モンタヌス『日本誌』のパウロママ山の比定の試み

 西洋の古版画を買うようになって、モンタヌスの『日本誌』に親しむようになった。邦訳では、そこに出てくる地名が比定されて書かれていたり、不明のまま原語のまま記載されたりしている。また巻頭に付された「大阪江戸間陸路」、「長崎大阪間海路」の地図には様々な地名が記載されている。それら地名を現在の地図と引き比べて、訳書の比定が当たっているか、あるいは不明とされる地名を考えるのは楽みである。

 九州その他の地名はどうも自信が持てないが、関西特に居住地である滋賀県のものは、土地勘もあるので、創見を出せそうである。今回取り上げるのは同書に記載された琵琶湖畔に所在するとされる「パウロママ山」Paulomama or Mount of Pleasureである。

 当地は蘭使が訪問したように書かれており、邦訳では一項目が建てられている。先に取り上げた「鹿児島」ほどではないが、一頁ほどの分量を費やして記述されている。版画があるのも著者の関心を示しているのであろう。まずは、『日本誌』に挿入された私蔵の版画をみていただこう(37×30cm)。



paulomamaの版画

 当面の説明に関係する部分を邦訳から抜き書きする。
 「蘭使一行は都を出でて比叡山のふもとを旅行し、大津を経て長さ十八リーグの大湖の辺にある膳所に達せり。此の湖水は都を流れて大阪に注ぐ河の源をなす。ゼルデレンは膳所に於いてパウロママ(Pauromama)と称する面白き山を見んと欲せり。膳所より東北東にあたり、かの湖水に近し。[中略][船で]二三時間にして彼らは皆ともにパウロママ山に到着せり。[中略]山は峻嶮にして高し。しかれども多く凸処を有し、之に沿いて曲がれる階段ありて頂上に達す。頂上には仏僧の住む殿堂ありて、多くの都市すなわち石部(Itzibe)、水口(Minacutz)、ジンツサマ(Zintzsamma)[土山]、草津(Cusatz)、タモニズ(Tamamizu)[玉水]、膳所(Jesi)、大津、都、伏見、淀、枚方、ウハツ(Uchats)、稲荷(Vinari)、ミカワ(Micawa)、其他多くの地を遠望し得べし」(p.464-465、[ ]は記者の記入)。

 パウロママ山とは、名前からして西洋風であるし、版画に描かれたものも、空想の産物と見える。宮田珠己『おかしなジパング図版帖―モンタヌスが描いた驚異の王国』(パイインターナショナル、2013)では、「まるで桃源郷のような印象を受けるが、果たしてどこの山のことだろうか」とされている(p.33)。
 『モンタヌス日本史 英語版』(柏書房復刻版、2004)の島田孝右編「別冊解題・索引」には、上記「大阪江戸間陸路」に独自に比定した地名が併載された地図が添付されている。そこでは、パウロママ山に「蓬莱山」が充てられている。思うにこの蓬莱山は固有名詞ではなく、Mount of Pleasureを意訳したものであろう。どうも、中国式神仙思想によって描かれたように見えるから、蓬莱山という名が出てきたのかもしれない。もっとも、滋賀県には湖西の比良山系に蓬莱山があるが(登山したことがある)方角も山容も全く異なる。

 私は、「パウロママ山」は「太郎坊宮(太郎坊山)」だと考える。
 県外の人には馴染みがなかろうから、太郎坊宮の概要をまず述べる。太郎坊山(滋賀県東近江市所在)は、蒲生野にある。例の額田王の「紫野行き標野行き」の地である。愛知川の左岸にある独立山丘であり、標高は376メートル。中山道をはさんで安土山と相対している。北にはこれも歌枕で有名な老蘇の森がある。延暦十八年の創建とされる。山頂に阿賀神社、山麓に成願時があり、古くは神仏習合の形態で太郎坊信仰を育んできた。

 パウロママ山を太郎坊宮(太郎坊山)と考える理由を挙げる。
 第一に音韻。Paulomamaという西洋風な名前も、Tarobou(no)miya あるいはTarobou(no)yamaを表記したものではなかろうか。
 第二に、地理。『日本誌』には、膳所の東北東にあり、船で二三時間の距離とされている。地図で検証すると、膳所のほぼ東北の方角で、直線距離で約28キロメートル。船で二三時間、英語版では”in few Hours”は、まず許容範囲か。和船の速度がよくわからないのだが、八張魯で平均時速7ノットとあるから、3時間では約39キロメートル行ける。琵琶湖―愛知川を運航して、近くまで行けるであろう。版画では湖畔にあるように描かれているが、あくまで「湖水に近し」(英語版では、near)である。「大阪江戸間陸路」地図でも、パウロママ山は湖畔にはない。
 第三に山容。「山は峻嶮にして高し。しかれども多く凸処を有し」(邦訳、p.464)である。景山春樹『神体山』の描写では、「主峰から真南へ、少し張り出した尾根の突端(標高350メートル位)に、巨大な岩石露頭があり、遠方(特に南方)から眺めると、ここが突兀とした印象のふかい山容を見せる」(p.92)とある。ネットから取った太郎坊山の写真を二枚あげる。一枚は湖水ではなく、水を張った水田が前景となっている(と思う)。版画と似ていると思う。


太郎坊山


太郎坊山2

 第四に施設。先に引いた訳文に続いて「之に沿いて曲がれる階段ありて頂上に達す。頂上には仏僧の住む殿堂あり」と書かれている。太郎坊山には現在、三百段に近い石段がある。版画の凡例(英語版も蘭語のまま)によると、頂上に「仏僧の寺」(Een Tempel van eenige Bonsiosen)、中腹に「仏僧の家」(Huys voor eenige Bonsiosen)が描かれている。『近江輿地誌略』という書物には、「往古は五十余坊あり、いまようやく二坊をなす。行万坊、石垣坊これなり」と書かれているそうだ。
 最後に、山頂からの展望である。山頂から見渡せる視界は計算式(注)によると69Kmである。これは、その高度から地平線までの距離であり、湾曲した地平上の距離ではない。また、視界を遮るものがない前提である。理論的には、上記引用に帰された土地、遠くは淀(地図上で48Km)、枚方(59Km)、玉水(50Km)まで見えそうである。もっとも、実際は近くの山に邪魔されて、とても見えるとは思えない。「ウハツ(Uchats)、稲荷(Vinari)、ミカワ(Micawa)」はどこを指すのか、私にはよくわからないが。
 なお、玉水は『日本誌』の別の箇所で、関白秀次が高野山に追放される前に宿泊した所とされているから、(『太閤記』17巻で確認できる)山城の井出町の玉水と思える。ただし、地名の記載順からいけば、南草津にあるこれも歌枕として知られた(萩の)玉川のことではないかとも思える。「大阪江戸間陸路」では、山科のあたりにTamamizuがある。

 こうしてみると、調べるにつれて、『日本誌』は、荒唐無稽な本から信頼のおける記述のように思えるようになった。パウロママ山の比定については、他の文献があるのかよく判っていない。私としては、『日本誌 英語版』を閲覧させてもらって(龍谷大学図書館に感謝)、太郎坊山説がなかったのを確かめるのが精一杯である。


(注)X:高所から地平線までの距離。H:高度、0.376km。R:地球の半径、6,371Km。とすると、ピタゴラスの定理から、(R+H)2=R2+X2が成立する。略式で、X=√2HR となり、地平線までの距離を求められる。

(2023/9/23記、2023/10/3転載)