衝撃の前世の記憶

 平成18年10月12日のアンビリバボーでは前世に関する話を放映していた。そのうちの三つの話を再現してみる。中でも主婦の理沙(仮名)の話は戦慄を覚えるぐらいのリアルさだ。

 中部地方で現役の中学教師を勤める稲垣勝巳氏は教育催眠を中心に催眠療法に取り組んでいた。催眠療法によって、乗り物酔い、偏食、集中不足などを改善する為である。
 その一方、大人に対しては退行催眠を用いることがある。しかし、被催眠者が語る前世については、あるイメージが前世と言う形をまとって現われる作り話だと思っていたらしい。

 しかし、その稲垣先生に衝撃を与える事例が発生した。被験者は生徒の母親だった。先生が前世療法をやるということを聞いて校長先生を通して依頼があったという。
 主婦の理沙(仮名)という人の顔にボカシのかかったインタビューがあったが、できることなら、どっかの国のお姫様だったらいいなぐらいの好奇心が強かったとのことです。

 理沙さんの退行催眠の現場には稲垣先生の同僚や医師も立ち会っていた。立ち会った病院外科部長の酒向 猛医師は文献では読んだことがあるけど実際に退行催眠の現場を見たことがなかったので、興味をもって見たが迫真感があったと感嘆したように語っていた。
 同僚の女性教師も心に訴えるものがあり、胸がいっぱいになる場面もあったと感銘をうけたように語っていた。

 2005.6.4 深い催眠に入った理沙さんは前世を語りだした。催眠中の映像は実際の表情と異なっているので本人の許可を得てボカシはなかった。

「いまあなたは何をしていますか」の稲垣先生の質問に、理沙さんは桑畑で桑の葉をつんでいるといった。名前はタエで13歳と語った。親兄弟はないとのことだった。年号はの質問に安永9年で渋川村と語った。渋川村というのはどのあたりですかと聞いたら、上州上野国と答えた。3年先に進め何年になりますかと聞くと天明3年と答え、どんなことが有りましたかの質問に、浅間山がだいぶ前から熱くなって火が出るようになったと答えた。

 灰が降りますかの質問に、灰が毎日積もると答えた。そして、天明3年7月七夕さまの時、龍神様、雷神様が吾妻川を下るので水が止まって危ないので私がお供えになりますと語った。死ぬことになるのですよと先生が言うと、みんなの為になることだから嬉しいとタエは語った。

 渋川村上ノ郷という所でタエは竜神様と雷神様の怒りを静めるため橋に縛られ人柱になったという。タエはごちそうを食べさせてもらい花嫁衣裳を着せられ人柱となり、みんなのために死ぬことをうれしいといった。

 川の水は増えていますかの質問に、増えていると言い、間もなく苦しいと苦悶の表情をし、津波のように、一気に増えた川の水にタエは飲み込まれた。タエの命はこうして尽きた。

 催眠から覚めた理沙さんは、恐怖ととまどいを感じながらもみんなの為になろうとしていたので満足だと述べた。

 稲垣先生は証言の具体性に驚いた。余りにもリアルなのでひょっとしたらと思い検証してみようと思った。

 まず年号に注目した。安永という元号を調べて見ると、江戸中期の安永という元号は九年の翌年からは天明に変わっていた。そして天明三年には浅間山が大爆発したことも事実だった。渋川村は現在の群馬県渋川市である。上郷という地名も吾妻川もあった。
 
 稲垣先生は理沙さんに、事前に調べて話を作っているのだとしたら言ってほしいとさんざんに問い詰めた。それに対して理沙さんは、主人も自分も中部の同郷で、親戚も渋川の方とは無関係でそのことをわざわざ調べに行く手間もヒマもないと語った。理沙さんは群馬に旅行したこともなくインターネットも扱えなかった。

 当時の被害報告書である、浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳によると、つまり村ごとの被害状況の報告書では、渋川村では田畑に少々流水しているのと人ひとりが流されているとあった。たぶんタエのことだが人柱にしたとは口がさけても言えないはずである。

