟子が何を意味するのか尋ねたところ、ベートーヴェン自身が「運命はかく扉をたたく」と言ったとされており、ここからこの交響曲を「運命交響曲」と呼ぶようになりました。でもこの「運命」という標題は日本以外ではあまりポピュラーではないそうです。
第1楽章の冒頭、いきなり叩きつけられるように登場する「運命のテーマ」。一見弦楽器のみで演奏しているようですが、クラリネットを重ねるという斬新な音色作りがされています。ホルンに導かれちょっと切ない第2主題が奏でられます。この楽章全体を通じて、「運命のテーマ」は執拗に繰り返されますが、冒頭をそのまま再現するのではなく、オーケストラ全員により演奏させたり、オーボエの短いカデンツァを挿入したりと、色々な変化が加わっています。とても緊張感のある楽章です。
第2楽章は大きなフレーズで、とても癒されます。音の低いヴィオラとチェロを使用することで、落ち着いた響きになっていて、それを木管が優しく引き継いでいます。と、そこで突然トランペットのファンファーレ!その後は時に憂いを含んだ落ち着いた音楽になっています。
第3楽章、この楽章が私は一番好きかもしれません。楽器間のやり取りをはじめ、どこかミステリアルでおもしろみを感じたのは、なるほど気付かないうちにそこここと転調していたのです。終盤は音が途切れがちに寂しくなっていき、第4楽章に向かって大きく盛り上がっていきます。
第4楽章は、第3楽章から流れ込んできた勢いを一気に爆発させています。運命、苦悩そういったものを振り払い、未来、希望へと導いてくれる、そういう楽章です。

追伸 : この交響曲は次のようなアイデアがふんだんに盛り込まれています。
すべての楽章において序奏なしで、単刀直入にテーマが提示されること。
3楽章と4楽章の間は長大なブリッジにより切れ目なく続けて演奏されること。
楽器編成では、音量を増強するためにピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンといった楽器が交響曲としては初めて使用されたこと。
そして最大の特徴は、全曲を通して同じリズムが強烈に鳴り続け、全体の統一が図られていること。






★ 交響曲第六番 ヘ長調 「田園」  (2006/5/17 記)

この曲、ベートーヴェンの交響曲として、私としてはめずらしく以前から聴いていた曲です。 もともと自然描写的音楽が好きな私にとって、とても心和む曲だったからです。

ベートーヴェンはこの曲に関して「田園での生活誌の思い出」「絵画である以上に感情の表現」といった言葉を残しています。このうち後者のものに関して、ベートーヴェンが意図したものは音画ではあるが、それにもまして感情の表出を豊かに、ということだったそうです。前作「運命」とは打って変わって、とてものんびりとした雰囲気の作品で、広い田園風景が頭の中一杯に広がると同時に、自然の美しさ、癒し、そして激しい嵐。最後には自然と神への感謝と、ベートーヴェンの表現したかった”自分自身の感情、その変化”がとてもよく表されている曲だと思います。

この交響曲には各楽章それぞれに標題がつけられています。
第1楽章「田園に着いて起こる、晴々とした気分の目覚め」。第2楽章「小川のほとりの情景」。第3楽章「田舎の人々の楽しいつどい」。その標題どおりに、田舎に到着し、そのおいしい空気を思う存分に吸い込み、とても晴れやかな気分になった様子から、田舎の長閑さ、小鳥たちの調べ・・・自然と戯れる楽しい気分が3楽章に渡って表現されています。
第4楽章「雷雨・嵐」。ちょっと怖いくらいの迫力のある楽章です。神がかっていて、その怒りを表しているようです。
第5楽章「牧人の歌・嵐の後の喜ばしい、感謝の念に満ちた気持ち」。嵐が去った後の牧人の喜びを晴れやかに歌っています。

また、この曲は楽器編成にも特徴があります。編成は決して小さくはないのですが、金管楽器で全曲を通して使用されるのはホルンだけで、トランペットは第4楽章のみ、トロンボーンは第4楽章と第5楽章のみで使用されます。ピッコロやティンパニなどの楽器も第4楽章の「嵐」のシーンだけの使用となっています。






★ 交響曲第七番 イ長調   (2006/5/24 記)

曲を聴くなり、皆さん”イチ押し”の理由も納得!! と言えるすばらしい曲でした。前作とは一転して、ベートーヴェンの初期の交響曲やハイドン・モーツァルトの古典派時代のような質素な楽器編成になっているのですが、その中から繰り広げられる音楽はとても斬新で、明るく快活でリズミカルな作品に仕上がっています。 管楽器が非常に巧く用いられていて、弦楽器群との対照的用法は、ときに合奏協奏曲や協奏交響曲を思わせます。

第1楽章、上昇音階のリズムとともに、気分も空高く舞い上がっていくような気分になります。やがて木管による軽やかで優しい音楽が流れてきます。「ターッタラン、ターッタラン、タータターッタランタ・・・・」という民族舞曲風のリズムが印象的でこの楽章の基礎になっていて、 うきうきとした気分にさせてくれます。
第2楽章は、第1楽章の明るさから一転、一気に暗く悲しげな雰囲気へと落ちていきます。葬送行進曲風の曲になっていて、足取りも何となく重くなってきます。中間部はリズムそのままに長調に転じ、クラリネットとファゴットがとても美しい旋律を奏で始め、何とも言えない世界へと導きます。
第3楽章、突然軽快な音楽が飛び出し、第2楽章の暗澹とした雰囲気を一掃してしまいます。やがてゆったりとした音へと変化しますが、この軽快な音楽とゆったりとした音楽が繰り返されて、突如としてこの楽章は終わります。
第4楽章は、冒頭から民族舞曲風の音楽が流れ、とても勢いのある楽章になっています。最後までその勢いは衰える事無く、情熱的、熱狂的な終曲を迎えます。





