Brigitte Bardot 複雑恋愛相関図 彼女の自伝が長くて読めない人に これでも簡略 ※自伝参照

ブリジット・バルドー
10代半ばで帽子デザイナーのモデルを始める。同時にその広告と共にファッション誌「ELLE」の編集に説得されて専属モデルになる
既に数本の映画に出演するが2足三文のギャラである。
映画監督の助手だった、ロジェ・バディムが広告をみて、ブリジットにコンタクト。直ぐに交際がスタートした。
ちなみにロジェの本名はプレミアコフであり、フランスロシア領事の長男である。「左翼」
後に収入が無い助手では駄目だと、「パリス・マッチ」の記者に転進する。

ロジェの友人で、ジャン・コクトーとの初対面。いたく気に入られたブリジットはコクトーに「君の存在そのものが素晴らしいのだ」と宣言される。
歌手であり、後にゲンズブールがブリジットと自分への曲作りの思い入れの差を気にするジュエット・グレコとも対面。
俳優、マーロン・ブランドがロジェのアパートメントの一室で滞在中にて最初で最後の対面。

最初の夫 映画監督 ロジェ・バディムと18歳で1952年結婚
「素直な悪女」映画公開後、1956年離婚
俳優 ジャン=ルイ・トランティニャン 1955〜1957年 撮影中に恋愛沙汰
新人女優との生活を始める。まだブリジットとの交流は保たれていた
女優でジャンの妻 ステファーヌ・オードラン 1955年 夫から離婚申し立て
1956年 画家ピカソがブリジットをいたく気にいリ、自分のアトリエに招待
1956年 ジャン=ルイが徴兵される。官僚フランソワ・ミッテランに呼び出され対面する。
手をしゃぶられながら「僕と寝たらジャンにはそれなりの場所に配置してあげるんだけど」
と要求される。ブリジットは怒りに震え一切応じず。

1956年、ロンドンエリザベス女王の面会式に招待。マリリン・モンローと化粧室で対面。
マリリン「ねえ、大変よね。窮屈だと思わないのかしら?」

彼女の大ファンだったブリジット、舞い上がり冷静さに欠ける。
1957年 歌手 ジルベール・べコーから新年番組向けの共演の依頼。
録画中に恋に落ちる。この時、ユーモアがあり場を和ませるべコーに対し
博学で野性的なジャン=ルイとの狭間で悩む。

べコーとの逢瀬中に、ジャン=ルイ参上。動向を覗って2人に
判断を委ねたブリジットは深く愛していたジャンを簡単に失ってしまう。
本人はジャンを真剣に愛していたが、若すぎた事で判断を誤り今も深く反省している。
突然の別れ。
しかし、ジルベールには妻子があった。あてがわれ方が愛人である。
精神的に参ったブリジットはインメノクタルを規定以上に飲み命が危ぶまれたが、ジルベール参上により危機を脱す。べコーとは後に破局。

1959年撮影開始予定の「バベット戦争に行く」の撮影前に無名のサッシャ・ディステルと対面。この時彼はブリジットの友人がナンパして連れて来た若いミュージシャン。 ブリジット所有の、ラ・マドラーグにて、サッシャが滞在中、デビューを試みる。
ギターが上手く、ラテン、ボサノバなどを網羅しており曲も作れた。

サッシャは友人のカメラマンや新聞記者をよこし、2人の写真を無作為に撮らせた、業とスキャンダルに巻き込まれる。若いミュージシャンの意図である。
その写真をブリジットの許可無しに使いアナログをリリースした。散々な目に会う2人。

1958年、面識済みであったはずの作家マルグリット・デュラスが痛烈に予稿する。「林檎の一種なる、ブリジット女王」という皮肉文であった。
1959年、数々の俳優から新人ジャック・シャリエが選ばれる。初対面。
映画「気分を出してもう一度」の共演者でシャンソン歌手セルジュ・ゲンズブール
と会うが、既にセルジュがブリジットマニアのファンだったためシャイな
セルジュは、ろくにブリジットと会話すら出来なかったのである。
撮影中、所謂交際中のサッシャにうんざりしていた、ブリジットはジャックに惹かれてしまう。

2度あることは3度あると言わぬばかりか、ジャックとパルトマンで会食中?に、サッシャが突然の訪問。暴力沙汰になり、勝者はジャック。
この時、ジャックが後に私生活破壊にも及ぶと思われる宣言をしている。「命令するのは僕だ。君じゃない」

1959年、パパラッチのターゲットになっていたブリジットは「男を誘惑し、平気で捨てる」などという溢れんばかりの記事により、周囲の反感を
買わざるしかなく。運悪く、虫垂炎で入院中だったブリジットを中年女がフォークで刺しかかる。「あばずれ、売女、目を抉り出してやる。死んでしまえ」
幸い軽傷ですんだが、しかし、犯人は未だに見つかっていない。この事件は映画「私生活」にアイデアとして脚本に入れられた。