 その後すべての検証が終わり、スタッフは事前説明せずに渋川市の所々を映したビデオを理沙さんに見せた。事前に一切説明しなかったのは理沙さんが感じたことを素直に教えてもらいたい為だった。理沙さんは所々頷きながらビデオを見ていたが、映像がとある場所にくると不思議なことが起こった。タエが人柱にされたと思われる場所にくると、ソファーに腰掛けて見ている理沙さんの意識が遠のき、上体が倒れそうになるのだ。

 理沙さんは、何かいわくがあってあそこを映されたのですか、どうしてもあそこら辺になると意識がとぎれるんですけど、と尋ねた。
 スタッフが、タエが人柱にされたのがその辺りだと言うと、理沙さんは、ああ、と大きく頷いて涙ぐんでいた。

 テレビから推察する限り、理沙さんの現在の環境は中流以上の生活を営んでいる風に見えた。人の為に死んだと言う事が現在の幸せを与えられたに相違ない。賞罰は自ら拵えているのです、の実証だとわたしは思う。

 アメリカのコネチカット州に住むジェフリー・キーンさん元消防士(59)は生まれつき身に覚えのない傷痕が多数あった。その傷痕はアメリカの歴史上の人物と深いかかわりのある傷だと言う。
 ジェフリーさんの生まれる43年前に亡くなった元南軍の将軍ジョン・B・ゴードンの従軍記にこう記されている個所があった。

 ・・・・・北軍の一斉射撃により、私は右ふくらはぎを撃たれ倒れた。右太腿と左手首も撃たれた。5発目の弾は頭部に当たり私はその場で気を失った。・・・・・

 その従軍記に記された傷の場所とジェフリーさんの傷痕が全て一致するのである。それだけなら偶然で片づけられるが、おどろいたことにゴードン将軍の顔写真とジェフリーさんの顔写真を重ねると、顔の輪郭が寸分も違わず一致した。ジェフリーさんはゴードン将軍の生まれ変わりだと信じて毎日を大切に生きているという。

 インドのニューデリーから南260キロ離れたラジャスタン州ヒンダン村に前世と現世を行き来する女性がいると言う。
 1986年4月4日、4歳の少女ラダがバスに轢かれた。少女が医者のもとに運ばれて来たときは出血多量で瀕死の状態だったという。左足に深くて大きな傷があり大量の出血があったという。少女は三日後に死んだ。
 その9年後、ラダを名乗る見ず知らずの少女がラダの母をママと呼び、家族の名や家の間取りを語りだしたという。その少女がそのとき何歳でどこから来たかについては番組は触れていない。

 アンビリバボーの取材班がその女性に会うために、40キロ離れたラサウディア村を訪ねたという。その女性は現在20歳で十人並みな容姿をしていた。しかし、わたしには一つの疑問があった。その女性が少女のときに40キロ離れたラダの家族のもとへどうやって来たのか、家族の誰かに連れられてきたのかは番組は触れていないからだ。それはさておいて、
 その女性ラムニリ・ジャトワはラダの記憶を鮮明に受けついでいるという。にわかに信じられないがそれを証明するものがあるという。彼女はそういうと左足を見せた。そこには生まれつきの大きな傷痕があった。その母親が語るには傷痕は生まれつきあり大人になっても消えないと言う。ラムニリさんの傷痕はラダがバスに轢かれたときの傷と同じ場所にあった。
 
 前世の記憶がよみがえって以来、ラムニリさんは三ヶ月に一度、前世の家族のもとに”里帰り”して二つの家族の元を行き来している。前世の母や兄や姉とも再会している実写映像が流されていたが、前世の母も娘が生まれ変って私たちの元に帰ってきてくれたと喜んでいる。ラムニリさんは
「私には前世と現世にすばらしい両親がいる」と語っていた。


 少女が家族の名や家の間取りを語ったことなどは、勝五郎再生記聞のはなしと相通ずるものがある。
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