★ 交響曲第八番 ヘ長調   (2006/6/23 記)

ベートーヴェン本人が、この8番を“小さな交響曲”と言ったと言われている通り、演奏時間はわずか25〜26分。オーケストラ編成も大きくはないこの交響曲、それでもベートーヴェンのすばらしい音楽性がいっぱい詰まった作品になっています。全体的に古典的な交響曲の形態を取られているようですが、第7番的な表現手法も顔を覗かせています。優美さと気品を感じる曲です。

第1楽章は自由に広く高く伸びていくような、そういう勢いの中に、ちょっと気高い華やかさを持っている楽章です。その合間に入る木管の優しく穏かな音色もいいですね。中間部は曲想に変化があって、何かが迫り来るような迫力の演奏になっています。
第2楽章は小刻みな木管の演奏にはじまります。穏かで優美な世界が広がります。
第3楽章のメヌエットも、とても落ち着いた澄んだ音楽です。トリオ部には田園の奏楽が美しく流れ、ホルンの調べで心も癒されます。
第4楽章はテンポをやや速めます。弦楽器による気高くとても勢いのある演奏と、木管による優しくのびやかで、時にかわいい演奏が対照的で、面白く作られています。





★ 交響曲第九番 ニ短調 「合唱」  (2006/7/6 記)

日本では”第九(だいく)”と呼ばれ、年末になると全国各地でコンサートが開かれる、私たちにとってはお馴染みのこの交響曲。
この作品が特別な光を出すのも、ベートーヴェンが生涯をかけて手がけた作品であるからでしょう。第7番、8番以降の創作の不振をもたらした精神的肉体的苦境から奮起するにいたってベートヴェンが祈念した”新しい生命”。精神的に一度死ぬ事によって、かえって新たな救いの生命を与えるという、キリスト教的考え方が第9にも色よく反映されています。
交響曲に合唱を入れるという革新的なこの曲は1824年に初演されました。ベートーヴェンは、そのころにはもう耳もまったく聞こえなくなっていたので、演奏の際に指揮者をもう一人立てて行いました。演奏が終わっても、後ろを振り向けない(不安だったのでしょうか・・・)ベートーヴェンを、側にいた演奏者が手を引いて客席の方へ向かせます。会場は拍手喝采、熱狂の渦に包まれていました。その瞬間、ベートーヴェンは、今ここに生きて立っている事への喜びと感謝の気持ちに満ち溢れたのではないでしょうか。
最後の交響曲にふさわしい傑作です!

第1楽章、うっすらとたちこめた靄の中から突如として雷鳴の様に響き渡る短い動機。死、怒りという力強いドラマティックなはじまりです。切なさを悲しく、そして優しく歌い上げる響き、そして神の怒りを表現しているかのような深く激しい響き。伝統の音楽形式とりながらも型破りとなったこの音楽は、ベートーヴェンの創造性とこの曲にかける情熱を感じます。
第2楽章は、 飛び跳ねるような軽やかさと力強さを持ち合わせたようなリズムが、空気全体に広がります。そこに不意にティンパニの登場。その後も裏側で響いているかと思えば、突如表に飛び出してくると言う、おもしろい使い方がされています。中間部はオーボエやホルンを主役として、至福の暗示、そして第4楽章歓喜の調べの予備的形を歌い上げています。
第3楽章は、静かでゆっくりと安らぎを与えてくれる、とても甘美な音楽です。美しいメロディ、とても清らかで澄んだ音楽に心も体も溶け込んでいくような感じに包まれます。 この甘い気分は、楽章の終わりに顔を出すファンファーレによって突然断ち切られてしまいます。
第4楽章は、二つの部分に分けられます。第1部は恐怖のファンファーレと第1〜第3楽章を回想、第2部は歓喜の調べ。”第1部では第1〜第3楽章を回想しつつ、その調べが充分美しくない事を訴え、やがて真に美しい歓喜の調べが歌いだされる”との解説に?の私。 最終楽章でそれまでの音楽を批判するなんて、やっぱり変わってる。 真に美しいのは歓喜だという説は、まぁ〜納得しますが、それでも、第1〜第3楽章はすばらしい音楽だと思うのですが・・・。第2部は、もう私が書くに及ばず”歓喜”そのままに浸りましょう。どんな苦悩にあっても、生きている喜びや感謝の気持ちを忘れないで! そう訴えかけられているようです。シラー作の「歓喜に寄す」の詩。解説にある一部分しか読んでいないのですが、この詩を全ての人に読んで欲しい!そう思えるすばらしい作品です。





ふぅ〜っ。何とか最後まで書き終えることが出来ました。
第一番から第九番までを聴き終え、まず思ったのは”どの曲を聴いても受け入れられた”という事です。私はマーラーファンを自称しておりますが、マーラーの作品全てを受け入れられたか?というとそうではありませんでした。とても個性的な分、それが理解できず聴く事が苦痛・・・とまでは言いませんが、それに近い状況になってしまったのがいくつかありました。
やっぱりすごいなぁ〜〜ベートーヴェン。


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