1959年 ジャック・シャリエと非常に曖昧な結婚をする。ブリジットは2度目1960年 「真実」の監督クルーゾーと会う。そして望まず長男ニコラを出産。
1960年、ジャック徴兵で3年間拘束の与儀。ブリジットが映画に出ること、外出する事をことごとく反対し、家の中にいる事に逆らうと、顔に
手が飛んでくるようになる。既に夫婦関係は半分破綻していた。ジャックは亭主関白で嫉妬深かったのだった。

1960年映画「真実」のキャストに、ジャン・ポール・ベルモンドを引きずり降ろし、サミー・フレーが選ばれる。ブリジットはこのシャイで陰のある青年に
拠所を求めていく。それに対し、ジャックは兵役逃れの為に心身と肉体を意図的に壊そうとして、実際に壊れた。そして暴力。

「真実」の公開後、高評判を得た中、シャリエ夫妻は調停離婚した。お互いの情熱が罵り合いに変わってしまったためである。息子は父元へ。
1961年、「素晴らしき恋人たち」の撮影で。アラン・ドロンと共演したが、ナルシストな彼とは折り合いが合わず。未だにしこりがある様子。
とある場所で、過去の恋人、ジャン=ルイと再会したが、「元気で、さようなら」の言葉と共にそれ以来会うことは無いようである。

1963年、妹で元女優のミジャーヌの夫で俳優の、パトリックの紹介で、ゴダールと対面。自伝によれば「薄汚い左翼かぶれのインテリで、ヌーヴェル・
ヴァーグの旗手」であり、自分は「古典的作品のスター」、まったくの取り合わせの悪いものであると述べている。
「軽蔑」撮影後、サミー・フレーと密やかな旅に出る。後に敏腕顔効きのボブ・ザキューリーがブリジットに惹かれてマドラーグヘ舞い込む。
ボブはミュージシャンとの交流が深く、いずれブリジットを企画に音楽番組も既に考えていた。恋とは違う「素直に楽しい」という
関係に過ぎなかったが、ボブの恋する瞳は?などというスキャンダルの見出しは猛威を振るった。

2度あることは3度あるというように、学べないブリジットは、ボブとサミーに結果を託し、サミーが何も言わずに去る形となった。
1963年 友人であったジャン・コクトーとエディット・ピアフを死去で失う。
1965年「ビバ!マリア」のプロモーションでアメリカにて大歓迎を受ける。後のセレブの会食で憧れのポール・ニューマンに見つめられる。ご満悦。
1965年 ギュンター・ザックスと初対面。彼はドイツの富豪でかなりのプレイボーイで名をならしていた。
後に会う回数が増えて、ギュンターから「僕かボブのどちらかを選んでくれ」とプロポーズ。

1966年、ギュンターの半ば強引なまでの姿勢に負けたブリジットは3度目の結婚。しかし遊び、旅、宝石などの 贅沢三昧の毎日と、シャリエと同じように
亭主関白過ぎたがために、ストレスを過剰に溜め込むはめに。この時、ボブの介添えで音楽の企画が行われる。
それにセルジュ・ゲンズブールが手放しでコンポーザーとして参加。1968年フランスで放映予定の「今宵バルドーとともに」である。

1967年、ギュンターが映画を作り、カンヌへ出品。そのために妻であるブリジットに同伴させようとしたが、ブリジットはカンヌ映画祭が嫌いなために
「来ないなら、離婚する」というギュンターに対し「どうぞ、御勝手に離婚してください」ともめる。
1967年、セルジュ・ゲンズブールからの連絡。2、3曲歌が用意できたので会いたいと述べる。ブリジットのアパルトマンで彼は名曲「ハーレイ・ダヴィッドソン」を
ピアノで奏で、ブリジットは暴君の夫ギュンターを頭から消した。そしてその夜事実上ゲンズブールとの愛情関係が始まる。

1968年、「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」に対してギュンターが怒りを表明し、叩き潰すと脅す。大事なセルジュとの思いを泣く泣くフィリップス社に
嘆願書を出し、その1曲のみお蔵入りさせてもらう。同じ年「今宵バルドーとともに」が皮肉にも放映される。過去の恋人べコーが単独で歌うシーンを
半ば強引に入れられてしまう。プロデュースは悲しい扱いのボブであり、また録画フィルムの中のセルジュは愛する人を後に失う事を知らない。

1968年晩秋、映画「シャラコ」で共演した、ショーン・コネリーとともにイギリスでマーガレット王女に会う。
ギュンターは映画製作を懲りずに続けていた。その間会わない期間も多く、ブリジットには至福だった。

1969年から1970年、33歳ブリジットに、パトリックとクリストファーいう10歳年下のボーイフレンドが出来るが、パトリックは暴君でブリジットはアクセサリー代わりだった。
反対にクリストファーは優しさに溢れ、常にブリジットを感心させる魅力を持っていた。どちらもスターにたかる金食い虫だった。
長く煩わしかったギュンターとの夫婦生活も終わった。

知りたがった方々、他人の恋愛沙汰など・・・こんなものでよいのでしょうか?

Back